0001 「正義」と「悪」
摩天楼が燃えていた。中にいる人間達を巻き込んで、轟々と音を立てて、濛々と煙りをあげて、燃えていた。時折、豆粒の様なものが摩天楼から飛び降りていたが、地獄の業火に焼かれて死ぬか、あるいは強欲と傲慢の象徴である無駄に高いビルから飛び降りて自らの罪を懺悔するか、そのどちらかを強制されたソメリト合衆国市民が、懺悔の道を選んだからである。
通称デルタ・ビル。3つのビルが並んでいる、正式名称を「「テラース」中央貿易ビル」と呼ばれている天から見下ろすと3角形に見える摩天楼に、セントラル・イースト、アスラン大陸とヴィクター大陸の中間地点に位置する地域にて反ソメリト合衆国工作をしている、所謂テロリストによりハイジャックされたディービング社製の大型旅客機が既に2機体当たりしていた。この時、ソメリト合衆国が把握しているハイジャックされた航空機は5機。内2機が既にデルタ・ビルに突撃して乗客諸共爆発炎上、1機は「紛争省」のビルに突っ込もうとして地面に激突、乗客諸共爆発、更に1機が原子力発電所を目指していたが、謎の墜落を遂げている。今この炎上中のデルタ・ビルを目指している1機が、最後の1機だ。
大学にて講演中だった大統領は、「合衆国が攻撃されています」と言う補佐官の言葉を聞くや否や、バスク政治特区のアッシュハウスへと急行して、集められるだけのスタッフを集めた上で、次々と祖国が100年ぶりに直接攻撃を受けている報告を聞いた上で、マニューバー市のデルタ・ビルに配置されている合衆国軍を急ぎ確認した結果、戦姫軍が1人だけ、エミリー・プラス戦姫曹長が独りだけであった。
この独りだけの戦姫に対して、何処をどう守らせるのか。このアッシュハウスか、あるいは現在攻撃に晒されているデルタ・ビルか。無難に任期を終えたいと思っていたら、戦時下を戦う大統領になってしまったヴァベル・タチウス大統領は、自分の中にある様々な葛藤や感情を抑えた上で、決断を下す。
「デルタ・ビルを守らせろ」
その直後、2機目がデルタ・ビルを直撃、あと1機突っ込まれたら、ビルは崩れ落ちるだろうと、誰もが思っていた。それは正しい認識でもあった。そうなれば、あのビルの中で焼かれている人間、焼かれそうになっている人間、それを救うべく駆けつけた消防士、それら全員が瓦礫の中に潰されていく事になる。
デルタ・ビルを守らせろ。それは即ち、3機目の旅客機を撃墜せよ、と言う意味である。デカい機体に大勢の客を乗せて世界中を飛び回れる、そんなソメリト合衆国の精神性そのものを体現したディービング社製のジェット旅客機に乗せられている乗客と、彼らの命を預かるパイロット達、それら全てを犠牲にしてでも、デルタ・ビルを守れ。責任はこちらが取る。
エミリー・プラス戦姫曹長は、命令の意味を汲んでいた。でも、納得がいかなかった。戦姫として、軍人として訓練されている以上、命令は聞きはする。でも、他に何か方法はないのか。女子供も大勢載っている旅客機を、その剣で切り裂けというのか。お前がやって見ろ、なんて事は言えない。上官だって、その意味する所を100%理解していたからだ。
でも、他に任せられる兵隊はいない。デルタ・ビルを守れる兵士は、戦姫であるエミリー・プラスただ1人だ。他に選択肢は無い。エミリー・プラス戦姫曹長は、神に選ばれた運命の剣士ではない。元を辿れば、か弱い女に男並の強さを与えようと神が与えた力を持つのが戦姫と呼ばれる戦士であるが、これは酷い、酷すぎる。
コクピットの床に転がっているパイロットの骸を、仲間が外へと運び出していた。宿敵の造る航空機は、乗り心地というのは完全に無視して、機能性と合理性のみで造られている。こんな物に自分達の祖国は媚び諂い、石油で得た利益を独占して、民の暮らしには一切関心を持っていない。
合衆国暦100年の節目に、ソメリト合衆国が惑星テラースの国々に向けて行った式典は、メロス国の国民として、否、全世界の人々の顰蹙と怒りと、そして屈辱を巻き起こさせる代物であった。だからこそ、メロス国のみならず、ダメル国、ベクトルスタン国の反ソメリト合衆国組織に大量の軍資金や兵器を密かに支援している。
充分な資金と入念な準備によって、大型旅客機の飛行ライセンスを取得している彼の目指すのは、デルタ・ビル。恐らく、自分達が最後の1機だ。あの強欲と傲慢の象徴を破壊して、ソメリト合衆国にまだ惑星テラースには倒していない敵が居る事を教えなければならない。
これは正義の戦いだ。そして、自分達こそが「自由」を守る為に戦っているのだ。その視界に、炎上している巨大なビルが見えてきた。場所はマニューバー市。間違いない、あれこそが「悪」の巣窟である。今こそ、正義の鉄槌を傲慢な悪に加えるのだ。
空を飛ぶエミリー・プラス戦姫曹長は、自分と同じ高度を飛ぶスカイバスター78便をその目に捉えて、鞘から剣を抜く。この剣は、ファンタジー漫画に出てくる様な威力を持つ、振り回せる大砲とも呼べる凶悪な武器である。
これで、あの旅客機を叩き斬れと言うのだ。剣を持つ手が震える。エミリーの心の中で、喜怒哀楽が激しく暴れ回る。どうすればいい。どうすれば皆を救える。本当に必要な犠牲として、あの旅客機に乗っている民間人を全員殺せというのか。
軍人として、戦姫として、命令を受けた以上、実行しなければならない。そうする様に訓練されている。でも、人間としての精神が、その訓練を拒否していた。人間として正しいかどうか、エミリーは軍人以前に人間として決断を下していた。
クソ、あれは合衆国の戦姫だ。この辺りに配備されている合衆国6軍は殆ど居ないと事前に情報として知らされていたが、あれがその殆ど居ない中で存在していた唯一の兵士だろう。
駄目か。ここであの剣に叩き斬られるのか。戦姫は旅客機よりも数倍速く翔んでいき、デルタ・ビルと旅客機の間に入り、右手に持った剣を横に向けて、これを手から放す。落ちていく剣。戦姫は、両手を真横に伸ばして、デルタ・ビルを庇うように通せんぼする。
アラン・スベリティルは、その顔を見る。その瞳が訴えてくる。止めて。もう殺さないで。燃え上がる摩天楼を背にして、これに止めを刺そうとするハイジャック機の間にて、ソメリト合衆国の戦姫が、武器を捨てて訴えている。止めて。もう殺さないで。
なんだ、この感情は。これじゃあ、まるで自分が「悪」ではないか。これじゃあ、あの戦姫は愛に溢れる「正義」の戦士ではないのか。暴力に訴えず、我が身を差し出そうというのだ。これが「正義」ではなくて、何であるというのだ。
どっちが「正義」なのか、「悪」なのか、もう分からない。いや、「正義」も「悪」も無いのではないのか。最初からそんなもの、無かったのだ。大事な事に気付いた頃には遅すぎる。そんな老人の説教臭い言葉が、アランの胸に突き刺さる。
駄目だ。俺の負けだ。だから、頼むから、そんな瞳で見ないでくれ。俺を「悪」にしないでくれ。
……分かった。でも、お前は生きろ。お前にはその資格がある。俺は地獄に落ちる。あるいは、「悪魔」となって語り継がれる。お前は生きろ。あるいは、それこそ苦難の道かもしれないが、だらこそ生きろ。
旅客機はそこから急降下して、エミリー・プラス戦姫曹長の足先を僅かに掠りつつ、デルタ・ビルに激突。3つのビルは激突の衝撃と炎上によるダメージに耐えきれずに、膨大な瓦礫となって、グラウンドゼロと呼ばれる事になるマニューバー市の街に崩れ落ちる。
合衆国暦102年5月11日午後2時32分。メロス・ベクトルスタン戦争と呼ばれる、「対テロ戦争」と呼ばれる戦争の始まりであった。
エミリー・プラス戦姫曹長は、この時に見たハイジャック犯の顔を、死ぬまで忘れられなかった。「恐怖」と「後悔」、そして「罪悪感」。この3つが盛られたアイスクリームの如しであった。それはとてもではないが、「正義」の戦士の最期とは言えない、人間の弱さが前面に出ている顔であった。
「正義」も「悪」も無い世界で、相手の「愛」と「優しさ」を信じて、完璧に裏切られたエミリー・プラス戦姫曹長は、崩れ去ったデルタ・ビルを見下ろしながら、それでもあの時に見た、名も知らない青年の表情が語る感情だけが全てだと確信していた。




