第十四話「帰り道」
ローレンツ様は、庁舎の入り口で待ってくれていた。
「お待たせ致しました、ローレンツ様」
「大丈夫ですよ」
男爵屋敷は隣の建物だけど、その心遣いが嬉しいよね。
「そうだ、リディ」
「はい?」
「この間行ったガレットのお店、夜は酒場なんですよね? 今から行きませんか?」
「えーっと……行きたいです」
夜の酒場なんて、もちろん行ったことがない。
見かけはそのまんまの子供だから、アールブルクに来てからは禁酒続きで……って、それはまあしょうがなかった。
……そのまま酔わせてどこかに連れ込まれたりは、しないか。しないね。
まがりなりにも私は地方領主の娘で、もみ消すには手間がかかりすぎるだろうし、ローレンツ様はそこまでおバカなお坊ちゃんには思えない。
「あ、でも私、制服のまんまで……お屋敷に戻ったら、すぐに着替えますね」
「では、これを」
ローレンツ様は自分のマントを外し、私に被せてくれた。
お腰の剣の金具に当たったのか、ちゃりんと小さな音が響く。
……うひゃ。
た、体温が残ってて、こそばゆい。
「行きましょうか」
「はい、ローレンツ様」
差し出された手を、そっと握る。
人通りの少ない夜の街、小さな二つの足音。
これじゃあまるで、本当のデートだよ。
そう茶化さずにはいられない自分の弱い心に気付いてしまうと、もうだめだった。
生まれ変わったと言っても、人として心まで強くなったわけじゃないんだなと、自覚させられる。
出会ってたったの三日でも。
どうしようもなく惹かれてしまうことだって、あるんだね。
大通りを真っ直ぐ進んで西に折れると、『草原の一本杉』亭がすぐに見えてくる。
これはアールブルクの繁華街が短すぎるせいだから仕方ない。田舎町にしちゃ立派な方らしいけれどね。
「ほう、思ったよりも賑やかです」
「ですねえ」
扉を開ける前から、大きな笑い声が聞こえていた。
……代官逮捕の話で盛り上がってるのかなと、ちょっと考えたりもする。
いいか悪いかで言えば下世話な話題になるけれど、噂話ってそんなもんだし。
「はい、らっしゃい! あら!」
「こんばんは、アニカさん」
「隅に置けないわねえ。でも……ちょいと、お兄さん!」
「私かい?」
アニカさんはトレイを手にしたまま、ローレンツ様に詰め寄った。
「先に言っとくけど、うちのお二階は貸さないよ」
「……二階?」
「わあああ、違いますアニカさん! 夕食食べてちょっと飲むだけですって!」
そのままアニカさんにぎゅっと抱きつかれ、頭の上に顎をのせられる。
ローレンツ様がお坊ちゃんで、ほんとに良かった……。
「あんたは王都から来たって噂だから知らないだろうけど、このお嬢様のお爺様、オルフの先代領主様と言やあ、このアールブルクじゃちょっとどころじゃない英雄なんだ。下手に手ぇ出すと……分かってるだろうね?」
お爺ちゃんの名前、そこまですごいのかな?
衛兵さん達はともかく、庁舎やお屋敷じゃ、ほとんどそんな話されたことなかったけど……。
「手を出したりはしませんよ。ちょっとした話なら、したいなとは思ってましたが」
「ならいいけどさ……」
抱きつかれたまま、隅っこにある二人掛けの小さなテーブルに案内される。
「食事の方でいいのかい、お嬢様?」
「はい。ローレンツ様はワインとエール、どちらがお好みですか?」
「では、ワインを」
「上中並とあるけど?」
「では、上を一瓶、グラスは二つで」
「はいよ、お待ちあれ」
王都のお店なら銘を聞かれるんだろうけれど、上中並ときたか……。
すぐに運ばれて来た夕食は、雑穀混じりのパンと豚肉がメインの煮込み、それから茹でた野菜の小皿が一つずつ。他のテーブルを見れば酒の肴はもう少し種類がありそうだけど、夕食は一種類だけのようだった。
「リディ」
「はい、ありがとうございます。あ、ワインは酒杯に半分でお願いします。美味しく飲めるのは、そのぐらいが限度なんです」
「うん、分かった」
銀色の酒杯に、半分のワイン。
これが今の私だ。
「ローレンツ様、失礼します」
「うん」
もちろんご返杯させていただく。
作法通り、ローレンツ様の酒杯を八割方を満たして、静かに瓶を置いた。
「では……リディとの出会いに」
「!! ロ、ローレンツ様と出会えたことにっ!」
だから突然、そういうこと言うのはやめて欲しい。
久しぶりのワインなのに、一口目は、味がしなかった。
しばらくは顔を合わせるのが恥ずかしかったせいで、ローレンツ様の手元にばかり視線が行ってしまったけれど、ほんと、綺麗な箸使いならぬ食器使いだ。
「そうだ、リディ」
「はい、ローレンツ様」
「少し話があるんだが、いいかい?」
「はい、もちろん」
あ、さっきちょっとした話があるようなこと、仰ってたっけ。
食事の手を止め、流石に顔を上げて姿勢を正す。
「実は……この調査行が一段落してからになるけれど、私は父から新しい仕事を任されることになっているんだ」
「はい」
「王政府の仕事も辞して、今在籍している騎士団からの退団も決まっているが、やりがいのある仕事になる、と思う」
「ご出世なさるのですか?」
「まあ、そんなところかな」
あらあら、まあまあ。
ほんとに出世コースに乗ってるのかな、ローレンツ様。
「それで……リディさえ良ければ、一緒に来て貰えないか?」
「え……?」
これは……うん、少し真面目に考えたい。
ロマンスまで期待したら、自分の立場を思い出すだけの寂しく悲しいことになりそうだけど、出世の足がかりだと直感する。
頼りのはずの男爵閣下は逮捕されてしまっていて、このままじゃ出仕し続けることさえ難しいんだから、渡りに船としか言いようがない。
「メルヒオルが他人を褒めるなど私とアンスヘルムには驚きでしたし、貴族子弟の地方調査と言えば、適当にあしらわれるのが普通だというのに、あなたは懸命に私達を手伝ってくれた。それも、内情を明かす前からです」
「……」
「何より……」
「ローレンツ様?」
「このまま王都に戻ると、『僕』は……絶対に後悔すると思う」
あー……。
どうしてくれようか、この人。
気持ちが真っ直ぐすぎてまぶしいけれど、目がそらせないよ。
それに……ふふ、『僕』だって。
たぶん、これがローレンツ様のありのままなんだろうなあ。
うー……。
お爺ちゃん、父さん、ごめん。
後でお詫びの手紙書くから、許してね。
ああ、もう!
私も一世一代の勝負だ!!
「行きます、ローレンツ様と一緒に!」
「リディ! ありがとう!」
それまで真っ直ぐだった表情が、ぱあっと明るい笑顔になって。
私はそれ以上ローレンツ様を直視することが出来なくなり、一礼する振りをして俯いた。
少し遅くなった『草原の一本杉』亭からの帰り道、また、私とローレンツ様は手を繋いでいた。
定位置……と言うにはなんだかなあと思いつつも、心地いいのでそのままにしている。
遅い時間になったせいか、大通りに人気はなかった。
おかげでほんとに二人きり、ついでに夜風まで気持ちいい。
「そう言えば先ほど、新しい仕事をお父上から任されると仰っていましたが、具体的にはどのようなお仕事なのですか?」
「実はまだ未定なんだ。この騒動の結末……いや、後始末次第、だろうね」
ローレンツ様の口調が飾られなくなったせいか、距離が縮まった気がして、その、とても困る。
おまけにとても上機嫌で、笑顔がまぶしすぎて顔を上げにくい。
「せめて軍務か政務か、早めに決まると準備の時間が出来て嬉しいけど、たぶん、無理かな」
「大変そうですね」
「メルヒオルはいつも文句を言ってるよ」
「ふふ、そうなんですか」
「代わりにアンスヘルムは――リディ!」
「きゃっ!?」
ふいにローレンツ様が足を止めた。そのまま抱き込まれる。
ちょ、あの……え!?
「あの、ロ……」
「何奴!?」
ローレンツ様の緊張した声に表情を見れば、ときめいてる場合じゃないとすぐに分かった。
誰に向かってローレンツ様が声を張り上げたのかは分からないけど、右手の指輪を意識する。
「護衛も付けずに出歩くとは、迂闊だな!」
「……ほう、私と知っての襲撃か?」
「チッ! やるぞ!」
「リディ!」
「はい!」
手を引かれ壁を背にすると、取り囲んでいた襲撃者は黒尽くめに覆面の五人。
剣が四人に、杖が一人。
ローレンツ様は、いつの間にか剣を抜いていた。
「【身体】【強化】。いいぞ!」
「おう!」
「【身体】【強化】。……ふう」
杖持ちが魔法を唱え、次々と仲間を魔法で強化した。
私は……そうだ、ローレンツ様の背に隠れよう。剣の邪魔になっちゃ申し訳ない。
ついでに相手から、口元手元が見えなくなるようにして、っと。
じりじりと黒尽くめの五人が迫り、僅かにローレンツ様がすり足で位置を変える。
まだ、大丈夫そうだね。
「……【待機】。【浮遊】【誘導】。……【多重】【十層】【選択】」
相手に聞こえないように、小さく魔法を唱える。借りてるマントも丁度いい。
お爺ちゃんに教えられた準備詠唱ってやり方で、魔法は使っているけれど目に見える動作も現象も一切見せず、発動するまで相手には分からないって方法だ。
実は……私はあんまり緊張してなかった。
ローレンツ様が私を守ろうとしてくれているからだろうって思う。たぶんだけど。
ついでに言えば、相手だけでなくこっちにも魔法ってものがありまして、私の方が魔法は上手い気がしてた。
四人ぐらいの身体強化なら、多重詠唱で一気にかけた方がらくちん……というか、時間がもったいないし、相手の目の前で悠長に掛けるような魔法じゃない。
こんなのお爺ちゃんに見せたら、狙われてるとか五対二とか関係なく、たぶん不機嫌になると思う。
「先に狙われるのは、男爵の方だと思っていたんだがな……」
「クソッ!」
二度三度とお互いが微妙に位置取りを変えていたけれど、ついに、剣を斜に構えた一人が突っ込んできた。
「覚悟!」
「……【解放】」
「リディ!?」
私はローレンツ様の服を引いてから、待機させていた魔法を一斉に起動した。
一抱えはある石畳の石が十個まとめて持ち上がり、私とローレンツ様の周囲を高速で回転しはじめる。
当然、そこには誰かさんが居るわけで……。
「ぐえ!?」
「がはっ!」
覆面越しのくぐもった悲鳴が五つ、人気のない大通りに響いた。
「【誘導】【位置】」
まだ微妙に動いてるから、誰も死んでいないだろう。
とりあえず、持ち上げた石をそっと襲撃者の上に二つ三つ乗せ、逃げられないようにしておく。……もう三つぐらい増やしておこう。
あ、杖だけは取り上げておかなきゃね。痛みで魔法に集中出来ないかもしれないけど、不意打ちは恐い。
「……えっと、リディ?」
「はい、ローレンツ様?」
「ああ、うん。……ありがとう、リディ」
「はい、ローレンツ様がご無事でよかったです」
他にも何か言いたげなローレンツ様を、小首を傾げて見上げる。
魔法は幾度か見せていたけれど、お爺ちゃんに笑顔であしらわれる程度としか言ってなかったから、驚いてらっしゃるのかな?
「ローレンツ様、ご無事ですか!」
大音声に振り返れば、通りの向こうから、衛兵を引き連れたアンスヘルム様が走ってくるのが見えた。
「アンスヘルム、こちらは大丈夫だ」
「……この魔法は、ローレンツ様が?」
「いや、リディがな……」
「なんですと!?」
「それよりもアンスヘルム、この者達のことを任せる。……私と知っての襲撃だった」
「はっ!」
てきぱきと指示を出すローレンツ様はとても格好いいなあと、私は心の中のアルバムにその姿を焼き付けた。




