01号室 賢者との遭遇
改めて、俺と倒れていた怪しい男は、俺の部屋兼管理人室にあるちゃぶ台に向かい合って座っていた。
「改めて、私の名はヴァン・ホーエンハイム・パラケルスス、錬金術師だ。人は私を賢者と呼ぶ」
無言でブザーを掲げる。
「ちょっ!?何でぇ!??」
「真面目に答えろや」
「ホントにホント!?嘘偽りなしの錬金術師で賢者なんだって!あ、いやもう賢者じゃなくていいです。ただの錬金術師です。だから鳴らすの勘弁して下さいお願いします」
どうも本当のことらしい。ブザーを胸ポケットにしまうとヴァン・ホーエンハイム・パラケルススとやらはほっと胸を撫で下ろす。
「しかし、錬金術師ねぇ。平成も終わって令和の今の世の中に……」
「そのヘイセイ、レイワ、というのはわからないけど、ほ、本当に錬金術師なんだ。信じてくれ」
ヴァン・ホーエンハイム・パラケルススと名乗った男は両手を合わせてこちらを必死に拝んでくる。言っては何だが、もはや早速シリアスの欠片もない状況だ。
「わかったわかった、とりあえずは信じるよ。で、その錬金術師のホーエンハイムさんがなんでこの空き家に倒れてたんだ?」
「とりあえずって………まあこの際いいや。で、倒れていた理由はね、空間転移の魔法術式を起動させたからだよ」
「魔法術式?」
また胡散臭い単語が出てきたよおい。
「おや、そこからかい?こりゃ本当にここは異世界らしい……魔法術式というのは、簡単に言えば複数の魔力を含んだ媒体で画かれた術式を組み合わせて、それに応じた超常的現象、所謂魔法を再現させるものだよ。さっき君の鉄の板を引き寄せたのもそれさ。≪目の前の≫≪金属を≫≪引き寄せる≫、と、こんな具合に即席で書き込んだんだ」
成程、要するにプログラムの魔法版といったところか。てか、そんなことをあの一瞬でやってたのかこの男。これは賢者というのもあながちウソじゃなさそうだな……
「で、なんで倒れていたかと言うとね、これは単純に疲労だよ。何せこの術式を設計から完成させるまで5日間寝る間も食う間も惜しんでぶっ通しで画き詰めだったからね」
ハハハっと、パラケルススは笑って頭を擦る。
「なるほど、制作に熱中して回りが見えなくなるタイプかアンタ」
「ハハハ、いやはや面目ない」
「まあ、その感覚はわかるよ。俺もまぁモノ描きの端くれだし」
「ほう、君は小説家なのかい?」
「ライターというか、まぁ漫画というものを《グゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ~~~~~》………」
「………いや、本当に面目ない」
説明の途中に誰かさんの腹の虫で遮られる。そういえば、食う間も惜しんでとか言ってたなこの人……
「………とりあえず、飯、食う?」
「………お願いします」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「バクバクバクバクバクバク」
「………要するに、パラケルススさんは今から500年前のヨーロッパの住人で、しかも魔法なんてものが存在する世界線の人間だと?」
「バクバクバクバク……正確には、496年前のイタリア・フェラーラ大学だね。そちらこそ、ここが私の時代から496年後の極東の島国黄金の国で、しかも魔法文明の存在しない世界だって?それにしてもなんだこりゃ!?ただ乾燥させた穀物を雑多に混ぜたものかと思ったら、仄かに味付けがされていて乾燥ベリーの酸味とカボチャの種の歯応えが絶妙なアクセントになっている!?それにこのミルクはなんだ!?甘いっ!ミルクが甘酸っぱい!?これはヨーグルトか?いや、この色と酸味はベリーの……」
「食うか喋るか考察するか味の感想言うかどれか一つにしろよ」
「ガツガツガツガツガツガツガツガツ」
「ぅおい」
フル○ラの飲むヨーグルト(ブルーベリー)かけを黙々とかっ食らうこの男、ヴァン・ホーエンハイム・パラケルスス。鬼気迫る表情でフ○グラを頬張るその姿は早速賢者の“け”の字もない。
「にしても、パラケルススねぇ……」
なんかどっかで聞いたことがあるような気がして、スマホで調べてみたらまぁ出てきたよ。
ヴァン・ホーエンハイム・パラケルスス。本名をテオフラストゥス・ホーエンハイム。パラケルススというのはペンネームみたいなものらしい。
科学・錬金術の大家にして、科学、医科学、生物学、星占学、その他多くの功績を残した医学界の祖と呼ばれる人物。当時主流だった四大元素に対し、水銀、硫黄、塩からなる三元論を発見し、そして錬金術師の代名詞である、不老不死の碑石"賢者の石"や、人造人間"ホムンクルス"の開発に成功した数少ない人物とされている。
が、その性格は曰く反骨的かつ大層なひねくれ者。他人の粗を指摘しては大学教授をはじめあちこちで口論を繰り広げたとされ、その弟子にして『学者としては天才、人間としては三流』と言わしめた人物だ。
「ごくっごくっごくっごく……………ぷっはぁ~~!いやー生き返ったぁ~!まさかフレークにこんなに感動させられるとは!!」
(……いまのところただのくたびれたおっさんでしかないんだが)
当のパラケルススはといえば、ヨーグルトの一滴も残らず飲み干した器をテーブルに置き、パーフェクトに満面の笑みを浮かべている。
「………それで、先程から君が覗き見ている金属の板は何だい?」
流石は賢者、よく観察してるわ。パラケルススは興味深げに俺の手にあるスマホを眺めている。
「スマートフォンといいましてね、言わばものすごくコンパクトにした辞書みたいなものですよ。知りたい事柄を指先で入力すると、それに連なる情報が引き出される。まぁ、元々は電話っていう、遠くにいる人間と声で交信するための道具の系列なんですがね」
「成る程、それを使って私の情報を引き出した訳か。見せてもらっても?」
「言っときますけど、これは飽くまでこっちの世界でのパラケルススについての情報ですよ?てか、そもそも日本語は読めるんで?」
「ああ、そう言えば日本語はまだ習得していなかったな」
パラケルススは渋々といった様子で椅子にもたれかかる。と言うか、今の説明で納得できるのかよ。
「そういえば、さっきから疑問だったのですが……」
「ああ、楽な口調で話してもらってかまわないよ。大方私の功績と歳上という立場から形ばかりの敬意を払っているのだろうけど、その明らかに使い慣れていない所々間違えた敬語を使われても気になって仕方がないだけだからね。それなら最初から砕けた口調で話してもらったほうがいい。何よりそちらの方が私は好ましい」
「………さいですか」
ああ、成る程。確かにこいつ性格悪いわ。
「さて、では改めて疑問を提示してくれたまえ」
「……俺たちの言葉がお互いに通じているのはなぜだ?俺は普通に日本語を話してるんだけど」
「ああ、それはね。これのおかげだよ」
パラケルススはそう言うと、腰から一本の短剣を取り出した。一見、何の変哲もないような短剣。その柄に刻まれた文字は『Azoth』。
「………アゾットの剣、か」
「ほう、どうやらこちらの私もこれを造ったらしい」
アゾット剣、パラケルススが製造し、常に携えていたという短剣だ。
その柄は取り外し式で、中には万能薬が携帯されており、パラケルススはそれで自身や患者の治療に当たったという。
「で、その万能薬こそが……」
「その通り、賢者の石さ」
パラケルススが短剣の柄を回すと簡単に外れ、中から赤く輝く石がころんとテーブルに転がり落ちた。それはまるで血を固めたように赤く、脈打つように淡い光を放っている。……これが賢者の石、か。
パラケルススは賢者の石を摘まみ上げ、弄ぶように手の中で転がす。
「私はこの賢者の石の恩恵により肉体は常に万全の状態に保たれている。大抵の傷は直ぐに塞がるし、心臓は鼓動を止めず、生命活動を停止することはない」
「なるほど、それで常人ならとっくにおっ死んでるようなオーバーワークもぶっ通しで続けることが出来る訳ね。それに聞いてる限り、飽くまで回復するのは肉体的損失だけで、精神的ダメージには対応してないらしい」
「君は理解力という点において非常に優れた人間だね。いちいち説明する手間が省けていいことだ」
要らん知識と妄想力はオタクと物書きの専売特許だよ。というか、死ぬほどの空腹と疲労を抱えてなお生きてるっていうのは、それは文字通りの生き地獄じゃなかろうか。
「それで?その短剣が言葉が通じることにどう関係するんで?」
「私はこの短剣を制作した際、賢者の石以外にも様々な術式を組み込んでいる。その一つが翻訳の術式。《私と》《会話をする》《お互いの》《言葉が》《理解できる》という術式さ。他国の人間や少数部族との交流に便利なんだ」
「なるほど、流石は賢者。何でもありだな」
「そんな万能な訳ではないさ。さっきも言ったが、術式を起動するにはそれ相応の魔力が必要になる。こうして会話をしている最中にも魔力は消費されていってるのさ。それを補うのが賢者の石だ」
なるほど、賢者の石ってのは所謂補助バッテリーみたいなものか。ただ、その容量は本体の遥か上を行く。
「で?そんなにもすごい賢者様が、一体何の目的で空間転移なんかを?」
すると、突如パラケルススは俯き顔に影を落とす。あ、大方予想はしてたけど、やっぱこれ地雷か?
「………逃げるためさ」
ポツリと、パラケルススは絞り出すように小さな声で言った。
「逃げる?」
「そうっ!!あんのフェラーラのゴミクソ共!!名誉顧問だなんだと言って私を大学の研究室に閉じ込めやがって!!3ヶ月だぞ3ヶ月!?入り口には3t級ゴーレムを配置して部屋にはご丁寧に魔力封じの結界まで張りやがって!!まぁ結界の方は30分で解除してやったがなぁ!!ざまーみさらせ落伍者め!!」
パラケルススは憤慨し、恨み節たっぷりにその大学への罵詈雑言をぶちまけている。
史実によると、パラケルススはかなりの放浪癖の持ち主だったとのことで、北はデンマークから東は小アジアと一年のほとんどを世界各地を放浪し、各地の民間療法や薬学知識を身に付けていたのだという。
そんな人間が3ヶ月も拘束されてたら、そりゃこうなってもしかたないか。憔悴して倒れてたのはノイローゼも入ってたんではなかろうか。
「あんたを拘束して、大学の連中は何がしたかったんだ?」
「さぁ?大方賢者の石の作り方を聞き出そうとでもしてたんじゃないか?ま、今やそれも詮無きことさ。このフレークと比べたら牛の鼻くそほどの価値もない」
「そんなに言う?」
「そんなに言っちゃう」
パラケルススは上機嫌にスプーンでフレークの器の縁を叩く。解放されたことがよっぽど嬉しいらしい。
「で、あんたはこれからどうするんだ?」
「そうだねぇ、どうせ今から帰ってもまた大学の連中にかぎつけられるだろうし、それにせっかくこんな普通は絶対にありえない状況下にあるんだ。ここならまさに雲隠れにはうってつけだし、この世界の医学や化学文明とやらもぜひ知りたいね。ま、目下ひと月くらいはゆっくりしようかな」
パラケルススはそう言ってこちらをニヤニヤと眺めている。……ああ、はいはい。わかるよわかる、言わんとしていることは。
「はいはい。要するに、こっちの世界で好きにするための拠点として、このアパートを使いたいってことね」
「流石、わかってるじゃないか♪」
「別に構いはしないよ。どうせ部屋は有り余ってるんだ。好きに使ってくれて結構。
ただし、部屋に住むからにはキチンと家賃を払ってもらう」
「成程、当然の道理だね。何が欲しい?金かい?それともやはり、これかい?」
パラケルススは賢者の石を摘まみ上げ、見せびらかすように揺らす。そして、試すようにこちらを覗き見ている。
ったく、よく言うよ。それをしたくないからこんなところまで逃げてきたんだろうに。
「いらねよそんなもん。古今東西の物語、不老不死を追い求めるやつも至ったやつも碌なもんじゃない」
俺の答えが意外だったのか、パラケルススは呆気に取られている。おいおい、お前が持ち掛けたんだろうが。
「………本当にいいのかい?私が言うのもなんだが、こんなチャンスは文字通り絶対にありえないことなんだよ?」
「絶対に有り得ないってことはふつうに生きてる分には必要ないってことだろ?じゃーべつになくても困らないじゃん」
パラケルススはまるで有り得ないものでも見るような目でこちらを凝視している。
「………ソレを求めて世界中の人間が躍起になってきたんだぞ?」
「人間は分相応にしか生きられねえよ。少なくとも永遠の命なんざ俺には不相応だ。間違いなく心が腐っちまう。だからイラネ」
そう返すと、パラケルススは顔を伏せ、肩を震わせ黙ってしまった。
やべっ下手打った。流石にそれを追い求める錬金術師相手に今の発言は虎の尾か?
「………っ、ふふ、ははははっ、はははははははははは!!!」
と、思ったら急に笑い出した。ちょっ!?何なの一体……
「ははははははは!!!いいね、最高だよミスターイエナガ!!そんなことを言った人間は君が初めてだ!!」
パラケルススは何がそんなに面白いのか、腹を抱えて爆笑している。
「はははははは!!!ひー、ひーっ………しかし、だったら僕は何を家賃に支払えばいい?生憎持ち合わせは他には身一つでね」
「そうだねぇ……」
身一つ、身一つねぇ……身?
「……あ、そだ」
「お?何か思いついたかい?」
「それじゃあ、あんたのことを使わしてもらおうか」
「…………え?」
パラケルススは一瞬呆けていたが、すぐさま顔を引きつらせて壁際まで後退りった。
「い、いやごめん。僕には男色の気は……!」
「ちげーよバカ、俺もねーよバカ」
お約束じゃねーんだよ。
「いいか?さっきも言ったが、俺は漫画家というものを目指して活動している」
「ああ、そういえばそんなことを言っていたね。たしか枠ごとに区切られた絵と文でストーリーを表現しったもの、だったかな?」
「そう、俺はその道を目指すからには絶対に一度はヒットさせたいと思っている」
「ふむ、表現者としては当然の欲求だね」
「編集、何より読者の記憶に残るには、相応のキャラクターとストーリーがなくてはならない」
「ふむふむ」
「そこで、あんただパラケルスス。あんたは世に名高い錬金術師で、世界中を回って得た知識と経験を持っている」
そこまで言い、パラケルススは俺が何を言いたいのか理解したようだ。
「成程。つまり君は、僕の経験と知識をもとにストーリーを作りたいわけだ」
「そういうこと。てかあんた、一人称が私から僕になってるぞ?」
「んん?ああ、もういいや。君を相手に取り繕うのは。しかし、成程。本当に君は興味深い」
そう言うと、パラケルススはテーブルから身を乗り出し、こちらに手を伸ばす。
「OKだ。僕は君に僕という人物像と経験を」
「俺からはあんたがこちらでの生活の拠点と知識探求の手助けを提供する」
俺は伸ばされた手をつかみ、がっちりと握手する。
「「交渉成立」」
「これからよろしく頼むよ。先生殿?」
「こちらこそ、教授」
なんてことはない、俺たちはお互い、似た者同士だったのである。
「それはともかく、そろそろ晩飯にするか」
「おお!メニューは何だい!?」
「肉じゃが」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「うみゃああああああああああああああああ!!???」
(……すき焼き屋連れてったら死ぬんじゃなかろうか?)