グラウンドゼロの遺恨
東アメリカ全体主義共和国にて
ニューヨークと聞けば、摩天楼の下をスーツ姿のビジネスマンが闊歩する街を想像する。
そう一般的に想像されていたのは、ここに原子爆弾が落とされる前までだった。
「ご覧下さい、セントパトリック大聖堂です。1945年8月6日に人類初の核攻撃が行われ、約20万人が蒸発しました」
ツアーガイドの解説を、団体客の後ろで聴く3人のイタリア人は、大聖堂を見上げていた。
「大聖堂は崩落の危険性があり、取り壊される予定でした」
「戦争の記憶と、アメリカの罪を記録する為に1963年に保全工事が行われています」
歴史は勝者が作るって言葉は、敗戦国に居るほど身に染みる。
一概には言えないが、負けた側ってのは大抵悲惨な末路を辿る。
ヨーロッパからユダヤ人が消え、東海岸からは有色人種の人権が消えた。
「観光は終わりだ、仕事に掛かるぞ」
ヴィシーで入手した情報には、エネルギー企業ムーランと、東アメリカとの秘匿通信の内容が記録されていた。
オロンジュブルートの正体は、未知の新元素だった。
色々用途が研究されていたが、石油の代用としての価値が見込まれていたらしい。
わざわざ秘匿通信を使ってやり取りしているのも、ドイツにこの物質の存在が知られないようにする為だろう。
東アメリカとヴィシーフランスは、1970年代に発生したエルサレム危機による石油価格の高騰で、地獄を見ている。
従属国に配分される筈であった石油を、ドイツが全て掠め取った結果だった。
2ヶ国のこうした背景を考えれば、他国に頼らないエネルギー資源の確保を画策するのは、当然とも言えた。
だが何故、そんな物が伊兵の肺の中から見付かったのか、理由が分からない。
複雑な事情が絡んでいるが、まだ情報が足りない。
「打ち合わせ通りやれよ」
ニューヨークで2番目に高い建造物である、アメリカナチス党本部ビルへ入る。
因みに1番目はツインタワーだ。
ナチスによるアメリカ支配を印象付けさせる為に、原爆で瓦礫と化したニューヨークに敢えて建てたのだ。
「イタリアファシスト党のカルロです。党議長にお話があります」
「アポは取っていますか?」
なんてこった、そこらの女優よりも綺麗な顔の受付係ばかり揃えてやがる。
羨む気持ちを横に置き、用意していた通りに話を進める。
「いえ、ですが緊急の要件が」
受付はすんなり電話を取ってくれた。
アポ無しでも緊急だとか何とか言っとけば、話は通してくれる。
「議長、イタリアファシスト党のカルロ様が……緊急だそうです」
「57階のオフィスで議長がお待ちです」
3人仲良くエレベータに乗り、上階へと上がる。
「テンテテン♪テンテテン♪テテテン♪テテテラテラテン♪」
「………………」
「………………」
「………………」
「この流れてるBGMってフリー音源なのか?」
「…………さぁ」
「テテテン♪」
「「「……………」」」
「57階です」
エレベータに乗ってる間の何となく気まずい時間が過ぎ、オフィスに到着した。
「カルロ様ですね、議長は忙しいので5分でお願いします」
扉が開くと、議長の秘書が待ち構えていた。
「お連れの方もご一緒ですか?」
「いや、俺達は外で待ってる」
カルロと秘書がオフィスに入るのを横目で眺め、扉が閉まった瞬間に非常階段へと走った。
「急げ急げ!5分だぞ!」
扉には電子ロックが掛けられていたが、ハイテクを崩すのは、いつだってローテクだ。
鉄と鉛の二重構造の対爆扉に、後付けされた電子ロック錠が、突破の鍵だった。
マイナスドライバーを電子錠の隙間に差し込み、テコの原理で剥ぎ取った。
扉自体は政治家の面並に分厚く頑丈であるが、鍵はお粗末な物だった。
「ガチャンって音がするぜ」
エラルドの言う通り、鍵が外れる音がした。
40秒!10秒の遅れだ。
この階層に監視カメラは付いていない。
こんな場所に予算など付きやしないからだ。
「こんなに簡単とはな」
「女と一緒さ、家に入ればこっちのもんだよ」
無人の廊下を突っ走り、鍵付きの鍵の掛かってないドアノブを捻った。
そこに広がるのは、ビルの階層丸ごとが物置と化した場所だった。
「家に入れば……なんだっけ?」
「うるせえ、前戯が必要なんだよ」
1958年から保管されてきた紙の資料が、山のように並べられている。
「ドイツ人はなんで、こんな高層階に保管庫なんて造ったんだ?クソ!」
「ソーセージ共の考えてることなんて知るかよ、さっさと探せ!」
埃被った段ボールを開き、中の資料を確認してゆく。
セルジョは長年、ハウスダストアレルギーを患っていたから、良く分かっていた。
明日はティッシュが同僚になると。
「何処にもないぞ!」
「探してるのは半世紀前のもんだぞ、番号が古いのから探せよ!」
ドイツ人の良いところは、例え死蔵していても、番号順に振り分けられた資料をいつだって保管していることだ。
役人じゃない、党の腐った連中でもだ。
「見つけた!あった!絶滅幇助計画、こいつだ!」
「急ごう、もう7分経ってる!」
紙の束をズボンの中に隠し、廊下を駆け抜け、外した電子錠を瞬間接着剤でくっ付けて、階段を駆け上がる。
57階に辿り着くと同時に、オフィスからカルロと議長が出て来た。
「いやそれはサメでしたよ、間違いない」
「タコにしときましょう、そっちの方が面白い」
談笑する2人の姿に、エラルドとセルジョは顔を見合せる。
「どうしたお前ら、そんな息を上がらせて?」
カルロは何か上手い嘘を言えと、目で訴えかける。
「う、腕立て伏せの競争をしてたんだ」
「どっちが勝った?」
「これから分かる」
ロサンゼルス駐屯地にて
「あいつらは銃剣で俺達を突き刺そうとした!きっと笑ってた!」
昔母親に言われたことがある。
テレビばかり観てると、頭が悪くなる。
ある意味、それは正しかったかもしれない。
本当にデモに参加してたかも分からぬ若者を捕まえ、記憶の怪しい言葉を頼りに、報道という形にしてるのだ。
銃剣は確かに雑踏警備に役立ちはしたが、メディアから叩かれる材料にもなった。
「このような威圧感やり方を我々は許しません!」
「誰が許して貰おうなんて言った」
娯楽室に置かれたテレビからは、司会者と気取ったネックレスを着けたコメンテーターが、したり顔で政府批判に明け暮れていた。
身振り手振りで大袈裟に話す様子と、翻訳された音声が共演して、だんだんムカついてきた。
「昨日から広報が忙しそうだった、苦情のメールと電話で」
「皆テレビでご意見番気取りさ、殴られてもないのに痛がってやがる」
銃剣で刺し殺された奴が居た訳でもないのに、威圧的だの何だの騒ぐもんだから、上が警備での銃剣禁止を決めた。
そしたら馬鹿小隊長が、俺に責任を取らせるような事をするな、と怒鳴り散らしていた。
「火炎瓶と硫酸の攻撃を受けてみろって話だよ」
石原は時計の針が14を指していることに気が付き、ソファから立ち上がる。
「チキンを取りに行って来る」
「んあ、もうそんな時間か?面倒だよな、売店以外も中に建ててくれりゃいいのに」
確かに、いちいち基地の外に出る度に、身分証やら手荷物検査させられるのは面倒だった。
「駐屯地はデパートではないって言われるのがオチだよ」
週1で行われる分隊じゃんけんで負けた石原は、駐屯地近くの料理店へ繰り出して行った。
ドイツ外相が帰国して3日しか経っていなかったが、駐屯地の周りは意外なほど静かだった。
ついこの間のデモに参加していた半数以上は、騒ぎに乗じて、暴れ回っていただけの群衆だった。
警察当局のローラー作戦が展開されると、目的を持たぬ半数は、逮捕を恐れバラバラになって、デモ隊から市民に戻って行った。
AUSに所属する学生や、危険物を所持する熱心な過激派は、逮捕されてしまった。
憤怒の炎は一瞬にして燃え広がるが、燃え尽きるのも、一瞬だということなのだろう。
「いらっしゃい、ご注文は?」
「あーいや、予約してたイシハラです」
「ごめんなさい、オーブンの調子悪くて、まだ焼き上がってないの」
カウンターに立つウェイトレスは、あと20分待ってと言った。
「しょうがない、臆病者みたいに隅っこで待つか」
年季の入った傷と凹みだらけのテーブル席で、携帯を弄っていると、目の前に誰かが座った。
「名前は決めてくれた?」
顔を見上げると、カメラマンの女が笑みを浮かべていた。
この間会った時とは、まるで雰囲気が違い、枯れ草みたいに顔が萎れていた。
「何があったんだ?」
腕に包帯やら湿布を巻き付けた姿から察するに、一つ修羅場をくぐったようだ。
「パシフィックホテルのデモあったでしょ、あれの取材やってたの」
「俺も居たよ、逆風で催涙弾の煙が吹き付けて大変だった」
「カメラ回してたら、私服警官と間違われてリンチされかけた」
「よく無事で済んだな」
「唐辛子スプレーが役に立った」
彼女はメニューを上から順番に注文し、頬杖を突いて、店内の客を眺める。
肥満体型の白人男が、ダイエットコーラとフライドチキン&ポテトを頼んでいた。
「最近の貧困層ってのは、太ってるのが多いらしいよ」
野菜や魚といった生鮮食品は、高い上に調理に時間が掛かる。
所得が低い状況では、仕事の時間を増やして、少しでも節約しなければならない。
そうなると、出来合いの物で値段が安く、量の多い炭水化物が中心の食生活になる。
夜遅くまで仕事をして、疲れているのに、調理をする余裕なんてない。
だから貧困層の肥満率が増加している。
「飽食の時代ならではだな」
「ちょっと調べたら、分かることは多いけど、今の世の中それほど余裕がある人間はいない」
「だから君のような人間が必要だって話か?」
「そゆこと、こんなことになってもね」
彼女は山のように運ばれてきた料理を、片っ端から食っていく。
枯れてても、食欲は衰えていないようだ。
「名前考えたよ」
1皿目を片付けた彼女は、ナプキンで指を拭きながら笑みを浮かべた。
「マタ・ハリ」
彼女は真顔になり、面白くないと言った。
「考えてなかったでしょ」
「君がカメラマンであること以外、何も知らないしな」
カウンターの奥から梱包されたチキンが出てきたので、話を切り上げ席を立つ。
「じゃあまた会おう、名前は次までに考えとく」
石原は出来立てのチキンを抱えて、店からさっさと出て行ってしまった。
「お互い、次までに生きてればいいね」
1人呟く彼女は、皿を積み重ねた。