第25話:緑の針が紡ぐ未来
秋祭りの当日、境内に押し寄せる人の波は、例年以上の賑わいを見せていた。
色鮮やかな露店が立ち並び、威勢の良い掛け声と子供たちの笑い声が鳥居の外まで響き渡る。
境内の中央にそびえ立つ拝殿横の五葉松は、昨日俺と親父が二人で仕上げたばかりだ。
その見事な姿が清々しい空気をまとう境内は、お祭りの活気に満ちあふれていた。
風が吹き抜けるたび、透き通るような緑の葉がさらさらと美しい音を奏で、参拝客たちが思足を止めて「見事だなあ」と感嘆の声を漏らしていく。
その姿を見るたび、胸の奥がじんわりと熱くなった。
「おい、漣! ぼおっとしてないで、手水舎の柄杓の補充と、境内のゴミ拾いを見てこい! お祭り中は参拝客が多いんだ、気を抜くな!」
境内のはずれから、いつもの威勢のいい声が飛んできた。
振り返れば、法被を羽織った親父――茂が、険しい顔つきで周囲を睨みつけている。
……相変わらず鬼のような厳しさだが、その腰の据わった佇まいには、長年この神社の緑を守り抜いてきた庭師としての誇りと、すべてをやり遂げた者だけが持つ確かな余裕が滲んでいた。
「わかってるよ、親父! ちょっと一息ついていただけだろ」
俺が軽口を返すと、親父はフッと鼻を鳴らし、それ以上は何も言わずに別の持ち場へと歩いて行った。
かつてはあの背中を見るだけで胃が痛くなっていたというのに、今では不思議と、その背中の頼もしさが真っ直ぐに心に届いてくる。
「お疲れ様です、先輩庭師さーん!」
ひょっこりと本堂の陰から現れたのは、頭にハチマキを巻き、タスキ掛けをしたアカリだった。
その両手には、なぜか焼きそばのパックが三つも抱えられている。
「おいアカリ、お前またサボって……いや、休憩中か?」
「サボってないし! 屋台のおじちゃんが『いつも綺麗に掃除してくれてるから』って、特別に作り立てをサービスしてくれたの! ほら、じいちゃんにも持って行ってあげないと、また『浮かれているのか』って雷が落ちちゃうでしょ?」
得意げにふふんと胸を張るアカリの姿に、俺は思わず苦笑いを浮かべた。
相変わらず調子のいい奴だが、この境内の空気をいつも明るく引っ張ってきたのは間違いなくあいつの存在だ。
二年間、あの厳しい茂の下でアルバイトを続けられたのは、アカリの底抜けの明るさがあったからこそなのだろう。
「そうだな。じゃあ、親父のところに行くついでに、その焼きそば一口もらっていこうか」
「えーっ! ダメだよ、これじいちゃんの分とあたしの分なんだから! 欲しけりゃ自分で屋台に並びなさい!」
「ケチだなー。いいじゃん、一口くらい」
言い合いながら境内を歩く俺たちの足取りは、驚くほど軽やかだった。
夕暮れが近づき、お祭りの喧騒が少しずつ落ち着きを取り戻す頃。
境内には、提灯の温かいオレンジ色の光がポツポツと灯り始めていた。
全ての行事が滞りなく終わり、参拝客の波が引いた静かな境内で、俺と親父、そしてアカリの三人は本堂の縁側に腰掛けていた。
「ふう……疲れたけど、最高のお祭りだったね!」
アカリは大きなお煎餅をバリバリとかじりながら、満足げに伸びをした。
「まったく、騒がしい一日だった……。だが、お前の仕切りと掃除のおかげで、参拝客も気持ちよく過ごせたようだ。ご苦労だったな、アカリ」
茂が静かにそう告げると、アカリはピタリと動きを止め、それから嬉しそうに目を細めてニカッと笑った。
「えへへ、ありがと、じいちゃん! あたし、この神社の境内が昔から大好きなんだもん。こうやってお祭りを無事に支えられたら、アルバイト冥利に尽きるってものよ!」
すっかり誇らしげなその顔つきには、かつての落ち着きのないバイトちゃんから、神社を支える頼もしい一員へと成長した姿がしっかりと現れていた。
親父はそんなアカリの様子を呆れたように見つめながらも、どこか誇らしげな、穏やかな目を向けていた。
そんな二人のやり取りを横で見ながら、俺はふと、目の前に広がる庭木へと視線を向けた。
秋風がそよと吹き抜け、境内を綺麗に掃き清められた石畳の上を、橙色の提灯の光が揺らめかせる。
その景色の中に、俺たちが命を吹き込んだ五葉松が、何百年もの歴史を背負いながら静かに、しかし力強く佇んでいた。
「なぁ、親父」
「なんだ」
「来年の奉納剪定は、もっとうまくやってやるよ。……今年以上にな」
俺が真っ直ぐにそう告げると、親父は驚いたように一瞬目を見張り、それからいつものようにフッと小さく鼻を鳴らした。
「……ほう。大口を叩くようになったものだな。だが、その意気だ。来年は、もっと高い枝を任せてやる」
その言葉には、同じ職人として認め合う確かな信頼が満ちていた。
これからは、この神社の歴史と庭の命を、あの背中の隣で――いや、親父がそうしてきたように、自分もまたこの手でしっかりと受け継ぎ、守り抜いていく。
自分の手を見つめる。
ハサミを握りすぎてできた硬いタコや無数の傷は、この場所に自分の根が生えた動かぬ証拠だった。
無心で砥石に刃を滑らせ、一寸の狂いもなく木々の命を整えていく。
その小さな金属の軌跡は、何百年もの記憶を刻む大樹と未来の時間を、寸分たがわず縫い合わせていくかのようだった。
夕闇が完全に境内を包み込み、夜空には満天の星が広がり始める。
新しく生まれ変わった神社の庭で、俺たちの歩むべき未来は、すでに確かな光を放ち始めていた。
(おわり)




