08. 前に進む
突き出された刃を脇にくぐらせ、小夜は手にした槍斧で応戦する。
違う。夢を見ているのだ。
握った武器の手の馴染み。対峙した相手と、自身の息遣い。身に付けた防具の重さ。その中に籠る、熱で汗ばんだ皮膚。
すべてを小夜は〝彼〟を通して体験していた。薄気味悪いほど生々しく。
――僕の甘い箇所を的確に見抜いてくる。さすがというか、味方で何よりだ
彼らは、騎士見習いの若い少年で、二人一組の戦闘訓練の最中だ。目の前で模擬刀を構える少年を、彼は評価しており、信頼を寄せていることが伝わる。
号令が掛かると、見習いたちはきびきびと列を組む。解散が報され、各々は片付けに取り掛かった。
「アイン」と先程の少年を呼ぶと、兜を外した瞳がぎろりとこちらを向く。
『片付けが終わったら、食堂へ行こう』
『他をあたれ。私は訓練を続ける』
『そう言って、ここ最近は付き合ってくれないな? 淋しいじゃないか』
冷ややかな態度をものともせず、夢の主はからりと笑う。無愛想は昔からなので慣れたものだ。
アインは無言で武具の手入れをする。影の差した表情には薄く隈が浮き、頬が痩せていた。
『……なあ。実戦を控えているとはいえ、無理はするなよ』
アインザッツ・ガルバートは並々ならぬ努力と、向上心を持った少年である。
ガルバート家の誇りのため、悲願のため、名を上げねばならない。どれほどの汚名を被せられ、厳しい扱いを受けようとも。幼馴染みである彼にも、それはよく理解している。
『お前たちが遊び呆けている時間を、鍛錬に代えているだけだろう』
『そういう言い方はだめだって。また誤解される。努力を否定しているんじゃない、先に身体が壊れてしまうという話をしているんだ』
『今身体を作っておかないと遅い。多少の無理も将来のためだ』
アインは次の武具を手にしながら、頑固者、と溜め息をつく彼を見上げた。
『私も実戦前に不調を起こすほど無計画でない。心配はするな。気に掛けてくれたことは感謝する』
『……そうかい。でも、次こそは付き合ってもらうぞ』
『忘れなければ』
『いーや連れて行くね』
口も態度も悪いが、性格まで悪い訳ではない。彼も知っているから、なんだかんだと弟のように世話を焼いてしまうのだ。
厚い手袋をしたままくしゃくしゃとアインの髪を混ぜると、ムッと年相応の顔をするのだった。
◆
「うう、頭が……」
快晴の空とは対照的に、小夜は後頭部をさすり、どんよりと足取りを重くしていた。
黒衣を頭からすっぽり被ったアリアは、ちょこちょこと小夜の後を付いて来ながら、眠たそうにあくびをしている。
――のんきなヤツめ。せっかく二人部屋を取ったのに損した気分だ……
別々に眠っていたのに、目醒めたらアリアが潜り込んでいた。驚いて寝台から落ち、頭を打った痛みを思い出してげんなりする。お腹も空いてきた。
日本円と入れ替えた財布を確認する。
一円玉大の丸い硬貨は、それぞれ一、十、百クラウン。千、万になれば百円サイズの菱形に変わる。
硬貨の表には、鈴蘭に似た花が彫られ、色の異なるちいさなサイズがおはじきみたいで可愛らしい。裏では祈りを捧げる女性の横顔があり、宗教画に似た神秘性だと小夜は思う。お金を持っているだけでは、お腹は膨れないけれど。
――……節約しよう
食べたいものを尋ねてもアリアは首を振る。ではと小夜は果物屋を見に行く。リンゴやオレンジに近いものから、ブドウに似た鈴なりの青い実などが並び、その彩りが目に楽しい。
「さよは?」
「私はいいよ」
そう答えると、最初こそ珍しさに果物を眺めていたアリアはとっくに興味をなくしていた。
節約に付き合わせる気はない小夜は困った末、非常食をふたつ買って店を離れた。
「騎士の人が気になる? カッコイイね」
「……きし……」
「……?」
アリアが視線を向ける先には、白銀の甲冑に真紅のマントが目を引く、騎士たちの姿があった。隊長らしき人が何事か指揮し、慌ただしく町を出て行っている。
ファンタジー世界らしい光景が小夜は面白いが、アリアは警戒するように眉を顰めた。
それにしても。
――この世界じゃ、やっぱり馬なんだ……
騎士の傍に、奇妙な生き物がいた。成人男性ほどある体長のそれは、触手が多く、帽子状の殻から目玉を覗かせる姿がオウムガイによく似ている。
地上だが、その身体は翼のようなヒレを動かし浅く浮いており、巻貝の背を加工して人が乗るための鞍が付いている。夢の中でも何度か見たが、小夜はつくづく原理が謎であった。
「あ。あれかな、街まで運んでくれる乗り物」
町の入り口に、大きな荷車が見える。
この世界での交通手段は馬車が主流らしく、現代っ子の視点ではやや不便に思った。
これもまた、巨大な生き物――タツノオトシゴのようだ。一見海藻に見紛うほどの、陽に透ける翡翠色のヒレやたてがみ状の突起が、ゆったりと風に靡いていた――が二体先頭にいて、馬車を引く役割を担っている。浮遊する姿はやはり不思議な光景だ。
「アリア。別の大きな街に行けるらしいんだけど、どう思う? 急ぎ過ぎかな?」
小夜が尋ねると、碧い瞳が小夜を映した。
「さよがえらんでいいよ。ありあはさよといっしょ」
悩む素振りもなく、アリアは応える。
晴れた空色の下で見る蒼海の色はとても鮮やかで、その色の通りにまっすぐだ。
――信用してくれるのは嬉しいんだけど
小夜の判断が、自分のことだけでなく、アリアの今後も左右するのだ。そう軽率に答えは出せない。
ひとまずは、話を聞いてみようと小夜はキャラバンに近付いた。
「……二万、二万クラウンかぁ……」
一人一万クラウンの運賃は、先立つもののない財布には厳しい。
さらに出発は今から二日後。食料を買えば、所持金もその間じわじわと消費していく。
「お嬢さん、バルカローレに行きたいの?」
やはりバイトか。小夜が難しい顔をしていると、声を掛ける人物が現れた。動きやすさを重視した武具に弓矢を装備した、旅人風の女性だ。
「私ね、隣のあのちいさな馬車の護衛だから、様子が見えちゃって」
「ああ……そうなんです。お金が高くて」
「急ぎじゃないなら、今からバルカローレまで行くけれど、どう?」
詳しく聞くと、馬車は商人のもので、行商の傍ら希望者を格安で乗せてくれるという。道中の村へ寄りながらのため時間が掛かり、馬車内も横になれる程度で整ってはいない。しかし値段はぐんと下がり、なんと千クラウンで運んでくれるという。公営バスと、寝台特急列車の違いかなと小夜は解釈した。
アリアの顔を見ると、まっすぐな蒼海の色がある。
次にいつ巡り会えるかも分からないチャンスだ。小夜は、迷いをこの町に置いて行くことにした。
◆
「だめよ、眠っている人もいるから大きな声を出しちゃ。さあ良い子にして」
向かいに座る女性が、幼い女の子を宥めている。狭い馬車の中、風景にも見飽きてしまった上に、お喋りが楽しい年頃だろう。静かな空間で退屈そうにしている。
「ごめんなさいね、うるさくしてしまって」
「全然。可愛いなって思っていたくらいなので。気にしないでください」
昔の妹を思い出して、小夜は懐かしい気持ちになる。小夜の膝に頭を預けたアリアも、起きた様子はない。
遠慮がちに声を掛けた女性だったが、小夜の明るさに表情を綻ばせた。
「そちらはご姉弟かしら?」
「えっと、はい、そうです」
曖昧に答えてしまった小夜だが、女性は疑う様子もなく「仲良しなのね」と微笑ましく言った。
――……アリアの家族は、どこにいるのだろう
眠る少年の黒髪をそっと撫でて、小夜は溜息を零した。
アリアが記憶を取り戻して、もし家族に会いたがったとしたら。望むなら、手掛かりを一緒に探しても良いと思えた。だけど、生きているのだろうか。
黒く長い睫毛の隙間から、月が昇るようにゆっくりと蒼海の色が開かれた。
「アリア?」
アリアはゆらりと上体を起こすと、小夜の背後、物見からキャラバンの外を見つめる。
「なにかいるね」
「え、」
「つよくはないけれど」
くあっと猫の子のようにあくびして、アリアは再び小夜の膝に戻った。
◆
緑の広がるのどかな風景に、霧が掛かってきた。
この辺りは湿地帯で霧が発生しやすいらしく、ついには雲の中を歩いているようになってしまう。
白い景色と馬車の揺れに、小夜がうとうと船を漕ぎ出した頃、微かな話し声が聴こえ始める。
「……の…りは、……です」
「けい……しましょう……」
なんだろうと眠い頭を起こすと、乗客は殆ど眠っている者が多い。
べっとりと纏わりつくような霧の中で、馬車に供え付けられたカンテラが淡い青や赤や緑へと、不思議にも色彩を変えながら揺れている。
「招待されたなぁ……」
隣のフードの青年はバツが悪そうに呟く。弓使いの女性の仲間だ。続いて傭兵風の男性が、手綱を取る商人の元へ走って行く。何らかの異変に、夢の波際はすっかり潮が引いた。
「アリアの言っていたのは、これ?」
アリアを窺い見ると、煩わしそうに眉を寄せていたが目は開かない。開けるつもりがないのかもしれない。
「ご安心ください。万一の時は何とかしますので。我々は盗賊や魔物から守る用心棒です」
不安げな小夜を察して、フードの青年が声を掛けた。
魔物もいる世界だ。町で見掛けた騎士といい、こうした職業もあるのだと小夜は感心する。
――……ん?
何か聴こえた気がして、小夜は周囲を見渡す。
ざ…めた……めざ……た
りゅ、が……おわる……
ここも……たす…て……
いらないこ……い、いのこ……
耳をすませばそんな囁きは、ひそひそさわさわとそこら中に満ちていた。小夜は聴き取ろうと試みるも、難しい。まるでチューニングの合わない古めかしいラジオだ。
「こえが、いっぱいある……」
すっと蒼海の眼を開き、アリアが起き上がった。機嫌が悪いらしく、眉間に皺を寄せている。
「おや。妖精の声が聴こえるかい?」
「ようせい」
「今ひそひそ声が聴こえているなら、それは精霊や妖精の声だよ。魔術師なんかに聴こえる人が多いんだ」
「ひそひそなんかじゃない。たくさん、すごくこれはうるさい」
アリアはむずがる赤子のように、両耳を掌や甲でこする。とても嫌がっているらしい。
青年はへえ、と感心した様子で驚くと「君は将来は立派な魔術師になれるかもね」とあくまで読み聞かせでもするように言った。
精霊や妖精もいるのか。本当にファンタジーだなと小夜はついて行けない。
馬車の外から、弓使いが青年に声を掛ける。
「厄介そうだ。最悪馬車を先に行かせる」
「最近の泥喰いの影響かな。こんなところまで来ているとは思えないけど」
不穏な会話に、小夜は身を強張らせる。せっかく変な森を抜けたのに、面倒は御免だ。
「うわあっ!? どうどうどう落ち着け!」
橋を渡っていた馬車の脇で、沼地が大きく噴き上がった。
驚いた海馬をなだめようとする商人の声と、乗客の悲鳴や子供の泣き声が、揺れる車内でめちゃくちゃに転がる。巨体のイモリ、と思わしき元凶の大口が、馬車に向けて伸びた。
「我は鍵なり、開くは焔の扉! フォノ=プレシュト!」
切り込んだ青年の声に続いて、その口に炎の花が咲いた。怯んだイモリの巨体は橋に乗り上がり、ぐらぐらと馬車は倒れんばかりに揺らぐ。
「橋が落ちると危険だ!」
「そのまま走って!」
「妖精よ! この者達は戦う力がない、無関係だ! 元の道に戻してくれないか!」
馬車は剣士と弓使いを置いたまま走る。
思わず小夜は身を乗り出して後ろを確認したが、深い霧の中に彼らの姿は消えた。