「“休む勇気”も仕事のうち」
第四十二話
八月半ば、丸亀の空は容赦なく照りつけていた。
工場の空調が効いているとはいえ、朝から続く電話と業務対応で、久保あかりの額にはじっとりと汗がにじんでいた。
――それは、ただの暑さのせいではなかった。
前日から感じていた喉の痛み、微熱、頭の重さ。
だが、久保は「一晩寝たら大丈夫」と自分に言い聞かせ、出社していた。
⸻
◆ 午前/鈍る集中力
「……あれ、ここのファイル、さっき入力したはず……」
入力ミスに気づいてやり直そうとしたとき、頭がズキンと痛んだ。
周囲の会話も、いつもより遠く感じる。
その異変に気づいたのは、八木原だった。
「久保さん、顔色……悪いよ。熱、あるんじゃない?」
「……大丈夫です。ちょっと寝不足なだけで……」
「いや、大丈夫じゃない。自分で“ちょっと”って言うときって、だいたい無理してるから」
⸻
◆ 課長の判断
そこに現れたのは藤巻課長だった。
八木原の視線に促されてか、久保の様子を一瞥すると、低い声で言った。
「帰れ。病院、行っとけ」
「でも、今日は午後に備品の納品と……」
「誰かに頼める。お前しかできん仕事なんて、管理課にはない。
その代わり、無理して倒れたら、周りにもっと迷惑がかかる」
その言葉は冷たく聞こえるかもしれない。
けれど久保には、それが“信頼”でもあるとわかった。
――頼ることを許されているという、信頼。
⸻
◆ 寮での午後/止まらぬ思考
帰宅して布団に入っても、久保の頭の中では仕事が回り続けていた。
(八木原さん、困ってないかな)
(午後の電話対応、引き継ぎメモ書いた方がよかったかも……)
熱がじわじわと上がるなかで、思考だけが加速する。
休んでいるはずなのに、心は会社に縛られていた。
⸻
◆ 夜/八木原からのメッセージ
夕方、スマホにメッセージが届いた。
> 八木原:納品対応、問題なかったよー。
> 体調どう?ちゃんと水飲んでる?
> 今日は寝るだけ寝て、明日からまた頼むよ。久保さんが元気じゃないと、つまらんからさ。
文面は軽いのに、妙に胸が熱くなった。
久保は、スマホを胸元に乗せたまま、小さく笑った。
(“つまらん”って……変な言い方)
でもそれは、“あなたがいてくれて助かってる”という意味だと、ちゃんと伝わってきた。
⸻
◆ 翌朝/少しだけ背中を預けて
熱が下がった朝、久保は休みを延長しようか迷っていた。
まだ喉は痛いし、動きも鈍い。
けれど、藤巻からのメールが背中を押した。
> 「万全になるまで来んでええ。久保がおらんでも、こっちは回る。
> だから、万全の久保で戻ってこい。それが一番助かる」
久保は、ようやく“休む勇気”を受け入れることができた。
⸻
◆ 回復後/机の上にあったもの
数日後、久保が出社すると、机の上に小さな付箋が残されていた。
> 「資料と書類、済ませといたよ。おかえりなさい。」
字のクセからして、水谷のものだとすぐにわかった。
久保は、そっと椅子に腰を下ろし、窓の外を見た。
自分がいない間も、誰かが支えてくれていた。
今度は自分が、誰かを支える番だ。
⸻
◆ 久保の記録ノートより
・“頼られる”ことと“頼る”ことは、同じくらい大事
・私が元気じゃないと、誰かが余計に無理をする
・“休む”はわがままじゃなくて、“チームへの誠実”でもある
⸻
◆ ラスト/事務所の一角で
「久保さん、今日は無理しすぎないでくださいよ」
「はい。……ちゃんと水分とってます」
そう言いながら、久保は業務用のメモ帳を開いた。
文字はまだ少し震えていたけれど、心は晴れていた。




