閑話 愛される者
今回は主人公視点ではなく、屋敷の従者視点です。
私はテルノアール領の領主ロウゼ・テルノアール様のお屋敷にて働く従者の一人です。名前などはどうでも良いのです、ただの従者の一人に過ぎませんから。
さて、二週間ほど前にご主人様に待望のご子息、リュミエール様が誕生されました。急成長を続け大領地となりつつあるテルノアール領に跡継ぎが産まれたことで領地は物凄い賑わいとなりました。
一週間に及ぶ誕生祭が行われ、それはもう凄いという言葉で表せないほどの祝福です。
それもそうでしょう、この領地の人間は誰もがご主人様を愛しています。
貧しかった領地に職業、食事、設備、社会保障、あらゆるものをもたらし、我々平民の生活は大きく変わったのです。
ご主人様は平民の我々でも、我が子の様に可愛がり大切にしてくださっていますから、誰もがその恩恵に感謝し誠心誠意働いてその恩を何とかして返そうと必死になっています。
この私もそうです。商家の四男に生まれた私は読み書き、計算、商売の知識はあっても家を継ぐことは出来ません。そういったものは成人すれば自分で仕事を見つけるか、商売を始めるかと、大変なのです。これは珍しいことではなく、嫡子以外の者にとって深刻な悩みです。ですから、成人する前に職を見つける必要があります。
職を探していた私にある時、驚くべき情報が飛び込んで来ました。領主の館で働く人材を募集しており、貴族の縁故や紹介などなしで、試験や面接を受け能力次第で誰でも採用するということです。
これは普通ではありません。平民で貴族の従者というのは代々従者としての働く家系がすることで、更に位の高い貴族だと、従者も全て貴族ということが珍しくないのです。
当然、この話に飛びつきました。能力は兄弟の中で一番優れていると自負していてもそれを活かす場がなかった将来に対して捨て鉢になっていたところにこんな美味しい話があっては見逃せないでしょう。商人としての勘といいましょうか、この機会を逃してはいけないと私の中の何かが叫ぶのです。
数日後、お屋敷にて採用試験が行われました。はい、その通りです、そう慌てないでください。平民が仕事を受けるだけで貴族の、それも領主様のお屋敷に入ることが許されるというだけでも、この領地の領主様は他の貴族とは何かが違うということが分かるのです。
集合場所には大勢の受験者がおり、その種類も多様でした。警備希望の荒っぽい体格の良い男たち、貧乏ではあるが、貴族の末席に入る明らかに平民ではない方たち、賢そうな年寄りに、元気が取り柄の平民の子供、それらが全て同じ場所で待たされ列を作っています。
「私は○○から来ました***です、私は……」
挨拶の練習を必死でぶつぶつと唱えながらする者。
「ったく、いつまでまちゃ良いんだ?」
「どけ!俺が先だ!」
待機に苛立ち不平をこぼすものや、列に割り込む者。
辺りをキョロキョロと見回す者、多種多様です。
……変ですね、受験番号を示す札を胸につけた後に何人かのお屋敷勤めの者が既にいるにも関わらず、面接の開始を告げる人が来ません。何か問題でも起こったのでしょうか?中止は困りますね。
そう思っていた時に、ふと、屋敷勤めの者が受験者を見て板に何か書き込みをしていることに気付きました。
「まさか」
試験は既に始まっているというのですか!?
確証はありませんが、そうであれば迂闊な行動は出来ません。恐らく、待機している者の態度を観察しているのでしょう。貴族の前でだけ良い顔をするものというのはいくらでもいますが、働く者は平民同士であることを考えるとそれは困ります。
もし、それを見越しての観察なのだとしたらここから先、一瞬の油断も出来ない、そう思うと緊張で心臓がドクドクと音を立て、汗が流れだします。
何人かは同じ様に気付いたのか、緊張して試験官のいる方を気にしています。
それからやっと試験会場の部屋に入れられ、説明を受けます。
部屋は志望する部署によって異なり、経理部門の部屋では奥に座っているエッセン様が目に入りました。
テルノアール領主導の商会を一手に引き受ける敏腕商人のエッセン様です。普段は気弱でオドオドした優しい顔をするお方ですが、商談になると途端に豹変し巧みな交渉で話をまとめ上げるお方だと父より聞いています。あの金勘定や交渉に厳しい父ですら頭の上がらないと言っていたお方、つまり、エッセン様はこの領地において商人の中のトップ中のトップ、その方が面接を担当するのだと分かった時、急に吐き気と頭痛が襲ってきました。
説明が終わると、一度退室させられ、呼び出しがあるまで部屋の前で待機となります。面接の内容を聞いて少しでも有利な情報を集めようと皆が扉に耳をそば立てました。しかし、全く音が聞こえません。椅子に座る音や僅かな話し声さえ聞き取れないのです。
待機している試験官の一人が盗聴防止の魔道具が部屋の中で使われているので無駄だと教えてくれましたが、この面接の為に魔道具をこんな使い方をするのかと皆驚くほかありません。
そしてシンとなった部屋の前で大人しく待つのですが、この時間がなんといってもキツかった。無駄に緊張して、扉が開き、受験者が退出してくる瞬間に何回もドキリとさせられたことでしょう。
ああ、今すぐ帰りたい!さっさと呼んでくれ!と内心で叫びながら何度も深呼吸をして自分を落ち着かせようとしました。
やっと自分の番が来たのですが、この時が緊張の最高点に達し、息は荒くなり肩に力が入っていつの間にか上がっていたのに気付いたのは隣の人がそうなっていたからでしょう。
「ど、どうもエッセンです面接を担当しますのでお掛けになってください……」
「は、はいい!失礼します!」
緊張で声が裏返り必要以上に大きな声が出てしまいました。失敗した……と後悔も束の間。
「え、えーと……ああ、あなたはあの商会の四男の……」
エッセン様は資料を見て何か確認しています。
「それでは」
ゾクッ……先ほどの少し疲れた自信の無さそうなエッセン様の顔つきが豹変した事に気付きます。
「経理部門で、あなたがロウゼ様にどういった形で貢献出来るのか、自分を商品だと考え私に買わせるつもりで自己紹介をしてください」
「ひっ……!」
息を呑んで声にならない声が出ます。そこから、自分は何を話したのかは記憶がほぼありません。とにかく必死で話して、伝える努力はしましたが、気がついた時には部屋を退出していました。
そして、奇跡的に採用されることとなり、それを家で知らせると、これまで私に大した関心を持っていなかった父が子供の様に喜び「デカした!」と肩を揺さぶりました。
産んでおきながら、職の紹介もしてくれなかった父のその態度に苛立ちを禁じ得なかったのも事実ですが、初めて認められたような気もして誇らしくもあり不思議な感覚でした。
そんな過去を回想しながら改めてこの屋敷の近況について語りたいと思います。
前述したとおり領民はご主人様を敬愛していますが、屋敷で働き始めてから気付いたことがあります。
ご主人様の近くで働いている人ほど、敬愛どころか信仰、崇拝しているのが顕著でした。まるで神かのように扱うのです。未だに間近で見ると緊張しますが、その気持ちも分かります。というか、ご主人様本人の前では流石に言いませんが影で神と呼んでいる方も散見されるほどです。
屋敷には大量に出産祝いの品が届けられました。あまりにも多く、連日納めにくる人で長蛇の列が発生し、どれだけ愛されている領主なのかが一目瞭然でしょう。
この仕分けをするのも経理の仕事のうちの一つでその圧倒的な量を捌くのに死ぬかと思いました。それは現在進行形です。
そんなご主人様のご子息の周囲の反応を一部紹介します。
まず、医局のトップであるロギー様、ズギー様、ゲオルグ様ですが毎日健康診断、研究、と言いながらご子息のリュミエール様のところにいき、あらゆる箇所を調べ書き留めています。私には医学の知識がないので分かりませんが屋敷内の衛生対策が過剰なほど厳しくなりました。
赤子が成長せず死ぬのは珍しい話でもないので、リュミエール様が病気にならない為に必要な措置だそうです。決まりを破った者は『お仕置き』されるそうですが、死人のような顔になっている方が恐らくそうでしょう。ああはなりたくないので手洗いうがい、風呂などを欠かしたことはありません。
次に、リュンヌ様です。リュミエール様と名前が少し似ているのが大層嬉しいらしく、呼びかけては、自分を指差し「リュンヌ」と名前を覚えさせようとしています。名前が似ているだけにもう少ししたらリュミエール様が混乱しそうなので心配です。それだけなら微笑ましいのですが、早くも武術の育成に関して何やら考えいる様で周りがウンザリとしています。まだ生後一ヶ月も経ってないのですよ?流石に早すぎます。
そしていつも訓練後に顔を見ようとするので汗を流せと怒られています。ただ、彼は強過ぎるので『お仕置き』が執行されずある意味無敵です。
因みに屋敷内を兵士とともに警備するディパッシ族の方々はリュミエール様の部屋に入室する者の持ち物検査が真剣過ぎて怖いです。前を通るだけで軽く睨まれますからあの部屋には出来るだけ近づかないようにしています。
時々顔を出す孤児院の神父様、何をしているのかよく分からないネイモンド様はとても優しい老人です。子供好きということで彼らは気が合うようで、泣き出すリュミエール様をあやしていることが多いです。
出産してすぐに執務に戻られた奥様に変わり、赤子の世話に関する情報のやり取りを乳母たちと意見交換している様子がよく見られます。
ネイモンド様の「私に母乳を出すことが出来れば……」という独り言は絶対に聞いていません。
最後にご主人様です。ご主人様が一番ヤバいです。初めての息子ということもあって気合いの入りようが半端ではありません。リュミエール様本人だけでなく、直接関わる人間の健康管理や衛生管理の指標をすぐに作成し実行させました。溺愛といっていいでしょう。赤子だけでなく世話する周囲の人間まで完璧な状態にしたいようです。
部屋にはいくもの防御、探知の堅牢な結界が張られ、あらゆる攻撃や侵入に対策が立てられた魔道具が設置され、薬なども完備されており、完璧な清掃作業が求められます。
リュミエール様にもお守りを持たせ手首や指に宝石のようなものが取り付けられています。
これでも減った方です。奥様や乳母に叱られるほど大量の魔道具やお守りを装備させようとしていました。
過保護にも程があるでしょう。成金の商人のような見た目になっていた時には思わず吹き出しそうになりました。
あやすのにも様々な魔法や魔道具が開発され部屋に置かれていますが、結局のところ抱いて揺らすというのが現状最善のようでただの置物と化しています。
派手な光の幻術を使ってあやそうとしてもまだ生後間もないですから目が見えておらず無意味ですし、魔力の無駄使いでしょう。貴族はそんなことに魔法を使うなんて聞いたことがありません。魔力は貴重なはずです。
常にリュミエール様の為に何か出来ないかと考えながら作業しているのですが、屋敷の皆に領主としての仕事をするのが一番ご子息の為になりますといって仕事に誘導するのが大変のようです。
これだけ手間暇をかけられているのですから、物心ついた時にはリュミエール様は一般的な貴族の教養の他、ご主人様の馬鹿げた規模の魔法、医学、薬学、商業、武道などあらゆる専門分野の英才教育がなされることでしょうし、この領地も安泰だと確信が持てます。
さて、そんな領地の為に仕事に勤しむとしましょう。