偽装の余白【第5章:余白に残るもの】
2025年10月15日、神谷圭吾は沈黙を続けていた。
出版社は装丁大賞の受賞取り消しを検討し、複数の契約は打ち切られた。
業界内では「神谷は終わった」という声が囁かれ始めていた。
神谷は、自宅の書斎にこもり、過去の作品を見返していた。
その中には、遥の作品を模した装丁もあった。
彼は、初めてその作品を前にして、真正面から向き合った。
「これは、私のものではなかった。」
その言葉を、誰にも聞かせることはなかった。
一方、三浦拓真は、遥の遺族から一冊のノートを託されていた。
それは、遥が大学生活の中で綴っていた創作ノートだった。
装丁案、色彩設計、文字配置の試行錯誤——そして、日記。
三浦はページをめくりながら、遥の声を聞いていた。
そこには、彼女の創作への情熱と、孤独と、希望が詰まっていた。
佐伯遥の遺稿(2025年9月25日)
|作品を作ることは、私にとって生きることだった。
|余白は、沈黙じゃない。
|誰かに語りかけるための、私の声だった。
|もし、誰かがこのノートを読むなら——
|私の作品を、私の名前で呼んでください。
2025年10月20日、週刊誌『現代視点』は続報を掲載した。
三浦の署名記事には、遥の遺稿の一部が引用されていた。
記事の末尾には、こう記されていた。
「彼女の作品は、誰かの栄光のためにあったのではない。
それは、彼女自身の魂のかたちだった。」
SNSでは、遥の作品が再評価され始めた。
大学では、彼女の展示作品が常設展示として保存されることが決まった。
小さな展示室の白い壁に、彼女の作品は再び貼られた。
今度は、しっかりと名前が添えられていた。
神谷圭吾は、業界から姿を消した。
だが、遥の作品は残った。
それは、誰にも奪えないものだった。
(つづく)