六話
とりなしたフリエッタが先導に戻る。やがて到着した部屋は、変わった部屋だった。
部屋の前で護衛は待つようにと言われたが、縁者だからとミレイスたちのみ入室を許可された。イマチについて入り、ミレイスは面を食らった。
この都では伝統的な白い壁ではあるのだが、染み一つなく均一に塗られた白は天井や床も同様で、どれが壁でどれが天井かと目の錯覚をおこしそうなほど真っ白だった。
その中にぽつんと木製のこれまた白いテーブルと椅子が置かれている。上座に位置する豪華な椅子もやはり白一色で、そこに腰掛ける女性だけ浮いているように見えた。
やや小太りの女性は、装飾過多なドレスではなく、シルエットの出ない、青いドレスを着ていた。申し訳程度に首飾りや装飾品を身につけてはいるが、着飾ることを嫌っているかのように地味な出で立ちだった。
深い藍色の髪と茶色の瞳の顔立ちは、どことなくイマチと似ている。ただ、顔色はお世辞にも良いようには見えず、化粧で無理矢理血色をつけているのが、かえって不健康そうな印象を与えた。
フリエッタがイマチから離れて、女性の側に行って軽く礼をして隣に立って控える。それからイマチは丁寧な口調で、よどみなく会話を始めた。
「お久しゅうございます、コンハラナ姉上」
「ああ……ごきげんよう」
「はい、恙なく過ごしています。姉上は?」
コンハラナ・ケフェナ・ポーティアは生気がない。
瞳ばかりがぎょろりとこちらを見ていた。紅い色を塗った唇がつり上がる。柔和そうな顔立ちがぎこちなく笑顔を作ると、こうも不安に思うのかという顔だ。
「フリエッタ嬢?」
「ええ、王都より帰参してよりこのような様子ですの」
フリエッタに水を向ければ、代わりに事情を話した。
「ずっとこのような部屋で、過ごしていらっしゃるわ。あまりお食事もとらず睡眠も取れていないご様子なんですの。先の騒ぎは聞こえていたかしら、お義母様」
「ええ」
変わらずぎこちなく、にたりと笑ったままコンハラナはぎょろぎょろと辺りを見ている。口に出せば失礼にあたるが、気味が悪い。
「そうでしたか。姉上はご無事のようでよかったです」
「ええ、だいじょう、ぶ。大丈夫よ」
そこで、フリエッタが引き継いでコンハラナへ問いかけた。
「お義母様、本当に大丈夫なのですか? 私、あまりに心配で、殿下にお願いしてしまいましたの。王都より帰参されてから、守護の厚いカヒイの都に行きたがり、さらにはこのような部屋に閉じこもってばかり。とても大丈夫と思えない様子ではございませんか」
コンハラナは、あたりを見回す。注意深く何度も。
「何もいませんわ、お義母様」
「襲撃者はおれの供が退けたぞ」
宥めるようにフリエッタとイマチが語りかける。だがコンハラナは白い部屋の隅や角をよく見る。そしてゆっくりと、念を押して確認するかのように口を開いた。
「お前たちの、ほかは、誰もいない?」
イマチがミレイスたちを仰ぎ見た。ミレイスもズヤウを見るが、首を振る。ミレイスも特に見てはいないが、黒い妙な染みは見つけた。それくらいで生き物は見ていない。同じく首を横に振って否定する。
しかしコンハラナは、ミレイスたちを疑うように見て、そして徐々に顔色をさらに白くした。カタカタとわかりやすく肩が揺れ、指先が震えるままミレイスを指した。
「ああ、あ……あなた、ここに」
「ここに? 姉上、彼女が何か?」
言いながらなおもミレイスを凝視している。ズヤウがかばうように視線を遮って立てば、すこし落ち着いたようだ。イマチの問いかけにコンハラナがうわずった声で答える。
「あ、さてら……アサテラ……」
「アサテラ殿下、ですか? 第四王子殿下のことですの?」
「あさてら、アサテラ、アサテラ」
フリエッタがコンハラナの声を拾ってたずねる。コンハラナは同じ抑揚で同じ言葉を繰り返している。様子があまりにおかしい。
「ふむ。ミレイス嬢、すまないが姉上の前に来てくれるか。もちろん、貴女は貴女だということはわかっているから」
「ええ、私も男性には見えませんもの」
躊躇してしまうようなコンハラナの様子は、近づきがたいがイマチたちに言われては断れない。咎められない程度に小さく気合いを入れて了承する。
「わかりました」
ミレイスが頷いてコンハラナの近くに来ると、顔面蒼白になりながらもよくよくミレイスを見上げて、それから、長く息を吐いた。
ため込んだ緊張を吐き出したというよりも、体の中にある空気を吐ききろうとしているようにも見えた。
「あの、コンハラナ殿下」
「……おまえは、ちがう。ちがう?」
茶色の目と合う。
瞳の奥に、得体の知れない何かがうごめいているような不安感を抱かせる眼差しだった。思わず一歩後ずさった。
「お義母様、疲れが溜まっていらっしゃるのよ。アサテラ殿下と、ラルネアン殿下の女官を間違えるなんて」
すかさずフリエッタが割って入った。だが、まだミレイスを、じい、と見ている。
「テネスナイ様のお身内だそうですわ。だから、似ていてもおかしくはありませんでしょう?」
義母の背中を撫でて言うフリエッタに、コンハラナはなおもまじまじとミレイスを見ていた。微動だにせず、じっと、ただただ見ている。
「たしかに様子はよくないようだ。まやかしの魔法か呪いでも掛けられているのでは?」
イマチが言って、様子を見ているズヤウに話を振る。
「いや、かかってはいないな。心配なら、ミレイスに祓ってもらえ。多少はマシになる」
「ミレイス嬢の……うーん、水濡れになるから、それは、いい、のか?」
イマチがわかりやすく困った表情を浮かべる。ミレイスの水の魔法で、水流を作って人体に流して晒せば多少はマシになる。
魔法や呪いの類いが流水に弱いからだ。とはいえ万能でもない。かなりの力業でそぎ落とすようなものなので加減が難しいのである。
なぜそれをイマチが知っているのかというと、暗示を掛けられて襲撃してくる者もいて、ミレイスが魔法で押し流したことにより正気に返るという事例がいくつかあったからである。
「いえ、してください」
しかし、それを聞いたフリエッタが力強く言った。
「私は、お義母さまがよくなるならしていただきたいわ。少しでもましになるというのなら、してちょうだい。そこの貴女、ミレイスと言ったかしら? おやりなさい」
コンハラナにぎろりと鬼気迫った目つきでミレイスは睨まれた。黙って見られているのも呟きながら見られるのも居心地が悪かったが、ギラギラした眼差しもこれはこれで怯みそうになる。
提案したフリエッタはというと、同じように強い眼差しでミレイスを促した。手を組んで「いいから、おやりなさい!」と言う。
押しの強さに背中を押されて、ミレイスはゆっくりと魔法の水を生み出した。
「あまり、加減はできませんので、よく息を吸って止めてください」
ミレイスが言うあいだも、ずっと睨まれるような目つきが離れない。
イマチは一応言って聞かせたからといった様子で、一歩引いてミレイスに手のひらで示した。ズヤウも止めはせずに一つ助言をくれた。
「さっきの襲撃みたいに流せば良い。できるだけ、澄んだ水を思い浮かべろ」
「はいっ」
澄んだ水。朝露のように、透き通った清水を集めるイメージ。
宙に水の珠を作って徐々に大きくし、くるくると回す。
転がる球体はやがて水の流れに変わり上から下へ向かってコンハラナへと滝のように落とす。強くではあるが、人体が怪我をしない程度に治めて流しきる。
すると、コンハラナの下には、黒い藻にも似た物体が溶け出していた。
「ミレイス、それも流してしまえ。水に含んで回してみろ」
「はい」
それ、は言うまでもないだろう。
真っ白な床に落ちた物体を水の塊で掬って水流ごと輪を作って循環させる。しだいに細かい塵になって溶けて消えた物体を確認してから、水を消し、コンハラナの体も渇かしておいた。
「操作が上手くなったな」
「本当? うれしい」
褒め言葉にパッと笑みを浮かべると、ズヤウはわずかに口角を上げた。
それだけで、胸が暖かくなったような錯覚がして、胸元に両手を当てた。口元がふにゃふにゃとしまりなくなってしまいそうで引き締める。ここには、ミレイスたち以外もいるのだ。
「お義母様!」
真っ先に飛びつくように声を掛けたのはフリエッタだ。コンハラナの肩に手を当てて気遣わしそうにうかがいみた。
やがて、コンハラナが水の勢いで下がっていた頭を上げて嘆息した。
「ああ……」
呻き声にも似た声を上げて、コンハラナは両手で顔を覆った。
「お義母様、しっかり。ご気分は?」
「ああぁ」
「……お義母様」
なおもコンハラナは顔を隠して呻いている。うつむき、紺色の髪が垂れ、顔が完全に隠れている。時折痙攣するように、ピクリと体が揺れて跳ねる。フリエッタによる心配の声かけは一切届いていないようだった。
「ええ、覚悟はしていたわ。私は、ポーティア家の娘、殿下の許嫁。度胸が取り柄の女ですもの」
自分に言い聞かせるようにしてフリエッタは、大きく深呼吸をして顔を上げ、ミレイスを見た。
「ミレイス。貴女の魔法は見事でした。感謝します」
「いえ、そんな」
目線でのみの簡単な礼だが、その顔は強張ったままだった。静かになったコンハラナの乱れた髪や服を直そうと触れていた手を止めて、ゆっくりと下がる。
「王都より帰参して以来、様子がおかしいお義母様。人とろくに話せぬお義母様。それなのに、ふらふらと出かけていこうとするお義母様。ええ、私、これでも親孝行な娘ですから、気づいていました」
フリエッタは穏やかに言葉を述べる。
「お前は、だあれ?」
そうしてコンハラナは、ゆっくりと頭を上げた。
同時に、フリエッタは隠し持っていた短刀で、コンハラナの首を刺し貫いた。
寸分違わず、柄まで入れて回し抜く。
そのまま倒れていくかと思いきや、びくともせず椅子に座ったままだ。相当な勢いだったのだというのに、微動だにせず頭を上げる途中の姿勢で固まっている。
「境を守護する我が一族を謀れると思ったか!」
勇ましく吠えたフリエッタが大股で飛び退き、「コット!」と侍女の名前を呼ぶ。同時に、ガチャン、と重たい金属音がした。
「我らが討伐を果たすまで、扉を決して開けるな!」
そして続けて、フリエッタはミレイスたちを見た。
「これで、よろしくて?」
「ええ、十分です」
イマチが、にっこりと笑う。いや、言葉使いが変だ。両手を顔の前でゆっくりと下から上へと動かしていく。
そこにあるのは、カイハンが人に変化した姿だった。




