第19話 選ばせる仕掛け
父は、俺の読んだ言葉を書き終えるまで何も言わなかった。
マルクが紙を机へ置く。そこには、継承核へ加えられた仕組みが記されていた。
遠隔命令を受ける。
この核で職業を選んだ者へ、つながる。
「人を操れるということか」
父の声に、俺は金属の欠片を見た。
そこまでは、書かれていない。
「何を送るのか、まだ分からない」
「なら、分かるところを確かめよう」
父は欠片を動かさず、椅子を寄せた。
俺も座り直す。
誰の命令を受けるのか。
何をするための道なのか。
継路眼へ意識を向けると、文字が増えた。
【追加経路:訓練補助接続】
【実行可能処理:魔力配分への介入】
【受信元:識別情報欠落】
俺は読み上げた。
父が机の上へ置いた手を握る。
「魔力の使い方を、外から変えられる?」
「たぶん。でも、欠片だけだから……」
先を見ようとすると、表示が途切れた。
【詳細照会:継承核本体が必要】
俺は目を離した。
できることの全部を、ここで知ることはできなかった。
*
父はセレスへ返事を書いた。
俺が読んだ内容を添え、競売商会へ核を使わせないよう求めてほしいと伝える。
「職業を選ぶために買うのでしょうから、実演をするかもしれません」
マルクが言った。
父が頷く。
「人で試される前に止めたい」
俺は紙を見た。
便利な設備だと思っていた。
使えば強くなれる。失われた職業も選べる。
そのために、人が集まる。
そこへ別の道がつけ足されているなら、使う本人はどうやって気づくのだろう。
「父様」
「何だ」
「普通の神殿のも、こうなってる?」
「分からん。少なくとも、私はそういう説明を受けたことはない」
父は筆を置いた。
「この核に何がされているかを調べよう。今、全部を疑えば、確かめることが多すぎる」
俺は頷いた。
自分の見える文字にも、読めないところがある。
見えた一行だけで、世界の全部が分かったわけではなかった。
*
翌朝の稽古では、剣を強く振らなかった。
左手の近くへ、小さな水の粒を浮かべる。
右手の練習剣には、細く魔力を通す。
父が俺の前に立った。
「今、剣にはどのくらい送っている?」
「少し。光る棒のときと同じくらい」
「振るときも、その量だ」
俺は頷いた。
昨日、継路眼が教えてくれたことを思い出す。
剣へ出力を集めすぎて、水へ送る分が途切れている。
頭の中に、二本の管を思い描いた。
一方は剣へ。
もう一方は、水へ。
腕に力を入れても、管を太くしない。
流している量を、そのままに。
剣をゆっくり下ろした。
水が揺れる。
落ちない。
俺は途中で止まった。
「続けろ」
父が言った。
剣を戻す。足も戻す。
水の粒は、まだ掌の横にあった。
俺は父を見た。
父は水を見てから、俺へ頷いた。
「今のは、両方とも切れていない」
嬉しくなって、もう一度振ろうとした。
水が落ちた。
父が少し笑った。
「できた瞬間が、一番崩れやすいな」
*
出発までに、三回続けて成功した。
ただし、ゆっくり振るときだけだった。
いつもの速さへ近づけると、腕と一緒に魔力の流れも変わる。
水が小さくなったり、剣から力が抜けたりする。
【実技条件:未達成】
表示は変わらなかった。
それでも、以前とは違う。
何を直すべきか分かっていて、一度はできた。
俺は帳面へ書いた。
速くしても、流す量を変えない。
その横に、父が一行加えた。
姿勢を崩さない。
「魔法に気を取られて、足が揃っていたぞ」
「……分かった」
課題は、一つではなかった。
*
旅には、小さな荷車も出した。
父と俺の荷物に、商会へ見せる写し。食料。予備の外套。
その間へ、俺の練習具と帳面が収まっている。
護衛はガレスと、もう一人。
マルクは領地へ残った。父が不在の間、母と仕事を進める。
門の前で、母が俺の襟を直した。
「気づいたことがあったら、お父様に話すのよ」
「うん」
「先に一人で確かめにいかないこと」
俺は頷いた。
母が肩を軽く叩く。
「帰ったら、町の話を聞かせて」
カイたちも来ていた。
ルナは荷車を覗き、ソラは俺の鞄を見ている。
「練習の棒、持っていくの?」
「一本だけ。残りは、みんなで使って」
「じゃあ、俺のはある?」
「ある」
ソラは安心したように頷いた。
カイが自分の木剣の柄へ触れる。
「帰ってきたら、また見て」
「技能?」
「うん。練習、続けるから」
俺も頷いた。
ルナは父の目が別へ向いたところで、小さく言った。
「面白いもの、見つけたら覚えてきて」
「何がいい?」
「弓。あと、変な魔法」
頼み事まで、ルナらしかった。
*
村を離れると、道は少しずつ広くなった。
荷車の揺れは大きかったが、父の前で馬に乗り続けるより、身体を伸ばせるのは楽だった。
二日目には、石を敷いた道へ入った。
車輪の音が変わる。
俺は荷台から顔を出した。
水の流れる溝が、道の横を続いている。低くなった場所には、石を並べた小さな橋があった。
「こっちは、道がいい」
父が馬を寄せる。
「通る荷車が多いからな」
「うちも石を敷けば?」
「石を運ぶ人と、敷く人が要る。直す人もだ」
父は前を指した。
道の端で、男たちが割れた石を外している。
「作ったあとも、仕事は残る」
「でも、荷車が通りやすくなる」
「ああ。だから、どこから直すかを決めなければならん」
俺は帳面へ、溝と橋の形を描いた。
現代の記憶だけではなく、この世界にも真似できるものがあった。
核を取り戻す旅の途中で、領地へ持ち帰りたいものが増えていく。
*
ヴァルデンの城壁が見えたのは、出発から六日目だった。
道の先に、石の壁が長く続いている。
門の前には荷車の列。
干した魚の匂いがして、知らない言葉が聞こえた。
大きな布包みを担いだ男の横を、華やかな服の女が通っていく。
俺は立ち上がりかけ、ガレスに肩を押さえられた。
「荷車が止まってからです、ユウ様」
座り直す。
それでも、目だけは忙しかった。
ここには、何人暮らしているのだろう。
井戸はいくつあるのか。
食べ物は、どこから来るのか。
門を通ると、通りの向こうでセレスが手を上げていた。
*
彼女は父へ挨拶し、次に俺を見た。
「大きくなったわね」
「五歳になった」
「ええ。手紙を読んだわ」
俺が荷車から下りると、セレスは鞄へ目を向けた。
「帳面、持ってきた?」
「持ってきた。あと、両方一緒に少しできた」
「剣と術?」
「ゆっくりなら」
彼女は嬉しそうに笑った。
「それは見せてもらわなくてはね」
父が隣へ立つ。
「商会の返事は?」
「現物調査を認めたわ。競売前日の午後に、私とあなた、それからユウが入れる」
父の眉が寄った。
「前日まで、まだ何日もある」
「先に予約していた買い手の確認が続くそうよ。今の出品者は、核を使わせずに保管すると約束した」
セレスは人通りへ目を向け、声を落とした。
「識別片の内容も、魔力配分へ干渉する疑いとして伝えた。ただ、現物で確かめるまで、商会は出品を取り消さない」
父は頷いた。
「エドガーには?」
「今夜、会える」
俺は二人を見た。
何日も探していた人に、今夜会う。
*
宿へ着くと、セレスは俺に短い時間だけ休むよう言った。
そのあと、中庭で練習を見てもらった。
水を浮かせ、剣へ力を通す。
ゆっくり振り、戻す。
水は落ちなかった。
セレスが頷く。
「止まったままより、ずっと進んでいるわ。次は、動作の前後も同じ流れにする」
「前後?」
「振る前に力を入れ直しているでしょう。そこも乱れの一つね」
言われて、剣を握る手を見た。
振ると決めた瞬間、指へ力が入っていた。
父とセレスが並んでいる。
剣と魔法の両方を、その場で見てもらえる。
俺は帳面を開いた。
新しい頁へ書こうとすると、セレスが身を屈める。
「私の技能も、知りたいのだったわね」
手紙に書いていた。
俺は顔を上げる。
「見ていい?」
「ええ。今日は、主要なものだけにしておきましょう」
意識を向ける。
【セレス・ヴァルナ】
【個人レベル:36】
【職業:魔導士】
【魔力:684/720】
【火魔法:7】
【水魔法:8】
【風魔法:7】
【土魔法:6】
【魔力制御:9】
【治癒魔法:3】
読み終えてから、俺はもう一度魔力量を見た。
「七百二十」
「昔から魔法をよく使っていたから。それに、職業とレベルも育っている」
水魔法八。
制御九。
俺の水を軽々と保ち、三つに分けて飛ばした人。
数字と、見てきたものがつながった。
「まだ、上がある?」
「あるわ」
返事は、迷いなく来た。
「私も、次に進む条件を探しているところ」
俺はセレスを見た。
教える側の人にも、まだ知りたい道がある。
そう思うと、自分の帳面が少し広くなった気がした。
*
エドガーが来たのは、宿の食堂が静かになったあとだった。
痩せた男で、左の指が二本、短くなっている。
父の顔を見ると、戸口で止まった。
「レインフォード卿」
父は席を指した。
「座れ」
男が座る。
俺は父の隣にいた。セレスは向かいで、金属の識別片を布の上へ置いた。
エドガーの目が、そこへ落ちる。
「読めたのですか」
「一部は」
セレスが答えた。
「魔力配分へ介入する経路があった。誰が加えたの?」
男は唇を結んだ。
しばらくして、左手を机の下へ隠す。
「私です」
父は動かなかった。
俺は布の上の欠片を見た。
「何のために」
父が聞く。
エドガーはセレスではなく、父へ答えた。
「訓練を補助するためだと。未熟な者の魔力を外から整えれば、習得が速くなると説明されました」
「説明したのは誰だ」
「出資者です。核を調べる金も、設備も用意した」
セレスが静かに言った。
「それで、途中から何が変わったの?」
エドガーは、しばらく答えなかった。
「止める命令を、試しました」
俺は顔を上げた。
「術を?」
「……魔力の流れを」
男の喉が動く。
「本人が続けようとしても、止まりました」
食堂の奥で、誰かが皿を重ねた。
その音だけが、妙に大きく聞こえた。
「そこで、改変を外そうとした。しかし、工房から追い出されました。核も、記録も、私の手には戻らなかった」
エドガーは識別片へ目を落とした。
「これだけ、残したのです」
*
父が問いかけた。
「出資者は、今も核を持っているのか」
「売る側にいます」
「名は」
エドガーは袖から、小さな紙を出した。
競売商会の封がある。
「出品者の代理人として、今日も商会にいました」
父が紙を受け取る。
セレスが隣から見る。
俺は、エドガーの顔を見ていた。
継路眼に映る技能より、今はその人の言葉を聞きたかった。
「その人、職業を選んだ人を、止めたいの?」
エドガーが俺を見る。
初めて、ちゃんと目が合った。
「止められる相手を、増やしたいのでしょう」
俺は手を握った。
カイが、畑を守れるようになりたいと言ったことを思い出す。
ソラが、魔物を早く見つけたいと言ったことも。
強くなりたい人が、自分で選ぶ。
そのあとで、知らない誰かに止められる。
父が紙を机へ置いた。
「この代理人は、南の伯爵家とつながっているのか」
「それは分かりません」
エドガーは首を振った。
「ただ、伯爵家が買うことは、もう決まっているような話し方をしていました」
セレスの眉が動いた。
「競売なのに?」
「ええ」
父が、俺の前にあった杯を少し寄せた。
考えるときの、いつもの動きだった。
「では、競り合う前に確かめることがあるな」
そのとき、食堂の戸が開いた。
宿の主人が入り、父へ封書を差し出す。
「商会からです。先ほど、届けるようにと」
父が封を切った。
読んでいる途中で、表情が変わる。
セレスが聞いた。
「何が?」
「現物調査の日時が変わった」
父は紙を机へ置いた。
翌朝。
日が昇って、一刻後。
時間が早まったのは、助かったようにも思えた。
だが、その下に、一行が加わっていた。
『調査には、ハーゼン伯爵家代理人も同席いたします』
俺たちが核を調べるところを、買おうとしている相手が見る。
セレスは識別片を布で包んだ。
父はエドガーへ顔を向ける。
「今夜は、この宿に残れ」
男が頷いた。
俺は明日の予定を書こうとして、筆を止めた。
核を見せてもらうだけでは、済まなくなりそうだった。




