酒は飲んでも暴れるな!
バリワル大陸。
そこでは太陽は人見知りするように、または事件をこっそり物陰から覗いているように、地平線にうっすらとその姿を見せることはあれど、天に昇ることはない。
常に薄暗く、動物も、作物もろくに育まない大地が、そこに住む人々を強靭な存在へと育んだ。
魔族。
彼らは死の大地と呼ばれるバリワル大陸で、魔力を効果的に使用することで適応していたが、別に今の暮らしに満足しているわけではない。暮らしを維持することと、それ以上を望むことは両立できることだろう。
『識王』はこの大陸に足りないのは食料以上に「芸術」だと考える。
人生を、精神を豊かにする芸術が足りない。その上それをしっかり理解することのできる感受性豊かな者は──それ以上に足りない、圧倒的に。
そのための布教活動を担う責任感ゆえか、はたまた単に個人的な趣味なのか、その城には廊下だけでなく、寝室も、食堂も、そして謁見の間でさえ、人間達から略奪した絵画、彫像、あと、なぜか便器で溢れていた。
便器は陶磁器で作られており、識王は芸術品の中でも、陶磁器を眺めるのが好きだ。初めて便器を献上されて衝撃を受けて以来、彼は大量の便器を収集している。
そんな識王の居城の謁見の間で、魔族の三魔王の一人、魔軍の諜報活動を支える「識王シッタカ」へと、便器に囲まれた部下が報告を上げていた。
トイレを我慢するかのような表情で、部下は緊張していた。
筋骨隆々の部下自身とは対照的な──男性であるにも関わらず赤いドレスを身に纏い、外見も、仕草も中性的でとても戦闘に向いているように見えない──そんなシッタカが、その機嫌を損ね、こちらへと怒りを向ければ、自分など直ぐに消し去ることができるのを知っている。
漏らしそうな時にゆっくり歩くかのごとく、部下は慎重に報告をした。
「火公ウアッチが戻ってこないだと?」
「は、はい。どうやら任務自体は無事果たされたようですが……」
「ふーん、そう……」
シッタカはつい先日、火公ウアッチへ王国の次期騎士団の要となるであろう、若い騎士の暗殺を命じた事を思い出していた。
シッタカにとって諜報とは、ただ情報を集める行為ではなく、その情報を元に効果的な作戦の立案と、実行するにあたって最適な人物を選ぶ、一つの芸術だと考えている。
その作戦が立案通り行かなかったとしても、彼は修正すれば良いとしか考えない。美術品の修復もまた、芸術家には必須の技能だからだ──仮にそれが、有能な部下を多数失う結果となったとしても、だ。
とは言え失敗の理由ははっきりさせた方が良いだろう、そう考え部下へと質問する。彼はすぐに失敗の理由を言え、といった傲慢な態度は見せない。
彼にとって理由を推理するのも、また一つの芸術的な娯楽だからだ。
「そっか、もしかして騎士団大団長サンテに見つかっちゃったの? あいつなら魔公とも互角に戦えるかもしれないよねー」
「……いえ、騎士団の大団長が動いた形跡はありません」
「そうか、では調査が必要だね。水公の方はどう?」
「はっ、水公ツベータ様は間もなく任務を開始するとのことです」
「ならば取り合えず、そっち進めちゃお? ウアッチの件はおいおい調査しようね」
推理する楽しみは後回しにし、そう言って話を終えようとしたシッタカに、部下の魔族は遠慮がちに──
「あの…… 今回の件は、『光王』マーブシ様には……」
そう言って判断を仰ぐ。火公ウアッチは光王のお気に入りだからだ。
その名前を聞いた途端、目をスッ……と細めたシッタカは、質問をしてくること自体が間違いだと言わんばかりに、冷たく答えてくる。
「考えるまでもないことを言うの、やめな? アイツは諜報活動の美しさが理解できる知能なんてないのわかるでしょ? 代替案も思い付かず、文句を言うぐらいしかできない奴なんだからさ」
「はっ……」
識王の命令に、取り合えず従うことにする。とはいえ、魔王同士が仲が悪いのは、やりにくいので改善して欲しいと思う部下だった。
そんな部下の心境には気がつくことなく──
「そんなことより、見てよこの美しいフォルム。陶磁器職人のトゥトの作った新作さ。これを何に使うのかは知らないけど、本当に美しいよね、この『便器』って道具は、さ。早く使用方法を調べて、報告してくれないかな?」
そう言ってシッタカは、便器を宝物のように撫で、頬擦りしていた。そんなシッタカに、便器の正しい使用方法を伝えることは、部下にはできなかった。
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フォーテは騎士団詰所で、マチルダを食事へ誘ったものの予定があると断られ、じゃあこの日は? この日は? と30日ほど粘り強く、かつ辛抱強く具体的な日付を聞いていたところで、父親から呼び出された。
もう少しでたぶんイケそうだったのに、と残念に思いながら父親の元へ向かう。
「失礼します」
大団長に与えられた部屋へとフォーテが入室すると、大団長サンテは何時ものように席についたまま、フォーテへと端的に話してきた。
「ローハス村へと行ってもらう」
「ローハス? あの水で有名な?」
「そうだ。最近国内で、酒を飲んだものが暴れるという事件が多発している」
「……そんなの、いつも多発しているでしょう?」
「暴れるだけならな。しかし酔いは醒めず、死ぬまで暴れるとなれば話は別だ。その酒を造るのに使用された水の共通点が──」
「ローハスの水、だと?」
「そうだ。原因を調査し、もし魔族が絡んでいるのなら、排除してくれ。サポート役が必要なら、誰かを連れていけ、ただ心氣のことはバラすなよ」
サンテの指令に対して、フォーテはサポートなど不要だと思ったが、折角の事なのである女性を指名し、ローハスへと向かった。




