第8話:『湯煙の向こうは異世界でした』
「いい? 今日はお寿司事件の反省会も兼ねて、汚れたんだから順番にお風呂に入るわよ。……って、聞いてるの!?」
茜の声は、もはや空虚にリビングに響くだけだった。
リエルは「おふろ! 水遊びだね!」と早くも服を脱ぎ捨てようとし、メロは顔を真っ赤にして杖を構えている。
「な、ななな何を言っているの!? 私は誇り高き大魔導師よ? 衣服を脱いで、赤の他人と同じ水に浸かるなんて……そんな破廉恥な術式、認めないわ!」
一方でミクはクローゼットの奥で震えていた。
「……水……。……溺れる……。……無理…………狭いところ……怖いし……」
どうやら三人とも「お風呂」という文化をよく知らないどころか、それぞれの理由で反応を示している。
「あー……もう順番なんて待ってたら夜が明けるわ! 全員、まとめて入んなさい!!」
茜は以前リフォームした「ちょっと広めの自動お湯焚き機能付きバスルーム」に、三人を引きずるようにして連れ込んだ。しかし、そこはリラックスとは程遠い戦場だった。
「狭いわね。何よこの『シャンプー』とかいう液体。魔導的な加護も感じられないし、時間がかかるわ。私が聖なる――【浄化の光】で――」
「メロ、待って! 物理的に泡立てて洗うのがジャパニーズ・スタイルなの!」
茜が必死にメロを抑える横で、今度はリエルが好奇心に負けてシャワーを手に取った。
「あ、これ面白い! 茜、リエルが洗ってあげるね! 【水圧:極大】登録!」
「ぎゃああああ!! 浴槽も何もかもが貫通するぅぅ!!?」
リエルが放ったシャワーは、もはや高圧洗浄機を通り越して、鉄板をも容易く切り裂くウォーターカッターの域。茜の背中が物理的に「消去」される寸前で、ミクが指を動かした。
「……重力操作。……水滴を……固定……」
シュンッ、と浴室内のすべての水が空中に静止した。
「……お姉さん……。……これで……濡れない……」
「ミク、違うの! お風呂は濡れるのが目的なのよ! っていうか、重力がないから私も浮いてて身動きが取れないじゃない!!」
カオスな空中戦を繰り広げ、ようやく全員を着水させる。
ふと見ると、ミクが湯船の端っこで、顎までお湯に浸かってぶくぶくと泡を吹いていた。水に怯えていたはずの彼女だが、温かいお湯の心地よさに、少しだけ瞳がトロンとしている。
「……あ。……これ……悪くないかも……」
「でしょ? メロも、そんなに不機嫌な顔しないの。ほら、リエルも暴れない」
茜は、三人の小さな背中を順番に洗ってやった。
外資系コンサルとして数千万のプロジェクトを回すのと同じ、あるいはそれ以上の集中力。
だが、温かい湯気の中で、水色、銀色、ピンク色の髪が並んでいるのを見ると、不思議と「悪くないな」と、ほんの一瞬だけ思えてしまう。
「……お姉さん、……いい匂い」
ミクがボソッと呟き、リエルが茜の腕にしがみつく。メロは「ふ、ふん、まあ、あんたの奉仕の心だけは認めてあげてもいいわよ」と顔を赤くしてそっぽを向いた。
「でもやっぱちょっとせまいね! リエル、ここをもっと『すごーい場所』にするね! 【空間座標:極大拡張】登録!」
リエルがパチンと指を鳴らした瞬間、茜の視界から「壁」が消失した。
「……は?」
一坪ほどの浴室だった場所が、一瞬にして地平線まで続く「大露天風呂」へと書き換えられたのだ。見上げれば、2LDKの天井板のはずの場所に、リエルのチートが生成した「オーロラが舞う星空」が広がっている。
「リエル!! 何したの! ここ、マンションの10階よ!? 階下から見たら、うちの部屋からナイアガラの滝みたいにお湯が溢れてるんじゃないの!?」
「だいじょうぶ! 中だけ大きくしたから、外からは見えないよ!」
「外の問題じゃないわよ、広すぎて洗い場まで徒歩何分かかるのよ!!」
茜が絶叫する中、メロが不敵に笑って指を振った。
「ふん、ちょっと温度が低すぎるのよね。私の火属性魔法で最適温度まで上げてあげるわ! 【焦熱の息吹】!!」
ボコボコと煮え立ち、温泉地のように硫黄の香りとピンク色のクリスタルが隆起するエリア。
さらに、それを見たミクが銀色の瞳を光らせた。
「……熱いのは……嫌。……ボク、冷たいの……がいい」
ドォォン! と、露天風呂の半分が瞬時に凍りつき、神秘的な青い氷の世界に包まれた。
「勝手にエリア分けしないで!! 温度差でヒートショックが起きるわよ!!」
もはや2LDKの風呂場は、「大草原の露天風呂」「灼熱の魔導火山」「極寒の氷河温泉」が三すくみで激突する、神々の保養施設と化していた。
茜は広大な草原の真ん中にある、ポツンと取り残されたシャワーヘッドの前で立ち尽くした。
遠くの方で「アヒルさんだー!」「や、やめなさいリエル! 私を子供扱いして……あ、でも、この黄色い魔導具、意外と……」という微笑ましいやり取りが聞こえるが、もはや距離が遠すぎて声が霞んでいる。
「待ちなさいリエル! 泳いで向こう岸に行ったら帰ってこれないわよ!」
茜は、広大すぎるお風呂の中で三人を回収するために奔走した。
最強の幼女たちが、それぞれのこだわりでお風呂を拡張した結果、一回の入浴が命がけの「大冒険」に変わってしまったのだ。
「……ねえ、もう上がりたいんだけど、出口はどこ?」
「……ボクが……未来予知で、出口を見つける。……あっち、10キロ先……だね」
「浴室の中で10キロも歩けるわけないでしょーー!! のぼせて倒れるわよ!」
結局、メロが【次元転移の風】を放ち、強引に全員をバスタオル姿のまま脱衣所のほうへ「射出」することで、ようやく脱出に成功した。
ようやく帰還できた頃には、茜の体力はマイナスに達していた。
外資系コンサルとして数多の「空間活用」を提案してきたが、「風呂場で遭難しかける」というリスクヘッジは、どのマニュアルにも載っていない。
「――って、脱衣所で魔法を使って一瞬で乾かそうとしないで!! 壁紙が熱波で剥がれるぅぅ!!」
結局、お風呂上がりも「強制乾燥魔法 vs 除湿超能力」の激突により、脱衣所は熱帯雨林のような湿気と熱気に包まれた。
「……はぁ。私、明日は朝イチに経営会議があるのに……。これ、絶対寝坊するわ……」
あまりの疲労感に床に倒れ込む茜をよそに、幼女たちは元気だった。
リエルは「アイス!アイス食べる!」と叫び、メロは「ふん、この世界の冷菓を試してあげてもいいわ」と期待に満ちた顔で冷凍庫へ向かい、ミクは「暑い……濡れた……冷たいの……食べる……」と宙に浮かんで移動していく。
最強の幼女たちが集結した2LDK。
その平穏への道のりは、今日も物理的に遠すぎるのであった。
茜の戦いは、まだ、始まったばかりである。
著者あとがき
お読みいただきありがとうございます!
「みずいろドロップ」です。
今回は「お風呂回」でした!
癒やしを求めたはずが、10キロの道程を歩かされる遭難イベントに。
三者三様の「最強」が混ざり合うと、ただのお風呂も神々の遊び場になってしまうようです。
少しずつ、意地っ張りなメロや人見知りなミクも茜さんの「お世話」を受け入れるようになってきました(本人はそれどころではなさそうですが)。
面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価、感想をいただけると非常に嬉しいです!
次回の更新も、どうぞよろしくお願いいたします。




