「“仕事が楽しい”って何だろう?」
第三十六話
梅雨明けが近づくある朝、久保あかりは、出勤の道すがらふと思った。
(仕事って、楽しいって感じる瞬間……あったかな)
慣れてきた業務、覚えたルール、少しずつ築かれてきた人間関係。
けれど、そのどれもが「楽しい!」と胸を張れるものかというと、少し自信がなかった。
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◆ 午前/業務のリズム
その日は、庶務的な依頼が多く、管理課全体がせわしなく動いていた。
来客対応、空調トラブル、机の鍵のトラブル、突然の稟議書の差し替え。
久保は、事務所と別館、倉庫と応接室を何度も往復しながら、丁寧にひとつひとつをこなしていた。
「おお、久保さん助かったー。ありがとね!」
「久保さんって、動き早いですね……」
そんな声がポロポロと聞こえてくる。
ただ、それを聞いても、なぜかその日は、胸があまり高鳴らなかった。
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◆ 昼休み/モヤモヤの正体
休憩室の片隅で、八木原と二人きりのランチタイム。
「……あの、八木原さんって、“仕事って楽しい”って思えますか?」
「うーん、難しいね」
「最近、“自分、成長したな”って実感はあるんです。でも、すごく楽しいって言われると……まだピンと来なくて」
八木原は少し考えてから、こう言った。
「“楽しい”って、テンションが上がることばかりじゃないと思うよ。
俺はね、誰かの“ありがとう”を自然に聞けるようになったとき、“あ、今の仕事、好きかも”って思う」
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◆ 午後/ちいさな達成感
午後、会議室の備品トラブル対応で呼ばれた久保。
プロジェクターのケーブル不調で、会議が始められずにいた部長たちに、そっと予備機材を用意して回線テストを行った。
「おお、助かった。ほんと久保さん、ありがたいな」
その言葉に対して、いつもよりも、ほんの少しだけ心が温かくなった。
(“必要とされてる”って感じる瞬間って、たぶん、楽しいに近い……かも)
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◆ 夕方/答えの芽生え
デスクに戻った久保は、ふと気づいた。
いつの間にか、事務所にいる人の“困った空気”を察知できるようになっていた。
目の動き、声の調子、急ぎの足取り。
それに反応して、動くことが自分の“反射”になりつつある。
それは、単なる「作業」ではなく、“自分だからできること”になっていた。
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◆ 夜/メモ帳に記したこと
・“仕事が楽しい”って、笑顔で毎日過ごせることじゃない
・でも、“必要とされてる”とか、“誰かが助かった”って思える瞬間は、心があたたかくなる
・もしかしたら、それが“楽しい”の種なのかもしれない
久保は、そっとペンを置いた。
“楽しい”は、大声で叫ぶものじゃなくて、じんわりと胸の奥に染みてくるものなのだと、少しだけわかった気がした。
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◆ 翌朝/いつもの風景にて
「久保さん、おはよう。今日もよろしくね」
「おはようございます。こちらこそ、よろしくお願いします」
いつもと変わらない朝。
でも、ほんのすこしだけ、その挨拶の声に、自分の芯が通ったように思えた。




