大学生活2年目⑥
~2003年冬休み迄③~
後期が始まる前に、自分を少しでもライトサイドへ引き戻し、学校へ行く気になろうと地元の中の良い友人宅にお泊りを計画したが、まったく思惑と異なり、
むしろより、暗黒面に足を踏み入れることになってしまった夏休み後半。
AOCをしながら、UOで寝マクロをし、PKキャラを作るだけの夏休みも終わり、後期がスタートした。
暗黒面により深く足を踏み入れてしまった一留であるが、いい事もあった。
スタミナちゃんぽんがめちゃくちゃうまい、九州ラーメンの安いちゃんぽん屋。
そこの豆腐のうま煮をなんとなく注文したところ、大ヒット。
居城周辺での食事の幅が広がった。
さて、後期の授業であるが、地元で蓄えた貯金が大分減ったこともあり、
また、学校へ行かなければならないという気持ちが芽生えたため、1年ぶりくらいに定期券を購入した。
しばらく、まじめに(とはいえ、1コマ目の講義はほぼ出なかったが。)講義に出席することにした。
当然であるが、1回生時に取れなかった必修科目を受けており、また、同学年であるSWS組も解散していたため、孤独な学生生活を送った。
夢に夢に描いた学生生活とは全く正反対な生活を送っており、心が俺そうだった。
そんなとき、スロ雑誌界隈が騒がしく、ある機種を取り上げていた。
サミーから出される、「キングキャメル」という台だった。
何がそんなに話題を呼んだかというと、リールが逆回転したり、自動でストップしたり、と、今のスロットでは当たり前の事だったかもしれないが、
この奇妙な動きをし始めるきっかけになった走り(?)の台だった気がする。
また、大昔(2号機、3号機時代?)に流行った集中という機能を搭載(集中に当選すると7かバーか、なんかしょぼい絵柄がそろう)していたため話題になっていた。のだと思う。
そこまで騒がれるとさすがに気になってしまうというもの。
その月の仕送りが入ると、速攻打ちにいった。
ボーナス(集中)中の音楽が非常にかっこよく、特にキングボーナスとキャメルチャンスのBGMは最高だったと記憶している。
ただ、キングボーナス引いた直後に集中がパンクし、BGMを聞きながら、ひたすら、通常ゲームを回す事になった事は今思い返してもはらわたが煮えくり返る思いだ。
嫌いではなかったが、何かが残念な台で、世間の認識もそんな感じだった。
毎日昼前くらいに学校へ出向き、スロットからも少し離れていた。
そんな日常を変えようと、今の自分の最上級に孤独な自分の状況を変えようと、再びアルバイトをしようと思い立つ。
ミーハーな一留は、乗り換えが少なく、また、都会的な、トレンドな町でのアルバイトをする事を目標として、探した。
出した結論は、当時六本木ヒルズが完成し、スポットライトを浴びていた、六本木。
色々なバイトはあったが、学生の本分は忘れないよう、ファミレスを選択。
過去に、ファミレスホールを希望し、見事不採用となった苦い記憶があるため、ホールでもキッチンでも両方できると履歴書に記載し、
面接へ臨んだ。
結果、合格した。
もちろん、キッチンで。
学校終了後~終電前くらいまでの時間を希望していたので、週3日(学校がない日は引きこもりたいため、入れなかった。)18時~23時ごろまでのシフトにしてもらった。
ここでのバイトが一留をさらなる暗黒面へと引きずり込む事になるとは思いもしなかった。
これで講義がある日でも孤独感を紛らわす事ができると少しテンションが上がった20歳の秋だった。
ネトゲの世界では、相変わらずAOCに明け暮れながら、UOの世界で完成したPKキャラで暴れまわり日々。
この頃、おそらくだが、その数年後に現れる有名PvPerが現れる迄、ほとんど日本人はいなかったのではなかろうか。
主なプレイ時間が日本時間でいう深夜帯であったためからかもしれないが、集団(5~10)でpkしているのは我々だけだったと思う。
ダンジョンでのおいしい狩場へ出向き、瞬殺pkし、死の町でまったりリッチ狩りをしているプレイヤーを集団リンチし、時にはデルシア(この頃デルシアに人がかなりたまっていた)に出向き、
烏合の衆との集団戦を楽しむ。
こんな日々を送っていたが、最高に楽しい時期だった。
UOでできるゲスイ行為(PK以外にも、FPKやルーターCPKなど・・・・)を繰り返していた。
また、スロット気になる台が出ていた。
7000枚オーバーを3度ほど経験させてくれた、旋風の用心棒の後継機、ジェットセットラジオ(JSR)だ。
ゲームかなんかのタイアップだった気がするが、JCと呼ばれる連荘性をもったATから子役を連続させ、ボーナスを放出させるという仕様は旋風と全く同じだった。
当時かなり気合を入れて、マルハン本店(新宿)に行き、JSRの初打ちをした事を覚えている。
ただ、出玉は周り含めて、全く出ておらず、一留本人も大負けしたため、つまらんと思い、それ以来ほぼ打つことはなくなった。
六本木で始めたバイトは熾烈を極めた。
キッチンでは、料理する人間は2人おり、毎度一留とペアを組むのは中国人のSHUさんだった。
二人の役目はきっちり分かれており、メイン料理(ハンバーグやステーキフライ系など)とそれ以外(パスタや炒め物など簡単なもの)を作る人間と別れていた。
一留は新人でもあるため、SHUさんと組む時は毎度、それ以外のサブ料理をつくる役割だった。
わからないことがあればSHUさんに確認するのだが、このアマ(30代くらいの女性)の態度の悪いこと。
料理を教えてくれといえば、「オマエマダソンナノワカラナイノカヨ」、料理のタイミングが遅かったり、早かったりずれたりすると「チッ」としたうちをしてくる。
物覚えの悪い一留も悪いが、もう少し和やかに仕事させてくれても良いのになあ・・・と思っていた。
特に舌打ちは、舌打ちのはずなのに、ホール係にまで聞こえるくらい大きな音だった。
また、ライスにもうるさかった。
ライスを炊くために水を当然入れるのだが、その量がほんの少しでも少ない、多いがわかるらしく、炊きあがったご飯の味見をし、「マッジーンダヨ」と捨て台詞をはくことはしょっちゅうあった。
週3日孤独を味わう講義を受けに学校へ行き、その後さらに、女性中国人のお姉さまにいびられる生活を送っており、私生活は荒れていた。
講義がない日は当然スロットに行くし、朝方までゲームもする。
その頃でたハイエナという台、があったが、その名前にそぐわずATだった矛盾を覚えている。(天井ハイエナはできたかもしれないが)
また、オリンピアから出ていた荒野のマンボウは、マンボウ風情が西部ガンマンを真似て銃撃戦を行うというシュールな台でこれも好んでよく打っていた。
これまでの話の中で出てきている台はその時期に導入され始めたような台で触れているものについて記載しているが、
それ以外にも当然触っている台はあり、よく触っていたのは、旋風の用心棒、サバの大連荘を夢見て打ち続ける猛獣王などである。
話はそれたが、そういった台を何も考えずに打ち続けていれば、当然お金はなくなってくる。
しかし、どうしても打ちたい一留は、当時A社から借りていた15万円(5万円ほどへらした)に対して限度額を30万まで上げてほしいという交渉に失敗し、
AKTK君が過去に借りたという会社を教えてもらった。会社は、有名な〇〇ッジだという事で、安心して借りに行くことができた(ばか)
審査も無事通り、とりあえず20万円迄融資可能という事で、5万ほどの融資を受けた。
このお金で食べたいものを食べ、風俗へ行き(自転車で片道1時間かけて、池袋北口へ出向き風俗を楽しんだ。
残った金でスロットをうち、負けたら借り、勝ったらまた打つというループを繰り返していた。
そんな生活を続けていたが、ある日中国人お姉さまがバックレたのかわからないが、出勤しないという事で、バイトの延長を申し入れられた。
翌日は講義もなかったため、お金もなかったこともあり、ネトゲはできないが、致し方ないと快諾した事があったが、それ以降翌日の講義がない日は朝までの勤務を強いられる事になった。
さらに、勤務じゃない日も新メニューが出ると、調理方法の指導が入り、みんなで集まって作り方を勉強するなどというばかげた(やって当然だが。)イベントがあった。
ある日、あまりにも忙しかった一留は、クリームパスタを作ったフライパンを洗うのが面倒くさく、洗わずにほうれん草とベーコンのバター炒めがを作った事があった。
これを出しても特にクレームを入れられることもなかったが、ほとんどそのままの姿で洗い場迄戻ってきたのは印象的だった。
また、カキのみそ炒めを作った後に、やはり濃い目の味付けのパスタを作ったが、これもクレームは入らなかったが、半分程度食べたところで、戻ってきていた。
この頃になると中国人のお姉さまがいなかったこともあり、一人でキッチンを回す事が多くなり、好き勝手出来るようになった。
ある日、出勤のための、盤面操作をしていると、突然店長が「お前、スロットやるだろ」と言ってきた。
なぜわかったのか、と聞くと、盤面の押し方がスロットのボタンをおすそのままだったそう。
何気ない行動にスロッター(ゴミ)の影が出てしまう事を格好よく思っていた。
店長とはなんとなく仲良くなり、12月に新規にオープンするメイン使用路線沿線にできる、大型店舗の話で盛り上がった。
絶対にグランドオープンの日は朝早くから並ぶとかそういう話をして盛り上がった。
キッチンを一人で回していたが、慣れてきたと事もあり、深夜(終電がなくなり始める時間の23時以降)になると、客層も変わり、遊びながらでも仕事をこなせるようになっていた。
22時までは土地柄、水商売のねーちゃんどもが飯を食ったり、同伴したりで食事が出る事が多いのだが、23時を超えると、終電を逃したリーマンや、終電を逃したキャバ帰りリーマンが増え、
出るのは酒類や軽食が多かった。
また、3時を過ぎてくるとほとんど誰も何も頼むやつはいなくなり、夜食を作ったり、ホールの仲間達のまかないを作ったりしていた。
この時間が一番たのしかった。
ある日、気づいたことがあった。
ホールで働いているある人と一留の勤務時間がほぼかぶるのだ。
一留がかわいいと思っていた、中国の女の子だった。
そういえば、舌打ち中国姉さんにぼこられていた時代も、気を使ってくれたりと、なかなか好意的に接してくれる人だった。
休憩の時間も被ることが多い(というか合わせてきてた?)という位被って、休憩室で話をしていた。
オリジナルで作った賄いを一留の使っている箸やスプーンを使って食べられたりもしていた。
はじめは、孤独しかなく、ダークサイドに落ちていた一留であったが、だんだんとしゃべれるようになっていった。
ある日、翌日講義があると嘘をつき、23時までのシフトにしていた一留が帰り支度をしていた時だった。
その中国人の子(SKNちゃん)は中国から日本にITの勉強をしに来ているらしく、短大に通っているとの事だった。
相手は一留の一個上、年上には見えなかったが、年上らしかった。
もうすぐ卒業で、中国に帰るとのだったが、正直どうでもよく、まだ建設中のグランドオープンするパチ屋の両隣(ほぼ隣接)の老舗パチ屋が客離れを防ぐために気合を入れて設定を入れていた。
そのため、最寄り駅ではないが、折り畳み自転車で10分程度の土地でのパチ屋が熱く、その日も翌日のパチ屋に行く準備をする為に、さっさと帰りたかったが、途中迄一緒に帰ろうという話になってしまった。
店から出て、駅が違うため、一留の使用駅で別れる際、SKNちゃんが「お姉さんの家にくる?」とそういった。
今考えれば一留好みの顔をしており、好きになりかけていた気がすると思うが、翌日のスロットのほうが大事だったのだろう、「明日テストだからワラ」と言って一言で断ってしまった。
その頃よく打っていた台といえば、スロット史上No.1を売り上げた伝説の名機である、初代北斗だった。
めずらしくスロット雑誌やネットで猛勉強し、6の挙動がなんとなくわかるくらいになるほどはまって打っていた。
自分が調子よく出しているときに隣で台に北斗百裂拳をくらわす輩も多数いたのは記憶に深く残っている。
この頃、似非プロ(自称)となっていた、一留。
毎日同じホールに通っていると、ライバルのようなやつが出てくる。
それが、コブクロの背の高いほうを背を低くし、目を左右もっと話したうえで、肌を汚くしたような顔をしたやつ(KMJと呼称)軍団である。
軍団といっても2~3人でつるんでる程度であった。
特にこれと言ってもめごとがあったわけでもないのだが、気づくとこっちを見ていたりして気分が悪い思いをしていた。
こいつらと同じだと思われては癪だと思い、スーツとネクタイを締めて、サラリーマン風に見せてお前らとは違うオーラを出しに行ったことがあるが、
その日以降やったことはないので、「ばかかあいつわ」程度にしか思われなかっただろう。
その頃、UO本家でDeceitWarがなくなる迄の1か月ほど所属していたギルドでオフ会をやるという話が出てきた。
一留以外のメンバーはDeceitWarが終わった日に引退しており、ギルド石はUOをまだ続けていた一留が持っていた。
また、IRCには所属しており、そこでは会話はそこそこしていた。
場所はなぜか吉原の大門周辺でやったと思う。
面子はあそび人のMLN君、さわやかいけめんTKN君、印象の薄いDD君、やんでれ(というか病みのみ)のRAさん、なんかよくわからんぱりぴのPANさん、そして一留の6人であった。
MLN君のいきつけでおいしい食事とお酒を堪能し、TKN君のリクエストでキャバクラ(女性を連れて)、DD君のが疲れたというのでカラオケへいった。
RAさんはひたすら闇の言葉をはいており、冬に差し掛かろうという時期にジーパンに白いTシャツという謎の恰好。
PANさんはギャル風味に巻き巻き茶髪でぐらさんを頭にかけている、少しぽっちゃりした女性(恰好はとにかく胸元がはだけた格好だったことを覚えている)
ネットというのは変人が多いという認識だったが、その通りで、全員一癖も二癖も持っている連中であった。
PANさんはなぜか男全員に足コキをサービス(といっても最後までいくわけでも、脱いでいるわけでもないが。)してくれた。
やがて、宴は終わり、朝方解散になった。
山手線の日暮里駅からメイン路線の地下鉄迄移動するのだが、途中までのルートがPANさんと同じで、わんちゃんあるかもうっしっしと思っていた。
そうとう疲れていたのがPANさんは電車の中で即眠りにつき、そのうち頭が一留の肩に寄りかかってきた。
髪のにおいはシャンプーの香りが・・と思いつつ嗅いでみるも、やにのにおいがきつかった、
このままでは寄りかかられる壁として使われるだけで、何もうまみがないと思ったので、はだけた胸元を思い切りのぞき見、乳輪まで見たことを覚えている。
その後何もなく駅に着き、さよならをした後で、居城についた後、シャワーを浴びる前に乳輪と足コキを思い出しながら2回抜いて就寝。
良きオフ会であったと思う。




