19 毒
◇
人通りの少ない町の裏道を少女が逃げ回る。
「なんでこんなところまで化け物がっ……!」
町の外で現れる物に比べれば随分とサイズは小さい。しかし、攻撃するでもなく、歪な腕のような物を必死に伸ばしてくる様子は得体の知れない恐怖をあおる。
『オ、オイ、デ……タスケ、ルカラ……』
不鮮明でノイズまみれの声。優しさを感じる穏やかな声も、この状況では恐怖でしかない。
「だ、誰か助けっ」
近くの屋根の上からピーと言う笛の音が響き渡る。
「うちのお嬢様に何の用だ!」
剣を片手に飛び降りてきた人物が、少女を背に庇って立つ。
『邪魔、ヲ、スるナ……』
「え、シザ……!? キャアアア!」
「フルル! ちっ、後ろからもか!」
フルルの足を掴む腕を強引に振り払い、シザはフルルを抱えて屋根の上を飛び跳ねて逃げる。
「フルル! しっかりしろよ!」
「う……」
ぐったりとしたフルルの足に、黒いものがべったりとついていた。
◇
「フルル大丈夫!?」
「り、リアン……?」
ベッドに横たわるフルルの元にリアンが駆け寄る。
「無理はしなくていいからな!」
「平気だよ。ちょっと、体が動かないだけだから……」
「全然大丈夫じゃないだろう!」
「シザ、何があったんだ?」
フルルの頭を撫でてやりながら、リアンは窓際に佇むシザに尋ねる。
「街中で化け物が出た」
「は!?」
「とにかく笛吹いて、フルルを抱えて逃げまわった。マザーが解毒剤を作ってくれているが、もう少し時間がかかるらしい」
「化け物はどうした?」
ディクスが尋ねる。
「さあ? 大樹も把握してるはずだから、誰か退治しに行ってるんじゃないか?」
「フルル、体の調子はどうだ? 痛くないか?」
「大丈夫だって。気にしないで……」
体が動かない。けれど、重さなどは何も感じず、むしろいつもよりも軽いぐらい。体を動かしている感覚はあるのに、見た目が全く動いていないだけなのだ。
「動いているのに動いてない。不思議な感覚だな……」
扉が静かに開く。目だけ動かしてそちらを見れば、思わぬ人物がそこに立っていた。
「お母さん……?」
「いちいち、独り立ちした子供の所までついて行くのはどうかと思ったのだけどね……」
フルルの母親は小さな箱を持ってフルルに近付いて行く。
「貴方達はとりあえず外に出ていなさい。これから薬を塗るのだから」
「はい、お願いします」
リアン達はフルルを心配そうに見つつも、長い付き合いのあるフルルの母親にフルルを任せてゆっくりと部屋を出て行った。
布団を剥がし、体全体に薄く薬を塗っていく。
「……久しぶりだね」
薬を塗る手が触れる感覚は殆どない。けれど、塗られたところから少しずつ感覚が戻っていくような気がした。
「……フルルは昔肌が弱かったからねえ」
どこの大樹にもある、通常の病気を診るための診療所。記憶は殆どおぼろげだが、こうして誰かに薬を塗られていた記憶がかすかに残っている。
「なんだか、昔よりお母さんが小さく見えるな……」
「……そうだね」
机の上に置かれたスマホが音を立てる。
「お友達かな?」
「うん、きっとそう。代わりに取ってもらってもいい? きっと心配してるから……」
母親は薬をタオルで拭ってスマホを取る。見てみれば内容はアカネからのメールで、読みやすく短い心配の言葉が綴られていた。
「きっとすぐに体は動くようになるから、それから返信してあげなさいね」
「うん。ありがとう、お母さん」
耳の中で何かの声が響いていた。
◇
「フルルは元気そうね」
アスターの上でアカネはメールを確認して言う。
『このまま紫を目指すか?』
黄の大樹と紫の大樹はかなり距離が遠い。世界樹を経由していったとしても、外側の大樹である紫まではそこそこの距離がある。
「どうしよう……」
「世界樹まであと少しなのですよ!」
「それはお前の希望だろ! ちょっとはフルルを心配しろ!」
「でも、急いだ方がいいのですよ」
「えっ」
「街中に化け物が出るぐらい、化け物の力が強くなっているのです。だったら、早く化け物の元を探しに行った方がいいのですよ」
「お前、それは本当の事だな?」
キュアは当初から世界樹へ行く事を主張していた。怪しすぎる登場をして、無理やりついてきて。一緒に過ごした中でキュアの性格も掴んでは来たが、コガネは今一つキュアを信じきれずにいた。
「急ぐのですって何でアスターは止まるのですか!?」
『私の主はコガネとアカネとクロの三人だけだ』
その場で旋回を始めたアスターをキュアはぽかぽかと叩く。
『キュアが何と言おうと、私は……』
「私だけでも行くのです!」
「キュア!?」
何を考えたのか、キュアがいきなりアスターから飛び降りる。
「おい、ここはかなりの上空だぞ!」
「しかたない、俺達も行くぞ」
『奴はそう簡単には死なないだろう』
「アスター……?」
アスターは旋回をやめて世界樹の方へ滑り出す。
『奴が無事ならこのまま世界樹へ向かってもいいな?』
「あ、ああ……」
アカネが下を見下ろすが、飛び降りたキュアの姿はもう全く見えなくなっていた。
『奴は自分の性質をよく知る人形だからな……』