五話
ミレイスの目の前から、不自然な装いをした商人が流れていく。
魔法でできた水の流れに従って窓から放り出されて、地面に滑り落ちる。怪我は最小限に抑えるように水を操ったので、命に別状はないだろう。
すぐに階下からは、衛士たちが集まって不審者を捕まえる物音が聞こえた。恒例となりつつある襲撃である。
ミレイスが目を覚ます前からあったという襲撃や間諜は、厳冬を前にするというのに増加の一方を辿っている。
ミレイスが応対したのも、これで両手両足の指の数を超えてしまった。一度目は驚いてしまって手加減できずに水で吹き飛ばしてしまったが、十も二十も超えれば加減も学ぶ。実施の訓練ほど有効なものはないな、とズヤウも褒めてくれた。
(王子というだけでこんなにも狙われるなんて、イマチくんは大変だわ)
女官という立場となった以上、気軽に呼べないが、知った顔ばかりになった時に甘えるように接してくるイマチとは、仲良くやっているつもりだ。
本人は肝が据わっているのか、気にせず時々館を抜け出しては、フロウリーによって雷を落とされていた。
最近ではミレイスもフロウリーに加勢してイマチをたしなめている。いくら危機察知能力に秀でていて、身を守れる魔法が使えたとしても万能ではないのだ。イマチが抜け出した報告を聞く度に、意外と図太いイマチに感心してしまうほどである。ちなみにイマチの魔法は、水魔法の一種で、幻を見せるものに特化している。そしてよくそれで抜け出すのだ。
「殿下、お怪我は?」
「ないぞ!」
側に控えていたケアレがイマチに聞けば、元気の良い返事がある。
「しかし、こうも堂々とやってくるとは、その度胸は褒めてやりたいな」
「殿下、真面目になさってください。たまたまたいした相手でなかったからよかったものを」
のんきな感想に、フロウリーが渋い顔をする。
現在、ミレイスたちは貴族街の一角に足を運んでいた。イマチの婚約者であるポーティア辺境伯令嬢の誘いから、夫人にご機嫌伺いにいくためだ。そして、その矢先の出来事であった。
カヒイの都内、貴族街には各貴族の家々が立ち並ぶ。他の領から貴族が来たときの別荘地も含む街並みは壮観だ。
古くから在る邸宅は白壁で、他の領地の建物にはそれ以外の壁色であるため、どの領地の者か大まかに判別できるようになっている。
今回赴いた場所は、白壁の館。
テネスナイ所有の迎賓館の一つだ。貴族街の中においては、ひっそりと目立たない位置にあるが、それでも豪華さは他に劣らない。お忍びでやってくる客人用の建物である。
その建物に居るのが、ポーティア辺境伯夫人とその義娘だ。
時間を指定してまで赴いて、館に上がったはいいが、この始末である。
自分は居残りをするが念のためにと予想を立ててくれたカイハンによって、心の準備ができていたことが幸いした。それに、館外にもイマチの護衛となって動くズヤウがいてよかったとミレイスは安堵した。捕り物の物音も聞き取れたし、うまく他の者につき渡してくれているだろう。
ミレイスが濡れた場所を魔法で取り除いていると、にわかにドアの向こうから騒がしい足音が近づいてきた。がしゃがしゃと慌ただしく駆けて、やがてドアが勢いよく開け放たれた。
「殿下! ラルネアン殿下! あなたのフリエッタが御身を守りに参上いたしましたわ!」
甲冑を身に纏って、槍斧を抱えてきた少女が勇ましく吠えた。
磨き上げられた銀の甲冑が光に反射すれば、使い込まれているとわかる細かな傷がチカチカと映った。
急所を覆う鎧の人物は、ミレイスと同じくらいの背丈の少女だ。槍斧を振るいながら辺りを見回す。兜から覗く、くせのある長い赤毛がうねって翻る。
「ただちに排除、を……? あら? おかしいわね」
身構え、警戒していたが周囲に何もないとわかったのか首を傾げている。
フリエッタと名乗った少女は、もしかしなくても、この館に招かれた客人の義娘、フリエッタ・ポーティア辺境伯令嬢だろう。
やがて少女が来た扉から、早足でお付きの侍女だろう女性がやってきて小声でフリエッタを諫めている。
「フリエッタ様! 獲物をお納めください!」
「はっ! あらいやだ。うふふ、ごきげんよう殿下」
兜を外して、さっと槍斧と一緒に侍女へ渡したフリエッタがイマチに向き合って拝礼する。
フリエッタはツンとした印象の可愛らしい少女であった。つり目がちの緑の目は力強く輝いてこちらを見ている。背丈は高いほうであるが、顔があらわになれば少女らしい少女に見える。年の頃はイマチより多少、年上だろうか。ただし、先の行動からして相当なお転婆だと予想できた。
取り繕う姿がおかしく感じたのはミレイスだけではないようで、イマチはそれを見て楽しそうに笑った。
「今日は、猪武者の娘と会う予定だったか。フリエッタ嬢、五年ぶりだな?」
「ほほ、なんのことでございましょ」
しらを切ろうとしているが、随分手遅れだ。
格好もおおよそ貴人を前にするものではなく、戦装束といっても過言ではない。表情を取り繕いながらも侍女はそっと顔を逸らしている。
「ああいや、責めるつもりはないぞ。手紙より実際に見たほうがよくわかるものだというが、安心したのだ。どんな乱暴者になったかと思っていたが、フリエッタ嬢は面白いな」
「まあっ!」
王子様然とした態度を作ったイマチが言う。勉強の合間に、女性の褒め方をカイハンから学ばされていたのを知っているミレイスとしては、「おお、実践している」と妙な感動を覚えた。イマチの学習能力は優れているようで、考えながらも努めて優しくフリエッタに笑いかけて褒めそやしていた。
まるでカイハンのようである。同じ護衛のフロウリーやケアレも感心したようにうなずいて成長を喜んでいるように見えた。
「うん、単純に可愛いだとか美人だとか褒めるべきなのだろうが、真っ先にそう思ったのだ。気を悪くしないでほしい……だが、面白いフリエッタ嬢も魅力的だぞ。だから、フリエッタ嬢もおれを好いてくれると嬉しい。今後もよろしく頼む」
「まあああっ! いやですわ、もうっ! お上手ですこと!」
瞬間、カッと顔を真っ赤にしたフリエッタが片手で頬を隠して恥じらい、もう片手でイマチを突き飛ばした。一瞬の出来事であった。
空中を綺麗に吹き飛んだイマチを眺めて、真っ先に我に返ったフロウリーが叫ぶ。同時にミレイスが魔法で水のクッションを作って受け止めて下ろす。
ぽかんとしたイマチときゃあきゃあと恥じらうフリエッタ、なんとも言えない顔で二人を見守るミレイスたち、混沌とした場ができあがっていた。
「ぐっ、うう、なんて力強い……そして、なぜ、褒めたというのに吹き飛ばされたのだ?」
「照れ隠しかと存じます。ええ、きっと」
冷静にケアレが返すが、顔色はよくはない。それもそうだ。大事な王子が吹き飛ばされたのだから。
「聞きましたかコット! 殿下が、ラルネアン殿下が、私を魅力的だって仰ってくださったわ! 今日は宴よ!」
「フリエッタ様、皆様の御前です。お納めください」
「はっ? あら!」
侍女の声にまたスンッと取り繕ったフリエッタが口元に手をあてて可愛らしい咳払いをする。
「んんっ。ご無事で何よりですわ。そして、私の我儘を聞いてくださいまして嬉しゅうございます。さっそく、ご案内を……そう、この私! 貴方が魅力的と仰るこの私、フリエッタが! 案内いたしますわっ!」
「フリエッタ様、一人で先走って急ぎ歩きませぬよう」
「わ、わかっていますわよ! さっ、おいでになってくださいまし。こちらですわ!」
「はは、元気がいい。そんなに引っ張ったら千切れてしまうぞ」
一人で歩こうとして慌てて戻って、イマチの側に早足できて腕をむんずと組み歩きだした。慌ててそれに付いていくフロウリーたちに続いて、ミレイスも進もうとして止まる。
窓のほう、落とした人物は大丈夫か気になったのだ。振り返ると、窓の桟に黒いものがこびりついている。
気になって近寄れば、それはベタついた液状のものだとわかった。嫌な臭いがする。
(これは?)
迎賓館にこのような汚れがあるのはおかしい。なんとなく気味が悪くて魔法を使って流して清める。すぐに消えたことに安心していると、窓の桟に人影が立った。
「どうした」
「ズヤウ」
上から降りてきたらしいズヤウは、器用に窓枠にしゃがんでいる。手のひらでさっさっと動かした。後ろに居たケアレを先に行かせたのだろう。振り向けば頭を下げてケアレがイマチたちを追いかけた。
「気になる汚れがあって、掃除をしたの」
「汚れ?」
「ごめんなさい、流してしまって今は見えないけれど。黒いべたべたしたものだったわ」
「へえ」
そのまま中に入ってきて、ズヤウは部屋の内部を見てからミレイスの手を取った。
「行くぞ。あちらから離れすぎるとまずい」
「あっ、ごめんなさい。急ぎましょう」
駆け足気味に、合流するため先を急いだ。
ズヤウは知っているかの様子で道を進んでいる。
「来たことが?」
「昔に、何度か」
短く返答をしたズヤウに引っ張られるがまま付いていけば、先行していたケアレたちの後ろ姿を見つけた。思った以上に奥まった部屋に向かっているようだ。まるで、宝物庫のようにも見え、重要な場所だろうかと思わせた。
「あら、先ほどの……隣は、どなた? いたかしら」
「おれの護衛と女官だ。夫婦でおれを助けてくれている。そこのミレイスは御祖母様の縁者だ」
「あら! そうでしたのね。そーお、夫婦で……きゃっ!」
合流したミレイスたちに、こちらを見たフリエッタが眉間にしわを寄せた。すぐにイマチが助け船を出す。
フリエッタが何かを想像したのか。身をよじれば、組んだままの腕が振れてイマチごと揺れた。なんとも力強すぎるご令嬢である。
「あの、ズヤウ? 助けないの?」
「助ける必要があるのか?」
されるがままのイマチを見て、ミレイスがこそりと隣に囁けば、小声で返された。
いいのだろうか。一緒に見守るフロウリーやケアレも、苦笑いはしても止めようとはしていない。
ミレイスはわからないながらも、きっといいのだろう、そう思って二人の戯れを眺めた。




