35.従者の在り方
屋敷に新たなメイドがやってきた。
名をティファというらしい。
一目見た時から彼女が人間ではないと分かったが、
当主様が拾い上げて育てたメイドだと聞いて
私の知らぬ何かがあるのだと思った。
お嬢様も特に気にされていないようだったので、
ただの執事である私が口を挟むのは憚られた。
「私はサートラント。お嬢様やシャルルは
私のことをサーと呼ぶが、君の好きに呼ぶといい。」
「おう、よろしくな。」
私の彼女に対する第一印象は
あまり良いものではなかった。
お嬢様の前では取り繕っているが、
私やシャルル、師匠の前ですら
彼女が敬語を使うことがないからだ。
彼女の年齢がいくつなのかは分からないが、
この屋敷では彼女は新人であり
指導される立場にあるはずなのに、
言葉遣いは山賊のそれと変わらない。
不敬の念にかられて普段の倍以上の仕事を
することになったとしても、
私は彼女を育てたという当主様に
疑いの感情を抱かずにはいられなかった。
お嬢様が私とシャルルを庇ってくださったあの日、
当主様からいただいた言葉は今でも
鮮明に記憶しているが、
あのお方はただ甘いだけの方ではない。
貴族の主として厳格な感情を持っている。
その当主様がお嬢様のために選んだメイドが、
なぜこんなにも自分本意なのか。
私は考えずにはいられなかった。
「サートラント、窓拭き終わったぜ。」
それでも私は彼女の全てを否定できなかった。
少しばかり不器用だと聞いていて
事実その通りだったのだが、
時間はかかっても仕事の手は抜かず、
シャルルのように余計な仕事を増やすこともない。
「俺、魚料理って好きじゃないんだよな…。」
メイドの分際で何を言っているんだと、
私の心は更なる疑念の渦に包まれた。
いくらお嬢様が我々の心を
汲んでくださるとは言っても、
我々にはお嬢様のことを一番に置く義務がある。
食べ物一つと侮ってなどいけない。
お嬢様が食べたい物を我々も食べる。
それがこの屋敷での決まりなのだから。
だが、彼女の好みはこれで終わらない。
飲み物、部屋の位置、布団に至るまで
彼女はほとんど譲ることがなかった。
それが彼女の希望というので用意したが、
少しばかりメイドが求める範疇を
超えているのではないかと思った。
「包丁ってなんでこんなに使いづらいんだ……!」
調理器具や魔道具に至っても、
とにかく彼女は自分の肌に合う物を使いたがる。
可能な限り大きな包丁が欲しいというので、
巨大れんこんを切るのに使った特注の
長包丁を渡してみたが、それでも足りないという。
そんなに大きな包丁を使ったところで
かえって使いにくいだろうと言ったが、
結局彼女は最後までそれを使った。
ただ、包丁の使い方以外では
彼女の料理の腕に大した問題はなかった。
鍋に入れる順番もタイミングも、
私が提示したレシピ通りにこなして見せる。
これではシャルルの方が余程下手だ。
「まぁ、こればっかりは怖いメイド長に
徹底的に叩き込まれたからな。」
当主様のいる本家のお屋敷のメイド長か。
確かにあの方は一介のメイド長では
収まらない程の厳格さと器を持っている。
私も当主様にお嬢様専属の執事だと
認められた次の日には、
あのメイド長の手伝いをさせられて
給仕を徹底的に叩き込まれたものだ。
「街まで遠いんだな。不便じゃねぇのか?」
「確かに利便性は高くないが、
この暮らしを不便に感じたことはない。
ある程度の物資は近くの森でも
手にいれることができるからな。」
屋敷で飼っているのは馬だけで
食用の家畜は一匹もいないが、
屋敷の裏庭の一部は畑になっているので
そこでいくらかの野菜を育てている。
冬の時期は雪に埋もれてしまっているが、
毎年それなりにいい野菜が育つ。
街で買うのは畑では作れない食べ物や食器、
そしてお嬢様のための魔道具だ。
毎日御心を傷めていらっしゃるお嬢様のために、
使えそうな魔道具をいつも探している。
その度にお嬢様のお力になることができない自分を
恨まずにはいられないのだが。
「お嬢様の力に、か……。
優秀そうなあんたにも悩みがあるんだな。」
こんな物、悩みと呼ぶことさえ烏滸がましい。
従者であるなら主のために尽くすべきだ。
主の願いを叶えられない従者など、
燃え尽きた薪よりも価値がない。
ただ、私の話を聞いた彼女は笑うでもなく
慰めるでもなく、ただ空を見上げていた。
洗濯物のよく乾きそうな晴れた空だった。
「なんでメイドなんだろうなぁ。」
「なぜ、とは?」
「あんたと老執事はもう分かってると思うけどよ、
俺は不器用だし、敬語もろくに使えねぇし、
普通の人間にできることができねぇんだ。
それはあの当主様も分かってたはずなのに、
俺を用心棒じゃなくてメイドにしたのは
なんでなんだろうって思ってな。」
自覚はあるのか、という正論は置いておいても、
確かに彼女の疑問は私の中にもある。
聡明な当主様のなさることであれば
何か確かな理由があるのだろうが、
私如きに当主様の御心は図れない。
「俺は…どうすればいいんだろうな……。」
彼女のその言葉が私の心に取り残された。
どうしたらいいかなど、従者として主に
尽くす以外の選択肢はないのだから、
疑問に思うことすら私にはない。
ただ、彼女は大雑把な性格ではあれど
無能でも阿呆でもない。
彼女なりに何かを考えた上で、
そのような疑問に辿り着いている。
そして、その疑問は以前にも
私が抱いたことのある物だ。
久方ぶりに再会したお嬢様のお部屋は
盗賊の荒らし方とは一線を画していた。
何かと戦うような荒らし方だった。
その頃のお嬢様の御心を私のような愚者が
理解することは最後まで叶わなかったが、
やっと笑顔を浮かべてくださったお嬢様が
我々におっしゃったことは今でも覚えている。
『あなたたちらしく、私に尽くしなさい。』
当時の私では図り切れなかったお嬢様の真意。
分かった気になっているだけかもしれないが、
それが今の私なら分かる。
お嬢様は我々に意志を失うなとおっしゃったのだと。
己の意志と使命を忘れることなく、
信念に従った行動をしろと。
お嬢様に忠誠を誓った日の夜、
当主様は私とシャルルに
主のために全てを捧げなさいとおっしゃった。
私もそれが正しいと思っていた。
否、今でもそれが正しいと思っている。
だが、お嬢様はそうではない。
無論、主に忠誠を誓ったのなら尽くせと
お嬢様ならおっしゃってくださるだろうが、
お嬢様が最も大事にされているのは、
決して我々が意志を失わないことだ。
当主様とお嬢様の在り方の違いに、
きっと隣りにいる彼女も戸惑っている。
単純な従者としての在り方、
そしてこの屋敷でどう生きたらいいのか、
それが彼女には分からなくなっている。
そんな物は自分の心と忠誠が
教えてくれるというのに。




