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神様の手先の手先  作者: わやこな
冬のひしめき
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十四話


 身を切るような寒さが、ほんの僅かな隙間からも忍び寄るような風波の中で、上空を行く影がある。

 黒点ほどの小ささの影を見上げて、くつくつと低く笑い声が漏れる。追い風に吹かれながら馬を駆けさせ、機嫌良く男が声を張った。


「どうだ、空の旅は! 限られた者しか許されぬ道だ、気に入ったか!」


 耳を澄ましてみるが、入ってくるのは大地を蹴る力強い走りと冬風の唸りだけだ。魔法で手懐けた自慢の怪鳥の羽ばたきもここには届かない。そしてそれに掴まれて空を行く者の声もだ。

 なんだつまらん、と呟けば、後ろから馬が寄せられて苦言が飛んでくる。


「フスト様、今回のご趣味は悪いですよ」

「なんだ、ダレハス。お前は肝の小さい男だな。これだから俺が連れ回しても垢抜けないのだ。雛でもあるまいに、いつまで殻を被ったままでいるつもりだ」

「フスト様ほど奔放ではないのです! 第一、貴方様はもっとお立場を考えて行動してくだされば、すぐにでも都の連中の肝を抜くに値するというのに!」

「おうおう、近くでそう声を張らんでも聞こえておるわ。はあ、むさ苦しい」

「フスト様!」


 ダレハスががなり立てるのを無視して馬を駆ける。忠義が厚いが、少々、いやかなり曲がったことが嫌いな男で面倒なのだ。第二王子である、オトイラ・フスト・ミクノニスの、数少ない信のおける部下の一人だ。

 王都にオトイラの味方は多くはない。形式上、年の順に継承権第二位なだけで、心からオトイラを王と願う派閥は脛に傷がある者くらいである。現状、次期王位は第四王子のアサテラ・エデイータ・ミクノニスの手の内であった。

 だが、張り合うつもりはない。そもそも、王位なんぞほしくはない。これは幼少期から今まで一貫して思っていることだ。

 オトイラが幼心ついた時から、由緒正しい身分の王妃から生まれた腹違いの兄がいた。第一王子のサクヤラは物語に聞くような品行方正で優秀な王子だった。そんな兄のことを、嫌いではなかった。別に好きでもなかったが。

 オトイラは自分が父の享楽的な部分を受け継いだと思っている。あの女好きのどうしようもない王の姿を見て育ったのだ。影響を受けず真っ直ぐに育っていた兄がおかしいくらいだった。

 だから、このまままともな兄が王座について、自分は好き勝手に遊び歩きながら治世を補佐するものだと思っていた。だが、そうならなかった。


 先行きが怪しいと思うようになったのは、第四王子のアサテラと顔合わせをしてからだった。

 アサテラは、奇妙な子どもだった。

 もとから綺麗なものが好きだという傾向はあった。あの父から生まれたのだ。その血だろうと思っていた。

 もしくは妙な研究に傾倒する母の影響だとも。その研究も単なる美容に関することかと思えば、違った。

 伝承の神の使徒とやらを追い求め不老不死を願う、研究だ。何を思ったのか、父はそんな女を気に入り子を孕ませた。火種にしかならないだろうに。

 宮廷や都が荒れても父は構いやしない。他国の侵略なんてないから余計に。

 どんなに国がごたついても他国が侵略し蹂躙してこないのには訳がある。神の目があるからだ。この世界は神々が見守っている。一度それを侵せば、待つのは消滅だ。いくつもの歴史書がそれを語っている。

 眉唾の話だが、オトイラも寝物語に聞かされて育った。

 自分のいる水の国がその中でも、風の国を呑んでも無事だった選ばれた国なのだと。


 増長しているのだと、今のオトイラならよくわかる。

 王はいつからか自分の老いを認めようとせず、若く美しい女を集めてはいつまでも雄々しく偉大であると讃えるように強制していた。

 それを支えていたのは、アサテラの母だった。この女は、息子にも吹き込んで育てたのか、偏執的なまでに美にこだわるようになったのだ。

 とりわけ、アサテラの母が連れてきた一人の女に親子揃って異様な執着を向けていた。

 絶佳の美女であっても、あの親子と関わるくらいならと放置していたが、それがよくなかったのだろうか。

 化粧をして、着飾るまではオトイラも気にしなかったが、次第にそれだけではなくなっていった。


 ――低い身分の者を買っては、殺し、実験をしている。


 オトイラが遊び歩く最中で聞いた話だ。

 娼館や後ろ暗い組織に顔が利くようになれば、そんなこぼれ話をもらうこともある。

 初めて聞いたときは、あの父や母があれば狂った息子も生まれるだろうと思ったものだ。自分からは進んで近寄るまい、そう考えて胸の内にしまっておくことにした。

 それからだ。

 好色の王が手を付けた弟妹たちによる、王宮内での足の引っ張り合いや蹴落としが始まった。比較的交流があった兄とも疎遠になり、いつの間にか母も蹴落とされ、儚くなった。こればかりは自身の対処の遅さを悔やんだ。

 そうして、オトイラは思った。

 どうせ殺されるならば、好きに生きて好きに遊んでから死にたい、と。


 そんな生き方を選んだからこそ、テネスナイとは仲が悪くなってしまった。

 あの苛烈な老婦人が味方に付けば、今もいくらかマシな状況だっただろう。

 だが、もう遅いのだ。

 水の国の王朝はまたじきに変わる。オトイラは馬鹿ではない。

 現在の水の国の中心は、不老を願って死に損なっている老人が上に立ち、その下には美しさしか求めない狂人だ。民はついていかない。

 ついていくとするならば、それはオトイラたちではない。


「そういえば、先日、噂が届いてな。ダレハス、カヒイの都の様子を知っているか?」

「いくらフスト様でも、かの要塞カヒイの都へ赴いて色町探索はおすすめしかねます。幼い弟殿下に悪いことを教えたと、次に会えば、胴体とおさらばしかねません」

「おい、まだ行くとは言っておらぬ。それに、俺の部下なら守らぬか」

「あの女傑が衰えていなければ、私では濡れた紙のように役に立ちませんよ。そもそも私は殿下の侍従ですし、武芸は得意ではないので。他の者に頼ってください」

「まったく……ケフェナの救助でも俺を働かせた奴の言うことは違うな」

「あれはフスト様が勝手にしたことですが。私は反対しました……とはいえ、この状態はやりすぎですが」


 ダレハスが上を見る。上空を飛ぶ黒点を見ているのだ。

 あそこに、妹のコンハラナがいる。

 機嫌伺いに律儀にやってきたところを忠告をしたが、運悪く弟に見つかってしまったコンハラナを、オトイラは匿った。

 さすがに何もしていない身内が魔物に変貌するのは見たくない。オトイラは、アサテラから研究の成果だというものを見せてもらったことがあったが、あれは醜悪な実験だった。

 美のために他者を醜く貶めることを嬉々として行うアサテラに、もう後に引けないのだと悟った。

 口止めとばかりに、かつていた婚約者や仲の良かった妾候補も消されて、王都に安全は求められないと理解した。

 その際に片腕を取られたが、おかげで王位につく資格がさらに危ぶまれた上にアサテラたちの美意識からも逸れたのは怪我の功名である。ダレハスをはじめ部下にはさんざん嘆かれたが、命が助かるなら安いものだ。


「プロフェンの花街に、カヒイの都からたぐいまれな美女が訪れに行くと、もっぱらの噂だ。かの要塞都市からの不世出の美女だと。なあおい、もしその美女を相手にするなら、同じ女が側にいれば安心だろう? ちょうどよいではないか」

「私が申したのは、殿下の運び方に関してですよフスト様。どうしてこう、粗暴者になったというのか……! そもそも! 女一人のために方々をふらつくなど! 貴方様は発情した猿か何かですか」

「人も猿も同じようなものだ、ダレハス。まあそう怒るな。お前は怒りも嘆きも、美しい花に抜いてもらえ」

「下品!!」


 ダレハスが怒りながら言えば、周囲を走る馬上から忍び笑いが届く。屈強な凶相をした男たちが同意とばかりに笑っている。オトイラもまた大きく笑えば、防寒具に身を包んだいい年をした男の顔が、真っ赤になっているのが見えた。愉快だ。

 物寂しい冬空の下、陽気な馬鹿笑いが響いた。





***






「――とても、とてもお綺麗でございます」


 感嘆の溜息と共にうっとりと言われて、ミレイスは曖昧に微笑んだ。

 朝、起き抜けに湯浴みと着替え、化粧まで施され、すでに疲れがたまってきている。

 立派な化粧台の鏡に映る女の顔は、仕度を手伝ってくれた侍女には絶世の美女に見えているらしい。あまり自分の顔をまじまじと見る機会がなかったので、もの珍しく見えるだけだ。


「……はい。よくしてくださって、ありがとう」

「いえ! そんな!」


 顔を真っ赤にした侍女たちが下がって、ようやく一息つけた。

 窮屈だ。

 ミレイスは、アセンシャが用意した大量の衣服の中から選ばれた衣装を改めて見る。

 冬らしく重厚かつ豪華、それでいて貞淑に見えるもの、あれこれと見繕うのも大変だったが実際に着るとまたこれも大変だ。外目にはそれほど厚着には見えないが、幾重にも重ねた布が意外と重く動きづらい。これまで動きやすいローブだったせいもあるだろう。

 おそらく今までで一番、高価な衣装を着ている。シギの一点物のワンピースも貴重だが、おそらくこれはシギだけでなくアセンシャの手も入っている。価値がわかる者が見れば目を剥いて気絶するレベルだとカイハンが笑顔で言っていた。

 それに見合うには、髪飾りは他の物をとすすめられたが、ズヤウたちの贈り物だからと付けてもらっている。

 かわりに、今、シギからの金の腕輪はない。

 今回は目立って第二王子を呼び込む手はずだからだ。何かあったときには直ぐにでも腕輪をつけ安全な場所に移動することをしつこく言われている。今も、見えない位置からカイハンが見ているのだろう。



 ミレイスは今、プロフェンの街にいた。カヒイの都、末王子の使いとしてだ。

 口利きをされて、テネスナイの別荘地に滞在しているが、実に丁重に扱われている。

 イマチが言う娼館はどこを示すのかと、傭兵団に聞いたところ、水の国ならプロフェンではと返ってきたことから、この街に決まったのである。

 プロフェンは世界の北側に位置する土の国に近い旧風の国領土にある街だ。

 街の目玉は世界有数の賭博場。加えて、花街も大きく育ち、貧富の差が激しい。ミレイスの居る絢爛な街並みから外れれば、寂れた家々が立ち並ぶ景色がある。

 街領主はいるにはいるが、あくまで街の管理のみ。上には旧王家とも現王家ともよりつかない中立派の貴族がいる。その貴族と懇意にしているのが、第二王子であり、よく訪れるという。

 なんでも、第二王子のオトイラは無法者たちと連れだって現れるそうだが、果たして話を聞いてくれる者たちだろうか。イマチ曰く、「二の兄上は、そこまで悪い奴でもない」という言葉を信じるなら、大丈夫だろうが。

 侍女たちが退出してしばらくすると、ドアがノックされた。


「はい、どうぞ」


 許可を出せば、眉を寄せたズヤウが入ってきた。

 あれから、ミレイスたちがひとしきり衣装で意見交換をしている間に帰ってきたズヤウは、認めがたいと言いたそうにしながらも、使いに行くことを許した。代わりにと出された条件には目を丸くした。


「誰かもわからないのに、すぐに入室の許可を出すな」


 どちらの性別ともとれる服を着たズヤウもまた美しく着飾っていた。まるで、どちらが噂の元となる美女かわからないほどに。

 ミレイスと比べると青年の体格をしているが、それを隠すような衣装を身に纏い化粧を仮面のように施せば、やや長身の女性ともとれる。それに、目元を巻いた布の代わりに薄手の面布で隠した先に見える顔は、えも言われぬ怪しい魅力があった。見つめれば、鼓動が早くなる気がした。

 ズヤウは男性なのにと思ったが、こうして出来上がったものを見ると、自分よりもらしく見えるのではとひやりとしてしまう。

 条件を出しただけはある出来だった。


 ――お前に現を抜かされる前に、僕に目を留めさせてやる。だから、無理に相手はするなよ。


 言われたときは何を言っているのかとわからなかったが、カイハンは呆れるやら笑うやら心配するやらと忙しそうだった。

 きっと、ミレイスには言っていない過去に何かがあって、それを気にしているのだとわかった。教えてもらえない寂しさもあるが、こうしてズヤウがミレイスのためと体を張ってくれるのは申し訳なく思う反面で嬉しいと感じている。本当にいいのかと問えば、お前に何かがあるよりは遙かにマシだと答えが返ってきて赤面したのだった。

 落ち着かない。そわそわと指先が動きそうになっては、抑えて息を整える。


「……へえ」


 じ、と見返された。久しぶりに見た朝焼けの瞳と合う。

 それから、整った顔立ちの下、言葉を放つ唇へ。

 僅かに紅を差したのか、いつもよりも赤々となまめかしく見える。そうしていたら、頬をするりと指先でなぞられた。服装に合わせた柔らかな生地の手袋をしている。これも魔法の道具なのだろう。きちんとした人の五本指が動いていた。


「惜しい」


 小さく呟かれて、ぱちりと瞬く。


「なんのこと?」

「べつに……たいしたことじゃない。ただ、お前を外の目に晒すのが嫌になっただけだ」

「えっと、変、かしら」

「変じゃないから困る」


 ということは、似合っているということだろうか。ズヤウはあまり直接的に褒めてくれないため、すこしの間を置いて照れが入ってしまう。

 またズヤウの眉間に皺が入る。怒る、というよりも困惑という感情が顔に出ている。目が隠れていれば、今このような感情なのだろうなという予測は、顔が露わになった今、容易になった。


「あの、ズヤウもすごく綺麗」

「……ああ、どうも」


 今度は不本意、と顔に書かれているかのようだ。言われて嬉しい言葉ではなかったらしい。

 だが、事実そう思ったのだ。なおも見ていれば、頬に触れていた手が視線を遮るように被せられた。


「あまり見るな。また、されたいのか」

「また?」

「……失言だ。忘れろ」


 はあ、と息を吐かれてしまった。


「そろそろ時間だろう。行くぞ」

「ええ」


 この格好でもエスコートはしてくれるのか、腰元に手が当たった。そのまま促されるように部屋の外へとミレイスは出た。





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