2 青天の霹靂
「もしもこの先、今の婚約が破談になったら、僕と婚約してくれませんか?」
あまりにも唐突過ぎるその言葉は、私の思考回路をいとも簡単にショートさせた。
え? こ、婚約? 婚約って、あの……?
驚きすぎて何も言えずに瞬きだけを繰り返す私を見て、スピラ伯爵令息はくすりと笑う。
「驚かせてごめん。でも、僕は本気だから」
「……いや、あの、それは、いったい……?」
「実は僕、君のことがずっと気になっていたんです。いつも一生懸命で、可愛いなって」
か、可愛い……?
私が……?
これまで一度も言われたことのないセリフに、ぶわりと頬が熱くなる。
「君がクレヴィス伯爵令息と婚約していることは知っていたんだけど、最近になって、彼とマルガリタ殿下との婚約話が浮上していることを耳にして……。だったらほかの令息たちに先を越される前に、思い切って婚約を申し込もうと決意したんです」
「え……?」
スピラ伯爵令息のひたむきな表情は、その言葉に嘘などないことを物語っている。
しかも、彼の目にかすかな熱情すら垣間見えて、私の心臓はおかしな具合に跳ね上がる。
「もちろん、答えを急ぐ必要はありません。今はまだ、君自身どうにもできないだろうから」
「……そうですね……。すみません……」
「でも、今の婚約がなくなったら、僕が後ろに控えていることを覚えていてほしいんです。僕はクレヴィス伯爵令息のように、君を冷たくあしらったりしない。なんでもかんでも押しつけて、お世話係のような役割を強要したりもしない。対等な婚約者として、君を大事にするつもりですから」
一世一代の告白を無事に終え、スピラ伯爵令息はほっとしたように表情を緩めている。
どうやら彼は、ルシアンとマルガリタ殿下との婚約がほぼ確定的だと信じているらしい。
もしかしたら、世の中の大半の人たちは、とっくの昔にそう確信していたのかも。
潮時なのかな、と思った。
だから、帰宅してすぐ、私は家族にすべてを話した。王家がルシアンにマルガリタ殿下との婚約を打診しているらしいことも、スピラ伯爵令息に求婚されたことも、何もかも。
「ルシアンとマルガリタ殿下の縁談の話は、俺も知っていたよ」
王城の文官として働くお兄様が、不満げに渋い顔をする。
「王城では、すでに婚約は内定していて、あとは公式発表を待つだけ、という噂もあるんだ。でもクレヴィス伯爵家からはなんの連絡もないだろう? だから半信半疑だったんだよ」
「そんな話、ヴィクトルからは何も聞いていないが?」
お父様も、怪訝そうに眉をひそめる。ちなみに、『ヴィクトル』とはルシアンのお父様、クレヴィス伯爵のことである。
「向こうも悩んでいたのではなくて? もとはといえば、ルシアンのお目付け役としてセシリアと婚約させたようなものでしょう? 今まではそれでうまくいっていたし、セシリアに恩義を感じてもいるのだから、王家から縁談を申し込まれたからといってすぐにこちらを破談にするほど非常識な人たちではないはずよ」
おっとりとしたお母様の言葉に、すぐさま反論したのはお兄様だった。
「うまくいっていた? どこがだよ。あんなの、セシリアが一方的に変人のおもりをしていただけだろう?」
的を射た指摘に、お父様もお母様も「うっ……」と唸る。わかってはいたらしい。
「あの魔法バカのせいで、セシリアがどれだけ苦労してきたと思ってるんだよ。そりゃあ、婚約者として最低限の義務は果たしていたけどさ。でも、ルシアンはセシリアを婚約者としてどころか、そもそも人として扱っていない」
強い口調で言い切るお兄様に、私はちょっと驚いた。
「お兄様、そんなふうに思っていたの?」
「小さい頃から、誰よりも近くでお前たちを見てきたんだ。いくら天才だなんだともてはやされていても、人としてどうなんだとずっと思っていたよ」
お兄様は苛立ちを隠そうともせず、なおも言い募る。
「声をかけたってまともな返事は返ってこないし、世話してもらって当たり前とでも言いたげに冷めた顔してふんぞり返ってさ。どうせあいつの頭の中は、魔法や魔術のことしかないんだろう? あんなの、セシリアを蔑ろにしているのと同じだよ」
「そんなことないと思うけど……」
「この際だし、俺はルシアンとの婚約を考え直してもいいと思う。ルシアンだって、セシリアに関心なんかないんだから相手は誰でもいいはずだよ。王女との婚約が決まればあいつの世話や身の回りの管理は王家が担う羽目になるんだし、あんな厄介で面倒なだけの役割、とっととくれてやればいいんだよ」
それはそうかもしれないけど、マルガリタ殿下にルシアンの世話ができるのだろうか? 愛の力でなんとかするのかな。ちょっと想像がつかないけど。
「とにかく、セシリアにとってはほかの令息にも目を向けるいい機会だと思うんだ。スピラ伯爵令息だけじゃなくて、世の中にはルシアンよりずっとずっと真っ当な男がたくさんいるんだってことを、セシリアにも知ってほしいよ」
「お兄様……」
今まで全然知らなかったけど、お兄様は意外にも妹思いな人だったらしい。
ルシアンの世話にかまけ過ぎて、私自身もルシアン以外の世界を何も見ていなかったのかもしれない、と思う。
「でも、セシリアはそれでいいの? あなたはルシアンのことが好きだったんじゃ……?」
お母様が気遣わしげに、私の顔を覗き込んだ。
「……まあ、嫌いではないけど、好きかと聞かれると……」
微妙である。
ルシアンの世話は、自分にとっての仕事だと割り切っていたようなところがあるから。恋情というよりは、義務感というか責任感というか、そういう気持ちのほうが強かったような。
そんな私の反応を窺いながら、家長であるお父様が暫定的な判断を下す。
「ひとまず、この件についてはすぐにでもヴィクトルに確認してみよう。場合によっては、ルシアンとの婚約を解消することになるかもしれないが……」
お父様は眉を曇らせつつも、じっと私を見返した。
「もしも婚約が解消になった際には、それ相応の違約金を請求することにしよう。これまでセシリアが担ってきた役割とそれに伴う苦労を考えれば、向こうも嫌とは言えないはずだよ」
お父様の硬い声に、私は「わかりました」と頷くよりほかなかった。
◇・◇・◇
翌日。
私は昨日の家族会議のことを、スピラ伯爵令息にも正直に伝えることにした。
「ごめんなさい。今ははっきりとしたことは何も言えなくて……」
そう言って視線を落とす私に、スピラ伯爵令息はからりと答える。
「別にいいよ。むしろ、家族でちゃんと話し合ってくれたなんて、うれしいしかない」
「え? うれしい?」
「君が僕のことをちゃんと意識してくれたってことだろう? とりあえず今日から友だちってことで、僕のことはコルネリウスと呼んでくれないかな?」
「……えー……」
なんだかずいぶんぐいぐい来る人だなあ、なんて思いつつ、そこまで嫌な気はしない。はっきりと好意を伝えてくれた人なんて、今までいなかったし。
この日もルシアンは学園を休んでいて、私は手持ち無沙汰な思いを持て余しながら、なんとなく落ち着かない一日を過ごした。
気づくとコルネリウス様の柔らかな視線を感じて、反応に困る。
その翌日もルシアンは学園を休み、彼の体調を気遣いつつも、もうその役目はこのまま私のものではなくなるのかも、なんて漠然と思った。
そのまた翌日もルシアンは姿を見せず、こうやって少しずつ距離ができていくのかなと思いきや――――
そうは問屋が卸さなかった。
「セシリア!!」
いきなり飛んできた切羽詰まった大声が、ルシアンのものだと気づくのに十数秒を費やしてしまったのは仕方がない。
だって、ルシアンが大声を出すのを初めて聞いたのだから。
次回、いよいよルシアンが豹変します……!




