一話
―――自分が誰なのか分からない。
広大な海原にぽつんとある孤島に一人、そんなことを思いながら座る人間がいた。
俺だ。
五日前に、このめちゃくちゃ小さい孤島で目を覚ました俺が、一人寂しく座っているんだ。
別に他の誰かが隠れているとかはない。
この孤島に俺以外の生物がいないことは初日に確認している。
目を覚ました後に、誰か一人くらい居ないのかと島の中を歩き回ったが、一周するのに二分もかからない程小さな島の中には、人間はおろか虫一匹いやしなかった。
その探索で知れたのは、この島での生物は俺一人。他にあるのは、一本だけ生えた俺よりちょっとだけ高いこの木だけ。
たった一人と一本だけの島。
話し相手もいやしない。
これはいけないと助けを求めることにした俺だったが、いかんせん周囲は海。どこにも島の影はなく、地平線しか広がっていなかった。
ああ、こりゃダメだ。
すぐに悟った俺は、食料も水もないので死を覚悟した。
目を覚ますまでの記憶が一切ない人生だったが、随分と早くに終わってしまうのだな、なんて思いながら餓死するのを待っていたら、途中から空腹を感じなくなり、目覚めてから五日経っていた。それも寝ないで。
これには驚いた。
俺はもしかしたら人間ではないのかもしれないと、海に映る自分を見てみたがどう見ても人間。
一体、目を覚ます前の俺は何をしたのか。
そうして、謎が一つ生まれた。
この何もすることがない退屈な島で一つの疑問が生まれると、もうそれについて考える以外に暇を潰す方法がなかった。
どうせ餓死はしないのだからと、食料について考える必要もないので、自分について考え続けた。
けど、手がかりとなる情報が一切ない。
食べ物がなくても死なないって事と生物ってことしか分からない。
この孤島で生きていく限りこれは永久に謎のままだろう。そう結論づけることにした。
・・・目覚めてから二週間が経過した。
この島にはなんの変化もない。
だが、俺の体については発見があった。
どうやら俺は排泄を行わないらしい。まあ、当然といったら当然だ。何も口にしていないから排泄するものがない。だから、この島も眼前の海も汚れることはない。
そしてもう一つは、海に体を漬けていると水分を摂取できるということが分かった。何故そんなことが可能なのかは分からないが、腕や足などの体の一部を海の中に入れているだけで、カピカピだった体に潤いが戻ったのだ。
それと同時に喉も潤って声が出せるようになった。少しだけ嬉しかった。
ただ、腹が膨れるといったことはなかった。体に水分を吸収はするが空腹を満たすといったことはしないらしい。
ますますこの体は不思議だと思うようになった。
・・・目覚めてから一ヶ月が過ぎた。
何の変化もない。
一応、時々体を海に漬けて水分を摂るようにしているが、それも横になっているだけで済むので何も面白くない。
魚や鳥なんかがいれば、そいつらを捕まえるのにやる気も出るが、ここまでその影すら見ていない。
果たして、この世界に俺以外の生物はいるのだろうか?
まあ、悩んだって俺にできるのは、水分の摂取と雲を眺めることだけだ。
・・・目覚めてから三ヶ月。
今日は珍しく天気が変わった。
今までは毎日晴れで、にわか雨さえ降ることがなかったのに、遂に今日、雨が降った。土砂降りの雨が。
この孤島を沈ませるのかというほど雨はその勢いを増していき、一本しか生えていない木までもその脅威に襲われ始めたので、思わず励ました。
リズムよく手拍子をして。
その励ましが功を奏したのか雨が止んだあとも、木はしっかりとその場に生えていた。
代わりに俺は風邪をひいたようだ。頭が痛い。
・・・目覚めてから一年が経過。
いい加減、この島にも飽きてきた。
雲の形以外に代わり映えのない景色。
独り言を言うしかない一人と一本の毎日。
なんともまあ、つまらない生活だろうか。
この島から出られるなら今すぐにでも出てやるってのに・・・。
まあ、それが無理なのは俺がよくわかっている。
目覚めてから九ヶ月目当たりで気づいたが、どうやら俺は泳げないようなのだ。
どうせ寝なくてもいい体なのだから地平線の先まで泳ぎ続けてやろうと海に入ってみたら、ぶくぶく沈んだ。
全然、泳げない。
頭ではやることが分かっているのに、体はその通りに動いてくれなかった。
これは駄目だとすぐに諦めた。
また風邪をひいた。
そんな事があったから、俺はこの島から出られないということを知っている。
もし、この世界に俺以外の生物がいて文明があるのなら、早く俺をこの島から出して欲しい。・・・できれば、この木も一緒に。
・・・目覚めてから五年が過ぎた。
もうこの世界に俺以外の生物がいることはないと判断した。
ここまで虫一匹さえも見かけない。もちろん鳥が飛んでいる姿も魚が泳いでいる影も見たことがない。
俺以外の生物がいないと判断するには十分な時間だった。
だが、それ故に気になることがある。
俺はなぜこの世界にいるのかについてだ。
おそらく人間である俺が、この孤島にいるという事は俺を生み出したものが何処かにいてもいいはず、なのにその影すらない。一体、どうなっているのか。
そろそろ何かあってもいいだろうに。
あ、あの雲すごく丸いな。
・・・目覚めてから十年。
俺は、動くことがなくなった。
ただ何も考えることなく、横になったまま雲を眺める。
風が吹けば木の葉が擦れて音を出す。
その音を聞いているだけでいい。
波によって体の一部に海水が当たる。
その当たる海水を水分として摂取するだけでいい。
ただそれだけで一日は過ぎていく。
あ、あの雲めっちゃでかい。
・・・目覚めてから二十年。
このままでは駄目だと思い始め、飛び起きた。
横になって雲を眺めるだけの生活が始まってから早十年。遂に俺は動くことにした。
待っているだけでは何も始まらない。俺自身が行動しよう。
まず問題となっているのは、目の前に広がっている海だ。どこまでも続くその青い水が俺を此処に閉じ込めている。
だったらどうするか。
海を割ろう。
けど、俺には不思議な力があったりはしない。海を割るのはそう簡単な話じゃない。
だから考えることにした。時間なら十分にあったから。
そして、思いついた。
筋力を上げて、風圧で海を割る。
俺の体は不思議な力はないが、不思議な体質ではある。だったら筋力が驚くほど上がる可能性はゼロではない。
早速、筋トレを始めた。
あ、あの雲黒いな。
・・・筋トレ開始から一週間経過。
とりあえず腕立て伏せや上体起こしを行うことにして、一週間が経った。未だ体には何の変化もない。
まあ、こんな短期間で何か起きるとは思っていなかったので問題ない。
このまま有り余る時間を筋トレに費やすことにする。
結果がどうであれ、何もせずに過ごすよりは幾分かマシかもしれない。
・・・筋トレ開始から八ヶ月目。
少しだけ変化が出てきた。
水面に向かって拳を打つと、数センチほどだけ風圧で水が圧されるようになった。
八ヶ月でこれなら何十年、何百年後かには、海を割るのだって夢ではないかもしれない。
このまま筋トレを続行しよう。
あ、でも海を割ることに成功したときは、この木はどうしようか。もう長い付き合いだから、置いていくのも後味が悪い。
まあ、それはそのとき考えるとしよう。
・・・筋トレ開始から二年が過ぎた。
風圧で数メートル先の水面が少しだけ揺れるようになった。この段階でこれならまあまあだと思う。
ちなみに筋トレする中で、重点的に鍛えるようにしているのは腕だ。
一発で海をずっと先まで割れるとは思っていないので、進みながら風圧を与え続けるには腕がいいと判断した。足だと進む速度が遅くなってしまうしな。
あとは最近気づいたことがある。
どうやら筋トレ中に汗をかいているようだ。
鍛えた後に肌を見ると水滴が浮かんでいることがよくある。普段は気にしないから分からなかったが、ある程度体を動かすことで出ていたのだ。
それに気づいてからは雨が降るのを祈るようにした。
海水で汗を流したんじゃ意味がない。やっぱり雨が最善だろう。
けれど、それからしばらくは快晴が続いた。
・・・筋トレ開始から十年。
問題が発生した。
俺が生み出した風圧で、体が後ろに飛んでいってしまう。
最初の頃はちょっと下がるだけだったから気にしなかったが、最近だと木を背中につけておかないと海に飛んでいくんじゃないかと思えるほどだ。
これだと海を割れるようになっても、進んだぶんだけ戻されることになる。
早急に解決策を考えないといけない。じゃないと、俺が鍛えた筋肉が無駄になる。
これからは、筋トレをしながら問題を解決する方法について考える生活が始まりそうだ。
あ、雨だ。
・・・筋トレ開始から二十年の時が流れた。
自分が起こした風圧で後ろに飛んでしまう問題は、なんとか解決した。
今まで腕しか鍛えていなかったのを、脚にも気を向けるようにしたのだ。
拳を打つ前にしっかりと脚に力を込めておけば、後退してしまうのを防げるようになった。
この発見は、とても大きなものだった。
もう一本しか生えていない木に負荷をかけなくてすむ。折れる心配がいらない。これで存分に風圧を起こせるようになった。
ちなみに、最近では十数メートル先の海まで風が届いている。
まだ海を割るとまでは行かないが、成長限界が見えていないのは良いことだ。俺が退屈しないし、島を出れる希望がある。
さあ、筋トレを再開しよう。今のところ汗をかくことはあっても、疲れるといった事はないのだから。
・・・筋トレ開始から五十年目。
飽きてきた。
寝ることもないから昼夜問わず同じことを繰り返す毎日は、あまりにも面白くない。
たしかに成長限界は未だ見えず、風圧の威力と届く距離は伸びていっている。このまま順調にいけば何も心配はいらない。
だが、目覚めてからの俺の人生には刺激が足りなすぎる。
この世界に俺以外の生物が存在しないことは十分に分かったが、自然現象くらいは起きても良いんじゃないか。
雷がこの島に落ちてもいいし、雹が降ってきてもいい。なんなら綺麗に雪が降ってもいいだろう。
もし、それらが駄目なら嵐でも津波でも地震でも何でもいい。とにかく俺は、刺激を求めている。この退屈な生活に。
お、今日はかなり風が届いたな。
・・・筋トレ開始から百五年。
遂に刺激が訪れた。
この小さな島に嵐が近づいている。
地平線の向こうからゆっくりとその脅威を見せつけながら、一人と一本しかいない孤島にやってきている。
これはお出迎えしないといけない。せっかく来てくれるのだから。
今のところ嵐は、俺が起こせる風がギリギリ届かない距離にいる。
これだとあと少しで到着するだろう。
さあ、どんなもてなしをしようか。といっても、此処にあるのは一本の木だけなのだけど。
風が届いてきた。木も揺れ始めている。葉が擦れ合う音は大きくなっている。
ここまで間近で嵐を見ることはそうそうない。しっかりと記憶に残そう。
舞い上がった海水と雨水が俺の顔に当たる。思っていたより風圧が強い。やっぱり見ているのと実際に感じてみるのでは違うんだな。俺が起こせる風とはどれほどの差だろうか。今すぐ比べてみたい気持ちはあるが、この強風の中で拳を打つことができるのか分からない。いつも脚に力を込めてその場に留まることが出来ている。それを嵐で飛ばされないように耐えながら出来るか。
やってみたい。けど、万が一、飛ばされたら泳げないから帰って来れない。
悩ましい。嵐が過ぎ去るまで時間はない。早く決めないと。
あ、少し弱まった気がする。
・・・筋トレ開始から百六年経った。
今日も海は静かだ。慣れたトレーニングを行う片手間で、そんな海の先について考える。
俺から見えるのは、どこまでも続く広大な海だが、もしかしたらずっと向こうには他の島があるのかもしれない。そこには一本どころじゃない数の木が生えているかもしれない。沢山の果物があるかもしれない。全て可能性の話だけど、想像するのは自由だ。
どうせこの世界には俺しかいないのだ。俺の想像を馬鹿にするやつもいない。
そういえば、去年の今頃に遭遇した嵐はまた来るだろうか。
残念ながら前回のものは、風が弱まったのをチャンスと思って拳を打ってみたら綺麗に消えてしまった。思ったよりも俺の成長速度は早かったらしい。
今度はそんな失敗したりしない。ちゃんとこの島を通過させて見送ってあげよう。
そうだ。せっかくだからアイツに名前をつけよう。覚えにくいと駄目だからシンプルなものがいい。
・・・一号にしよう。シンプルで覚えやすい。
さあ、今年は二号が来ることに期待しよう。
・・・筋トレ開始から三百六十年の月日が流れた。
先月、もう何度目か分からない嵐が来た。随分と大きなやつだったが、一号に比べるとまだまだだった。これもつい消してしまった。また反省した。
ちなみに嵐につけていた名前は、三号くらいから止めた。俺はそこまで記憶力が良くなかった。いずれ人と会ったときに名前を覚えられるか不安になった。
ところで、海を割るという目標は未だ達成できそうにない。海に向かって拳を打ってみても、距離は伸びたが、歩くための海底が全く姿を現さない。そろそろその影くらい見せてくれてもいいだろうに、随分とこの海は深いようだ。
まあ、だからといってここまで続けてきた筋トレを止めるつもりは全くないが、そろそろ自分が人間かどうか怪しいと思い始めてきた。すでに食事をしないで三百年以上を過ごしている。それなのに体に不調は一切ない。あったとしても風邪くらいだ。俺は人間じゃなく、長命な種族か何かだったのか。やはり俺が人間かどうかは永遠の謎なのだろう。
あ、雨だ。
・・・筋トレ開始から五百四十年が過ぎた。
驚きの発見をした。
大体、二百年くらい前に自分が人間かどうか怪しいと思っていたが、最近あることに気づいたのだ。
俺は、全く老けていない。
ふと水面を見たときにこれに気づいたが、驚いた。あの目覚めた日以来に確認した自分の顔が何の変化もなくそこにあったからだ。ついでに言うと、体の衰えもない。
しかし、年齢による変化はなくとも、筋トレによって鍛えられてはいる。実に不思議だ。
俺が一体なんなのか。やっぱり謎だ。
それと最近、雪が降った。老けていない事に驚いていたが、そっちはそれで嬉しかった。
この小さな島にも雪が積もったので、少ない量ながらこの島にお似合いの小さな雪だるまを作って、木の横に置いておいた。どうせ翌日には溶けてなくなると分かっていても、退屈な日常の中の良い刺激になったのは事実だ。せめて長生きするようにと影に置いておいた。
翌日、綺麗に溶けてなくなった。太陽は容赦がなかった。
・・・筋トレ開始から千四百年経過。
遂に地平線まで風が届いた。といっても俺の視力では限界があるから実際のところどうかは分からない。けれど、それぐらい遠くまで行きはしたのだ。まだ、海底を見るには及ぼないが。
けど、これを海面に向かっていい感じに放てば、距離は出ないが海底まで届くようになるかもしれない。全部、予想だけど。
俺の成長速度の速さと限界が見えないのには自分でも驚いてしまう。あと、寿命にも。
しかし、俺のことばかり驚いてはいられない。この島で俺と共に過ごしているこの木も十分凄いやつだ。
コイツだって俺と同じだけの年月を生きてきている。それなのに一度だってその葉を枯らしたことがない。俺と同じく、本当に木なのか怪しいやつだ。けど、ここまで共に過ごしてきたからには、今さら本当に木かどうかは関係ない。いつか枯れてしまうだろうその時まで、しっかりと大切にしてやろう。
あ、コイツの葉っぱって食えるのかな。
・・・筋トレ開始から数千年目。
もうどれくらい鍛えているのか覚えていない。随分と長いことやってきたな、とは思っているけど、その正確な年数は途中から分からなくなった。
変化が見られない俺の体は、一定の所まで筋肉がついたかと思うと、それ以上の変化は見られなくなった。程よい状態で若さも筋肉も止まったのだ。もう強さを知るには起こせる風で調べるしかない。まあ、最近はあまり本気で打たないようにしてるけど。
いつ頃かは覚えていないけど、飛ばないようにしていた脚が地面に跡を残しながら後方に移動してしまった事があった。その時は何とか海まで行かずにすんだが、その日以来、本気で打つのは控えるようにした。もし風を起こした反動に耐えられず島の外へと飛ばされた暁には、もうどうする事も出来ない。昔のように木を使って飛ぶのを防げる程の力じゃない。下手したら木ごと島から出されてしまう。
だから、俺はそんな事にならないように本気で風を起こさないようにしているんだが、いかんせん海を割ることも出来なくなった。
あの日の時点でまだ海底は見えていなかったのに、今の状態で打ったとしたら海底まで届いたかどうか確認することなく海にドボンだ。そうなっては泳ぐ術がない俺は死んでしまう。
今の俺にできるのは以前と変わりなく筋トレを続ける事と、眼前に広がる海が勝手に割れるのを祈る事だけだ。
あ、嵐がやって来た。
・・・目覚めてからどれほど経ったか分からない。
海が割れる事もなく、本気で打った後に飛ばされないようにする方法も思いつかなかった俺のもとに、ある物が姿を現した。
加工された木だ。
いや、加工されているから板だな。目を覚ましてからの人生で一番驚いた。今まで何も浮かんでいるところを見たことがなかった海面に、そんな人の手が加わった物が流れてきたのだ。思わず何度も見直した。自分の目を疑った。未だ虫も魚も確認していないのに人がいる可能性がある物を発見したんだ。仕方ないと思う。これを作った人に会いたいと思ってしまったのも、仕方ないことだ。
けど、俺にはこの板が流れた方向に行くための方法が無い。孤島から見える範囲は昔と変わらず海のみ。地平線の先から来たコイツは、随分と長旅をしたに違いないが、俺にはそんな長旅をする方法がない。景色と同じく俺が泳げない事も変わっていない。
自分以外に生物がいる可能性が生まれたが、会える可能性はかなり低かった。
どうにかならないものか。
・・・板発見から一日。
船が訪れた。この孤島に座礁する形で。
小さな島だからあまり乗り上げないでほしい。居場所がなくなってしまう。
しかし、随分とボロボロだ。帆もまともに機能出来ないほど穴が空いている。沈没していないのが不思議だ。乗組員はいるのか。座礁してから未だ姿を見せないという事はいないのかもしれない。まあ、確認してみれば早いか。
船から出ていた縄を使って船上に上がる。見た目と同じくボロボロだ。所々に穴が空いている。落ちないように気を付けよう。
船上には何もないようだ。一体、此処に来るまでに何があったのか。船内にそれに関する手がかりはあるだろうか。死んでしまった船員の骨でもあれば小さい島だが埋葬してやろう。では、失礼する。
ああ、まさか本当にあるとはな。部屋に一つしかない椅子に座っている骸骨を発見した。よく床に落ちずにそのままで残っていたな。早く埋葬してやりたいが、その前に一つ拝借したい物がある。
良かったピッタリだ。部屋にあった服だから俺に合うか分からなかったが、どうや合っていたみたいだ。もうずっと裸だったからな。目覚めていた時に着ていた服は、長い年月を経た結果無くなってしまった。この骸骨が着ている以外に服があって良かった。見た目が大体似てるから替えなのかもしれない。しかし、感謝だ。
さて、少し遅れてしまったが埋葬してやろう。穴を掘るのは昨日拾った板を使えば済むはずだ。
そうして、骸骨に近づきゆっくりと丁寧に持ち上げようとすると、骨に触れかけた手を突然払われてしまった。他の誰でもないこの骸骨に。
なんだ。今、この骨の腕に払われたのか。俺が知っている骸骨は動かないはずだぞ。どういう事だ。しっかりと目を擦り、目の前の骸骨を再確認してからもう一度触れようとする。
しかし、また払われてしまった。
コイツ、生きているのか。
そう思った時、椅子に座っていた骸骨が急に立ち上がり、大声で叫んだ。
「―――いえええぇぇぇぇぇい!! 骸骨だぞぉ!」
両目のあたりが薄く光っている。
てっきり死んでいると思っていた骸骨は、案外元気だったようだ。両手を上げて元気に立っている。さっきまでの姿は演技だったのだろう。
一度、叫んだかと思うと骸骨はそのまま何も喋らなくなった。俺も合わせて何も言葉を発さない。外から葉が擦れ合う音が聞こえてくる。船内は静かだ。
しばらく二人で見つめ合っていると、しびれを切らした骸骨が喋りだした。
「・・・はぁ。まさか骸骨にビビらない人間がいるとは」
そう言うと先程まで座っていた椅子に座り直し、肩を落としている。
別に怖くなかったわけじゃない。動かないと思っていた骸骨が、動いて喋ったら誰だって驚く。ただ俺がどうすればいいのか、困惑が大きかっただけだ。
そんな風に考えながら骸骨を見ていても何も始まらない。とりあえず行動が大事だ。
骸骨が生きているのだと分かった今、俺に出来ることは服を頂いた礼としてこの船を海に戻してやることだ。
早速、外に出て船を押してやろう。長年、鍛えた筋肉はこういった時に役に立つ。
落ち込んだままの骸骨をそのままに船内から出て島へと戻る。さあ、海へと帰りな。
「うおお!? な、なんだ! 船が動いてる!」
船からそんな声が聞こえたかと思うと、慌てた様子の骸骨が此方をのぞき見てきた。もう落ち込んでいなくていいのか。元気になって良かった。
しかし、太陽の下に出ても大丈夫なのか。動けるのにわざわざ暗い船内に居たから、てっきり日の光は駄目だとばかり思っていた。まあ、何も問題がないならそれでいい。
再び力を入れ直して船を押そうとすると、骸骨が大きな声で言ってきた。
「ま、待ってくれ! まだ船を出さないでくれ! というか、凄い力だな!」
どうした骸骨。海に出たくないのか。せっかく船に乗っているのに勿体無い。
そんな意思を込めて船上で一人で騒いでいる骸骨を見ていると、落ち着くように深呼吸をしてから喋りだした。
「えーっと、俺はこの船で船長をしている。一つ、お前に頼みがある」
どうやら真面目な話のようだ。
骸骨に促されるように再び船内へと戻る。椅子は一つしかないから俺は床だな。軽くゴミを払ってから腰を下ろす。
さて、その頼みとやらを聞こう。って、なんでお前まで床に座ってるんだ。これじゃ俺が床に座った意味がないだろ。
「なんで椅子に座らない」
「うお! お前、喋れるのか」
失礼なやつだ。俺だって言葉くらい話せる。
俺が言葉を発したことにコミカルな反応を見せた骸骨は、人間が死んだあとの姿とは思えないくらい明るい雰囲気を纏っている。最初に船内にいた時の黙っていた様子からは考えられない。生きていた頃からこんな性格だったのだろうか。
まあ、今はそういった事を考えるよりも骸骨の頼みとやらが先だ。さあ、話してくれ。
「お前が床に座ってるのに俺だけ椅子ってわけにもいかないだろ。・・・で、頼みってのはな、単刀直入に言うと俺と一緒に海に出て欲しいんだ」
海に出る、か。悪くないな。
この小さな孤島から飛び出すのは長年の夢だった。続けてきた筋トレもそのために始めたものだ。その夢が今、叶おうとしている。初めに骸骨を見た時は埋めた後に船を借りようと思っていたけど、動くって分かってからは借りるのを止めた。まさかその骸骨から誘われるとは。思ってもみなかった。
けど、そう簡単に了承することは出来ないな。俺は知らないやつに軽々しく付いて行くようなやつじゃない。
「その理由はなんだ」
これが大事だ。その内容次第では断ることにもなる。俺だってやりたくないことぐらいある。
さあ、教えてもらおう。お前が俺と海に出たい理由を。
「・・・そりゃあ簡単な話よ。俺がしっかりと生きていた頃の夢は、、世界中の絶景を見て回ることだったんだ。そのために船を買って海を旅していた。もちろんその夢は今だって変わってない。けど、こんな見た目じゃ人前に出ることさえ難しいんだよ。これじゃ世界中の絶景を見るなんて事、出来るわけがない。・・・そう思った俺は、夢を半ば諦めて海を彷徨うことにしたのさ。誰にも迷惑をかけないようにな」
それはいい夢だな。
世界にどんな景色があるのかを俺は詳しく知らないが、こうやって船を買ってまで見に行きたくなるような絶景があるのか。俺も見てみたいものだ。
俺が知ってる景色は、この島から見えるものだけだからな。
「だから、お前に頼む。俺が世界中を見て回るために協力してくれ。俺の姿を見ても逃げ出さなかったお前だから頼める。お前に何か得があるのかと聞かれたら答えることは出来ない。でも、いつか俺の夢が達成された暁には、一度死んだこの命を尽くして、お前のために働こう」
随分と真っ直ぐな目だな。光しかないから勘だけど。
俺には一切メリットがない協力。その夢が終わるのは一体いつになるのかも分からない。その途中で死んでしまったらどうするんだ。どちらか片方でもいなくなれば全部ダメになる。
なんてふざけた頼みだ。
「・・・だけど、面白い」
せっかくこの小さな島で体を鍛えるだけの人生から抜け出せるチャンスが来たんだ。だったらその機会を与えてくれたこの骸骨のために動くことも悪くない。
死ななければきっとこれからも長生きできるだろう。ここまで生きてきた俺だ。きっとそうなる。
「退屈な人生に刺激を与えるのには丁度いいかもな」
「だ、だったら・・・!」
ああ、いいだろう。その頼み受けてやる。
サムズアップで返事をすると両手を上げて喜びだした。この骸骨との旅なら楽しいものになりそうだ。
「ところで、聞きたいことがある」
「ん、なんだ?」
気分よさげにしているところ悪いが、どうしても聞きたいことがあるんだ。
お前が人と会うのが難しいって言った時に思ったことなんだが。
「どうして俺を驚かせようとしたんだ」
まさか夢を諦めていたからヤケになっていたとかじゃないよな。
「・・・その、あれだ。どうせ動くだけで驚くだろうから、いっそのこと思いっきり驚かせてやろうかなって・・・」
この骸骨。
まあ、過ぎたことだから気にしないようにしよう。骸骨にとってもあまり触れてほしくないだろう。
それよりも大事なことを聞いておきたいからな。
「あと一つ。最後の質問だが、お前の名前はなんだ。これから一緒に旅をしていく中で名前を知らないのは困る」
「おお、それもそうだな。・・・って言っても骸骨になる前の名前を覚えてないんだよな」
それは困ったな。名前がないと呼ぶときに何と言ったらいいのか分からない。
そういえば、俺にも名前がなかった。長い時間があったのにそれを考えるのを忘れていた。
「うーん、まあ俺を呼べるようになればいいんだから適当につけとくか。仮の名前ってことで」
「だったら俺の名前も考えてくれ。同じく仮のものでいい」
「なんだ、お前も名前を忘れてたのか。この島に漂流した時に記憶喪失にでもなったか?」
どうやら俺を漂流したやつだと勘違いしていたみたいだ。
まあ、長い年月生きてきたって言うよりはこのままの方が楽だな。よし、このままで行こう。で、名前はどうなるんだ。
「・・・うし! 決めた。俺はお前と協力関係である前にこの船の船長だからな。俺の仮の名前はキャプテンだ!」
随分と立派な名前だな。もしかして、ずっとキャプテンって呼ばれたかったんじゃないのか。それとも思いついたのがその名前だけだったのか。もしそうだったら俺の名前はどうなるんだ。
「で、だ。お前の名前だがな・・・。こんなのはどうだ・・・―――」
分かった。どうせ俺では名前を考えることなんて出来ないんだ。それで行こう。
世界中を見て回る旅の仲間は、この船の船長である骸骨と船員として旅に協力する俺の二人。精々、楽しみながら行こう。
「よろしく頼むキャプテン」
「おう、こちらこそ頼むぜ―――クルー!」




