「“自分の変化”に気づいた日」
第四十三話
夏の終わりを感じさせる風が、工場の渡り廊下を抜けていく。
朝のラジオ体操が終わり、各部署が動き出す時間。久保あかりは、いつものように管理課のドアを開けた。
今日も“普通の一日”が始まる――はずだった。
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◆ 午前/新人の問い合わせ
「……あの、すみません!」
声を上げながら駆けてきたのは、今年春に配属されたばかりの新人・安田くんだった。
製造課の設備保全担当で、少し気弱なところがあるが、真面目さは誰もが認める青年だ。
「今朝、設備の点検リストを提出しようとしたんですけど……間違えて去年のフォーマット使っちゃってて」
「うん、見たよ。フォルダに両方入ってたから、気づいたのね」
「はい……すみません。やり直して提出し直します」
久保は一瞬、言葉を選んだ。
でも、次の瞬間には自然と言葉が出ていた。
「大丈夫。むしろ、ちゃんと気づいて直そうとしてるのは偉いと思うよ。
次からは、最新版だけ残すようにフォルダを整理しておこうか」
「……はいっ!」
その返事は、先ほどより少しだけ明るかった。
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◆ 昼/ふとした回想
食堂でカレーを食べながら、久保はふと思い出した。
――自分が初めて失敗したときのことを。
“申し訳ありません、すぐ修正します”
“私のせいでご迷惑を……”
そんなふうに、自分を責めることばかりに必死だった日々。
(……私、あの頃とちょっと変わったのかもしれない)
誰かの失敗を“怒らない”のではなく、“寄り添える”ようになったこと。
相手の言葉の裏にある“気持ち”を、少しだけ受け取れるようになったこと。
それは、大きな成長ではないかもしれない。
でも、自分で自分を認められる“変化”だった。
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◆ 午後/“あのときの自分”への返答
事務所で、書類の整理をしていると、水谷がつぶやいた。
「久保さんって、怒ることってあるんですか?」
「えっ、あるよ。機械の操作間違えたり、飲み物こぼしたりとか……」
「そういうのじゃなくて、誰かに対して“イラッ”とすることとか」
久保は少しだけ黙ってから、こう言った。
「あるよ。でも、表に出さないだけ。
だって、イラッとするのってたいてい、自分の余裕がないときだから」
「……なるほど。深いですね……」
深いのかはわからない。
ただ、かつての自分が不安や緊張でいっぱいだったように、今の誰かもそうかもしれないと思えるようになっただけ。
“怒ること”よりも、“見守ること”の方が、ずっと勇気がいる。
そう思えるようになったのは、この職場で少しずつ積み重ねてきた日々のおかげだった。
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◆ 夕方/机に残したメモ
定時が近づいた頃、久保は自分のノートにこう記した。
・“完璧な先輩”じゃなくて、“寄り添える先輩”になりたい
・変わることは怖い。でも、“変わった自分”を受け入れるのは、少し嬉しい
・あの日、何もわからず震えていた自分に、今ならちゃんと“答え”を渡せるかもしれない
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◆ ラスト/一歩ずつの実感
事務所の灯りが落ちたあと、久保は一人、駐車場に歩いていた。
耳元では、夏の終わりを知らせる虫の声が静かに鳴いている。
(昨日と同じ仕事をしていても、見える景色は違ってきた。
それは、自分の中で何かが変わった証だ)
久保あかりの物語は、まだ途中。
でも、“一歩進んだ実感”だけは、確かに胸に残っていた。




