第9話:『在宅ワークは「世界の終わり」の味がする』
茜の朝は早い。早朝5時、寝室で目覚ましが鳴り響き、重い瞼をこすりながら目を開ける。
昨日の「お風呂遭難事件」の疲労が残る頭で、ふと自問自答する。
「……ふぁぁ。嘘みたいだけど、『あの日』から始まった私の日常は、もう『異常』になっちゃったのよね……」
もしや今までの出来事は、仕事のストレスが見せている壮大な幻覚なのではないか。
そう思いたくなることが何度もあったが、扉の外から聞こえてくる元気な声が、無慈悲に現実を突きつけてくる。
「……あはは! ワンちゃんってかわいいなー! あ、茜、おはよう!」
リビングへ向かうと、リエルがテレビにかじりついていた。
「おはよう。リエルは本当に早起きね……」
すっかりテレビを、というか朝の情報番組の占いや動物コーナーを気に入っているリエル。それが彼女のモーニングルーティンらしい。
茜は身支度を整えながら、三人と自分の朝食を作り始める。その間もリエルは「へぇー!」「何これー!」とテレビに釘付けだ。
「ニュースがそんなに面白いのね。でも、この時間だけは穏やかだわ……」
しばらくして、仕事部屋の扉が開き、メロが起きてきた。
当初はリエルが寝ていた部屋だが、「私はあんな無知な女たちとは別室がいいわ!」というワガママにより、今はメロの寝床兼魔導研究室(自称)になっている。
「あー! メロ、おはよう!」
「……んぅ。……は……ょぅ……」
ローブも帽子も身につけず、寝癖をつけたままポワポワとした足取りで歩いてくるメロ。
普段の傲慢な態度はどこへやら、寝起きだけは「無害な子猫」のようだ。そのままエリンギソファ (ミクが変異させたもの) に倒れ込むように座る。
「普段からそのくらい大人しくしてくれれば、私のQOLも上がるんだけどね……」
(なお、ミクは不規則な冬眠スタイルのため、まだクローゼットから出てくる気配はない)
「朝食は置いておくから好きなように食べてね。いい? 今日はお家でお仕事することにしたからね。この後大事な会議もあるから変なことしないでよ!私はここでお仕事するわ。一歩も、一呼吸も、この仕事部屋には入ってこないでね!」
最近の三人の危うさ、問題ばかり起こしている状況を鑑み、リスクヘッジとして本日は在宅ワークに切り替えた茜だが (昨日のお風呂で疲れたのもあるけど…) 、不安は尽きない。不穏な予感を振り払い、彼女はマイクとカメラをセットした。
会議開始5分前。
今日は外資系コンサルとしての「勝負の日」。画面の向こうには、氷の処刑人と恐れられる佐久間マネージャーと、威厳溢れるクライアント企業の役員たちが並んでいる。
「頑張れ私。『ロジック』で世界をねじ伏せるのよ!」
*
会議中。
『――以上が、今回の経営改善案の骨子となります』
茜は完璧な論理でプレゼンを進めていた。しかし。
(……待って。なんか、足元が冷たい?)
ふと下を見ると、メロが置き忘れた魔法瓶から「物理法則を無視した大量の水」が溢れ出し、床を侵食していた。さらに、パソコンの背景には本物の極彩色な蝶々たちが異界から迷い込み、ヒラヒラと舞い始めている。
「(……っ!)」
茜は引き攣った笑顔を維持したまま、机の下で、押し寄せる水を必死に足で堰き止めた。
『一ノ瀬君、どうした? 妙に肩が揺れているようだが』
『何か背景に、生物のようなものが飛んでいる気がするが……』
「あ、いえ! 素晴らしい戦略を思いつき、武者震いが……! 背景は最新のARフィルターです!」
その時、ドアの向こうからメロの怒号が聞こえてきた。
「ちょっとリエル! そこは私の場所よ! 穴の空いたその巨大な菓子をどかしなさい!」
「メロも食べてみようよー! おいしいよー!」
ドォォォン!! と、壁を突き抜けるような衝撃音が響く。
最強幼女たちの小競り合いが、現実の物理壁を削り始めていた。
『……今の音はなんだね? 爆発音のような……』
『一ノ瀬君、君の背後で何か壁が凹んでいないか?』
役員たちが怪訝な顔をする。茜は冷や汗を滝のように流しながら、コンサル人生最大の嘘を吐いた。
「あ、あはは! 実は今、近所で……大規模な『ビルの同時解体ショー』をやっておりまして! 非常に景気がいいですね!!」
『解体ショー……? 佐久間君、君の部下は大丈夫かね?』
マネージャーの目が氷点下まで下がる。絶体絶命だ。
その時、リエルが「茜の助けを呼ぶ声」を勝手に受信してしまった。
「あー! 茜が困ってる! リエル、助けるね! お部屋の中、明るいほうがいいでしょ! 【室内太陽:極小】登録!」
(ちょっ……眩しい! 部屋の中で核融合を起こさないで!!)
『一ノ瀬君!? 急に画面が発光して何も見えんぞ!』
さらにメロの声が脳内に直接響く。
(ふん、低俗な会合ね。私が最上級の幻影魔法を使えば、その役員とやら全員「契約の隷属」下に置いてあげられるのに)
(余計なことはしないでねメロ! あと脳内に直接話しかけないで!!)
「あー、まだ茜が困ってる! よーし、【全人類の認識:改竄】登録!」
パチン! とリエルが指を鳴らした。
次の瞬間、画面の向こう側の役員たちの目が、一斉にトロンとした。
『……ああ、一ノ瀬君。君の背後で太陽が輝き、蝶が舞っている……なんと神々しいプレゼンだ。とてもクリエイティブだ。……感動した。この100億のプロジェクトは君に全て任せよう……』
「……は?」
最強幼女のチートによって、クライアントの「正気」が書き換えられた。もはや論理もクソもない。
(こんなのダメに決まってるでしょーー!! 今すぐ戻しなさーーい!!!)
茜の必死のテレパシーにより、リエルがしぶしぶ設定を戻す。
『……一ノ瀬君。悪いがもう一度説明していただきたい。何やら、白昼夢を見ていたようで記憶が曖昧だ』
「……はい。こちらの……ロジックの説明を……(泣)」
*
会議終了後。
茜は、水浸しになり、壁にヒビが入った仕事部屋で、力なく椅子から崩れ落ちた。
「……勝った。なんとか承認は得たけど、コンサルタントとして大事な『矜持』を全て失った気がする……」
扉を開けると、そこにはリエルが立っていた。
「茜、すごかった? リエル、がんばったよ!」
「ふん、私の魔力があんたの『信用』を補強してあげたのよ。感謝しなさいよね!」
「……もういいわよ。とりあえず、今すぐ水を消して、蝶々は異界に帰して! 太陽も消火!!」
ガチャ、とクローゼットの扉が開く。
「……おはよう、お姉さん。………どうかしたの……? なんか……元気……ない………」
何も知らない、ようやく起きてきたミクが不思議そうに首を傾げた。
「……どうしたもこうしたもないわよ」
茜の年収800万。
それを維持するためには、もはや経営戦略ではなく、最強幼女たちの「ご機嫌」を管理するスキルが、世界で最も重要になりつつあった。
著者あとがき
お読みいただきありがとうございます!
「みずいろドロップ」です。
今回は茜さんの本業、リモート会議編でした。
100億のプロジェクトを「認識改竄」で強引に成約させようとするリエルの善意(?)が、プロのコンサルタントである茜さんの心を一番深く抉る結果に……。
「ビルの同時解体ショー」という苦しすぎる言い訳を、氷の処刑人・佐久間マネージャーがどう受け取ったのかは、神のみぞ知る(あるいはリエルのみぞ知る)ところです。
寝起きのメロや、安定のマイペースなミクなど、三人の共同生活も少しずつ馴染んできましたが、家屋のダメージと茜さんの心労は蓄積する一方のようです。
「茜さん、頑張れ……!」
「その100億のプロジェクト、私ならそのままの状態で引き受けちゃうのに!」
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次回、第10話もどうぞよろしくお願いいたします。




