第三十五話「届いたお薬」
第三十五話「届いたお薬」
「報告! フラウエンロープ号が帰還致しました!」
「帰ってきたか!」
レシュフェルト領到着三日目の早朝、嬉しいニュースが飛び込んできた。
お薬を手に入れる為に出ていた総督府の船が、無事に戻ってきたのだ。
「現在、荷役作業中。管区内各地に向かう早馬の準備は、既に整っております」
「ご苦労。連絡……いや、私も港へ向かおう」
「はっ!」
食事中だったけど、それどころじゃない。
総督閣下とお顔を合わせる必要があったので、慌てて朝食をお腹に片付け、ローレンツ様以下、五人全員で港に向かう。
「なんとか間に合ったわね」
「うん。ほっとしたよ……」
この三日、看病に走り回っていた私とアリーセはもちろん、ローレンツ様達もかなり忙しかった。
メルヒオル様は半日ほどで復活、ローレンツ様やゲーアマン政務官とともに、対応策を構築されている。
一番最初に、病人の移送――集中が指示された。
民家からは次々とベッドごと患者が運び込まれ、総督府と教会は、今や病院と見まごう様相だ。食事のお世話や共同での洗濯とも相まって、多少なりとも効率よく回せるようになっていた。
指示を受けたアンスヘルム様は管区内の村へと幾度も馬を飛ばされていたし、動ける兵隊さんや集まって貰った奥さん方も、看護や配給のお手伝いに一生懸命だった。
「あ!」
港への一本道を真っ直ぐ歩いていると、騎馬が駆けてくるのが見えた。
鞍の左右に積まれた荷物は、薬だろう。
「頼んだぞ!」
「お任せ下さい!」
馬上礼さえなかったけれど、衛兵さんはとても真剣な顔で叫び返した。
もちろん、ローレンツ様は礼がなかったと怒るほど狭量じゃない。急がないと巡り巡って困るのは領民の皆さんであり、私達だった。
それに、自分から『頼んだぞ!』と声を掛けられた――その行動をお認めになられていたから、問題はないだろう。
「あれがフラウエンロープ号か……」
港に到着すると、プリンツェス・ルイーゼ号よりも小さな帆船が新たに入港していて、桟橋の手前で次の衛兵と馬が順番を待っていた。
その周囲には慌ただしく水兵が走り回り、荷降ろしと開封を行っている。
「間違えるなよ、貴様はリンテレン行きだ!」
「了解!」
更に一頭、騎馬の用意が出来て、先ほどのように走っていった。
新領土管区には、総督府が置かれているここレシュフェルト領を含め、五つの領地がある。
人口は管区全部で四千人ほど、王国内じゃ相当に田舎のはずのアールベルク管区に比べてさえ、その四半分も人がいない。
もちろん、少ないとは言いながらも四千人のうちの千人に薬を配るとなると、それだけでも大変だ。
「よし、ヨハネス! 貴様が最後、ノイエシュルムだ!」
「了解!」
「ようし、残りはこの近隣だ! 受け取った者から指定の地区に走れ!」
私達はその荷役と配達を邪魔しないように、フラウエンロープ号へと近づいた。
「殿下!? 総員、整列!」
「構わない。今は危急の折、仕事を続けてくれ」
「はっ! ありがとうございます!」
ローレンツ様の声を聞きつけたのか、船の方で反応があった。
総督閣下と思しき老境の貴族と帽子でそれと分かる船長さん、それからプリンツェス・ルイーゼ号のオストホフ艦長が、渡り板を駆けてくる。
「某は南大陸新領土管区総督、ハンス・ヤーコブ・フォン・リンデルマンと申します」
「私はフラウエンロープ号船長、トビアスでございます」
「善き哉。王室公爵ローレンツ・フォン・レシュフェルトだ。二人とも、ご苦労だった。疲れているところ済まないが、少しだけ付き合ってくれ」
「ははっ!」
ローレンツ様は、すぐに跪く二人を立たせた。メルヒオル様とアンスヘルム様も交え、その場で状況の交換が始まる。
私とアリーセは、先に降ろされた薬以外の荷役をお手伝いしてから、ご許可を貰って教会と総督府に向かった。
「薬は行き渡ったけれど、数日は安静にしなきゃいけないんだよね?」
「そうね。でも、よかったわ。これでみんな助かるもの」
「うん。……じゃあまた、夕方!」
「はーい。リディも頑張って!」
「アリーセもね!」
とにかくこの数日を乗り切って、本来の予定――レシュフェルト領の引継が出来るようにしないとね。
せっかく足の速いプリンツェス・ルイーゼ号を用意して貰ったのに、私達は何もできていなかった。
もちろん、漁師病の流行は放っておけない。
だからとそれに掛かり切りでは、いずれ、にっちもさっちも行かなくなってしまうことも明白だった。
▽▽▽
「隊長さんは、ほぼ回復されましたねえ」
「若い者には負けておられんのですよ」
病室になっている総督府の二階に向かえば、薬の方は無事に行き渡っていて、患者さんも世話人さんも、嬉しそうな様子だった。
腰痛持ちの衛兵隊長さんは、もう退院してもいいんじゃないかなっていうぐらい元気だ。
他の患者さんも顔色は……昨日よりましな人が多いけど、あんまり良くないか。早く治って欲しいけど、さっき薬を飲んだばかりじゃ、仕方がないよね……。
そんな感じで、朝の内は掃除と洗濯に走り回っていた私である。
「あれ、アンスヘルム様?」
「リヒャルディーネ嬢、手は空けられるか?」
「はい、大丈夫です」
配食したランチの後かたづけをしていると、アンスヘルム様が打ち合わせに出て欲しいと呼びに来て下さった。
手桶に氷だけ出して世話人のまとめ役、カティアさんに預けておく。
「じゃあ、よろしくお願いします」
「ええ、それはもう!」
南の海際は、冬でもそこそこ暖かい。
アリーセと相談してメルヒオル様の許可を取り、荷馬車に大きめの氷塊を乗せて、管区の各村に配達して貰ったぐらいだ。
「アンスヘルム様、私はご挨拶だけでいいんですよね?」
「それはないかな。ここは私よりも、貴女の方が頼りになる場面だ」
「え!?」
驚く私に、アンスヘルム様は面白そうに微笑まれた。
「私も打ち合わせや会議には出るが、意見を述べるよりも、話の流れを理解し、結果を受けて現場をより良く動かす為に呼ばれる場合が多い。……身内ばかりなら必要に合わせるが、公の場で軍人が政治に口を出すのも、良くはないかな」
「あー……なんとなく、分かります」
アンスヘルム様が騎士――『軍人』なら、私は『女官』だ。
求められる役割は、もちろん違う。
私は改めて、アンスヘルム様に頭を下げた。
「ありがとうございます。……気持ちが切り替わりました」
「礼には及ばない。むしろ、心強く思う」
案内された会議室には、ローレンツ様ら私達一行全員と、リンデルマン総督閣下、それにゲーアマン主任政務官が揃っていた。
遅くなったことを詫び、末席につく。
「さて、改めて二人を紹介しておこう」
ローレンツ様から、アリーセと私が紹介される。
私が貴族の娘で正規の女官だということに、総督閣下は随分と驚かれていた。
女官服を着ていなくても、雰囲気とあか抜けた装いでなんとなく中央貴族の娘だと分かってしまうアリーセはともかく、私は見た目からして子供な上に、今日も看病のお手伝いで汚れるだろうとオルフ村で着ていた私服でほぼ村娘状態、これはしょうがない。
これで場が和んだというか、多少それぞれの故郷の話を交わしてから、表情を引き締めて打ち合わせに臨む。
「さて、リンデルマン総督」
「はい、殿下」
「引継に際して、当地の問題点を改めて聞いておきたく思うのだが……む?」
どんどんどんと、扉が大きく叩かれる。
大事な打ち合わせだけど、それ以上の事件が起きているなら、兵隊さんも役人さんも躊躇わない。
アンスヘルム様が立ち上がって、剣に手を添えつつ扉に向かわれた。
「何事か!?」
「報告します! 今朝配給をした薬が殆ど効いておらぬようで、未だ発熱がおさまらぬ者多数! リンテレン、ファルケンディークからも同様の報告が届いております!」
「なんだと!?」
伝令の兵隊さんは、悲愴な表情で言い切った。
こちらも全員、似たような表情だ。
「まさか儂は……足元を見られて倍額をふんだくられたあげく、偽薬を掴まされたのか!?」
がんと机を叩いたのは、総督閣下たっだ。
目が血走り、頬が引きつっている。
「閣下、それは……」
「料金よりも時間優先と、近いフレールスハイムに駆け込まず、遠くとも交流のあるミューリッツに向かうべきだったか……!」
「総督閣下」
冷静な声は、アリーセだ。
お嬢様モードで柔らかく微笑んでいる。
「大丈夫ですわ。……少なくとも、港そばの教会で配布した薬については、どちらも本物でございました」
「おお!」
「アリーセ、それは真実なのだな?」
「はい殿下。成分が気になったもので、魔法にて確かめました。……ですがそれだけに、より重大な問題が起きているものと、推測致します」
お薬は本物。
なのに病気が、治らない。
……これは本気で、大問題かもしれない。
「あの……」
おずおずと伝令の兵隊さんが、右手を小さく挙げた。
「構わぬ。発言を許す」
「はっ! 報告には含まれておりませんが、総督府内で治療を受けていた者には、いつもと同様に熱が下がった者も多いのです! それ故、気付くのも遅れたのですが……」
「なんだと!?」
当然の如く、総督府で看病に当たっていた私に、全員の視線が集中した。
「リディ!?」
「特別なことは、何もしていないはず、です……」
いや、ほんとに。
……なんかしたっけ?
「ふむ……。熱が引いた者に特徴はあるか?」
「えっと、隊長にクリストフ、インゴマル、テオフィルス、それからパウル……歳も階級もばらばらであります、総督閣下」
「……あ!」
熱が下がった『理由』は分からないけど、その『条件』は、分かったかもしれない。
この三日間で、患者さんの顔と名前は大体覚えていた。




