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第五部⑤《このときツグミはすでに詰んでいた》

「今日はご迷惑をおかけしまして本当に申し訳ございませんでした。なのに、その上、厚揚げまで戴いてしまって……」


「いいのよぉ〜いいのよぉ〜、あんまり気にしないでっ」


「クルミも、今日はごめんなさい。頭の傷、早く治るといいね」


「ううん、ありがとうね」


「じゃあこれで、失礼致します」


玄関前で何度もペコペコと頭を下げ続けるツグミ。きっとこれが「誠意」ってやつの表現の仕方なのだろうと、クルミは素直に受け止めた。(頭を下げれば問題は済むの?)などといったヒネクレたことを考える気にはなれなかった。


「……ツグミちゃん、ちょっと待って。ほら、クルミ、ちゃんとマンションの下まで送って行ってあげなさい」


「は?どうして?エレベーター くらい一人で乗れると思うけど?」


「どうしてって、どうしてもよ。さっ、いってらっしゃい」


「はぁ」


クルミには母親の言っていることがイマイチ理解できない。クエスチョンマークを浮かべながらもツグミと一緒に玄関を出た。そういう子なのである。


「わけがわからないの」


「まあまあ、これもひとつの形式みたいなものじゃないかなぁ」


「あたしにはたぶん一生理解できないの」


「じゃあこういうのはどう?お母さんは、私とクルミが二人きりでさよならの挨拶をする場面を作ってくれた、っていうのは?」


「それならちょっと理解できる、ような気がする」


「クルミ」


「なぁに」


「今まで色々ごめんね。たぶん私、焦ってた。立派になろうと無理してるつらさをクルミにぶつけてた。『どうして私はこんなに頑張ってるのに、どうしてこの子はこんなにだらしないんだろう』って勝手なイライラをぶつけてた。ダメだよね。表ではみんなと上手くやってるフリして、裏でクルミを踏み躙ってるようじゃ、本当のほんとうにダメだよね」


「ううん。ダメっていうなら普段のあたしのほうがダメダメなの。周囲が腹が立つのも仕方がないって思ったりもしちゃうの。でも、それでも、ちょっとでもダメな自分を変えたいって思ってるのも事実だから、できればあんまりイジメないでほしいの。それだけなの。あたしがさっき言ったのはそういうこと」


廊下を通ってエレベーターに乗り込み1階に降りるまで。


その短い時間に交わした言葉は、今日の暴飲暴食にも似たギトギトした言葉の応酬を、スッキリとした調和点へと導いた。


なるほど、これが母の「はからい」というやつであるのならば、やっぱりオトナってやつはすごいし、形式的な物事にも何かしらの意味はあるのだろう。


クルミは何でもかんでも否定から入る自分をちょっとだけ恥じた。そして、もっと恥じるべき事件を突発的に思い出した。


「ど、ど、どうしよう。あたし、今、すっごく恥ずかしい」


「なんで?」


「なんでって、なんでって、ツグミちゃんの前であんな、ヒステリックに発狂しちゃって、涙なんて流しちゃって、」


「いいじゃん。ああいうの嫌いじゃないよ?だって私って根っからの体育会系だし人の涙なんて何度も見てきたよ?」


「嫌なのぉ!できれば記憶から抹消してほしいのぉ!」


内面をあくまで隠し通したい種類の人間にとっては、これ以上の羞恥はない。うっかりさらけ出してしまった心の奥底。衣服がハラハラと落ちて自分の裸体をあますことなく見られてしまったようなものである。


「落ち着いてクルミ!私たちはあの憧れの魔法少女なんだよ!お互いに思いっきり本音でぶつかり合うような神回を何度も見てきたでしょ?」


「超見てきたけどぉ!それでもぉ!」


「だったら、ああいうふうになろうよ。私だってイライラからキラキラになってみせるんだから!」


これには思わず圧倒されてしまった。


クルミから吐き出されるネガティブな色を、自身の魔法少女愛で上から塗り潰す、ツグミの力技。


何より、その無邪気な笑顔がクルミは大好きで、「バイバイ!」と振られる手に数秒遅れてブンブンと振り返した。


「ツグミちゃ〜ん!学校で言いふらしたら殺害するからね!」


「別れ際に殺害予告とか、アンタ頭おかしい!」





普段、クルミの部屋に友達は来ない。

クルミには友達がいないからだ。


そんなひとりぼっち空間に誰かを迎え入れたのは、ほとんど初めてではないだろうか。ツグミが帰った後もソワソワして落ち着かないのは、どこか他人の気配が残っているような気がするから。


寝支度を終え、明かりを落とし、ベッドにもぐり込んでも、先ほどの熱がドクドクと脈打ってる感じがして、なかなか冷めやらないのだ。


疲労感を伴った充実感。クルミは窓に向かって腕を伸ばし、真ん丸の満月に手をかざした。


「ポジルン、起きてる?」


「起きてるよぅ」


「なんだか不思議。あたしツグミちゃんのこと、昨日まであれほど大嫌いだったのに、今はこんなにも大好きになってるの。まるでオセロがひっくり返るみたいにクルクル入れ替わっていいのかな。正反対になっちゃったあたしに、自分で戸惑ってる」


「たぶん、ひっくり返ったのはツグミのほうかもね。誰だってそうだけど人には色んな面があるんだ。今まできみたちはお互いに一番悪い面だけを見せあっていたんじゃないかな。それが今回の事件をキッカケで見える角度がちょっと変わって、二人の良い面がピッタリと合わさったのかもしれないよぅ」


「他人って不思議」


「ぼくだってクルミの色んな面を見てきたよぅ。憶えてるかい?初めて出会ったときは予想外のリアクションをしてぼくを驚かせた。人の話を聞いてないクセに分かったようなフリをしてぼくを不安にさせた。いきなり口調が変わるくらいブチ切れてぼくを脅した」


「ちょっと待ってポジルン。あたしの悪い面ばかりピックアップするの、やめて?」


「でも、そんなクルミは魔法少女になると意外にも活躍してくれて、ぼくを安心させたんだ」


「えへっ♪」


「他人って不思議って言うなら、クルミだってぼくにとっては不思議な存在さ。きっとツグミも、今までに無いクルミの表情を見て同じ感想を抱いているかもしれないよぅ」


「そうなのかな」


「そういうものだと思うよぅ」


月明かりがやたらと白く眩しく見える夜だった。


暗黒に塗りつぶされたと思い込んでいた人生すらも明るく照らしてくれそうなほどに。


「ひょっとしたら、悪人なんていないのかもしれないの」


「それは言い過ぎじゃない?」


「ううん、そう思うだけで、世の中って、ちょっとだけキラキラして見える気がするの」


「まあ、たしかに、嫌な人にも素敵な一面を見付けることができるかもね」


「それ!まさにそれ!そういうふうに信じるだけできっと世界はあたしの目に違って映るの!あの月はあたしたちに光り輝く面ばかりを見せてくれる。そんなふうにあたしはなりたいの!」


「極端なのはやめたほうがいいよぅ」


「厚揚げもお茶と組み合わせると悪い面しか見えないの」


「うん?」


「でも、醤油や鰹節や生姜の前だと良い面が見えるの」


「あのさ、無理に厚揚げ使ってまとめなくていいだよぅ?テキトーなこと言ってないでさっさと寝なよぅ」


「ちぇ、そうする」


希望を胸一杯に眠る夜がこれほどまでに心地良いとは。

クルミは、明日からの学校生活に一筋の光を見た。


こうなると過去の恨み言を抜きとして新たな一歩を踏み出せるような気さえするではないか。待ち遠しい明日を迎えに行くのはいつぶりだろうか。



だが、このときクルミは気付いていなかった。



———里奈ツグミはすべてにおいて『本音』を語っていただろうか?

本心に見せかけた『フェイク』を掴ませてはいないだろうか?


この騒動は終わったわけではなく、むしろ始まりに過ぎない。


クルミの参加していないクラスのグループ内では、暗闇に光る液晶の中で、まるでオセロがパタパタと音を立てるように次々と事態がひっくり返っているのだ。


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