52 護衛騎士 ③
「リタ」
反対側から、少女を呼ぶ声が聞こえた。
10歳くらいの男の子である。
お兄ちゃんだな、と秋乃は解ったが、彼は少女の傍にいる大人が誰か解らず警戒して顔を強張らせている。
秋乃は侍女の格好で、ヴァレリーは騎士の格好と言っても、何より機嫌の悪い男の顔は良い人には見えないだろう。
少年は妹の手を取って、一歩後ろに下がる。
ああ、警戒されてる――秋乃は正しいこととはいえ、少しショックを受けた。
見ず知らずの相手に無条件で懐く子供もどうかと思うが、秋乃は自分が害がないと知っているから残念だ。
リタに渡したチョコレートを、後で食べて笑ってくれたらいいな、と思いつつ引き止めることはしない。
しかし立ち上った秋乃の後ろから声をかけたのはヴァレリーだ。
「どこかへ行く途中か?」
低い声で問う顔は、相も変わらず怖いもので、それは子供に対する態度じゃないと秋乃は突っかかってやりたかったが、少年は戸惑いながらも騎士であるヴァレリーに答えた。
「家に・・・シ・ナシャータに帰ります」
秋乃の知らない単語が出てきたた、ヴァレリーはそれで納得したようだ。
「暗くならないうちに、早く帰るように」
「はい」
少年はぺこりと頭を下げて、妹の手を引いて路地の中に消えた。
リタの顔は手を引かれながらも秋乃の顔を振り向いていたので、小さく手を振ってやる。ハンカチを握りしめた小さな手が、お返しに振り返されて、思わず微笑む。
ああ、可愛いなぁ――秋乃は気持ちを和ませたが、さて振り返らなければと思いつつ留まった。
少年は普通に答えたが、秋乃も見慣れたものの、怖い顔は怖いのだ。
じっとしていろと言った秋乃が子供と一緒にいることが気に入らなかったのかもしれない。
これからきっと繰り出されるだろうお小言を覚悟して、先に心で悪態を吐く。
ネチネチと細かいことを、あんたは姑か――舅だろうと姑だろうと、こんな家に嫁ぐ嫁が可哀そうだと思う。
そしてこんな男の婚約者にされていることを思い出し、自分はもっと悲しんでもいいのではと秋乃は深く息を吐きながら覚悟を決めて振り向いた。
視線の先にあったのは、怖い顔――の前に、差し出された丸いものだ。
布に――これはハンカチだと思うものに包まれているが、湯気が上っていて大きなおまんじゅうにも見える。
なんだろう、と首を傾げたのだが、ヴァレリーは差し出したままだ。
「食べないのか?」
「・・・え、私に?」
もしかして、これを買いに行ってくれていたのだろうか――秋乃は怒られると思っていただけに、咄嗟に判断出来なかった。
驚いた秋乃に、ヴァレリーに顔が憎らしそうに歪む。
「お前の目の前で、ひとりで食べるために買ったと思うのか?」
それはなんて酷い行為だ。
秋乃もそう思うのだが、ヴァレリーが何かを買ってきてくれるなんて想像もしていなかっただけに秋乃にすぐ反応出来るはずがない。
そのヴァレリーのもう片方の手には、包まれていない、そのままが握られていて、秋乃の前でがぶりと咬みついていた。
鼻を擽る、なんとも言えない食欲をそそる匂い。
チョコレートも好きだけど、ジャンクフードだって大好きだと言う秋乃には堪らないものだ。
なにより、こっちへ来て初めてみる庶民の食べ物なのだ。
ヴァレリーの手を見るのに、肉まんのようなものを秋乃はありがたく頂くことにした。
「美味しそう・・・」
「熱いからな」
忠告まで頂いて、秋乃は目の前の男が本当にヴァレリー本人か疑ってしまいたくなった。
騎士の格好をした違う誰かじゃないかと思い見上げたのだが、すでに半分以上食べつくした男は何だと冷静な目を向けてくる。
「あ、ええっと・・・こういうの、食べていいんですか?」
近衛司令官が。騎士が。
そもそも、この人は貴族だったはず――秋乃はマナーもなにもない食べ物に親近感があったが、いつも規律を守っているような男を不思議に感じた。
でも当然のように食べてるし、違和感ないし――秋乃の気持ちを肯定するように、ヴァレリーは最後の一口を食べて指を舐めた。
その仕草はあまりに野性味があり過ぎて、秋乃は意味もなくドキドキしてしまう。
くそう、こんな男に――そう思っても鑑賞用ではトップクラスなのだったと思いだす。
秋乃の気持ちを知らないヴァレリーは、あっさりと答えを返した。
「仕事中は食べない」
「へぇ・・・ん?」
そうですか、と頷きかけて、じゃあ今はなんだと気付いた。
仕事じゃないの。仕事で付き合ってくれてるんじゃないの。ただサボってるだけなの。もしかしてこれが食べたかっただけなんじゃないの。
秋乃はグルグルと考えながら、でも聞けないと誤魔化すように自分もかぶり付く。
「ん・・・っうー!」
口いっぱいに頬張ったものの、想像以上の熱さに驚いてくぐもった悲鳴を上げる。
「はぅい、はふい!」
「・・・お前、だから熱いと言っただろう」
なんて間抜けなんだと冷やかな視線を貰いながらも、秋乃もこれほどとは想像していなかったと涙目で口の中に空気を送り込む。
だってそれに普通に食べてたじゃん、自分は――秋乃は先ほどあっけなく食べ終えたヴァレリーを見ていたのだ。
いったいこの男の舌はどうなっているんだ。猫舌の反対ってなんだっけ。てか口の中鋼鉄なんじゃないの――秋乃がはふはふと繰り返し涙目で睨みあげる。
絶対やけどした――となんとか飲み込むと、ヴァレリーは秋乃の持った肉まんらしきものを奪ってふたつに割った。
「冷まして食べるくらい、子供でも出来ることだろう」
「・・・だってっリーさんは普通に食べてたし!」
子供のように言い訳をすると、ヴァレリーは子供かと口端を上げた。
「わ・・・」
「ん?」
笑った、と秋乃が一瞬口にする瞬間、ヴァレリーの表情は戻った。
幻か――秋乃がそう思うほどの出来ごとで、驚いた秋乃を放置してヴァレリーは湯気の登る場所に息を吹きかける。
ふうふうしてる! 怖い男が!――秋乃は写メにでも撮って永久保存したい。いつか何かのときに使えるかもなどと思って驚いていることなど、ヴァレリーは気付かない。
「落ち着いて食べろ」
「・・・リーさんの口は鋼鉄で出来てるの?」
本当に子供に言われているようで、何故かさっきから動揺しまくっている秋乃の口から出てきたのはそれを誤魔化すための捻くれたものだ。
「食べないなら俺が貰う」
「た、食べます! 頂きます!」
濃い味付けの肉を丸めて、柔らかなパンで包んで蒸かしたようなものだった。
やっぱり肉まん――秋乃はそう思いながら冷まされたものを遠慮なく食べる。
「・・・! んん、おいしい!」
警戒して小さく咬んで、そして間違いない味に嬉しくなった。
こういうものを期待していたのだ。隅々まで見た目にもこだわった美しい料理だけでなく、町に出たのなら普通の人と普通の食べ物を見て食べたい。
秋乃の希望がまさに叶えられて、秋乃は笑顔で肉まんもどきを食べつくした。
その間、戻ってきた視線たちにはまったく意識がなかったのだが、
「あまりに仲睦まじいご様子でしたので・・・」
遅くに帰ってきたシエラがそう言って離れて見ていたという言葉に、いったい自分たちがどう見えていたのか客観的に考えて秋乃は赤くなったり青くなったりして王宮へ戻った。
違う別に仲睦まじくない!――秋乃の葛藤にもよる心のなかの叫びは誰にも届かないままだった。
そして、王宮に戻った秋野を待っていたのはご機嫌ナナメになってしまった王妃さまである。




