26. 滅びの竜は、赫の乙女に子守唄を願う
狭くもあたたかみのある木目の部屋、ちいさなベッド、夜に勉強を助けてくれたランプ。
目を醒ました小夜は、茫然とその光景に首を巡らせる。
まさか、全部夢だったのだろうかとすら思ってしまう。
「アリア……?」
けれども、二人分にはちいさなベッドに、小夜はひとりだった。本来なら寝坊助のくっつき虫がいないなんて、雪でも降るのかと疑うところだが。
「サヨ! 起きたのか」
混乱を整理できずにいると、扉を開けたディールが驚きと安堵の表情を見せる。
「あ、はい。え、あれ? すみません私もしかして遅刻ですか!」
しまった、と掛け布団を剥ぐ小夜を宥めつつ、ディールは説明してくれる。
夜と朝の間の時間、扉を叩く音が響いた。扉を開けるとそこには倒れた小夜だけがおり、他には誰もいなかったという。
「あなたの姿を見た時は、心臓が止まるかと思ったわ……」
カノンが小夜の手を握ってほっと息をつく。
血塗れの状態に慌てたが、傷付いた様子もないのでカノンが身体を拭ってくれたらしい。退院したばかりだというのに、申し訳なさに小夜は平謝りだ。
「なんで私ひとりだったんでしょう……それに、どうしてクラヴィールさんのところに」
度々迷惑を掛けてしまうな、と小夜は縮こまる。
前後の記憶はないものの、小夜を連れて戻ったのはアリアで間違いないはずだ。ではどうして、彼はここにはいないのか。
「理由まではわからないが……私が困った時はいつでも帰って来て良いと言ったから、頼ってくれたのだろう。とにかく無事で良かった、サヨ」
ディールはそう言って優しく笑んだ。
ぎゅうっと泣いてしまいそうになるのを堪えて、小夜はありがとうございますと何とか声に出すことができた。
再び、扉を叩く音が響く。
その強さに三人は異変にすぐ気付き、ディールは警戒しながら対応に向かい、守るように抱きしめてくれたカノンに「大丈夫ですよ」と小夜は笑んだ。
「ディールさん。私行きます」
玄関で押し問答をするディールと騎士たちに、小夜は告げた。彼らの中にアインザッツの姿もある。
向けられたアインザッツの瞳は変わらず厳しく、小夜の足は震えそうになるが振り切るように歩く。
「サヨ……、」
「大丈夫です。自分の意思で決めたことですから」
心配そうな夫妻に、小夜はすこし照れたように言う。
「最後までご迷惑ばかり掛けてすみません。でも、とても、とても嬉しかった。ディールさんとカノンさんに会えて、幸せです。ありがとうございました」
それぞれと抱きしめ合って、それからカノンの腕に包まれたちいさな命を撫でて、小夜は笑顔で別れを告げる。
これからもこの子の未来が続くように。
「さあ、行きましょう」
小夜はアインザッツを挑むように見上げる。
アリアのもとへ。
◆
飛行艇に乗り込み、向かった先は飛び立った竜の行方だ。霧に覆われた森は、上空から確認するとその広大さを改めて実感する。
アリアが封じられていた森。小夜とアリアが出会った場所。
どうしてここに向かったのかは知らないけれど、小夜を待っているような、そんな不思議な心地が小夜はしていた。
――にしても、そっくりだったな
進路と隊の説明を受けながら、小夜は拡げられた地図が気になって仕方なかった。
地球の地形とよく似ていたここは、ちょうど日本に当たる部位だ。どこかトカゲに似た独特の形が印象的で、地球と双子の星だというのも納得だな、と小夜はのんきに思う
「シャルルさんがいないみたいですが」
聖騎士の一団と森を進みながら、小夜が尋ねる。オウムガイに似た生き物は、揺れも少ない安定感のある乗り心地だ。
「あいつは貴女と竜を逃した罪で牢に入った」
「な、」
「自供したんだ。元々、迷いが生じた時点で聖騎士を辞めようと決意したらしい。そういう実直な男だ。貴女さえ上手くやってくれれば、命に関わる罪にはならないようにする」
アインザッツはすげなく応えた。つまるところ、失敗は許さない。責任を取れ。である。
「シャルルさんと仲が良いんですね」
「腐れ縁だ。元々あいつの性格は騎士に向いていなかったし、田舎で牛やら土やらいじっている方が似合いだろう」
襲って来た熊や狼やナメクジをさくさく斬り伏せ、串刺し、薙ぎ払いながらアインザッツと騎士たちは進む。
魔物達はどうもアリアの魔力にあてられて、気が立っているらしい。
「アインザッツさんってやること最悪ですけど、悪い人ではないんですね」
小夜は恐ろしい形相で睨まれたが、こういう人なのだとそろそろ慣れて来た。
先程から小夜を率先して庇ってくれるのは彼であるし、シャルルの話も小夜が気にしないように気遣ってくれているように思えた。
「勘違いしているようだから言っておく。貴女に魔法を撃ったことは私の過失と認めるが、貴女を殺めること自体には躊躇いはない」
剣を握りながら、アインザッツは凍えそうな眼で改めて忠告する。
「本当に竜とは何の契約も交わしていないか? その原因で奴を殺せない可能性は? 貴女を生かす理由は?」
「……けいやく?」
けいやく。契約。
ぽかんと間抜け面の小夜に、アインザッツは眉間の皺を深める。
「たとえば貴女を殺さない代わりに、奴の心臓を預かる、といった約束事はしたか」
「しんぞっ、なにエグいこと言ってんですか。……あ、強いて言えば、ナメクジに溶かされそうな時に助けてと言って、助けてあげると言われたくらいです。それと竜じゃなくてアリアです」
アインザッツは小夜の言葉に、当てが外れたように舌打ちした。相変わらず失礼な人だな、と小夜も目が座る。紳士なシャルルとは大違いだ。
彼が罪を被らないためにも、アリアと諸々の疑いをきっちりピカピカに拭い去ってやらねば。
「ではなぜ赫の女神を喰わない? 力を取り込むのでは……」
苛立り、焦りもあるかもしれない。独り言を呟くアインザッツに、小夜もアリアを思い出し、きゅっと胸がつままれた。
「――も、謎だ。なぜ召喚場所が異なった……」
「え……もしかして私が森に召喚されたの手違いなんですか」
だが、ぶつぶつ聞こえた内容に、小夜はぎょっとする。
「当たり前だろう。本来なら術を発動した城に降り、貴女と奴は出会うこともなかった」
お陰でこんな面倒に、とアインザッツは機嫌が悪い。
「そうなんだ……」
本来なら、アリアと森を歩き、短い旅をすることもなく。ただ言われるがままに、諦めて、赫の乙女の役割を果たしたのかもしれない。
『クライ…クライ…ココハクライ……』
百年もの暗闇で、誰とも繋がることができないまま、眠っていたアリア。
あの日小夜が声を聴き、応えたことで、すべてが動き始めた。
『たすけてあげる――だから、いっしょにいてね』
霧の深い鬱蒼とした森の中、小夜は銃を静かに握った。
◆
――……近い
奥へと進むにつれて、アリアに近付いていることを、不思議と小夜は感じていた。
オウムガイたちは徐々に進む速度を下げてしまい、今や騎士たちに手綱を引かれている。魔物もいる中、置いて行くわけにもいかず、けれどすっかり怯えてしまっている。
魔力や魔法といったものが未だ掴めていな小夜でも、あの果てしない夜に陥るような、恐ろしい気配が満ちていることは分かった。
これがアリアのものだなんて、とても思えないけれど。
「……っ、」
突然森に響いた、脳を揺さ振るほどの高音に、騎士達が一様に耳を塞ぐ。
耐え切れず膝を折る者もいる最中、小夜だけは走り出していた。
外れた音程は頭痛を起こすほど不快、なんてひどい音痴だろうか。
でもこれは、あの歌だ。馬鹿げた話である。過去に自分を封じた歌を好んでねだり、あげく自ら歌うなんて。
――アリア。あなたがなにものでも。どんな姿をしていても
木の枝に肌を引っ掻き、転びながら、小夜は目指す。
――アリア。言いたいことがあるんだ
肩で息をしながら、小夜は立ち止まった。
すこし開けた空間と焚き火の痕跡が、まだ残っている。
「アリア 見つけた」
傍らで流れる川よりも大きく、長い体躯は背骨を彷彿させ、硬質な鎧そのものだ。それに隙間なく生えた脚は蒼い海ほどに鮮やかで、背に歪な翼が陽炎みたいに揺らいでいる。
威嚇するように開いた、巨大な四つの顎は、あのはにかみには程遠い凶器であった。
「んー……やっぱり、ムカデは好きじゃないな……」
背中がぞわぞわ痒くなる感覚に、小夜は苦笑する。
「でも、ああ、アリアだなって思う」
だって、こんな風に。
観察するようにじいっと見つめる、好奇心に輝く碧色。不思議そうに首を傾げる癖。
変わっていない。全然変わってなんかいない。
「アリア」
銃を捨て、小夜は手を伸ばす。
目の前で開閉する顎は、小夜の身体など簡単に圧し折るだろう。けれども恐怖はなかった。その時はその時だ、と小夜は思う。
「アリア。私のこと忘れちゃったの」
問い掛けると、アリアは伸ばされた手に顔を寄せて、小夜をまた観察する。その頭に触れると大人しく撫でられた。
見慣れたら顔も可愛い気がして来た。可愛い。やっぱり気のせいだ。
「いいや。忘れていても、憶えていても。私が言いたいんだ アリア。私は――」
小夜の声は続かなかった。
誰かが放った魔法に驚いたのだろう、アリアが小夜の身体をその鋭い顎で噛んだからだ。
傍目に見て、いつ死んでも仕方ない光景だった。無理もないか、一斉に放たれる光の中で小夜は思う。
「だめだよ、アリア」
尾を軽く払っただけで嵐が起こり、森が破壊されていく。騎士達が戦ったところで、多大な被害は避けられないだろう。勝機があるかどうかもわからない。
「静かなところ、行こうか」
なんとか腕を動かして、アリアに触れると、アリアは小夜を銜えたまま森を飛び立った。
◆
「アリア、アリア、もう追って来られないと思うから」
ぽんぽんと小夜が頭部を叩くと、通じているのかいないのか、アリアは適当な草原に降り立った。
「よく攻撃しなかったね、エライ」
頭を撫でてやると、静かにそれを受け入れてから、アリアは小夜を解放した。
立つことは出来なくて、小夜は崩れるように座る。血もだいぶ流れたために、寒くてがたがたと震えた。
「……私のことも、食べないんだね」
そのことにどうしてか、小夜は視界が滲んだ。
「アリアのこと、決めるなって、アインザッツさんに言っておいて、なんだけどさ……私も、アリアといたいなあ。アリアと、一緒がいいなあ。どんな世界でも、どんな姿でも、構わないからさ」
ふらつく手で何度か空を掻きながら、抱き寄せて、小夜はアリアにそっと唇をあてた。
「好きだよ アリア。竜でも人でもなにものでもない、アリアのことが大好きだよ」
――だからこれは、私の勝手。私の責任
小夜は歌った。
「さよ、うたって」とねだる丸こい声が聴こえた気がしながら。
これは願いの歌。
優しき竜の為に捧げる歌。
――私は救世主なんて、世界の平和の為なんて、責任のあることできない
――だから願うのは、ほんのちいさな、そしておおきな願いごと
――赫の乙女が奇跡なら、奇跡のひとつやふたつくらい起こしてやろう。そう信じたっていいでしょう
――アリア。歌と、風の意味の言葉。もう誰にもアリアを追わせない。風みたいに自由に、ねえ アリア
――次はどこにいきたい?
◆
「いってらっしゃーい……」
眠たい目を擦りながら、小夜は両親を見送り、今朝も芸術的な寝癖を直して、味慣れた朝食を食べる。
髪は元通りのなんの変哲もない黒髪だ。
小夜が異世界から戻って来て、一年が過ぎた。
小夜は、自宅前で赤く染まった服を着た姿で発見された。
外傷はなかったものの、一ヵ月もの間行方不明になった娘に、両親には大変な心労を掛けてしまったようで、その日は家族揃って声を上げて泣いた。
現代の神隠しとして、地元の新聞にちいさく載ったり、オカルト好きに絡まれることもありつつ、現在はごくごく平穏な日常を取り戻している。
「おはよー響」
「うん。おはよう」
起きて来た妹が、小夜を見つめる。小夜はデジャヴに身構えた。
「……お姉ちゃんが、彼氏を連れて来る夢を見た」
「お、まじでー。私好みの渋面だった?」
なんだそんなことかと笑って、小夜は味噌汁を啜る。オバケが視えたりする響だが、予知夢などはないそうだ。
「ううん。真逆の、可愛くて若い人だった」
「可愛いタイプかー……」
アリアを思い浮かべてしまって、胸がちくりとしたが、小夜はご馳走様と平らげた皿を洗って部屋に向かった。
「メローいってくるよー」
おでかけ?お見送りする!としっぽを振りまくるメロを撫で、制服に付いた毛に気付いて払う。抜け毛のシーズンだ。帰ったらブラッシングしよう。
「お姉ちゃん。今日は何か良いことあるかも。なんとなくだけど」
玄関に見送りに来てくれた響は、珍しくそんなことを言った。
「そう? ありがと。響にもあるといいね。じゃあ鍵よろしくね、いってきまーす」
「いってらっしゃい」
今日は雨が降っている。赤い傘を持って、小夜は玄関を出た。
〝良いこと〟は不明だったが、小夜はそれなりに楽しく学校生活を終えて、友達と途中まで道を共にしつつ家路を歩く。
それにしても、ばしゃばしゃとよく降る雨である。信号待ちをしながら、帰宅時の人々の傘がカラフルに咲いている。
色が切り替わり、一斉に歩み出す交差点で、小夜は聴いた。
「……――――」
あの旋律を。
すぐに振り返る。
ピンクや黄色や緑の中で、目に映ったのは蒼海の色。
「待っ、」
流れに逆らえないまま、信号が点滅するのを小夜は歯痒く見つめる。
ああ、離れて行く。離れて行ってしまう。
「――アリアっ!!」
一斉に向く視線に、やっちまったなと冷静な自分が溜息を吐く。傘を突き抜け、土砂降りに打たれた心地だ。
横断歩道の向こうで、青い傘も立ち止まった。
月が欠けるように青色が、満月から半月になって、ゆっくりゆっくり振り返る。
歳の頃は十二歳前後、黒い髪は短く、瞳は黒か茶色。遠目から見ても平均の取れた中性的な顔立ちは、可愛らしくてすこし異国の血が窺える。
不思議そうに、少年は首を傾げた。
――だめ、泣くな
どこも具合は悪くないか。困っていることはないか。ちゃんと幸せになれてる?
次々と尋ねたいことばかりが小夜の思考を埋めていき、でも、憶えていないなら、それでも、構わない。
アリアが生きていることが、嬉しい。
じわりと潤むものを拭おうとすると、唐突に少年がぱあっと笑顔になって小夜は面喰らう。
そのまま車が横切る道路を渡って来そうな気配に、両腕を突き出し全力で待てと送る。「えー」という表情をされて、小夜の方がえーって心境であった。
少年は信号を待ちながら、拗ねたように傘を畳んでくるくる巻いている。なんとなく小夜は嫌な予感がした。
「さよ!」
「うわっ」
信号が変わった途端、少年は駆け出し小夜に抱きついた。身構えはしたがあえなくその勢いに尻もちをつく。
制服が濡れたじゃないか!と抗議したかったが、さよさよ嬉しそうに頬擦りしてくる生き物を可愛いと思ってしまったので、怒る気も失せてしまった。
「さよ 会いたかった」
額をぴったりと合わせてアリアはほほ笑む。
「私も会いたかった」
小夜も笑って、そして泣いた。
「誰かを探してたの。誰かはわからなかったけれど、いつも夢の中でその人は優しく歌ってくれるんだよ。それが嬉しくって、でもさみしくて」
どこに行くでもなく、ふたりは並んで歩く。以前よりも、すこしだけアリアと視線が近付いたみたいだった。
「ありあもその人のために歌ったの。さよのために歌ったよ。そうしたら会えるんじゃないかって。本当に会えたねぇ」
繋いだ手を楽しげに振ったり、握ったりするアリアはおしゃべりだ。嬉しさが溢れて止まらないと言わんばかりで、小夜もちょっと照れくさい。
「さよが呼んでくれたから、ぜんぶ思い出せたよ。これはどういうこと?」
「……私がそう願ったから」
小夜は死ぬのはご免だったし、地球に帰ることを諦めてもいなかった。
そしてアリアの居場所がある世界、アリアがアリアでいられることを祈り、願った。
いつかどこかで、どんな形であっても。大切な人と一緒の世界で、一緒に生きたい。
誰かのためでも平和のためでも何でもない、それが小夜のちいさくおおきな願い。
「ありあとおんなじ」
くふふとアリアは笑った。
「ありあもさよの傍がいい。ずうっとずうっと一緒にいてね。ありあをさみしくしちゃダメだよ」
繋いだ手に指を絡め直して、アリアは踵を浮かせる。雨音が一瞬、遠退いた。
「さよ 大好き」
幸せそうに笑う瞳には、真っ赤な乙女が映っていた。
最後までご覧頂き、ありがとうございました
ブクマ・評価くださった方へ重ねてお礼申し上げます




