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第4話:調理実習は発酵と腐敗のワンダーランド!

 料理とは何か。  多くの人は「食材を加工して美味しくすること」と答えるだろう。  だが、私――菌田きのこの定義は違う。  料理とは、「人為的な加熱と化学反応による、死骸の分解促進プロセス」だ。そして、そこに微生物の力を借りれば、それは「発酵」という名の芸術に昇華される。


 七月上旬。期末テストの悪夢も記憶に新しいこの時期、1年生と2年生の合同イベントとして「交流調理実習」が開催されることになった。  家庭科室のステンレスの輝き。ガスの匂い。そして、食材の死臭。  私のテンションは、湿度計の針と同じくらい急上昇していた。


「同じ班になれるなんて……これはもう、運命の菌糸が絡み合っているとしか思えないわ」


 私は調理台の向かい側を見つめ、恍惚の溜息を漏らした。  そこにいるのは、不慣れな手つきで三角巾を被ろうと格闘している神木先輩だ。  クリーム色のエプロン姿。少し照れくさそうな表情。  尊い。エプロンという戦闘服を纏った先輩は、まるで無菌室で大切に育てられた「ブナシメジ」のように白く、儚く、そして美味しそうだ。


「よ、よろしくね、菌田さん。まさかまた一緒になるとは……」  先輩が引きつった笑顔を向けてくる。  くじ引きの結果、私たちは同じ第4班になったのだ。先輩がくじを引いた瞬間、天を仰いで「神様……」と呟いていたのは、きっと感謝の祈りを捧げていたに違いない。


「お任せください先輩! 私、料理には自信があります。特に『菌類活用料理』に関しては、右に出るものはいません!」 「……嫌な予感しかしないんだけど、今日のメニューは普通の『夏野菜カレー』だからね? 変な粉とか入れないでね?」  先輩が念を押してくる。前回の「胞子まみれ事件」や「消えるインク事件」を経て、彼の危機管理能力は飛躍的に向上しているようだ。 「もちろんです。今日は学校指定の食材以外、使いませんよ(表向きは)」  私はポケットの中で、密かに持ち込んだ『秘密兵器』を握りしめた。


          ◇


 調理開始の号令と共に、家庭科室は戦場と化した。  包丁がまな板を叩く音、鍋が煮立つ音、そしてあちこちから上がる悲鳴。


「神木先輩は野菜のカットをお願いします。私はお肉と、炒め工程を担当します」 「了解。……うっ、玉ねぎが目に染みる……」  先輩が涙目で玉ねぎと格闘している。その涙さえも、私には聖水のように見える。あの涙を採取して培地を作れば、きっと美しい青カビが育つだろう。


 私は豚肉を炒めながら、周囲を伺った。  先生は他の班の指導で忙しそうだ。今しかない。  私は持参したタッパーを取り出した。


「ふふふ……普通のカレーじゃ、先輩の疲れた胃腸は満足させられないわ」


 タッパーの中身。それは、私が数週間前から自宅の床下で丹精込めて培養していた『特製・発酵ペースト』だ。  見た目は、ドブ川の底に沈殿したヘドロのような黒緑色。  匂いは、強烈なブルーチーズと、雨上がりの腐葉土、そして古漬けのタクアンをミキサーにかけて煮詰めたような芳香アロマ


「隠し味よ。行け、私の可愛い菌たち!」  ボチャン。  私はペーストを鍋に投入した。  ジュワァアアア……!!  鍋から不吉な音と共に、緑色の蒸気が立ち上る。豚肉が一瞬で灰色に変色し、鍋全体が「ボコッ……ボコッ……」と重苦しい音を立てて呼吸を始めた。


「……菌田さん? 今、なんかすごい匂いがしなかった?」  鼻を押さえた先輩が振り返る。 「気のせいですよ先輩。スパイスの香りです。クミンやコリアンダーは、時に野性的な香りを放つものですから」 「そ、そうかな……? なんかこう、生物室の標本みたいな匂いだったような……」 「さあ、野菜を入れてください! 煮込めば全てが融合します!」


 先輩は半信半疑ながらも、カットした野菜を鍋に入れた。  私はそれを優しく、かつ執拗にかき混ぜる。  私の愛と、先輩が切った野菜が混ざり合う。  これぞ、マリアージュ。


 さらに私は、もう一つのサプライズを用意していた。  冷蔵庫から、学校支給の「普通のトウモロコシ」を取り出す……ふりをして、すり替えたのだ。  私が取り出したのは、真っ黒に肥大化し、異様な形に変形したトウモロコシ。


「うわぁっ!!? なにそれ!?」  先輩が素っ頓狂な悲鳴を上げて後ずさる。 「え? トウモロコシですが」 「腐ってるじゃん! いや、病気!? 腫瘍みたいになってるよ!?」 「失礼な。これは『黒穂病菌』に感染したトウモロコシです。メキシコでは『トウモロコシのトリュフ』と呼ばれる高級食材ですよ!」  そう、これはトウモロコシの実を菌が侵食し、黒い塊に変えてしまったもの。見た目は完全に「悪性の病変」だが、味は濃厚なきのこの旨味そのものなのだ。


「感染!? 病気!? ダメだよそんなの鍋に入れたら!」 「大丈夫です、先輩。病気と美食は紙一重。この黒いドロドロこそが旨味の塊なんです!」  私は先輩の制止を振り切り、黒い腫瘍のような塊を鍋に放り込んだ。  鍋の中身は、カレーの黄色ではなく、深淵のような漆黒へと染まっていく。  グツグツ、ボコッ、グツグツ……。  煮立つ泡が弾けるたびに、黒い飛沫が飛び散る。それはもはやカレーではなく、魔女が呪いを煮込む大釜の中身だった。


          ◇


「……できました」


 調理終了。  テーブルの上には、各班のカレーが並んでいる。  1班は鮮やかな彩りの夏野菜カレー。2班は王道のビーフカレー。  そして、我ら4班のテーブルには――。


 【暗黒物質ダークマター煮込み・胞子風味】


 皿に盛られているのは、光を吸い込むような黒い粘性物体。  具材の原形は留めておらず、全てがドロドロに溶け合っている。所々に、ウィトラコチェの黒い胞子袋が浮き沈みし、ナメコのようなヌメリが表面を覆っている。  匂いは……強烈な発酵臭。納豆とチーズと腐葉土を足して割らない香りだ。


「……これ、食べるの?」  先輩の顔色が、カレーと同じくらい土気色になっている。 「もちろんです。私の愛と知識の結晶です。さあ、冷めないうちに召し上がってください」  私はスプーンを先輩に握らせた。  周囲の生徒や先生も、遠巻きにざわついている。「あれ、絶対食べてはいけない色だろ」「バイオハザードか?」「先生、止めた方がいいんじゃ……」という声が聞こえるが、私は気にしない。常人は天才を理解できないものだ。


「……いただきます……」  先輩は覚悟を決めた武士のような顔で合掌し、震える手で黒い物体を掬った。  スプーンを持ち上げると、糸を引く。納豆菌も入れておいたのが功を奏したようだ。  先輩は、目をつぶり、それを口の中へ放り込んだ。


 教室中が静まり返る。  先輩が咀嚼する。  んぐ、と飲み込む。


 数秒の沈黙。  そして――。


「……っ!!?」  先輩がカッと目を見開いた。 「う……うまいッ!!??」


 予想外の叫び声に、教室中がズッコケた。 「えっ、うまいの!?」と誰かが叫ぶ。  先輩は信じられないという顔で、自分の口元を押さえている。 「なんだこれ……すごいコクだ……! チーズのような濃厚さと、トリュフのような香り……! 見た目は最悪だけど、味は一流ホテルの欧風カレーみたいに深い……!」


 当然だ。ウィトラコチェの旨味、発酵ペーストのアミノ酸、そして多種多様なキノコ出汁。それらが複雑に絡み合い、味覚のビッグバンを起こしているのだ。 「ふふふ、言ったでしょう? 見た目に騙されてはいけないと。菌の働きは、見えないところで起きているんです」 「すごいよ菌田さん! 箸が……いや、スプーンが止まらない!」  先輩は憑りつかれたようにカレーを掻き込み始めた。  よし、作戦成功だ。これで先輩の胃袋は掴んだ。胃袋を掴めば、次は心臓ハートだ。


 しかし。  私は一つだけ、計算違いをしていた。  発酵食品は、時として「熱」を生む。そして、私の特製ペーストには、血行を促進しすぎる成分が含まれすぎていたことを。


「……なんか、暑いな」  完食した先輩が、額の汗を拭った。 「そうですね、スパイス効果でしょう」 「いや、暑すぎる……。体が……燃えるようだ……!」  先輩の顔が、みるみるうちに茹でダコのように真っ赤になっていく。  首筋から大量の汗が吹き出し、ワイシャツが瞬く間に透けていく。 「はぁ、はぁ……! なんだこれ、力が……みなぎりすぎて……!」  ドクン、ドクンと血管が浮き出る。  先輩の瞳孔が開いている。これは、ただの「美味しい」状態ではない。過剰なエネルギー摂取による「暴走オーバーヒート」状態だ。


「うおおおおお!!! 暑い!! 無性に走りたい!! 投げたい!!」  突然、先輩が叫びながら立ち上がった。 「先輩!?」 「体が疼く! エネルギーが爆発しそうだ! ちょっとグラウンド走ってくる!!」 「えっ、まだ授業中ですよ!?」


 制止も聞かず、先輩はエプロンを脱ぎ捨て、家庭科室を飛び出していった。 「うおおおおお!!!」  廊下から聞こえる雄叫び。そして、ドタバタという激しい足音。  窓から見ると、先輩が猛烈なスピードでグラウンドを疾走し、見えない敵に向かってシャドーピッチングを始めているのが見えた。その姿は、何かに憑依されたバーサーカーのようだった。


「……あらら」  私は空になったカレー皿を見つめ、少しだけ反省した。 「ちょっと発酵させすぎたか? アルコール発酵の手前で止めたつもりだったけど……どうやら『興奮誘発性・未知の菌』が混ざっちゃったみたい」


 騒然とする家庭科室。  先生が「神木を捕まえろー!」と指示を出し、男子生徒たちが追いかけていく。  その光景を見ながら、私は満足げに頷いた。


「でも、あれだけ元気になったんだ。私の愛が、先輩の細胞一つ一つに行き渡った証拠だよね」


 グラウンドで暴れまわる先輩は、太陽の下で誰よりも輝いて見えた。  私の調理実習は大成功だ。  ただ、この後、先輩が「謎のカレーを食べて暴走した」として生活指導室に呼び出され、私が「危険物混入の容疑者」として事情聴取を受けることになるのは、まだ少し先の話である。


「ふふふ……次は『保存食』で、この愛を永遠のものにしましょうね、先輩……!」


 私は残ったカレーを、愛おしそうにかき混ぜた。

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