十七話
「お、御身に拝謁賜り、恐悦至極に! 存じます!」
声は喜悦に満ちている。明らかに喜びを露わにした従者に、オトイラは我にかえって言った。
「おい待て、これはあれか。お前が話していた物語の」
「単なる物語ではない! 歴史書だ、この馬鹿主! あ、ああ、あの、私は、その、御身にまつわる史実を編纂した一族の出でございます」
カッと叫んだダレハスは、呆気にとられた周りを置いて、憧れを前にした子どものようにまくし立てた。
「御身のお姿に関しまして、一族の中では喧々諤々としておりましたが、私の予想に違わぬお姿、その異様、なんと……! 賢き鳥の頭を模し、優雅な口調を残し、何よりその暁を思わせる英知の詰まった瞳、間違いようがございません!」
「あー……はい、それは、熱心なことですね」
カイハンも気圧されている。
「はいっ! あの、で、できれば、御名を、貴方様の口からお聞かせいただいても」
「昔の名はもうありませんよ。今はカイハンと名乗っています。ですので、そのように」
「は、はっ! 承知いたしました! 私は、ルポルタ家のダレハスと申します!」
「ルポルタ。そうですか。賢く生き残っているようで、何よりです」
「はいっ、はい……!」
オトイラと同い年くらいの大人の男が、キラキラと瞳を輝かせカイハンを見上げている。なんなら、涙ぐみ男泣きまでしそうである。
「おい……ダレハス、俺に仕えるときよりも生き生きとしているぞ」
「兄上、好かれてらっしゃらないのではないかしら?」
「いいや! ダレハスは俺とは長い。なあ、ダレハス!」
「今はゼノクニカ様に拝謁賜ったことを噛みしめるのに忙しいので、大人しくしていてくださいフスト様。いい年なんですから。一族の悲願なんです」
ぴしゃりと返されて、オトイラがつまらなそうに舌打ちをした。
「ゼノクニカ?」
それはなくなった風の国の王家の名前だ。ミレイスの呟きに、返答のかわりか風がひゅうと吹いた。
「さて、昔話はさておいて今の話をしましょう。我らは縁があって、ラルネアン殿下に手を貸しています。ですので、貴方がたの脱出に協力をします」
宙でくるりと回って、巨鳥を頭の動きで示す。
「オトイラ殿下は魔獣の扱いに長けていらっしゃるとか。その鳥に私が補助しますので二人、あとは一人私が運びます。ミレイス嬢は」
「ここに残ってズヤウを手伝います。一人だけ置いていけないわ」
「まあ、大丈夫だと思いますが……場所はカヒイの都まで一気に飛びます。あとからまた様子を見に来ます」
「はい。カイハン、いってらっしゃい」
感極まるダレハスが、文句を言いそうなオトイラと戸惑うコンハラナをまとめて鳥に乗せてカイハンの前に再び跪いた。カイハンは鳥の頭でもわかる、少々困惑した顔を浮かべながらも魔法を使って持ち上げた。カイハン得意の風の魔法だ。
「いいですか、ミレイス嬢。階下はまだ魔物がいます。しっかり身を守ってください。くれぐれも無理はなさらぬよう。何かあれば私も、ズヤウも困りますから」
「ありがとう」
ばさりと巨鳥が羽ばたきを始め、たくましい足で床を蹴って開いた窓から飛び出した。
その後をミレイスに一瞥をくれてからカイハンが飛んでいった。
ヒュウ、と風が残り頬を撫でる。冷たい風だが、かえってそのおかげで気合いが入る。意識をしっかりと留めて、ミレイスは窓を見る。正確にはその外だ。
混乱がまだ続くのか、人が逃げていく様子が見える。だが、逃げおおせている数は多くはない。まだ中にいるのか、すでに遠くに逃げた後なのか。どちらにせよ、ミレイスは下に降りなければならない。
窓から外を見下ろそうと体を乗り出したところで、気づいた。
逃げ出す人々とはよそに、誰かがこちらを指さして集まりを呼びかけていた。明々とした魔法の明かりに照らされた髪の色は金。妖艶なドレスを纏った女性と目が合った。
(レディ・リスティチェ)
なぜ。
ミレイスが見ていると分かったのか、すぐさま顔を逸らしてまた何か人に呼びかけていた。声はここからでもかろうじて聞き取れた。
――あの娘も、人ではないわ。私、見たのよ。中に現れた化け物ごと、この館を封じなければ。
何を言っているのだろう。そのまま見ていれば、窓枠がドンッと音を立てた。振動が掴んだ枠を震わせる。
矢が刺さっていた。
どこからは、すぐに分かった。リスティチェたちがいる辺りからだった。
まるでリスティチェをかばうように、街の自警団らしき男たちが寄ってきて短弓を引き絞っている。
――早く! 中に化け物がいるの! 人間に化けた奴らよ!
――俺も見たぞ。ドロドロに溶けた化け物と、鱗の化け物だ!
また矢が飛んでくる。慌てて窓を閉めて、さらに木戸をして閂をする。
(どうして)
はやる動悸を抑えてミレイスは次にドアへと寄った。
リスティチェと出会ったのは、この街に到着してからであったが、信頼の置ける人だと思っていた。テネスナイの旧友だと、親切に社交について教えてくれた。だというのに。
(ズヤウ、ズヤウは?)
人が襲ってくるとは思わなかった。リスティチェがああ言っていた理由がミレイスにはわからなかった。だが、確実にこちらを狙っているのだろうとはわかる。裏切られたのか、だまされたのか。ともかく敵対されたのだ。
要人である第二王子一行が脱出した後でよかったと思うと同時に、残された者たち、ズヤウが心配になった。あの言われようだ、気にならないわけがなかった。
(カイハンは大丈夫といったけれど、外の様子なんてわからないでしょうし、第一まだ戦っているかも)
ドアノブを回すが、やはり魔法で封印されているのか開かない。
ではと流水で封を弱らせようとするが、どうにもうまくいかなかった。
(ああもう!)
気持ちばかりが逸る。こうしている間も外から何かされたなら。
どんどんとドアを叩いて、ノブを回して、それが駄目なら体をぶつけたが開かない。
(ズヤウの魔法がすごいのは分かっていたけど……っ魔法!)
ドアを叩いているうちに、視界に自分の指先を見て思いついた。左親指、今はないがかつて嵌めていた指輪。嵌めたことで起きたこと。
魔力を吸えばいい。
そう考えて、ミレイスは躊躇なく行使することを選んだ。遅くなればなるほど、外からの攻撃が増えるかもしれないという焦りと、ズヤウの身に何かが起きるかも知れないという恐れが体を突き動かした。
(やり方は、ええ、覚えているわ)
いやというほどした。
嫌と言っても、体にむち打って行った。それこそ、無意識の反射で行うくらいに。
すう、と息を吐いてミレイスは身を屈めながら集中をした。
「――幸い給え」
幸へ給へ。
祈りの言葉が自然と漏れる。痛みを堪える魔法のおまじない。幸せになるためのおまじない。
自分が堪えるためではなく、魔法を吸って助けに入るため。誰かのために。
ミレイスは意思を持って初めて魔力を吸った。
「う……うぅっ」
痛い。
だが、まだ、もう少し。まだ大丈夫。
かつて何度もしたからか、自分がどこまで堪えられるかは、なんとなくわかっていた。
ドアに輝く魔法紋が鈍くなりやがて薄れて消えていく。
体の中に無理矢理取り込んだものが出口を求めて暴れるよう。
アセンシャが例えた、鱗が毛穴の先から出ていくという例えもわかる。ミレイスの場合は内側から針が出口を伺うように感じた。
浅く息をしながら、ドアノブを握る。今度はゆっくりと回った。
「急がなきゃ」
口に出して、足に力を入れる。
溜まった魔力を使ってミレイスは駆けだした。走りにくいドレスが足にまとわりつく。水の刃で割いて、大きく足を開いて、息を切らして床を蹴って跳ねるように進む。
階下へ降りる道の途中に人は居ない。皆逃げ出したのだろうか。
走り抜ける最中、廊下の窓から外が見える。明々とした明かりを手に、集まる人々が見えた。
(もっと、早く)
人が走るより、獣が駆けるより、なお早く。
激しく流れる水のように、早く。速く。
ドアがまた見えた。階下に繋がるドアだ。これもまた、丁寧に施錠がされていた。魔法紋が輝くのがここからでも見える。
(また!)
今度は近づくほどに、下の音が聞こえる。まだ、誰かが残っている。ズヤウの声は聞こえないが、きっとまだいる。
ああ、速く。もっと。早く会いにいかなければ。
半ば夢中で魔法を放った。
――魔法を使うときに大事なことは、素養もだが、想像力だ。強く、確固とした意思を持って行えば、大抵のことはうまくいく。
(できるわ……いえ、やれる。やれるの)
ミレイスは水の精霊だ。
水の魔法なら、できる。なんだって、こなせる。
言い聞かせて、かつてやろうとしたことを成した。
体の色が透明にかわり、流体のように溶けていく。ドアの隙間を簡単に通り抜けられるような、水の塊へと変じる。
(私は、水の精霊。生きる水)
ごっそりと魔法を使う反動で力が抜けていくのを感じる。だが、止まるわけにはいかない。
ゴウ、と激しい音を立ててドアに流れ込み、ミレイスは階下へと躍り出た。
どうやって魔法を使ったかなんて、考える頭は残っていなかった。
ただ、無事にズヤウの元に辿り着かなければの一心だ。それだけで水への転身を果たしたミレイスは、フロアの中空を勢いよく流れ飛んだ。
(いた! ズヤウ!)
倒れて怪我に呻く人たちや、身動きもしない人もいる。その中で美しい衣装を翻してズヤウが魔物と対峙していた。
見れば、ズヤウの衣服も汚れ切り傷ができていた。片腕が晒されている。あの美しい鱗の腕だ。ああ、早く助けないと。すでに人の形をなさなくなった魔物へとミレイスはぶつかり、自身の尾のように続く水流へと巻き込み溶かす。
魔物を取り込んだ瞬間、形容しがたい不快感と痛みが襲ったが、堪えながらすべて溶かしきる。それから、驚いているズヤウの前で魔法を解いた。いや、正確には解かれた。
露わになったズヤウの瞳にミレイスの姿が映り、戻されたのだ。魔力の集中を乱す瞳の効果だろう。完全に魔物を取り込んで消した後でよかった。
息をつきながら床に座り込み、手をついて息を整える。べっとりと濡れた体は、水に濡れたまま。それでも、成功した。
だが達成感に安堵する暇はない。うまく力が入らない体を叱咤して立ち上がろうとして失敗する。
「ミレイス!」
慌ててズヤウが寄ってくる。露わになっていないほうの腕で、崩れ落ちる体を抱きとめてくれた。ぐ、と接触した部分が温かい。
「お前、どうしてここに。なぜこんな無茶を」
焦ったような表情を浮かべるズヤウは、大きな怪我はなさそうだ。急いだ甲斐があった。ミレイスはそう思いながら、懸命に言葉を紡いだ。




