【第3章】26話「海上の後始末」
とある地点の海上。空母型災害艦の内部にて。司令官室の戸を開けて入ってきたのは黒いゴシックドレスに身を包んだ少女、ナナ。
「…七隈様。サユリがやられた。鬼童丸の奴の気配も消えた。……ダメだったよ」
「ええ、そのようね。……災害艦機の方ももうダメね。全滅。街の火もほとんど消えてしまったわ」
落胆したナナとは対照的に、感情に浸っている様子はない七隈。腕組みをしてモニターを眺めているが、その表情は狐面に阻まれ伺うことはできない。
「仕方ないわ。大きな作戦が失敗することだってあるわ。…時間はまだある。まだ完全に負けたわけじゃないわ。ま、とりあえず私たちはそろそろ逃げましょうか」
ナナが頷いたその時、轟音と共に大きく揺れる災害艦。堪らず幹部二人も立っていられずバランスを崩す。慌てたように無線が入る。
「七隈様!!結界が破られました、戦艦二隻、軽巡一隻が侵入!!」
「…まあ。海軍もなかなかやるのね」
静かに呟いた七隈だが、その語気に僅かに苛立ちが混じる。再び轟音。激しく揺れる艦内。災害艦の呻き声のようなものが聞こえる。このままでは沈んでしまう。
「キィヒヒヒヒ。お二人さぁん。こーちら」
声がした方を見れば二つの鏡。…数少ない転移の鏡。転移の鏡は教団のトップである、鏡の魔術師にしか作ることはできない。二人は迷うことなく鏡に入っていった。転げ込むようにして転移した先は、艦内。だが、あちこちに浮き上がる血管や僅かに聞こえる唸り声からして、別の災害艦だろう。役目を終えた転移の鏡は音を立てて割れ、その鏡面は曇ってしまった。
「危ないところだったねえ。キィヒヒヒヒ」
いつの間にか現れたのは白と黒のしましま模様の猫。――チェシャ猫だ。その隣には、黒ずんだ海軍服を着ている長い白髪の中性的な見た目の人物。
「キィヒヒヒヒ。紹介しよう。彼、としようか。彼はこの災害艦そのもの。あの帰郷艦たちと同じような子さ。進化しているのは、海軍だけじゃあなかったようだねえ。キィヒヒヒヒ」
「よろしくネ」
災害艦の化身は笑う。その声も、男とも女ともつかぬ声だ。七隈はふっと笑った。
「あら…可愛らしい子。この子だけじゃなく、ほかの災害艦たちも顕現させられたら……夢は膨らむわね。ちなみに、この艦は何なのかしら」
「潜水艦だヨ。ここ、安心。アイツら、来なイ」
ナナはほうと頷いた。
「あの空母に乗っていた奴らはもう駄目だろうが…信者なら掃いて捨てるほどいる。七隈様。しばらくはここで力を蓄えよう」
「そうね。そうしましょう。急ぐ必要はないわ。また来る機会を待てばいいものね。…何か食べましょう。お腹が空いてしまったわ」
「食堂、この先。ごはん、あるヨ」
「ありがとうね、災害艦さん。…名前がないと不便だから、今ここで私がつけてあげましょう。そうね、フジ。フジなんてどう?」
災害艦――フジは嬉しそうに笑った。ナナが七隈を見る。
「七隈様。何か、名前の意味があるのかい?」
「無いわ。パッと頭に浮かんだだけ。早く食堂に行きましょう」
七隈はフジとチェシャ猫を引き連れてかつかつと艦内を歩いていった。少しぽかんとしたナナだったが、慌ててその後に続いた。七隈とナナは案内されるがまま食堂に辿り着くと、ひとつのテーブルに腰を下ろした。薄暗い一帯。そこで七隈は、もうひとり誰かがいることに気がついた。
「あら、貴方も災害艦?」
「んー、どうだろうね」
そこにいたのは同じく白い海軍服に身を包んだ人物。本を読んでいる。白く長い髪は床につくほど長い。その頭には鳥居のようなものまでついており、ぎょろりとした目で本から目線を上げこちらを見た。黒と赤の目。左目の下には角膜部分が黒く染まったもうひとつの目。右頬には銅鏡のような模様が浮かび上がっている。
明らかに人ではないその見た目。声と喉仏からしておそらく男だろう、と七隈は推測したが……。
「貴方……。その本。上下逆よ」
「んん〜?ああ、本当」
白い男が読んでいた何やら小難しそうな本――マルクスの『資本論』だ――は、上下逆向きであった。男も、今気づいたというふうにくるりと本を回転させた。
「本当にちゃんと読んでいたの?」
「僕みたいな奴がこんな難しい本を読んでいたら、なおさら神秘的でミステリアスだろう。なあ、君たちもそう思うだろう?」
話が通じないわね、と七隈はため息をついた。男は既に目線を本に戻し、ぱらり、とページをめくっている。すると奥から食事を乗せた二つの盆をフジが運んできた。足元にはチェシャ猫。
「ありがとう、フジ。気が効くわね。カレーを食べるのはいつぶりかしら」
「カレー、私たちノご馳走。海軍カレー、美味しいヨ」
七隈はふっと微笑み、狐面を外した。しかし暗いため、その素顔はよく見えない。チェシャ猫は白い男の方を見た。
「あ、彼のことを紹介していなかったね。彼は……」
「コジロウ。僕はコジロウっていうの。戦艦」
ナナはカレーを頬張りながらほう、と頷いた。
「戦艦か。それは頼もしい。何型か聞いても?」
「大和型」
七隈とナナは同時に息を呑む。大和型。世界最大級の戦艦でありその攻撃力も尋常ではない。七隈は笑みを浮かべる。
「そう……。コジロウ、よろしくね。貴方の力を貸してちょうだいな」
「ん〜……。気が向いたらね」
「ま、彼はこのように気まぐれな奴だが、戦闘力はおそらく我々の中でもピカイチだ。なんせ、彼は我らの教団の中の祭神として君臨している。だから、君らもくれぐれも失礼のないように」
「ええ、わかったわ。コジロウ様。無礼をお許しください」
「ん〜」
ぱらりとページをめくりながら生返事を返すコジロウ。話を聞いていたかは定かではないが……。だが、災害艦であるどころか祭神として祀られているということはそんじょそこらの神よりかは強いということ。
(あの憎い祟り神どもに、対抗できるかもしれないわね……)
七隈はほくそ笑むと、カレーを頬張った。そんな様子を見て、チェシャ猫は大きな欠伸をした。
*
「主砲、当てろよ〜!てーーーっ!!!」
洋上、戦艦長門の主砲が一斉に火を噴く。続いて隣の戦艦大和の主砲も炸裂する。標的の空母型災害艦に複数命中、大爆発が起こる。さらに軽巡大淀から魚雷が発射される。海上からも分かる魚雷たちは白い尾を引きながら真っ直ぐ空母に向かい、見事命中する。長門の艦橋から戦況を眺める一人の男。ツーブロックの髪型に日焼けした浅黒い肌の優男風の青年。その白い海軍服には菊の紋がついている。戦艦長門その人だ。
「ふふ、涼太郎は相変わらず元気だね」
その視線の先には、複数の駆逐艦型災害艦を蹂躙している、馬型の怪異。海上を自由に駆け回るそれは軍艦と同じグレーの鋼鉄の体に腹は赤い。体の側面には戦艦の如き巨大な主砲がついており、その背からはたてがみの代わりに黄色い炎が激しく立ち昇っている。激しく嘶きながら次々に軍艦を破壊してまわっている。その戦艦のような馬型怪異こそが菊池涼太郎の祟り神としての本来の姿であった。
「長門ォ!奴さん相当弱ってるぞ!トドメいくか!?」
「馬鹿め。守るための艦載機すら都市に飛ばして堕とされるとは。守りがペラッペラだぜ!」
「今なら教団の奴ら捕らえられるんじゃねぇか!?」
「いや、無理だね」
叫んでいた海軍軍人たちが一斉に長門を見る。
「む、無理って……?」
「もうあの中には幹部級の者はいないよ。おそらくもう逃げている。船を派遣する方が危険だ。このまま沈める」
きょとんとする一同。艦長、西戸崎はそうか、と頷いた。長い黒髪をひとつに結えた、凛とした印象の力強い目をした女性。
「確かに。こんなに守りが手薄なわけがないよな。もういないと考える方が妥当か。…本当に沈めるのか?見える限りまだ中には信者であろう乗組員と鏡獣?だっけか。そいつらの影が見えるが」
「?だから何ですか?」
長門はにっこりと笑う。いらないでしょう、と。
「どうせ、下っ端です。何の情報も持ち得ていないだろうし、鏡獣に関してもすでに数体捕らえて研究されている。彼らを捕まえる必要なんてないじゃないですか。色々面倒くさいですし、そのまま沈めちゃっていいんじゃないですか?」
何か問題でも?とでも言いたげな長門に数人の軍人は思わずごくりと息を飲んだ。見た目は限りなく人に近くても、その中身は無機質な戦艦。それを見せつけられた心地だった。慣れている西戸崎艦長は笑った。
「そうだな。このまま撃沈しよう。大和と大淀にもそう伝えといてくれ」
*
「司令官。戦艦長門より電報。不審な影はやはり災害艦だったようで。空母型と言っていたのでおそらくここから災害艦機を飛ばしていたようです。発見した災害艦は全て轟沈、教団幹部の者は逃亡した模様です」
「そうか」
対災害艦対策本部に、ようやく安堵するため息が聞こえてきた。地上の氷の呪いを使う鬼たちは全滅、凍らされた者たちも全員元に戻ったとのことだった。都知事に防衛大臣、総理大臣も思わず息をついた。彼らにとってはこれが終わりではなく、これからが戦いではあるがそれでも一安心は一安心だ。
「街の火はほとんど鎮火できているようだが…待機させている消防と救急隊は予定通り動員するぞ。誰もこぼれ落ちないように、街中も建物の中も隈なくチェックしろと伝えるんだ」
時刻は気づけば二十三時頃。都市はほとんど焼き尽くされてしまい、本来の煌々とした輝きを失ってしまった。眠らない街であった繁華街も、黒く焼けこげてしまっている。賑やかであった街には、人っこひとり見えない。しかし、脅威は去った。静寂と暗闇のとばりが下りていた。




