01 小さな世界
一見するとファンタジー世界のようで、それでいてどことなく現代日本に似ていた。
きっと私達からずっと遠い世界。きっと私達にとても近い世界。
他人の、自分の幸せな生き方を求めていただけだった。
◇
「はあっはあっはあっ」
息なんかとっくに上がり切っている。それでも黒髪の若者は全く走るスピードを落とさなかった。
「――」
声も無くその後ろを追う巨大な影。びっしりと並んだ蜘蛛のような足が不気味な音を立てて少しずつ距離を詰めていく。獲物を追い詰めていく喜び。大小さまざまな丸い目が喜びに歪んでいく。
若者が急に左に大きく進路を変えた。化け物は若者を逃すまいと、一撃では殺すまいと若者の目の前にカマキリのような鎌を振り下ろす。
「はっ」
小石をまき散らして突き刺さる大きな鎌。逃げ道を失い、若者は足を止め、化け物を振り返った。もう片方の鎌を振り下ろそうとした時、すぐ脇の物陰から大きな衝撃が放たれる。爆発に巻き込まれ崩れゆく化け物の目には、綺麗に笑みを浮かべる若者の姿が映っていた。
◇
まだ見ぬ物を見てみたい。
このスーアと言う世界はそれほど広い世界ではない。ドラゴンに乗って半月ぐらい飛べば世界の果てを一周できてしまうし、そのドラゴンだって割と当たり前に手に入る存在だ。
一本の天まで届く大樹と、そこから各地に分けられたいくつかの大樹。人々は皆大樹の幹の間から生まれ、複雑に入り組んだ構造を持つ大樹の内部を家として育つ。特に大きな大樹は世界樹とも呼ばれ、そこを中心に広がる平らな世界の果ては真っ白な霧に覆われている。神とその眷属たちは彼らを第一世代と呼び、この世界がまだまだ出来たばかりの新しい世界である事を示していた。
神とその眷属を除けば、子供と、せいぜい若者と呼べるような人間しか住んでいない。小さな箱庭のような世界ではあったが、自分の力で遠くまで歩いてみたいと言うのはごく一般的な夢であり、生き方でもあった。
「コッガ兄ー! 朝だぞ起きろー!」
部屋の外から妹の騒がしい声が聞こえてくる。
なんだか、古い夢を見た気がしていた。不安を感じながらも、もっと知りたいと思う不思議な夢。コガネはしばらく布団に丸まっていたが、差し込む朝日と騒々しい声によって眠気は訪れそうにない。いい加減起きるか、と思った時、間近に不穏な声がした。
「コガ兄ー、さっさと起きないとパソコンぶん殴るぞー」
「おい、やめろアカネ」
ベッドの枕元に立つのは肩口ぐらいの温かい朱色の髪を頭の後ろで束ねた快活な茶色の瞳の少女。硬い金属製の籠手と動きやすい革鎧を纏い、この世界に不釣り合いに見えるパソコンのモニターを肩のあたりまで持ち上げていた。
「ったく、毎回毎回性質の悪い冗談で起こすのはやめろよなー」
「えへへー冗談じゃないって知ってるくせにー」
「もっと性質が悪いわ」
同じ茶色の目と目が合うと、アカネはくるくると遊ぶように持っていたモニターを元の場所に戻す。
様々な太さの幹や枝が意図的に伸びたように形作る部屋。彼等には見慣れた当たり前の物だが、魔法的なアイテムやファンタジー的な装備などが置かれている一方で、部屋の中にはいくつもの電化製品も存在する。
外の世界から訪れたと言う神とその眷属によって持ち込まれた不思議な文化だった。
白い雲がぽつぽつと浮かぶ真っ青な青空。その下で南の島にでもありそうな巨木の軽く数倍程度の高さというとても巨大な樹が朝日に照らされて美しい緑色に輝いていた。森と草原が斑に広がる大地に聳え立つそれは、枝の広がりによって更に巨大に見え、まるで周囲の木々が玩具か何かのよう。また、よくよくみてみると80㎝から大きい物で3m程度の太さのつるりと幹の木々が寄り集まってできている事が分かる。
数分後。コガネは金色の髪を整え、ゆったりとしたローブに似た形の民族衣装のような服の上に革製の胸当てや肘当てなどを身につけて、大樹の外に出た。
外ではコガネより二つ年上の少年が暗い色の動きやすさを重視した服を着て待っていた。
「クロ兄お待たせ!」
アカネは先程の格好に加えて、頭に宝珠の嵌った輪、背中と右手には大きな盾と小さな盾をそれぞれ持ち、出てきた勢いそのままにアカネはクロに駆け寄って片手でハイタッチをした。しかし、コガネもなんとかアカネについてきたが、アカネのようにはしゃぐような気力は残っていなかった。
「そんなに慌てる必要もなかったんだぞ?」
黒髪黒目、身軽な黒ずくめの格好のクロが言う。
アカネ達が使った道は梯子や階段のある正規の道ではない。巻き付いた蔓や幹の出っ張り、更に脚力や腕力に物を言わせたアスレチックなコースで、アカネにとっては軽い駆け足程度でも、アカネほどの身軽さのないコガネはところどころ遠回りして全力で走って来たのだった。
「私が早く行きたいの!」
「ダンジョンは逃げないんだからちょっとは落ち着けよ……」
コガネは先に宝珠の嵌った杖を支えにして軽く息を整える。いつもの戦闘を考えれば、コガネの体力的に無茶なルートではなかったはずだが、なんだかとても疲れた気分だった。
今日彼らが目指す目的地は、彼らが住む大樹から歩いて二時間前後の場所にある岩山の頂近くにある洞窟だ。おおよそはこの世界によくある小規模なダンジョンで、さらに遠くを目指す人々が必ず目指す定番でもあった。
「本来であれば、二年も真面目にレベル上げすれば突破できる場所。のんびりレベル上げをしていた3歳年下のフルルは二月前に、ずっと一人で活動している2歳年下のキアですら先日突破してしまった……!」
「仲の良かった年下組が一度に抜けて寂しかったのか」
「今、赤の大樹に残ってるのって、出戻り組と8歳以下の年少組だけだっけ?」
拳を握りしめるアカネを傍目にコガネとクロが好き勝手な事を言う。アカネは両手を突き上げて雄叫びのように宣言した。
「くそー! 極振りの底力見せてやるー!」
「あ、悔しかっただけか」