第1話:『お疲れOL、公園で「世界の理」を拾う』
「……あー、死ぬ。死なないけど、これ実質的には死んでるわ」
深夜23時過ぎ。
大手外資系コンサルティングファーム、一ノ瀬茜の夜は、乾いた独り言から始まる。
手に持ったコンビニの安売り栄養ドリンクは、もはやカフェインの味がするだけの泥水に等しい。
『一ノ瀬くん。この分析、小学生の自由研究かな? 結論が迷子だよ。君さ、自分がいくらもらってるか分かってる? その給料に見合う価値、1ミリでも提供できてる?』
今日のレビュー会議で、エリートパワハラ上司が放った言葉が脳内でリフレインする。
年収800万。
20代後半、女性、独身。
世間から見れば「勝ち組」の部類に入るだろう。
だが、その代償は、築浅2LDKのマンションに帰って泥のように眠るだけの、色彩を失った毎日だった。
(平穏を、自由を、お金で買ったはずなのに。私は自由を切り売りしてお金を買っているだけじゃない……)
現実逃避という名のショートカット。
茜は、街灯がまばらな、人影のない薄暗い公園を横切った。
それが、彼女の人生が「論理」の通用しない異次元へ転落する一歩だとも知らずに。
公園の中央、ベンチにポツンと座る小さな影があった。
水色の透き通った髪。
見たこともない繊細な刺繍が施された、真っ白なドレス。
5歳ほどだろうか。
あまりに浮世離れした美幼女の姿に、茜のコンサル脳が瞬時に警報を鳴らす。
(迷子? いや、夜逃げ?……まさか、これに関わったら明日の朝刊に私の名前が『第一発見者』として載ってしまう!?)
不謹慎だが、それが最初の感想だった。
翌朝のクライアント会議に遅れるリスクの方が、今の茜には死活問題だ。
だが、放置して万が一のことがあれば、社会的信用を失う。
茜は「リスク管理」として、おずおずと声をかけた。
「ねえ、君。お父さんかお母さんは? 住所とか言えるかな?」
幼女は顔を上げ、街灯よりも眩しい、濁り一つない満面の笑みを浮かべた。
「ん? いなーい! リエルね、さっきここに来たばっかりだよ!」
「来たばかりって……家は? どこから来たの?」
「わかんなーい! あ、でもお姉さん、すっごく疲れてるね。リエルが『元気が出るやつ』作ってあげようか?」
リエルと名乗った幼女が、短くてぷにぷにしたおててを、無邪気にパチンと叩く。
その瞬間、茜の網膜に異常な光景が広がった。
空中に、ゲームのデバッグ画面のような無数の幾何学模様と文字列が、半透明のウィンドゥとして浮かび上がったのだ。
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【SYSTEM LOG】
対象:一ノ瀬茜
バイタル:低下
ストレス値:計測不能
……チートコード適用 ≫ 【全回復】【全バフ付与】
登録完了
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「え……? 何これ、最新のプロジェクションマッピ――」
言いかけた茜の言葉が凍りつく。
鉛のように重かった体が、重力から解放されたように軽くなった。
眼精疲労で霞んでいた世界が、8Kモニターのように鮮明に映る。
さらに、リエルが再びパチンと指を鳴らす。
茜の着古したヨレヨレのリクルートスーツが、最高級シルクのような肌触りのブランド品へと勝手に「書き換わって」いく。
「リエルね、なんでも作れるんだよ! じゃあ、ここを『お菓子の国』にするね!」
「ちょっと待って、何を――」
リエルが、楽しそうに地面を「とん」と踏んだ。
直後、物理法則が悲鳴を上げる音が響く。
茜の目の前で、公園の砂場が香ばしいキャラメルシュガーに変わり、錆びた滑り台が巨大な板チョコへ、そして無機質な街灯が色鮮やかなペロペロキャンディへと変質していく。
分子構造の組み換え。物質情報の直接改竄。
目の前の幼女は、笑顔のまま「世界の理」をめちゃくちゃに上書きしていた。
「おいしそうだよ! お姉さんも食べる?」
板チョコの滑り台をパキッと折って差し出すリエル。
その時、遠くから「ウゥゥゥーー!」というパトカーのサイレンが近づいてきた。
近隣の住民が、この異常な発光と変貌を通報したに違いない。
(マズい。これ、明日のニュースどころじゃない。私が『都内の公園を巨大な菓子盆に変えた未確認テロリスト』として国家規模で指名手配される!)
茜のコンサル脳が、人生最大の「危機管理」を弾き出した。
この子をここに放置するのは、日本の、いや世界の安全保障上の欠陥だ。
何より、このままでは私のキャリアが、私の平穏な生活が終わる!
「わかった! 食べる! 食べるから、とりあえず一回それを元に戻して! う、うちに来なさい!!」
「わーい! お姉さんのおうち、いくー!」
リエルが「わーい!」と抱きついた瞬間、視界がぐにゃりと歪んだ。
気づけばそこは、見慣れた自分のマンションのリビング。
「……あ。ワープしたわね、今。オートロック無視して」
高級ソファの上に転がる、水色の髪の幼女。
茜は力なくキッチンへ向かい、冷蔵庫から一番高いプレミアムビールを開けた。
「……明日、会社行けるかな。いや、これ夢かな……」
リエルが横から「あ! それ苦いやつ! 甘くしてあげる!」と手をかざし、ビールが超高級シャンパンのような香りに書き換わったところで、茜は考えるのをやめた。
こうして、激務の対価として「平穏」を買ったはずの社畜OLは、核兵器よりもタチの悪い「世界の理」を拾って帰ることになったのだ。
著者あとがき
はじめまして!
お読みいただきありがとうございます。
年収800万の代償に心を擦り切らしているOL茜さんと、あまりに規格外な幼女リエルのドタバタ同居生活が始まりました。
これから残り2人の「最強」も登場予定です。




