第五十四週 前向きな心で預かってしまった!(水曜日)
今どき日記というのはペンで書かなくてもいいわけだけど、なんであたしがわざわざペンでノートに書きつけているのかといえば……それは「かさばり」を見たいからだと思う。
単純な紙の重なり。
ペンで紙幅をうめていく感覚。
文字一つ一つについてもスタンプを押しているんじゃなくて、始筆からペン先を運んでかたちを成していく。
同じ文字でもかたちは違う。
途切れたり、崩れたり、膨らんだりする。
文字のかたちは単なる文字配列を超えて情報を届ける。「このときわたしは眠かったから線がガタガタだなー」とか「ここの『ん』の最後盛り上がりすぎてるけど、これ書いてるときそういえばめっちゃテンション高かったっけ」とか思い出す。
そういういびつな情報のかさばりを直感的に捉えたいからノートにしている。
で、こんしまちゃんがこの記録の代筆を始めたとき、あたしのかさばりの下にこんしまちゃんのかさばりが加わるわけで。
あたしが自分のことを他人みたいに書くように、こんしまちゃんも自分のことを他人みたいに書くだろう。だから文字列上はあんまり変わんないだろう。
でも筆跡を見れば、一発で別人が書いていると分かるはずだ。
こんしまちゃんの字は丸っこさと丁寧さを両立させた感じで、あたしの字は無理に躍っているような筆致。
あ、別にわたしの筆跡はマネしなくていいよ、こんしまちゃん。
むしろあなたの字を見せて。
まあ今回まではあたしが書くんだけどねー。
※ ※ ♢ ※ ※ ※ ※
水曜日、放課後、病院にて。
矢良さんはベッドに横たわったまま、薄い赤や青で満たされたメチャクチャな視界越しにこんしまちゃんを見ていた。
それでも、ウェーブのかかったくせ毛はすぐ分かる……!
「こんしまちゃん、お見舞いありがと」
「今のわたしは『今週のみまったちゃん』……こんみまちゃんだからね」
輪郭は分かるけど、おそらく笑ったであろう表情は読み取れない。
「矢良さんに聞いてほしいんだ……きょうは鵜狩くんとね……」
「ごめん、こんしまちゃん」
彼女の彼氏の話は聞けなかった。
いつものように耳をかたむけたら、切り出しにくくなってしまうから。
「あたしから言いたいことがある」
「分かった、聞かせて……」
穏やかで落ち着く声をまるで吐息のように出しながら、イスをベッドに寄せるこんしまちゃん……っ!
頭の重さを感じつつ、矢良さんは切り出す。
「しばらく、あたし学校に行けない。長期入院する」
「そう……さびしくなっちゃうね」
ずっと覚悟していたのだろう。
気づかう語調ではあったけれど、驚きはあまり含まれていなかった。
「いつまでも待ってるよ……。安心して体を大切にして……また矢良さんの元気な姿を見せてね……」
「もちろんだよっ」
なんかしんみりさせてしまった気がしたので、語尾に小さな「っ」をつける感じで話してみる。いつもみたいに演じてみる。
「まあ死ぬのは数パーセントだしっ、なんとかなるんじゃないかなっ。でもやっぱり死ぬかもしれないことについてはみんなに内緒にしててねっ」
「うん……そうする。立合先生にもそう言ってるんだよね……?」
「そだよんっ。まあ治るのが遅くなったら留年とかもありえるらしいんだけどっ。正直、今のあたし勉強できる状況にないからさっ。といってもまだ人との会話はラクだしむしろ話しているほうがラクチンだからこんしまちゃんが来てくれたのはうれしいけどっ」
「わたしも矢良さんと話せるの、とってもうれしいよ……なにか、みんなに伝言はあるかな……?」
「たいしたことじゃないから心配しないでって伝えといて。とくに佳代子ちゃんには『ごめんね』って……」
「うけたまわったよ……じゃあ飯吉くんに伝言はある……?」
「ないよ。そもそも庚くん、すでにわたしの状況知ってるし」
思わず小さな「っ」をつけるのも忘れてぶっきらぼうに言ってしまった。やらかした。
「ただ、学校に復帰できるのがいつになるかは不明なんだよね~。もしかしたら、あしたケロケロッと治って長期入院の話はなくなるかもしんないし、今年中に登校できるようになる可能性もあるし、それが来年以降にずれ込むおそれもある。もしくは老少不定なんとやらって言うし、結局学校にも戻れずポックリ死んだりしてっ」
「……やだ」
なにか、滴が散った気がする。
「矢良さんがいなくなるの……やだよ……」
「……ごめん、こんしまちゃん」
またやらかしたと反省し、言葉を継ぐ矢良さん。
「今のは冗談……いや、あたしが不安だからそれをごまかそうとしたの」
「わたしこそ……ごめんね。矢良さんの気持ちも考えず一方的に感情を押しつけて……」
「そんなことないよ、うれしい。こんしまちゃんがいてくれて、よかったと思う」
本心だ。こんしまちゃんがそばにいて、救われていると思う。
こんしまちゃんに自分のいる病院を教えたのは矢良さん自身。
もとはこんしまちゃんのきたないところが見たくて病気のこととかを明かしたんだけど、それがきっかけで二人は友達になった。
とっさに矢良さんは話題を変える……ッ!
「そういえば、これ……なにか分かる? 直接見せるのは初めてだったよね?」
矢良さんは枕の下からノートを数冊引っ張り出した。
「わりと厚めのノートを使っているんだけど……さすがに五十週以上の記録となると一冊じゃ無理だったっ!」
「あ……っ、もしかして『今週のしまったちゃん』ノートの現物……?」
表紙には「今週のしまったちゃん第一巻」とか書かれている……!
「こ、こんなに書いてたんだ……すごいね、矢良さん……っ」
「すごいでしょー。今までは最重要機密として家の部屋にしまってたんだー。でもあたし、しばらくは記録も無理そうなんで、こないだ約束したとおりこんしまちゃんに代筆頼まなきゃなんだよっ。引き継ぎのために中身見て見てっ」
「拝見するね……」
目元をぬぐい、パラパラ……ッとノートをめくるこんしまちゃん。
すべてのノートの中身にざっと目を通し、感嘆の息を漏らす……っ!
「丁寧……! クラスメイトのみんなのことも伝わるし、今週のしまったカウントもずっと続いているし、ポニーテールみたいな三点リーダーとビックリマークも頻出するし……! まさにこれを書いた人が――矢良さんがここにいるんだって分かるよ……」
「そ、そう……? そこまで褒められちゃうと照れるなっ」
「わたしも矢良さんみたいに書くね……っ」
「ありがたいけど無理はしなくていいから。文章量は最近のヤツを参考にして。なんか途中めっちゃ長いよね。でもそこまでやんなくていいよ。なんなら一行でもいいって感じ。やり方は、こんしまちゃんの好きにしてほしい。というか別に続けなくてもわたしはこんしまちゃんを恨んだりしないし」
「心配は要らない……」
右こぶしで胸をたたくこんしまちゃん……!
「絶対に投げ出さないから……」
「ありがとっ。ただ」
「……ただ?」
「頼もしいけどさ、こんしまちゃんって日記とか三日すらもたないって話してたよね。あたしが代筆頼んだときはそのこと忘れてたよっ」
「しまった……そうだったね……不安になってきた」
こぶしを下ろし、うつむいた。
「もちろんわたしはやりとげるつもりだけど念には念を……なんか続けるコツとかある……?」
「うーん、そうだねえ」
無理して続けなくていいとか、一週間に一回のペースなんだから意外と大変じゃないとか、ちゃんと書かなかったら約束のイラストはなしとか……そういうことを言おうとも思った矢良さんだったが、ここはもっとまじめに答えてみる。
「やらなきゃ死刑ってわけでもないし、だれかに見せるわけじゃない……そんななかでモチベを保つコツは……あれだね、『今週のしまったカウント』を意識することかなっ」
「各週の最後にカウントしてる累計しまった回数だね……」
「そうだよー。でさ、一回でも記録をやめると、このこんしまカウントがストップするわけじゃん? もし再開しても何週間かあいたらそのぶんのカウントが抜けて正確な集計ができなくなる」
「モヤっちゃうね……」
「だから『一回でも休むとカウントが機能しなくなるぞ。最終的にどこまでカウントが進むのか正確な数字を見たくないか』って自分に言い聞かせるわけ。これがモチベになる」
「確かに最終的なカウントはわたし自身も気になる……それを考えるとやる気がむらむらと湧くね……っ」
こんしまちゃんが優しく矢良さんの手を取る。
「アドバイスありがとう……けどわたし、やっぱり続けられるか分かんないから……なるべく早く戻ってきてね……そのとき矢良さんに筆とノートを返すよ」
「がんばる。それまで任せるからね」
矢良さんは理解していた。
続けられるか分からない――これはほとんどウソの言葉だ。
実際のこんしまちゃんは本気で続けるつもりでいる。
でも矢良さんに元気になってほしいから、本人が戻ってくる理由を一つでも多く作ろうとしている。
手のぬくもりを感じた矢良さんは、かすれた声で言葉を継ぐ。
「こんしまちゃん」
「なに……?」
矢良さんの手を握ったまま、やわらかく先を促すこんしまちゃん。
ベッドに横たわった矢良さんの視界がさらにメチャクチャにうるみ、ゆがんだ。
「あたし、まだ死にたくない」
あいづちの代わりに、こんしまちゃんの手の温度が返ってくる。
「怖い」
手に力を加え、矢良さんはこんしまちゃんの手を逆につかむ。
「青や赤が視界にもやのようにかかってお父さんやお母さんや先生やこんしまちゃんの表情も分からないし、ずうっと吐き気がするし、脳みそグジュグジュになっている感覚があるのに重たいし、体のあちこちが腫れてパンパンだし、なにより普通に生きていられるこんしまちゃんたちのことをズルいって思っちゃう……これが一番やだ……」
しかしあまり力が入らず、弱々しく引っ張ることしかできなかった。
「ああもう、くっだらない不幸自慢とか勘弁してくれって話だよね。あたしは本当は幸せだよ。こんしまちゃんとお弁当を分け合ったことも、佳代子ちゃんと冷鉱泉で距離を縮め合ったことも、鵜狩くんちで勉強し合ったことも、クラスメイトのみんなと体育館で大豆ボールを投げ合ったことも、文化祭でこんしまちゃんと佳代子ちゃんの似顔絵をかかせてもらったこともやったかババ抜きもトナカイ落札ゲームも四人将棋も人狼ゲームも楽しかった……ほかにも、ほかにもっ」
熱いものが目から生じる。
けれどそれによって視界に青が増えた。
「庚くんだってこの先ちゃんとやっていけるか心配。だからこのまま死にたくない。またみんなと……元気に楽しく過ごしたいんだ……」
「だいじょうぶ、きっとだいじょうぶ……」
気休めや祈り――というよりは確信しているようにこんしまちゃんが優しく言った。
「矢良さん……みくりちゃん」
紺島みどりという名前の一字違いでもある名前を口にした。
普段は矢良さん呼びのほうがしっくりくるっぽいけれど、今はちょっと違うみたいだ。
「わたしもみくりちゃんと一緒だと、とっても楽しいよ……ポニーテールがゆれるところが素敵……明るさを忘れないところも好き……アヤメちゃんにもみんなにも優しくて友達思いなところも……ちゃんとした考えも持っているところも……。とくに数学の集合で自己分析ができる友達はみくりちゃんしかいないよ……わたしはずっと、なにがあっても、そんな素敵なみくりちゃんの友達だよ……」
「こんしまちゃん……」
手を引っ張り返すのをやめ、矢良さんはつぶやく。
「代筆以外で、もう一つ約束してくれないかな」
「約束したよ……」
「まだなにも言ってないって」
「そうだね……」
こういうときに限って「しまった」と言わない。
それを思うと、矢良さんの気持ちが少しほぐれた。
「わたしがいないあいだも、こんしまちゃんは楽しく、前向きにみんなと過ごして。無意味に悲しい表情にならないで。記録も陰鬱な感じにしないで。前に確認したとおり、マジメなのかふざけているのか分からない感じで書いてほしい。あたしに遠慮しないで。自分でも勝手だと思うけど、あたしはこんしまちゃんが日記を投げ出してもいいとは思ってる。でも――」
のどの奥から、震える声を絞り出す。
「あたしに遠慮して悲しい気分で居続けるのだけは許さない。もちろん鵜狩くんともあまあまなままでいて。日記を見返したとき、あたしを明るい気分にさせてよ。そうじゃなかったら元気になるなりポニテでビンタしたげるからっ!」
「みくりちゃん……分かった、約束……!」
こんしまちゃん、快諾……ッ!
「日記も前向きで明るい内容にする……! 近いうちに冷鉱泉にもまたアヤメちゃんと行くからね……遠慮なく。みくりちゃんが絶対に回復するって信じているから」
「ならよしだねっ。ノートは託すよ」
「任せて……」
今週のしまったちゃんノート数冊を受け取り、こんしまちゃんはひざに重ねた。
ただし今回の記録が残っているので、この話が載っているノートに関してはわたしのペンがすべてを書いてから渡すことになる。
うつ伏せになり、枕に置いたノートに顔を近づけて文字をしるした。
さて、五十回以上休まずやってきたけれど、あたし・矢良みくりの筆跡はいったんここまでだ。
また帰ってくるそのときまで――。
こんしまちゃん、頼んだよっ!
※ ※ ♢ ※ ※ ※ ※
☆今週のしまったカウント:一回(累計二百二十七回)
※ ※ ♢ ※ ※ ※ ※
うん、分かったよ。みくりちゃんがこのサブタイトルにしたわけも。
わたしが前向きな心で預かるから、安心してね。
それまで書き終えたノートはわたしの部屋に、みくりちゃんの言葉はわたしの胸にしまっておくよ。
次回「第五十五週 心配されてしまった!(木曜日)」に続く!(六月二十六日(金)十九時から二十三時五十九分のあいだに更新)
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それにしても同じ内容だとしても手書きの文章でしか伝えられない思いもあるのかもしれませんね~。




