十五話
まばらな形の長方形を並べた屋根。粘土を焼いて作られているため赤茶けた色をした三角屋根は、日が落ちてしまうとその色も見えない。
四角い柱でアーチを描いたテラスがあるのは、火の国伝統の形式らしい。白い館の壁は明かりに照らされて景色から浮き上がっているようだ。
一見すると、豪華な邸宅にも見える建物が例の娼館である。
といってもここで娼婦が生活しているわけではなく、基本は広い談話室を酒場に作り替えて、そこへ有名な高級娼婦を都度集めて接待させているそうだ。そのため、その道の者たちにとってはこの館へ招かれることは一種のステータスともなっている。
だからだろうか、館へ向かうミレイスたちに品定めと好奇の視線が刺さる。
通りはカヒイの花街も豪華ではあるが、一層賑やかだ。
街中に栄えた賭博場があるからが大きな理由だろうか。この館の通りは身なりの整った者たちが多い。おそらく一定の身分をもつ者たちが利用しているのだ。しかし一歩でも道を外れた路地には、おこぼれをあずかろうと誘いの私娼が立っていたり明らかに表の職業とは思えない姿の者たちがたむろしていたりするようだった。
視線をそちらに向けようとすれば、すかさず集中しろとばかりに腰元の手に力が入れられた。
「ようこそおいでくださいました」
入り口に門番のように立つ男が二人。仕立ての良い服を着て愛想笑いを浮かべている。
ズヤウがカードを差し出すと、恭しく両手にとって手のひらで中へと通された。
あのカードはイマチのお願いからテネスナイが発行した紹介状だ。なお、依頼されたときにはさすがに孫馬鹿のテネスナイでも、こっぴどく叱ったらしい。よりにもよって御方の使者ともなる方々をそんな場所へあんな王子の元へ勝手にやる馬鹿があるかと、ひどい剣幕だったそうだ。
その様子を見て、ズヤウはほんの少しだけ溜飲を下げたらしい。
中へと踏み出せば、絢爛豪華な光景が広がっていた。
カヒイの都の執政官の館よりも派手で、色彩にちかちかと目がくらみそうになる。宝飾品を纏い煌びやかな格好をした男女が、硝子細工の照明飾りの下で談笑をしていた。ちらちらと向けられる視線の中で堂々と進む。
ぐるりと見回したところでは、第二王子らしき一行は見えない。念のためとイマチによる人相書きを見せてもらったが、いないようだ。もっとも、まやかしの魔法をかけられていれば別だ。周囲に溶け込んで、すでに中にいるのかもしれない。
「あらあ! やっといらしてくださったのね。お待ち申し上げていましたのよ」
白のドレスを纏った金の巻き毛の美女が親しげに声を掛けてきた。高級娼婦のリスティチェだ。年嵩ではあるが、男も女も引く手数多という、その手では高名な女性である。
テネスナイとは旧友だと彼女は言う。イマチの思いつきだけでは不安と補助役に立候補してくれたのだ。
彼女は教養もそれなりに高く、話術と社交に明るい。この地についてからは頼りになる存在だ。三度ほどしか顔を合わせていないが、すっかり馴染みのように振る舞いこの場の雰囲気を汲んで接してくれている。
そつなくその場に居た紳士たちにミレイスたちを紹介して、話題を振っている。その横で愛想良くしているだけで、どうにかこうにかやり過ごすことができた。
「お目当ての殿方は、じきにいらっしゃるようです」
小声で告げた言葉に、ズヤウが小さく頷く。
わずかな仕草だけでも、気怠げな雰囲気が妙に色っぽい。近くの体を意識すれば、自然と動悸がしそうだ。呼吸を整えていれば、す、と腰を撫でられた。
「ひうっ」
背筋をのけぞらせて声を上げれば、男たちの笑い声が上がる。からかわれたのだ。
こういう場所ではよくあることだと事前にリスティチェに教わったが、いざされるとなると驚いてしまう。そしてミレイス以上に反応したズヤウがさらに大事そうにミレイスを寄せるものだから、余計にどぎまぎしてしまった。
リスティチェとズヤウが上手くかわして、また談笑することしばらく。
賑やかな集団が入ってきた。
屈強な厳つい男たちが、窮屈そうな礼装に身を包んでいる。そして、その様相を互いに見ては馬鹿笑いをしている。この場においては、少々浮くように見えたが、注意する者はいない。
「いらっしゃいましたわ」
そ、と呟かれた。
改めて注目すれば、着飾った衣服とは別に武器を持っているように見える。そしてどうやらその男たちに囲まれているのは、鍛え抜かれた体格の良い男だ。浅黒い肌に短い黒髪の琥珀色の目、精力的な色男を絵にして表わしたならこうなるだろう。
だが、隻腕だった。左側の服の袖は上腕の途中から厚みがない。
間違いない。オトイラ・フスト・ミクノニス第二王子だ。となると、周りの屈強な男性陣は護衛なのだろう。
リスティチェが片手を上げて合図を送ると、オトイラもこちらに気がついたようだ。鷹揚に右手を挙げて、近づいてくる。護衛の男たちは見合って、距離を開けてオトイラの後ろについた。
「お前は顔を伏せて、なるべく見られないようにしろよ」
ズヤウはミレイスをかばうように前に立って、リスティチェと共にオトイラを迎えた。
「おお、麗しき花、レディ・リスティチェ。こんなところで会えるとは、今日はついている」
「それはこちらのことですわ。お目にかかる栄誉に私、胸が張り裂けそう」
ツンとわざとらしくそらして、リスティチェが微笑む。谷間を作った膨らんだ胸部の半円がふるりと揺れれば、好色さを隠しもせずにオトイラは笑う。
「それで、お前が側に置く花たちがそうか?」
「ええ、噂の御仁でしてよ。部屋の手配を?」
「いや、それはよい。こちらがすでに取っている。ふむ」
頭から足先までじっとりと視線が這っている。オトイラはズヤウより背が高く、ややかがむようにして顔を近づけると、薄布に隠れた容貌に口元をほころばせた。
「貴様、男か? しかし、それにしては場慣れしているな?」
無言で応えて、ズヤウは艶然と微笑みをみせた。紅を差した唇を弧にして、相手を流し目に見る。あら、とリスティチェは深く笑み、オトイラもまた良いものを見つけたとばかりに機嫌が良い。
「良い、良いぞ。気に入った。それで? 噂の美女はこちらか? どれ、顔を見せてみよ」
「せっかちは嫌われるのでは」
掠れた艶美な声にますますオトイラの機嫌は上向いた。
「はは! そうか。では俺の部下は、レディに任せるがよいか」
「ええ、光栄ですわ。私のお友だちもいますし、喜んでおもてなしをいたします」
そう言うとリスティチェが悠然と歩いてオトイラの部下と話しを始めた。ぱち、と目配せがきた。機会を作ってくれたのかとミレイスは思った。
「二階だ。ついてこい。エスコートはいるか?」
「結構」
短く返したズヤウに、にんまりと機嫌良く笑みを浮かべたオトイラは背を向けて歩き出す。その途中で一つ二つ部下に声を掛けて上を指さした。
オトイラがこの娼館の常連だというのは間違いないようで、管理をする使用人はオトイラの姿を見ると作業の手を止めて頭を下げる。適当に返しながら先に進み、すこし広めの個室に入った。
個室の中にはオトイラ以外にも男が一人、女が一人いる。どういう関係だろうか。顔を伏せ、ズヤウの影に隠れるようにして見る。
「おう、すぐに見つけてやったぞ。ダレハス、どうだ、お前も。下にレディ・リスティチェが居るぞ。遊んでもらってきたらどうだ」
「だから貴方様は、どうしてそう品のない……! あの方は信用できませんので、遠慮いたします!」
気安い調子でダレハスと声を掛けられた男が憤慨している。格好からするとオトイラに仕える者だろうか。生真面目そうな男で、ちらちらとその奥に居る女性とミレイスたちを気にしたように見ている。
「ケフェナ、調子は戻ったか」
「……おかげさまで」
「そうか! なら、噂の美女の話し相手にもなれるな。さて、花たち。麗しの顔を俺に見せてみよ」
女性は、ややふくよかな体型で、深い藍色の髪と茶色の瞳をしていた。服装は簡素ではあるが、品の良いドレスで、身分がある女性なのだろう。
さあさあと陽気に催促するオトイラに、ズヤウはミレイスをかばったまま言った。
「カヒイの都より、ラルネアン・イマチ・ミクノニス殿下の使いで参りました」
「うん? ラルネアン?」
「末王子殿下ですよ! テネスナイ様に殺されかけたのを忘れましたか、フスト様!」
動きを止めたオトイラへ、ダレハスが説明の声を上げる。
「いや、それはわかっておる。で、何故、俺に……ああ、ケフェナか?」
「一度会談を設けたいと」
「俺と? おい、ダレハス、どう思う」
要件のみを淡々と告げて、ズヤウは黙る。オトイラは、ダレハスを振り向き見て聞いた。
「こうしてフスト様が好きな餌を用意して面会するからには、向こうはどうしても会いたいのでしょうね。用件は、最近の王都の動き、でしょうか。現状、ラルネアン殿下は王都から離れていますし、庇護者であるテネスナイ様も王都への手は伸びかねている状態です。情報は欲しいはず。危険がないとは断言しかねますが、良い機会に存じます。かの要塞都市の下見もできますし、願ってもないことかと」
「長い。もっと短く」
「ああもう! 会っても構わないかと!」
「なんだ、最初からそう言え」
頭を掻いて、オトイラは「よいぞ」と言った。
「それで、俺を噂でつったのだ。早く俺に美女をよくよく見せろ」
ズヤウがダレハスへと顔を向ければ、ダレハスは萎縮して頭を下げていた。その後方で呆れた顔をした女性は我関せずと眺めている。意外と肝が太い女性のようだ。
「ズヤウ」
名を呼べば、こちらを見るズヤウの眉尻が下がっていた。大丈夫だと伝えるために、顔を上げて笑みを浮かべてみせ、それからオトイラの前に出た。
ミレイスをまじまじと見たオトイラの視線が落ちてくる。期待に満ちあふれた顔が、は、と一瞬固まった後にミレイスの顎先を持ち上げてさらにじいっとのぞき見てくる。
「……確かに、稀な容貌だ。頭の色からして珍しいとは思っていたが」
「フスト様! 距離を取りましょう。後ろの御方の圧が恐ろしい域ですよ」
「はは! 安心しろ、確かに美しいが色気が足りん! あちらの男のほうがよほどあるわ! それに、この顔じゃ俺はもよおさぬな」
あと数年後だな惜しい、と唇を数度指先で触れてからオトイラは離れた。ズヤウとは違う男性と近距離だが、不思議と緊張はしなかった。無事に離れたことにホッとしながら、ズヤウのところへ戻ろうとして、声に遮られた。
「キサの顔? いえ、アサテラ兄様の!」
「馬鹿者! 声が大きい!」
悲鳴のようにつんざく声を上げて、女性が立ち上がる。ケフェナと呼ばれていた女性だ。
怒声でオトイラが返した瞬間、また悲鳴が上がる。今度は部屋の外から。それも複数だ。長い悲鳴の後に、爆発したように狂騒が階下から響いていた。
尋常ではない。部屋の中の誰もが顔を強張らせ動きが止まる。
「私が、様子を見て参ります」
「いや待て」
ダレハスが緊張した面持ちで武器を取り出したところで、ズヤウが静止の声を上げた。
「誰か来る。男が二人だ」
走り寄る音は、ミレイスの耳は拾っていない。喧噪に紛れてうまく聞き取れないが、ズヤウは確信をもっているようだ。ミレイスを背にしてズヤウは小さく言った。
「魔物が入り込んだ」
誰ともになく、は、と息を飲む音が響いた。




