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snow drop  作者: ふぁーむ
9/15

ある少女-5

『目が覚めた時、そこに広がっていたのは真っ白い世界だった。最初こそはパニックになったものの、今はだいぶ冷静さを取り戻してきた。深く息を吐き、辺りを見渡す。目に見えるものは、すぐ横に転がる赤茶けた塊、そしてそこから一直線に伸びる赤いライン、くらいだろうか。

 赤いラインを目印に、少し進んだ穴の中には二つの死体。それも同じ装い、更に言えば、ジョーゼットスカートもオックスフォードも、今私が身につけているもののそれである。……私なの?

ゆっくり近づく。

一つは眼球を抉られており、その口は大きく開けられ、嘔吐物が口の中いっぱいに広がっている。溢れた物のせいか尿なのかはもはや判別は付かないが、スカートを濡らし、腕はだらりと力無く垂れている。

そしてもう一つは下半身のみ、腰から下だけが、まるで空間ごと切り取られたかのように、無傷でそこにあった。悪い夢だと逃げ出したい。

穴の隅に落ちているもの、それにもひどく既視感があった。風防がひび割れ、時は止まり、その役目を終えたその時計。見間違えるはずがない。大好きでいつだって肌身離さず付けているそれを。ベルトの内側にはほら、「YU」の刻印。

認めたくはないが私の物だ。

この時計、恐らく下半身だけになった私が身に着けていたものだろう、時刻は二時五十一分で止まっている。この私が死亡した時間と考えるのが妥当だろう。急いで自分の時計を見る。二時四十三分。十分以内に何か死ぬような出来事が発生するということだろうか。

はっと気付く。もう一方の時刻は? 急いで駆けより恐る恐る、出来るだけ顔面を見ないように、横たわる自分の左腕を持ち上げた。三時二十三分で止まっている。

ここで助かっても、三十分後には、また別の要因で死亡するということなのだろうか。腕を静かに床に置き、眼を閉じて手を合わせた。こちらは目以外には一切外傷が無いが、この死体の表情を見る限り、こんな死に方は絶対にしたくは無い。

ここで、一つの疑問が浮かぶ。あっちの私の上半身はどこへ、ということだ。ここにあるのは腰から下だけの死体。すっぱりと一刀されて、そこから血が伸びている。血が……。はっ、と先程の赤いラインが脳裏に浮かぶ。たしかあのラインは、赤い塊に続いていた。ということは、あれが私の上半身か……。

 どうする。チラリと時計を見る。二時四十五分。あと五分ほどあるだろうか。……迷っている暇は無い。

穴から飛び出し、ラインを辿る。予想が正しければあるはずだ。

塊を凝視する。あった。ほとんど血肉に埋もれ、判別が付かないが、確かに毛髪らしきものがある。つんとした酸っぱい物が込み上げる。涙目でそれを飲み込み、穴に駆け戻る。

震える体をぎゅっと抱きしめ、大きく息を吐く。頭の中を整理しよう。 

 ここはどこかは解からないが、私は何度もこの空間で殺されている。クローンとも考えられるが、時間の経過から考えて繰り返していると考えるのが妥当だろう。ループするたびに記憶を失って。

先程のあれが上半身だとすると、その下の一回り大きな塊は、恐らく私の全身。つまり私はそれで二度死亡している。さらにあの圧縮は明らかに人為的な力では無い。塊が綺麗な立方体をしていたことから、相当な圧力で全方面から均等にプレスされたことによるものだ。そして、ここにあった下半身自体はあのように無傷という事は、この穴の中は恐らく安全ということ。切断されたのは、床と穴の縁に残った血痕から見ても、縁とその何かに挟まれた所為だろう。つまりこの穴の上を何かが通る。身を屈めていれば良い。

次に、あちらの抉られた死体。私自身の両手は綺麗なことから、何物かに抉られた可能性が高い。もしも野生生物やただの人間であれば、ほかに外傷が無いのは不自然だ。つまり、眼に執着がある猟奇的な人間、もしくは拷問器具の様なもので殺されたのではないだろうか。そして、それが起こるのが三十分以内。加えてこの穴の中に身を潜めていても無駄だ。 


我ながら馬鹿げている。荒唐無稽だとも思う。しかし、この状況を認めたうえで最も論理的に考えるならば、最も筋が通るのがこれというのも事実であった。

呼吸を整えその時を待った。二時五十分になる。さあ何が起こるのか。身を低くし備えるのと、ごおっという芯から揺さぶれるような音が鳴りだしたのは殆ど同時であった。呼吸が自分で制御できない。体は痙攣のように揺れる。

……大丈夫、大丈夫だ。


いつしか、轟音は止み再び静寂に包まれる。耳ではまだ残響が鳴っているが直に治まるだろう。とにかく、一つ目の死は回避できたのか……。二つ目の死を回避するため、穴から這い上がる。

もう驚きはしない。覚悟はできていたから。それでもこの光景は……。


そこに広がるのは赤く乾いた海と、打ち捨てられたように転がるいくつもの死体。あれ全部……。立ったまま二度ほど撒き散らした。発狂して自ら眼を抉ったというのもあながち間違いでは無いかもしれないと思わせるだけの惨事だった。

何も出すものが無くなったのだろう。大分楽になった。吐瀉物を拭い、生きる術は無いかと眼を凝らす。明らかに憶える違和感。真っ赤な世界の中に、白い子供?

しゃがんでいるので良く分からないが、一メートルちょっとあるかないか位のつるつるとした生物が、床の肉やら内臓やらを拾っては顔に持っていき、持っていきは拾いと繰り返している。]

その異様な光景を直視し、視界が涙でぼやけ始めた時、人影がゆっくりとこちらを向く。見てはいけない。脳では理解しているが、目蓋を閉じる自由さえ、神経は与えてくれなかった。

髪の毛は無く、月の様に青白い頭部。その一本一本を数えられるほどに浮き出た肋骨。それでいて、紅をさしたかの様に不釣り合いな真っ赤な口。眼球は無く、本来あったであろう窪みには、先程拾ったであろう血肉が詰め込まれていた。

眼球? 眼……。直感的に気が付いた。あれに殺される。

 どうする……。恐らくあれは眼を抉ってくる。自分の目を探しているから。逃げるか、こちらから行くか。体格差でならいくら私でも負けはしないだろうが、どうする。

 時計に目をやる。時刻は五十七分を過ぎたところだ。まだ時間はあるということだろうか。だが、いつあれがこちらに気が付くとも限らない。あまり迷っている時間は無い。

 それは正常なのか、すでに狂っていたからなのか、一つの考えが浮かんできた。……次の私に託す……。それは突拍子もない名案だった。

 とにかく今の私がどうなるか分からないから、ここまでで知り得たことを、残さなければ。だが、紙もペンも無い。……天啓に導かれたというべきか。

 脳裏に赤いラインの映像が流れた。これしかない。穴へと駆け戻る。

既に流れた血液は乾燥しているが、まだ残っているものなら……。腰から上を失った私の断面を覗く。当たりだ。表面こそは乾燥しているが、まだ奥には鮮血が残っているようだ。左足を軸にして持ち上げる。震えが止まらない。

 自分の中で復唱した。今からやろうとしていることは、必要なのだ。生きるために。今までだって肉を食べて来たじゃないか、それと同じだ。一度くらい自分の手も汚せ。さぁ。

 一度だけ深呼吸。静かに目を閉じる。そのまま床へ断面を叩きつけた。どちゃっという不快な音と共に血飛沫、内臓の一部が飛び散る。溢れ出るどす黒い血液が、床を染め上げていく。暫くはただただそれを眺めていた。

 オックスフォードが赤く染め上がった頃、本来の目的を思い出した。まずはこの穴に導かなくては。床に広がるそれを指でこそぎ取り、赤いラインに二本の線を描き足す。そしてすぐに穴に戻り、穴の縁の壁面に知り得たことを刻みつけた。乾けば何度でも、着け直し、刻んだ。摩擦で肉が擦れ、鮮血が溢れてくるのも厭わず刻んだ。

 生きるために。


 やるべきことはやった。あとは進むだけだ。

 呼吸も鼓動も既に私の支配下から離れ、滅茶苦茶に動いていたが構わない。この体が動きさえすれば。

 駆け出しながら、それを睨む。丁度、それは横たわる私の亡骸に手を掛ける所だった。肩を目掛けて力の限り突き飛ばす。それはあっけ無い程軽く、二メートル程転がった。同時に私の手には浮き出た鎖骨の感触が残った。折れそうな手足をばたばたと動かし、奇声を上げながら周囲の腑肉を撒き散らすようにもがいているそれの姿が目に映る。

 ふっと、二年前に亡くなった祖父の記憶が蘇る。口からの食事ができなくなり、ガリガリに痩せ細ったその姿が、それと重なった。どうしてこんな時に。

「おじいちゃん……」自分でも無意識に口をついた。それはゆっくりとした動作で起き上がり、こちらにのそりとやって来る。変わり果ててしまった風貌だがその表情は、どこか微笑んでいるようにも見えた。やっぱりそうなの? 

 緩慢とした手付きで私の頬を撫でる。ああ、筋張った指も、震える手つきも、しわがれた声も祖父そっくりだ。ああ、昔みたいに……。

「見つけた」』


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