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「一か月ぶりだと思うけど、違ったかな?」


「あってるよ」


 ぼくは彼と再開した。


 あれから浮輪ちゃんに謝らせられ(浮輪ちゃんを困らせたかららしいが、どこか腑に落ちない)、一人、また一人と教室にクラスメイトが集まりだした頃に、用があるからとぼくは浮輪ちゃんから離れた。一時間目が始まる一分前くらいに教室に戻り、そこからはいつも通りの一人の時間だった。


 友達が欲しい、と思ったことがないと言えば嘘になる。ぼくだって人間で、その子供だ。友達が欲しいとそんなありきたりで普通なことを思ったことだってある。ただそれが小学校の前半までのことで、それ以降は一度も欲しいと思ったことがない。


 その原因がなんであったのか、ぼくは憶えていない。思い出そうとしても、いつも記憶に靄がかかり、先が見えなくなる。なにを見せないようにしているのか、それとも元々ない原因を探っているせいなのか、ぼくの記憶は小学校後半からしかない。中学生のぼくからしてみれば、それは人生の半分の記憶に靄がかかっていることになる。


 記憶喪失というわけではない、たしかに記憶はあるのだ。ただ見えないだけで、ただ掴めないだけで、たしかにそこにある。それだけはわかっていた。


 原因がわかってもわからなくても、ぼくは一人で過ごしていくだけだ。幸いにもぼくのクラスの人数は偶数であるため、班作りやペア決めで困ることはない。ぼくがなにも行動を起こさなくても、数の足りないところに入っていけばいいだけの話だ。


 学校生活において、友達がいなくても困ることはないのだ。


 そして今日もまたぼくは放課後一人で教室に残っていた。そうしていれば彼に会える、なんてロマンチックなことを考えていたわけではない。ただそれがぼくのいつも通りだったからだ。


 外から聞こえてくる部活動の音を聞き、廊下を伝って聴こえてくる音楽を楽しんだ。そうやって空を見ながら、時間が経つのを待つ。ときどき風でざわめく葉の擦れ合う音も好きだった。


 空が赤くなり、もうじき黒く染まっていってしまうだろう時間に、教室の扉をノックする音が聞こえた。すでに部のほとんどが部活を終えたのか教室内に響いていた音はそのノックの音だけだった。


 ぼくは大好きな空を見るのをやめて振り返った。そこにいたのは彼だった。


「一ヶ月も音沙汰がないから、ぼくは名も知らない誰かにおちょくられたのかと思ったよ」


 ぼくは今日のことを振り返るのをやめて彼にそう言った。彼は六月の半ばだというのに黒い制服を着ていた。袖を捲るようなこともしていない。


「ちょっと準備したいことがあったんだよ。そう簡単に人を殺せない世の中だからね。いろいろと準備が必要だったんだ」


 彼は準備を強調していた。その準備がなんなのかはあとで聞かせてもらうとして、ぼくは別のことを彼に訊いた。


「きみはこの学校の生徒?」


「違うよ。きみはもしかして自分の学校の制服もまともに見たことがないの? それはまた……、きみは変わった子だってよく言われるでしょ」


「……きみほどじゃないよ」


 ぼくだってこの学校の制服を見たことがないわけじゃない。むしろ毎日のように見ている。授業中。昼休み。放課後。一日で見ない時間などないくらいだ。登校中はさすがに見ることはないけど。ぼくの登校時間に登校する生徒などほとんどいない。


 ただそれは見ているのではなく、見えているだけ――視界に入っているだけなのだろう。教科書を読んで単語が目に入るだけで、いざ思い出そうとすると憶えていないのと同じように。ただ視界に映っているだけで、憶えようとはしていない。


「僕ほどじゃない……か。うん、まあそうかもしれない。僕は変わった子だってよく言われるからね。嫌なくらい聞いてきた。きみはそうでもないのかな?」


「ぼくは他人の話を聞かない人間だからね。そういうのは一切耳に入ってこないよ」


「ぼくは耳に入ってきてはいるんだけど、気にしてないタイプだ。変わった子だと言われても直す気はない。はい、そうですか、とも思わない。なんにも――思わない」


 彼の声色が少し変わったのが気になった。それは彼の数少ない感情を表した瞬間だ。二度しか会っていないけれど、彼もぼくと同じで感情を表現するのが得意ではないのだろう。もしくはあえて感情を出さないようにしている。


「今日はここで話すつもりはないんだ。一緒に帰らない?」


 他校の生徒に、それも教室内でそんなことを言われるのは文化祭くらいだと思っていたけれど、そんなことはないらしい。ぼくの思い違いだったようだ。


 言うまでもないが、文化祭でそんなことを言われたことはない。そもそも文化祭に出たことがないのだ。去年の暮れぐらいに行われたらしいのだが、ぼくは何食わぬ顔で家にいた。普通に休日であると思っていた。それは文化祭の準備の日に、ぼくが学校を休んだせいでもあるのだけれど、それ以前に文化祭のことを知っていたかと聞かれると少し困る。なにぶん、ぼくは興味がないことにはとことん興味がない。


 ぼくは彼の誘いに頷き、あらかじめ帰りの支度を済ませていた鞄を持ち、彼と共に教室をあとにした。ちょうどその瞬間に見周りでもしている先生と鉢合わせになって、彼がうろたえてくれたら面白かったのだけれど、そんな都合ないいことは起きなかったし、彼がそのくらいでうろたえるとも思えなかった。


 彼と肩を並べて帰路につくというのは違和感があった。自分がもう一人いるような、横に鏡があるような、そんな気分にさせられた。

彼はぼくよりも身長が少し高い。ぼくの背が低いせいでもある。身体測定で身長を測ったけれど、たしかそのとき、一ミリほど身長が伸びたなという感想を持った記憶がある。一年で一ミリしか伸びなかった。その辺に生えている雑草のほうが、ぼくよりもはるかに成長している。


 学校の敷地内から出るまで、ぼくたちは一言も言葉を交わさなかった。彼が堂々と校内を歩いていても何も言わなかったし、昇降口でぼくが靴を履き替えているときに、彼が外履きで校内に入っていたことに気付いたときも、やっぱり何も言わなかった。


 ぼくが彼と帰宅しているときに最初に口にした言葉は「遠慮しておく」だった。彼は敷地から出てすぐに、


「歩いて帰るのは面倒だなぁ。その辺に停めてある自転車パクって二人乗りして帰らない? 青春っぽい感じがしていいと思うよ」


 と言って、その辺に停めてあった自転車に向かって歩きだし、鍵を壊そうとした。ぼくは唖然としたが、彼の小さくなった背中に向かって「遠慮しておく」と告げた。その辺に停めてあると言ったが、もちろん都合よく学校から出てすぐに自転車が置いているわけがなく、彼は学校に戻っていき、自転車置き場に残っている自転車を狙った。どこから見ても他校の生徒が自転車を盗もうとしている絵面だった。


 奇跡的とも言うべきか、この場にいるのはぼくと彼だけだ。普段ならもう少し生徒がいてもおかしくない時間。部活終わりの健康優良児たちが歩いていてもいいはずだ。だが、やはりこの場にはぼくと彼しかいないし、誰かが歩いてくる様子も見受けられなかった。


 彼は鍵を壊すのにちょうどいい石を見つけ、それを自転車の鍵に何度か打ちつけた。そのときの音は低く鈍い音ではなく高い音で、よく響いていた。しかしそれでも誰も自転車置き場に来ることはなかった。数分経っても、自転車の鍵は壊れなかった。それと同様に、誰も自転車置き場に来やしない。


 ぼくはその数分の間、彼のことは気にせずにただただ色の変わっていく空の様子を眺めていた。雲の形や流れる速さなどを見て暇を潰していたのだ。雲にはいくつもの種類がある。ぼくにはどれにどんな名前が付いているのか区別することはできないけれど、考えた人はきっとぼくのように雲を眺めていたんだと思う。雲が好きだからとかではなく、なにも考えずに空を見て、あれはあの形に似ているな、なんてことを思ったに違いない。


 未確認の星を見つけた人はその名前を付ける権利が与えられると聞いたことがある。恐竜でもそうだとも聞いた。それと同じように雲の名前を付けられるのだろうか。無限に形を変えることのできる雲に名前を付けて、誰にも区別できなくなったらとても面白い。無駄に長い名前を付けたり、無駄に可愛らしい名前を付けたり、と。


 でもそれはきっと無駄なんだろう。誰も憶えようとしない。見えている月の状態で名前が変わることなんて誰が知っているのだろうか。本当に興味がある人以外は満月、三日月、新月くらいしか知らないはずだ。


 それ以外に憶える必要などないから。


 だからきっと雲に名前を付けても同じことなんだ。


 人とは――違う。


 ふと空を見ていた視線を自転車置き場に替えると、そこには鍵を壊すことを諦めた彼の姿があった。


「もう、いいの?」


 ぼくの問い掛けに彼は頷いた。なんだかとても落ち込んでいるように見えたのは、きっと彼が自転車に乗って楽をして帰れなくなったからだろう。


「こんなことをする意味はなかったね。壊れないなら壊れないって書いといてくれればいいのに、不親切な自転車だよ」


「そうかな? ぼくはその自転車がとても優秀に見えるけれど」


 数分もの間、石で叩かれ壊れずにいるなんて、そうそうできることじゃない。あの自転車は職務を全うしたのだ。ここは褒められるべきである。


「まあでも、きみが待っていてくれたからいいか。あまりにも静かだったから、僕はてっきり帰ってしまったと思っていたよ」


「一緒に帰ることに同意したからね。それに誰も来なかったし」


「それは誰かが来ていたらいなくなったってこと?」


「当然だよ。変なことに巻き込まれたくはないからね。一目散に逃げ出して、その辺からきみの様子を見ていたと思う」


「それは酷いね。どんな神経を持っていたら、友達を見捨てることができるんだい?」


「友達……? 誰が?」


「僕だよ。僕ときみは友達だろう。違うのかい?」


「……まあ、いいけどね」


 友達ではないと言おうと思ったけれど、今朝のこともある。浮輪ちゃんのことも友達とは思っていなかったが、なんだかんだ友達のままだ。一方的な友好でも関係は成り立つらしい。浮輪ちゃんのことを憶えていなかったように、彼のことも憶えていないだけなのかもしれない。ずっと前にどこかで会って、話していたのかもしれない。ぼくは大抵の人を初対面だと思う癖があるらしい。それが彼にも適用されていると考えられないわけでもない。


 だけど、彼みたいな人を忘れることができるだろうか?


 それとも以前はまだここまでじゃなかったのか。


 どちらにしたところで、彼はぼくを友達と言い続けるだろう。ならこの際認めてしまおう。これから何度もこのやりとりをするよりはずっとマシだ。


 それにどうせ表面上だけの関係だ。


 浮輪ちゃんとも、彼とも。


「あと、変なことなんて言うけど、きみはこれからもっと変なことを見るんだから、これくらいのことは普通だと思ったほうがいいよ」


「わかってるよ。けれどぼくにはどちらも『異常』という点では同じだよ」


「そうだね。そうかもしれない」


 ぼくたちは、ようやく学校の敷地から足を踏み出した。校門から出るまでも教師や生徒に出くわさなかったのは、異常だと思えた。


 学校から一番近い駅は歩いて十五分ほどのところにある。その周りは商店街で賑わっており、ぼくの通っている中学の生徒や地元の人たちがよく利用している。遊ぶのにも、休むのにも不自由しない商店街なのだ。


 ぼくはてっきり彼が地元の人間でないと思い、そっちへ向かおうと思ったのだが、彼は駅とはまったく反対の方向へと歩み出した。一言くらい言ってくれればいいのに、彼はぼくの肩を二回叩いただけだった。そしてものすごく歩くのが速い。振り返ったときにはすでに十五メートルくらいは離れていた。


 少し駆け足で彼に近づいて行く。彼はその間、振り返ることを知らないかのごとく前進し続けた。


 駅前とは違い、おとなしい雰囲気の商店街を進んで行く。人通りは少ないが、決して寂れているわけではない。ただほとんどの人は駅前のほうへ流れていくので、こちら側は昔ながらの地元の人が多くいるのだ。駅前は電球が輝いているようだが、こちらはろうそくが灯っているようである。温もりがあるといった感じだ。


 いつの間にか歩く速度が落ちた彼と肩を並べて歩いて行くが、彼は一言も話さなかった。どうやらぼくと彼はあまり口を交わすタイプの友達ではないようだ。話さなくても相手のことがわかるほどの関係になった憶えはない。話してもらわないとわからないような関係なのだが、ぼくも彼も必要なこと以外は話さないようだ。ぼくの彼に対しての第一印象は、おしゃべりな人だったのだが、違ったらしい。


 必要なことだけを質問し、必要なことだけを答える。


 本当にぼくみたいだ。


 気持ち悪いくらいに性質が似ている。


 ふと、彼が立ち止まった。あまりにも急だったので、ぼくは二、三歩くらい進むのを止めることができなかった。振り返ると、彼は「どこに行くの?」と顔で告げていた。決して口には出さず、目で訴えかけてくるばかりだ。

 

 そこは言うべきだろうとぼくは意見しなかった。

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