第2章
(1)
朝、事務所のドアを開けると、社員の他に、この間の上条刑事と年配の男性――この人も多分刑事だろう――が座っていた。
「お早うございます」
私より少し遅れて、宮島が入ってくる。一緒にいたことがわからないように、私達は時間をずらして出勤したのだ。
「――これで、全部ですか?」
年配の男性が井上所長に尋ねた。
「そうです、6人、全員揃いました」
所長が、緊張した面持ちで答える。
「お早うございます。私、京都府警の木嶋と申します。皆さん、もうご存じやとは思いますが、昨夜、祖父江さんが殺害されました。その件で、皆さんにお話をお伺いしたいのです。名前を呼ばれた方は、お1人ずつ、1階の休憩室の方にお越し下さい。よろしいですね」
年配の男性――木嶋刑事が、はきはきした口調で説明する。全員、顔を見合わせながら頷いた。
「それではまず、井上さんからお願いします」
所長が刑事達と事務室から出ていくと、緊張した空気が一気にとけた。
「何で、うちの事務所に刑事が来るんですかね。祖父江さんって技術の方やから、作業所で話、聞いたらええんと違います?」
沈黙の中、田野倉が口を開いた。
「作業所の方は、違う刑事さん達が行ってはるらしいで。祖父江君、ここには前に勤めてはったし、昨日も河原町ビルに行くまで、ここの休憩室でくつろいではったやろ? それで、私達にも話を聞きたいって、刑事さん言うてはったよ。――でも、あの祖父江君が殺されるなんてねえ」
高田は、目に涙を浮かべている。
「お葬式とか、どうなってるのかなあ」
陽子が書類を広げながら言った。高田が、白い紙を手に立ち上がる。
「さっきファックスが届いてたわよ、作業所の方から。――今晩がお通夜で、明日がお葬式みたいやね。場所は御池の大命寺やて。掲示板に貼っておくわ」
みんな頷くだけで、何も言わなかった。
「どこで死んだんや?」
宮島が、辛そうに尋ねた。
「詳しいことはわからないんですけど」
陽子が答える。
「河原町ビルの電気室の中らしいですよ」
「あのビル、終業時間が過ぎたら、入館カードを持っていないと表口からは中に入れませんよねえ。それか、裏口の警備員室に行って、手続きをとって入れてもらうか……」
田野倉が、腕組みをしてつぶやいた。
「ああ。でも、これから人を殺そういうやつが、警備員室に顔を出すとは思われへんな」
宮島が、椅子の背にもたれて田野倉の方を見る。
「それやったら、表口から入館カードで入ったってことになるやんなあ」
陽子が顎をさすりながら言った。
「入館カードは、あのビルに出入りする人間は、みんな持ってるで。俺も持ってるし」
宮島が、財布からカードを取り出してみんなに見せた。
「僕も持ってますわ。――でも、携帯で祖父江さんを呼び出して、内側から開けてもらうっていう手もありますよねえ」
田野倉の言葉に、陽子が馬鹿にしたような口振りで答えた。
「そんなことしたら、通信記録から身元がわかってしまうやないですか」
「ああ、そうか」
田野倉が頭を掻く。宮島も、苦笑いしながら言った。
「それに、電気室では携帯は使われへんで。電波が入らへんさかいにな」
「ねえ、電気室って、誰でも入れる所なの?」
それまで黙っていた高田が、口を開く。田野倉と宮島は、驚いたように顔を見合わせた。
「いえ、危険なところですから、ドアに電子ロックがついていて、暗証番号を入れないと開かへんようになってます。前に俺、用事があって行ったことがあるんですけど、外から中にいる作業員の人に声をかけて、入れてもらいました。中の人と連絡取るために、ドアの横にインターホンがついているんですわ。それを使って」
宮島が答えた。
「ああ、知ってます。この前、みんなが出払ってたときに、代わりに用事を頼まれたことがあって。で、多恵ちゃんと2人で支社に行ったんです。その時に偶然、祖父江さんがいてて、電気室見せてくれはったんですよ、ねえ」
陽子が私に同意を求める。
「ええ、そうでしたね。かなり頑丈な扉やったん、覚えてます」
私が答えると、高田が難しい顔で言った。
「ということは、犯人はそのドアの暗証番号を知っていたってこと?」
「インターホン越しに、祖父江さんに声をかけたって可能性もありますね」
田野倉が付け足す。
「あの人、ほんまに調子いいから、頼まれてほいほい、ドア開けちゃったのかも」
陽子が、溜息混じりに言った。
「いや、それはないやろ」
宮島が小さな声でつぶやいた。彼の思い詰めたように表情に、私達の目は釘付けになった。
「心当たりがあるんですか?」
私が質問すると、彼は目をつぶった。
「祖父江の所に、脅迫状が届いてたんや」
「脅迫状?」
宮島は頷いた。
「俺、この間見せてもらったんやけど……」
「なんて書いてあったん?」
高田が身乗り出して尋ねる。
「『次はお前の番だ 俊介』って。かなり癖のある字で書いてありました」
「俊介って誰ですか?」
田野倉が聞いた。
「わかれへんねん。せやから、何かのイタズラやろうって。でも、竹本課長達があんなんなった後やったし、気をつけろやって話しておいたんや」
両手で顔を覆った宮島を見ながら、陽子が言う。
「じゃあ、祖父江さん、知らない人やったらドアを開けへんかったってことよねえ。そんな手紙が来たら、用心しはるやろうし」
「俊介……」
高田が、放心したようにつぶやいた。
「高田さん、どないしはったんですか?」
田野倉が、驚いたように尋ねる。
「圭子さんの――波多野さんの息子さんの名前やわ。俊介って……」
「自殺しはった波多野さんのですか?」
陽子が聞き返した。
「そう、今、行方不明になってしまってて……。でも、まさか……」
高田は、かなり混乱しているようだ。
「祖父江さん、その、俊介さんに恨まれるようなこと、何かしはったんですかねえ」
私は宮島の方を向いた。彼は、今にも倒れそうな青い顔をしながらも、必死で笑顔を作って言った。
「そんなこと、してるわけないやん。何の……関係もないやろ」
ちょうどその時、井上所長がドアを開けて戻ってきた。
「田野倉、刑事さんが呼んでいるから、休憩室に行ってきてくれ」
「あ、はい、わかりました」
田野倉が、みんなの方を見ながら、軽く片手を上げて出ていった。
「所長、何、聞かれはったんですか?」
陽子が、早速探りを入れる。
「うん?」
所長はしばらく黙っていたが、2、3回机を指先で叩くと、口を開いた。
「若い男が目撃されたらしい」
「若い男?」
宮島が聞き返した。
「警備員室がある裏口の前を通って、外に出たらしいんだ。祖父江の死亡推定時刻、夜中の1時頃にな。不思議に思った警備員が声をかけたら、建物の陰に停めてあった自転車に乗って逃げた。――その後、警備員がビルの中を見回って、祖父江の死体を発見したらしい」
「顔は見てへんのですか?」
私が所長の方を見て尋ねると、彼は首を横に振った。
「目深に帽子をかぶっていたから、顔はよく見えなかったそうだが、左の頬に大きなほくろがあったって。それから、そでぐりと襟ぐりが大きく開いてるランニングシャツを着ていたらしい。そこから見えた腕や胸の感じで、若い男だとわかったって話だ。それも、かなり細い男だって」
所長の言葉に、陽子が高田を見た。
「若い男って、確か竹本課長の事件の時にも、目撃されてたんと違います?」
高田が頷く。陽子は続けた。
「私、波多野さんのお葬式の時に、ちょっと見かけただけやからあれやけど、息子さん、華奢な感じの方でしたよねえ。確かほくろも……」
重苦しい沈黙が流れる。
「俊ちゃん……」
高田が顔を覆ってつぶやく。と、その時、ドアが開き、田野倉が戻ってきた。
「宮島さん、休憩室、行って下さい。――あれ、皆さん、どうかしはったんですか?」
事情がわからない田野倉は、困ったような顔をして私達を見回した。
(2)
「じゃあ、宮島さんは、間違いなくあなたの部屋にいらっしゃったんですね」
上条刑事が確認する。
「ええ」
事情聴取は、私の番になっていた。正社員達の聴取が一通り済んだ後、アルバイトの私に呼び出しがかかったのだ。
「宮島さんが、夜中に出かけられたということは、ありませんでしたか?」
木嶋刑事の質問に、首を傾げる。
「さあ……。私もビールを飲んでぐっすり眠ってましたから……。でも、玄関のドアには、開いたらすぐわかるようにドアハープを付けているんです。もし、外に出られるようなことがあれば、気づいたはずです」
「そうですか。お部屋は何階ですか?」
「4階です」
2人の刑事は頷いた。
「窓から出ることも難しそうですね」
「あの、もしかして宮島さん、疑われてるんですか?」
心配そうに尋ねると、木嶋刑事はいえいえと手を振った。
「念のためです。多分、もう皆さんから聞かれていると思いますが、若い男が目撃されていますのでね」
「竹本課長の事件と、何か関連はあるんですか?」
私の質問に、木嶋刑事は苦笑いをした。
「他の方にも聞かれたんですけど、今の段階ではなんとも……。ちなみに、波多野俊介さん、ご存じですか?」
「波多野?」
私は少し考えた後、頷いた。
「ああ、お話だけは聞いてます。――前に自殺しはった方の息子さんですよねえ」
自信無げに答えると、2人の刑事は顔を見合わせて頷いた。
「いや、結構です。ご協力、ありがとうございました。事務所に戻りましょう」
彼らが立ち上がるのを見て、私も慌てて席を立った。
「しかし、皆さん仲がいいですねえ。最初の方にお話ししたことが、筒抜けですからね」
上条刑事が苦笑する。
「人数も少ないですから」
私は微笑みながら答えた。
(3)
「誰がこんなことしたんや!」
階段を上がり、事務室の前まで来ると、ドアの向こうから大きな声がした。驚いてドアを開ける。そこには、白い紙を手にした宮島が、顔を真っ赤にして怒鳴り散らす姿があった。
「どうされたんですか?」
木嶋刑事が走り寄る。
「こんなものが……。デスクの引き出しの中に……」
宮島が差し出した紙を、上条刑事が受け取った。
「『次はお前の番だ 俊介』――脅迫状ですねえ。これは、祖父江さんが受け取られたものと同じですか?」
上条刑事の質問に、宮島は力無く頷いた。
「特徴のある字やなあ」
上条刑事から脅迫状を受け取った木嶋刑事が、つぶやく。
「高田さん、あなた、波多野俊介さんとは近しい間柄でしたね」
呆然と立ち尽くしていた高田が、我に返ったように頷いた。
「この字に、見覚えはありませんか?」
木嶋刑事に差し出された脅迫状を見て、高田は小さな声で言った。
「俊ちゃんの――俊介君の字です」
その言葉を受けて、木嶋刑事が上条刑事に指示をした。
「急いで指紋を調べてくれ。高田さん、波多野俊介さんの持ち物、手に入れることはできますか?」
「いえ、それが……。波多野さんの住んではったマンションも、いつの間にか引き払われていて。何も残っていないと思います」
高田が、ハンカチで汗を拭きながら答える。
「そうですか。何か筆跡がわかるようなものだけでも、ありませんか?」
木嶋刑事の質問に、高田は首を傾げた。
「東京の住所を教えてくれたメモがあったような気がするんですけど」
「後で戻って、探してきていただけますか?」
「わかりました」
高田が頷くのを見ると、上条刑事は片手に脅迫状を持ち、事務室を出る。
「さて、宮島さん。あの脅迫状を発見したときの様子を、詳しく説明して下さい」
疲れたように椅子に座り込んでいた宮島が、木嶋刑事の言葉に、顔を上げた。
「事情聴取から戻ってきて、アイスコーヒーを1杯飲んで……。仕事を始めようとこの引き出しを開けたら、あれが……」
「一番上の引き出しですね」
「ええ。ここです」
宮島が、その引き出しを開けながら頷く。
「前にこの引き出しを開けられたのは、いつですか?」
木嶋刑事の質問に、宮島は少し考えてから答えた。
「昨日です。帰り際に、領収書をしまうために、引き出しを開けました」
「その時には、あの脅迫状はなかったんですね」
「ええ。あれば気がつくんと違いますか?」
宮島が、いらいらした口調で言った。
「今朝は?」
「さっき開けたんが最初です。領収書が溜まってきたんで、高田さんに渡そうと思って。引き替えで、お金をもらうことになってますんで」
「それで、気がつかれたということですね」
宮島は、溜息を吐きながら頷いた。
「では、この脅迫状が入れられたのは、今日の晩から今朝にかけてということになりますね。――ところで、宮島さん、波多野俊介さんから、恨まれるような心当たりは、本当にありませんか?」
木嶋刑事が尋ねると、彼はむっとした様子で木嶋刑事をにらみつけた。
「あるわけないでしょう。波多野さんのお葬式で見かけたきりなんですから。顔つきでさえ、はっきりとは覚えてないくらいですよ」
「そうですか。いや、よくわかりました。――皆さん、どうもありがとうございました。高田さん、さっき言うてはったメモを、探してきていただけますか?」
木嶋刑事が、手帳をしまいながら言う。
「わかりました。今、帰る仕度をしますから」
高田は、ロッカーからバッグを取り出し、デスクの引き出しに入れてある貴重品などを移し変えた。
「行きましょうか」
仕度が終わるのを待っていた木嶋刑事が、ドアを開ける。高田は、井上所長の方に軽く会釈をして、促されるままに出かけていった。
ドアが閉まると、宮島が両手で頭を抱え込んだ。
「何でや、何でこんなことに……」
彼のただならぬ様子を、私達はただ、言葉を無くして見守るしかなかった。
(4)
「そろそろ、引き上げようか」
喪服を着た田野倉が、こちらに向かって走ってきた。作業所には女の子がいないため、祖父江のお通夜の受付に駆り出されていたのだ。終業後の立ち仕事は、さすがにきつかった。
「疲れたなあ。もう10時やで」
陽子がパイプ椅子に座りながら言った。
「ほんまですね」
名簿や筆ペンなどをまとめながら、頷く。
「この辺のもんは、そのままにしといていいって。お疲れさん。家の人に挨拶だけしておいで。一緒に帰ろうや」
田野倉が、私と陽子の顔を交互に見ながら言った。
「わかりました」
陽子と2人で、お寺の本堂をめざして歩いていく。
「あれ、宮島さんや。――宮島さーん!」
陽子が、向こうから歩いてくる宮島を見つけ、声をかけた。
「おう、ご苦労さん」
彼は、心なしか元気がなかった。
「田野倉さんも、門の所で待ってはるんですよ。一緒に帰りませんか?」
陽子が誘ったが、宮島はうつむいたまま首を横に振った。
「悪いけど、今日は1人になりたいんや。また、誘ってな。ほな、おやすみ」
彼は片手をちょっと上げると、とぼとぼと去っていった。
「かなり、へこんではるなあ」
陽子が言う。私も頷きながら、小さくなっていく彼の後ろ姿を見送った。
(5)
「ちょっと、何か食べて行きません?」
3人で、地下鉄の駅に向かっていると、陽子が言い出した。
「そうやなあ。そう言われると、何か小腹が減ってる気がするわ。――星野さん、どうや?」
田野倉が、お腹をさすりながら尋ねてくる。
「そうですね。どこか入りますか?」
私が微笑んで答えると、陽子は待ってましたとばっかりに、手を叩いた。
「もうちょっと行ったら、24時間営業のコーヒーショップがあるんですよ。そこのバナナパフェが、安うておいしいねん」
そう言うが早いか、私達の意見も聞かずに歩き出す。田野倉は私の方を見て、外国人のように肩をそびやかした。私も笑って、同じ素振りをする。
「何をやってはるんですか。早く、早く」
声の方を向くと、目指すコーヒーショップの前で、手招きをする陽子が見えた。
「やれやれ」
田野倉は溜息をつき、小走りに彼女の方へと向かう。私も後に続いた。自動ドアが開き、中にはいると、陽子は既に注文カウンターに並んでいた。
「あ、多恵ちゃん、席とっといて」
陽子が私の方を見て叫んだ。私は頷くと、店の一番奥にある席に向かった。お財布だけ出してカバンを置き、注文カウンターへと急ぐ。
「星野さん、悪かったね」
カウンターで注文の順番を待っている田野倉が、声をかけてきた。
「田野倉さん、何にしはります?」
田野倉の後ろに並びながら、私は壁に掛けてあるメニューを見た。
「せやから、バナナパフェにしときって」
隣のカウンターで、注文の品――恐らくバナナパフェだろう――を待っていた陽子が、口を出す。
「ご注文は?」
田野倉は店員に向かって、
「いちごパフェ」
と言い、からかうような表情で陽子の方を見た。彼女はほっぺたを膨らませながら、田野倉を叩くふりをした。
(6)
「あ、多恵ちゃんは、バナナにしてくれたんやね」
トレーを持って席に行くと、既に食べかけていた陽子が、にこやかに声をかけてきた。
「ええ、まあ」
いちごパフェの方がよかったのだが、後がうるさいと思ってこれにしたのだ。我ながら、この気の弱さには悲しくなる。
「ここ、座りいや」
陽子に言われるまま、彼女の隣に腰を下ろした。
「ねえねえ、今日、いろんな情報、仕入れたんですよ」
唇の端に生クリームをつけながら、陽子が話し始めた。
「情報?」
田野倉が聞き返す。受付を私1人に任せて、しょっちゅうどこかへ行っていたと思ったら、彼女は情報収集に走っていたのだ。
「祖父江さんの解剖結果、気になりませんか?」
陽子の言葉に、田野倉さんが身を乗り出した。
「何かわかったんか?」
「任せといて下さいよ」
陽子が得意げな顔で、答える。
「胃の中からコーヒーが検出されて、青酸カリは恐らく、そのコーヒーの中に入っていたんやろうってことになったらしいんです。でも、コップも缶も、コーヒーが入っていたはずの入れ物がどこにもなくて。支社の方のカップもグラスも、なくなった形跡がないそうなんですよ」
「どういうことですか?」
私は尋ねた。
「要するに、犯人がそのコーヒーを持ってきて、持ち帰ったってことやろ?」
田野倉が口を挟んだ。
「ええ。警察もそういう見方をしているそうです」
最後の一口を口に放り込むと、陽子は続けた。
「でね、外傷もなかったらしいんですよ。抵抗した痕とか、引きずられた痕とか」
「じゃあ、電気室の中で殺されはったってことですか?」
私の質問に、陽子は頷いた。
「わかるのは、それだけやないで。彼は、何の抵抗もせず、電気室の中に犯人を入れてあげたってことになるのよ。しかも、犯人からすすめられた青酸カリ入りのコーヒーを、自ら飲んでしまった」
田野倉は、しばらく腕を組んで考え込んでいたが、やがてつぶやいた。
「犯人は、知り合いってことか」
3人の間に、沈黙が訪れた。
「あの、脅迫状はどうなるんですか?」
私は、耐え切れなくなって口を開いた。
「誰かがニセの脅迫状を作ったってことやろ。波多野さんの息子さんの仕業に見せるために」
「でも、筆跡は? あの筆跡、間違いなく息子さん――俊介さんのものやったらしいですよ。もっとも、高田さんの家には、もう俊介さんにもらったメモは残ってなくて、同級生から借りたなんかの文集で、筆跡鑑定したらしいですけどね」
陽子の言葉に、田野倉が言った。
「まあ、筆跡なんて、練習すれば似せられるやろ」
「俊介さんの字を知ってる人やったら、ってことになりますけどねえ」
陽子が、顎をさすりながら答える。
「――指紋はどうやったんですか?」
確か、あの脅迫状の指紋を調べるとか言っていた。私は陽子に尋ねた。
「そんなもん、指紋なんて残ってるかいな。ちゃんと手袋かなんかして書くやろう、普通は」
「確かにそうやわなあ。――でも、俊介さんの筆跡を知っている人となったら、絞られてくるよなあ」
田野倉が、考えながら言った。
「俊介さんの筆跡を知っていて、河原町ビルに祖父江さんがいたことを知っていて、かつ、祖父江さんに警戒心を抱かせない人物が犯人……。あ、そうそう、河原町ビルの入館カードも、持っていないと入れませんよねえ。姿を見られたんが帰りだけってことは、入るときには表口から入ったってことでしょうから」
陽子が首をひねる。
「――高田さんしかいてへんな」
田野倉が、顔を上げて言った。
「入館カードは?」
陽子の質問に、田野倉が自信ありげに答えた。
「亡くなった竹本課長の入館カード、金庫で保管してるやん。その金庫の鍵、高田さんが管理してはんねんで。なんぼでも持ち出せるがな」
「でも、若い男でしたよねえ。目撃されたんは。しかも、細い男やって話でしょ? 高田さんが男装してたとでも、言わはるんですか? ほくろもつけて?」
陽子が、半分笑いながら田野倉の顔を見た。
「ほくろつけるくらい、わけないやん。でも、高田さんくらい肉付きがいいと、細い男になりすますっちゅうのは、無理やろなあ。――ああ、娘さんやったら、どうや。スレンダーやし」
田野倉が、思いついたように手を叩く。
「えりとそでが大きく開いてるランニングシャツを着ていたって、井上所長が言うてはったやないですか。なんぼ細くても、男と女の違いくらい、わかるんと違います?」
私が聞き返すと、彼は口をとがらせて言った。
「そうやなあ。女の子やったら……。見えてしまうわなあ」
「他の人っていうと……。井上所長は、波多野さんとは全く関係ないですよねえ? ずっと関東やったらしいし」
陽子の質問に、田野倉は頷いた。
「宮島さんは……」
陽子はちらっとこちらを見ながら、続けた。
「事件のあった時間、多恵ちゃんの家にいはったんやろ? アリバイは成立してるわなあ」
「えっ、そうなんか」
田野倉が、驚いたように私の顔を見た。
「ええ、でも、何にもなかったですよ」
私は慌てて、手を振った。
「そんな、何にもなかったって。星野さんみたいな美人と2人きりになって、黙ってる男なんて、おれへんやろ。それに、宮島さん、ずっと星野さんのこと好きやってんから」
「やっぱり、そうですよねえ」
陽子が、楽しそうに同調する。ああでもない、こうでもないと想像力をたくましくする2人の姿を見ながら、私は溜息をついた。
「ところで、うちの事務所に来る前、波多野さん、どこにいはったんです?」
一通り落ち着いたところで、私は田野倉の方を向いて尋ねた。
「いやあ、僕も、うちの事務所に来たん、波多野さんが亡くなる4ヶ月前やったさかいに、詳しいことはわかれへんねん。でも、最初からうちの事務所にいてはったって、聞いたことあるような気がするなあ」
「私も2ヶ月前やったし、よくは知らんけど、ずっと山科やって言うてはったと思うで」
陽子も答えた。
「ずっと、うちの事務所やったんですか……。もしかしたら、前にいた事務所なんかに、さっきの犯人にあてはまる条件の人が、いてるかもって思ったんですけど」
私は唇を噛んだ。
「そうやな」
田野倉が、煙草を取り出して火をつける。
「まあ、うちの事務所とは限らへんもんな。祖父江さんが1人で河原町ビルに行くことかって、作業所の人達も支社の人達も、みんな知ってたはずやし。でも、脅迫状が宮島さんのデスクに入ってたってことは、うちの事務所の誰かって考えた方が、しっくりくるんやけどなあ」
私は何も答えず、腕組みをしながら、窓の外を見つめた。
「――考えたって、わかれへんもんはわかれへんわ」
陽子が投げやりに言い、煙草に火をつける。
「お、陽子姫がついに投げ出したで」
田野倉が、楽しそうに笑った。
「それより、明日が問題やねん」
煙を吐き出して、陽子が言う。
「多恵ちゃん、明日の夜、ヒマ?」
「明日の夜は、ちょっと約束が……」
私は小声で答えた。明日は、高田のお宅にお呼ばれしているのだ。夕食をご一緒することになっていた。
「宮島さん?」
陽子が、冷やかすような声で尋ねる。
「いや、違うやろ」
私のかわりに、田野倉が答えてくれた。
「明日は第3木曜日やろ? 宮島さん、残業の日や」
「ああ、そうか。って、宮島さん、何で第3木曜日には必ず、残業しはるんですか?」
陽子が尋ねた。
「毎月第3金曜日に、支社で営業の会議があんねん。そこで提出する書類と資料、作らなあかんやろ? 昼間は外回りで忙しいし、どうしても残業になってしまうんとちゃうかな」
田野倉が答える。
「田野倉さんはいいんですか?」
私が聞くと、彼は頭を掻きながら言った。
「僕はお呼びじゃないってヤツや。各営業所の営業チーフのみ集まるねん。うちのチーフは宮島さんやから、僕は行かなくてええねん」
「ふうん」
陽子が、煙草を消した。
「じゃあ、明日の夜はヒマですね」
「え?」
陽子の言葉に、田野倉がたじろいだ。
「手伝って下さいよお。明後日までに提出せなあかん書類、まだできてないんです。もう終わってるはずやったのに、祖父江さんの事件で予定が狂っちゃって。明日はほんまに、徹夜せなあかんとこまで来てるんですよ」
彼女は必死だった。田野倉は溜息をつき、
「わかった。手伝ったるわ」
と観念したように言った。
(7)
机の上を片付け終わって陽子の方を見ると、彼女は必死で書類の山と格闘していた。
「お先に失礼します」
小声で声をかけ、カバンを手に持つ。陽子は、書類の間からちらっと私の方を見ただけだった。
ドアを開けて事務室を出る。階段を下りながら、私は体の疲れを感じていた。今日の昼間、祖父江のお葬式があったのだ。精神的な面はもちろんのこと、炎天下で出棺を見送るのは、肉体的にもかなりしんどかった。
階段を下り切ってふと見ると、事務所の出入口の前に、高田が車を回してくれていた。
「乗って乗って」
彼女は、運転席の窓から顔を出して言った。
「失礼します」
助手席側に回り込み、ドアを開ける。今日は、高田のお宅で食事会をすることになっていた。クーラーが効いた車内に入ると、ようやく一息ついた感じがする。
「今日は、しんどかったわねえ」
高田の横顔にも、心なしか疲れの色が見えた。彼女は昨日のお通夜も、私達より遅くまで残って、色々手伝いをしてくれていたらしい。
「あの、もしお疲れのようでしたら、日にちを変えさせていただいても」
私が言うと、高田は楽しそうに笑った。
「大丈夫よ。娘が用意してくれているはずやから。味の保証はできへんねんけど」
「すみません」
私は軽く頭を下げた。
「事務所から10分くらいなのよ、うちまで。近いねんけど、バスしか交通機関がなくてね。本数も少ないもんやから、ついつい車に頼っちゃって」
高田は、ハンドルを切りながら言った。
「多恵ちゃんは、京都駅からJRで通ってるの?」
「ええ、京都駅まではバスなんですけど」
私の答えに、高田は驚いた顔をした。
「ああ、そうか。おうち、北野白梅町の方やったわね。免許はないの?」
「はい。持ってないんです」
「そう。でも、その方が安全でいいかもねえ」
彼女はそう言いながら、スピードを落とした。
「次の道曲がったら、うちのマンションやねん。すぐでしょ?」
「ほんまですねえ」
私は、窓から景色を見ながら答えた。
高田の部屋は、マンションの3階にあった。
「4階建てやから、エレベーターがないんよね」
ふうふう言って階段を昇りながら、高田がぼやいた。
「ダイエットにはよさそうですね」
私が笑うと、彼女は、
「だめだめ、それ以上に食べるから」
と言い、額の汗を拭った。
「――ああ、やっと着いた」
階段を登り切ると、高田は一旦立ち止まり、左から2番目のドアを指さした。
「あそこが我が家」
そうして、ようやく歩き出す。私も後に続いた。
「ただいま」
鍵を回してドアを開けると、高田は中に向かって大声を出した。
「お邪魔します」
私も、高田の後ろから声をかける。
「はーい!」
中から元気のいい声がして、綾子が顔を出した。
「さあ、上がって」
高田に促されるまま、スリッパに履き変え、彼女の後について奥へと進んだ。突き当たりのドアを開けると、こざっぱりした室内に、テーブルと座布団が3つ用意してあった。
6畳の部屋が2間とキッチン。2人で住むには、ちょうどいいくらいの大きさだ。私は、カバンから手みやげの箱を取り出した。
「あの、これ」
キッチンから出てきた綾子に手渡すと、彼女はお礼を言いながら、嬉しそうに箱を受け取った。
「ゼリーなんで、冷蔵庫に」
私が言うと、
「悪かったわねえ。そんなに、気ぃ使うてもらわんでもよかったのに」
と、高田が軽く頭を下げる。
「あ、いえ、つまらないもので」
私も軽く頭を下げ返すと、部屋の隅にカバンを置かせてもらった。喪服が入っているためかなり大きくて、テーブルの下に置くのははばかられる。
「楽にして座ってね」
綾子が、お盆にビールを載せて現れた。
「あ、すみません」
手で示された座布団に座る。テーブルの上には鉄板が用意してあった。
「今日は、綾子ちゃん特製のお好み焼きですう」
コップにビールをつぎながら、綾子が微笑んだ。
「はい、美味しいのをお願いしますう」
高田が口調を真似する。その表情が面白くて、私は声をあげて笑った。
「私は、ウーロン茶にしとくわ」
ビールを注ごうとした私に、高田が言った。
「帰り、おうちまで車で送って行くから。お酒飲んでたら、まずいやろ?」
彼女がそう言うと、綾子が頷いて立ち上がった。
「そうね。そんなら、多恵さんと私で、お母さんの分まで飲んじゃおう」
綾子はそう言いながら台所へ行き、高田のためにウーロン茶の缶を持ってきた。
(8)
「それでは、多恵さん、ようこそわが家へ。楽しんでいってね。かんぱーい!」
綾子が陽気な声でグラスを持ち上げる。
「かんぱーい!」
私と高田もグラスを手に取り、カチンと合わせた。綾子はグラスを置くと、早速タネを鉄板に流しながら、口を開いた。
「今日は大変やったわね。お葬式、あったんでしょ?」
ウーロン茶を飲んでいた高田が、グラスを置いて答える。
「大変やったわ。報道陣まで押し掛けちゃって。ねえ」
相槌を求められ、頷いた。
「で、犯人は?」
綾子が顔を上げる。
「ううん、まだわかれへんらしいけど、俊ちゃんが一番の容疑者やってことは、間違いないみたいやね」
「ふうん」
タネの入ったボールをテーブルに置き、綾子は一口、ビールを飲んだ。
「お母さんから話を聞いて、私なりに考えてみたんやけどね」
フライ返しを手に持ちながら、綾子が続けた。
「この事件、穴だらけと思わへん?」
「穴だらけって?」
高田が尋ねる。
「だって、そうやんか。竹本課長と道子さんの事件かって、グラスの指紋さえ拭き取らなければ、心中事件で片づいとったわけやろ?」
「でも、若い男が目撃されてるんやで」
高田が、私のグラスにビールを注ぎながら反論する。
「若い男は、他殺かもしれないってことで、調べ直して初めて出てきた証言やろ? そのまま心中事件で終わっていれば、触れられずに済んだんと違う?」
「そうかもしれないですね」
私は頷いた。
「祖父江さんの事件もそうやん。警備員室から目撃されたんは、建物から出てくるところやったんでしょ?」
「そうらしいで」
高田が答える。
「と言うことは、やで。建物に入るときは、警備員室のある裏口ではなく、表口から入ったってことやんか」
綾子は、私達の顔を交互に見ながら続けた。
「そんなら、何で帰りも表口から出えへんかったん?」
「確かにおかしいですよね。そうすれば、誰にも目撃されなくて済んだんやから」
私は同調した。
「脅迫状かってね、何でわざわざ名前入りなん? 普通、脅迫状っていうのは、名前なんて書かへんもんでしょ?」
私達が黙っていると、綾子は腕組みをして続けた。
「そういう、これらの事件の穴のせいで、俊ちゃんが犯人みたいになってしまってるわけやろ?」
「そう言われてみれば、そうやね」
高田が頷く。
「でもね、よく考えてみると、お母さんの会社の内部事情を詳しく知っていないと、できへん犯罪ばっかりやねんで」
「どういうこと?」
綾子は、高田の方をちらっと見ながら答えた。
「最初、心中の原因は、不倫の関係が奥さんにばれてしまったからやって、思われてたらしいやん」
「道子ちゃんの残した遺書に、そう書いてあったみたいやからね」
高田が答えた。
「せやけど、あの2人の事件が心中じゃないとなると、その遺書も、犯人が作成したってことになる。竹本課長と道子さんが不倫していたことはともかく、奥さんにばれてもめてるなんて、大勢の人が知っていたわけやないでしょう?」
高田が頷く。
「そうやねえ。私でさえ、あの事件の日の朝、竹本課長に詰め寄られて初めて知ったんやから」
「祖父江さんが、あの日河原町ビルで1人で仕事することも、ビルの中に入る方法も、会社関係の人しか知らんことやんか。しかも、状況から考えて、犯人は祖父江さんの顔見知りと思われるわけやろ?」
綾子は、一旦言葉を切った。
「俊ちゃんみたいな、外部の人間ができる犯行と違うやん。脅迫状かって、わざわざ事務所のデスクの中に入ってたんやで。昼間は人が多すぎるし、夜は鍵がかかってる。事務所の鍵を持ってるんは、事務所の人だけやろ? どうやって、俊ちゃんが入り込めるんよ」
綾子が、お好み焼きをひっくり返しながら、忌々しそうに言う。
「確かにね。圭子さん――波多野さんの持ってはった事務所の鍵は、私が使わせてもらってるから、どう考えても俊ちゃんが鍵を持っているとは、考えられへんもんねえ」
高田が溜息をついた。
「証拠は全て、俊ちゃんを指している。でも、どう考えても、俊ちゃんでは犯行に及ぶことはできない。おかしいやろ? ――俊ちゃんを犯人に仕立てあげたいんやったら、会社とは全く関係のないところで殺害したらええやん。逆に、会社内部の人間の犯行と思わせたいんやったら、俊ちゃんの名前なんか出す必要はないやろ? どう考えても、中途半端で、穴だらけなんよねえ」
「あの」
私はおそるおそる口を開いた。2人の目がこちらを見る。私がどうしようか迷っていると、高田が優しく声をかけてきた。
「多恵ちゃん、何やの?」
私は思いきって、今日のお葬式の時に陽子から聞いた新たな情報を、話すことにした。
「実は、自転車が見つかったそうなんです。陽子さんから聞いたんですけど」
「自転車って?」
綾子が尋ねる。
「なんか、個人で特注したオリジナルのもので、波多野俊介って名前が入っていたって。形とか色の感じが、犯人が逃げていくときに乗っていたものに、よく似ていたらしいです」
「どこで、見つかったん?」
高田が、身を乗り出した。
「西ノ京円町の交差点のところやそうです。警察が見つけたんは、今朝になってからやったそうなんですけど。聞き込みで、一昨日の真夜中、つまり祖父江さんが殺されはった頃、そこで自転車を乗り捨てる男を見たっていう人が、現れたって。しかもその男、ランニングのシャツ、着てたそうで……」
「西ノ京円町……」
高田が、がっくりと座り込んだ。
「俊ちゃんのマンションがあったとこやね。それに俊ちゃん、大学でサイクリングのサークルに入ったって、話してたし」
「今度は、俊ちゃんに不利な証拠が出てきたわ。――どないなってんねん、まったく」
もう焼き上がるお好み焼きを見つめながら、綾子がつぶやく。気まずい沈黙が流れ、私はこの話をしたことを後悔していた。
「ごめんなさい、私……」
座り直して頭を下げると、2人は慌てて口を開いた。
「ううん、こちらこそごめんね。なんや、ほら、あんたが事件の話なんか、し始めるからあかんねんで」
高田が、綾子の脇腹をつつく。
「そんなこと言われても……。気になってたんやから、しょうがないやろ?」
綾子が困った顔をして、答えた。
「――あ、お好み焼き、焼けたわ。お皿ちょうだい」
彼女はわざと明るい声で言い、私の方に手を差し出した。前に置かれていたお皿を手渡すと、細かく切られたお好み焼きのいくつかを載せてくれる。
「おいしそう」
私は、いただきますをして、割り箸を割った。
「ぎょうさん食べてね。まだまだ、焼くからね」
綾子は、みんなに取り分けて空になった鉄板に、新たにタネを流し込んだ。
(9)
「ああ、よく食べた」
高田が、お腹をさすりながら言う。
「私も、もうお腹いっぱいです」
私は、ビールのせいで熱くなった頬を触った。
「多恵さんが持ってきてくれはったゼリーも、食べなあかんのよ」
綾子が、鉄板を拭きながら笑った。
「もう、9時過ぎてるんやね。うちに帰ってきたん、何時やった?」
高田が、時計を見ながら尋ねる。
「7時頃やったんと違う? お母さん、6時前に帰れるって言うてたから、そのつもりで用意してたのに、ちっとも帰って来えへんねんもん」
綾子が、汚れたティッシュを捨てながら答えた。
「だって、仕方ないやないの、お葬式のおかげで、仕事の予定が狂ってしまったんやから、ねえ」
「ええ」
私は相槌を打った。
「あ、そうや。ちょっと聞きたいと思ってたんやけど」
綾子が、座りなおして聞いてくる。
「何ですか?」
私が微笑みながら聞き返すと、彼女も微笑んだ。
「多恵さんって、今年29になりはるんでしょ? 母と同じ事務所に来るまでは、何してはったん?」
「たしか、竹本課長の紹介で入ってきたんよねえ」
高田に聞かれ、頷いた。
「大阪の短大を出てから、小さな化粧品会社に就職したんですけど、去年、つぶれてしまって。不景気やし、歳も歳やし、次の就職先もなかなか見つからへん。前向きに考えたら、いい機会やし、この間に何か役に立つ勉強をしようかなと思って。前の会社ではマックしか使ったことがなかったんで、ウィンドウズにも触れた方がいいやろうと、パソコン教室に通うことにしたんです。そこで、竹本課長と知り合って……」
「そうなんや。――家でもパソコン、使いはるの?」
綾子が、目をくりくりさせて聞いてくる。
「ええ。マックなんですけど」
私が答えると、彼女は顔の前で両手を合わせた。
「今度、遊びに行ってもいいかなあ? 私、いっぺん、マック、触ってみたいねん」
「やめといてよ。あんたは、うちのウィンドウズも、買って早々調子悪くしてもうたんやから。多恵ちゃんのパソコンまで壊してしまったら、えらいことやわ」
私が返事をする前に、高田が顔をしかめて言った。
「大丈夫ですよ。どっちみち、あんまり新しい機種やないから、もし調子悪くなったら、買い換える理由ができて嬉しいくらいです」
私が笑うと、綾子は嬉しそうに高田を見た。
「ほうら、多恵さんは、お母さんと違って心が広いわ」
「そりゃ、悪うございましたねえ」
高田が口をへの字に曲げて、綾子を見返した。
「あ、そうそう、うちの会社に入る経緯を聞いてたんよね。綾子がいらんこと言うもんやから……。えっと、そのコンピューター教室で、竹本課長と一緒やったん?」
「ええ」
高田の顔を見ながら、私は頷いた。
「竹本課長に失業中やってお話したら、うちの事務所に来ないかって誘ってくれはったんです」
「なるほど。竹本課長、綺麗な子に弱いからね。――正直言って、あの課長が連れてくる子って、今までロクな子がおれへんかったんよ。それが、今回は多恵ちゃんやったでしょ。今度ばかりは、課長の目を誉めてあげようと思うてたんやけどね」
高田が、笑いながら言った。
「亡くなった道子さんも、竹本課長が連れてきはったんでしょ?」
ビールを飲みながら、綾子が尋ねた。
「そうそう、なんや、取引先の専務の姪やって。亡くなった人のこと、悪く言うたらあかんけど、まあ、ほんまにあの子だけは。往生したわ」
「誰やったっけ、今いてる子? えっと、陽子さん? あの子も困ったひとなんやろ?」
綾子が、楽しそうに聞く。
「まあ、あの子も仕事せえへんからねえ。でも、陽子ちゃんは道子ちゃんよりええわ。ただ仕事が嫌いなだけで、陰で意地悪したりせえへんもん。道子ちゃんは、男の人の前ではなよなよしてるくせに、私と2人になると、めちゃめちゃ頭に来ることしてきたんやわ。私が両手に荷物持ってること知ってて、わざとドア閉めたり。それも、意地悪そうな目でこっち見て、微笑みながらやで」
「うっわー、根性ワルー」
少し酔っぱらっているのだろうか、綾子が大声を出して笑う。
「根性悪い、悪い。まあ、まともな根性やったら、あんなに堂々と不倫なんかせえへんでしょ。一度なんか、応接セットの衝立の横で、チュウしてはったんやで。びっくりして、腰が抜けるかと思ったわ」
高田が、大きな目をさらに大きく見開いて言った。
「私も、休憩室のソファでいちゃついてるとこ、見たことありますよ」
私が言うと、綾子は呆れたようにつぶやいた。
「見られると嬉しいっていう、ちょっと変わった趣味の人達やったんやわ、きっと」
「そうかもしれへんね」
高田がまじめな顔で頷いたので、私は吹き出した。と、その時、隣の部屋から、電話の呼び出し音が聞こえてきた。
「はいはい」
面倒くさそうに、綾子が電話の方に歩いていく。
「もしもし、高田でございます」
その、あまりの態度の変わりように、私は思わず高田の顔を見た。
「な、すごいやろ? 電話の時は、信じられへんくらい綺麗な声作りよんねん、あの子。我が娘ながら、ほんまに驚くわ」
高田は、私の方に顔を寄せて言った。
「ちょっと、お待ち下さい。――お母さーん」
綾子が、受話器を片手で押さえ、高田を呼んだ。
「どなた?」
受話器を受け取りながら、高田が尋ねる。
「田野倉さんやって」
軽く首をかしげると、高田は受話器を耳に当てた。
「もしもし、変わりましたけど」
うんうんと頷く高田の顔が、どんどん険しくなっていく。
「で、警察には連絡したの?」
彼女の厳しい声に、綾子と私は、思わず顔を見合わせた。
「わかったわ。今、多恵ちゃん、うちに来てはるから、一緒に行くし。――え? そうやねえ、今の時間帯やったら、10分もかからんと行ける思うわ。とにかく、そこは絶対手を触れんと、早く警察を呼びなさい。わかったわね」
高田は、一気にそう言うと、受話器を置いた。
「多恵ちゃん、すぐに事務所に行こう」
「何かあったん?」
綾子が、心配そうに尋ねる。高田は大きく深呼吸をすると、私の方を見つめて言った。
「――陽子ちゃんが、死んだって」




