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「“あとちょっと頑張る”が積み重なった先にあるもの」

第三十三話

 六月末、雨上がりの朝。

 濡れた工場のアスファルトには、空を映すような薄い青が残っていた。


 管理課の事務所で、久保あかりは今日も淡々とパソコンに向かっていた。

 昨日終わらなかった備品の台帳更新。製造部からの急ぎ依頼に添えた報告書の下書き。週報の修正。メールの返信。


「よし、もうちょっとだけ……」


 そう言って久保は、昼休みに入る直前、ギリギリまで作業を続けていた。


⸻


◆ 昼休み/八木原の気づき


「久保さん、最近ずっと“あとちょっとだけ頑張る”の連続だね」


 八木原が、おにぎりを食べながらぼそりとつぶやいた。


「えっ、見てました?」


「まあね。俺も昔、“もうちょっとだけやるか”って毎日思ってた時期あったなあ」


「今は違うんですか?」


「うん。“ここまででいいや”って線引きが、うまくできるようになった。

 でも、久保さんの“もうちょっと”って、ちゃんと意味ある“ちょっと”に見えるから、無理してなければそれでいいと思う」


 その言葉に、久保はうれしそうに微笑んだ。


「たぶん……頑張りすぎてはないです。でも、“ちょっとでも進めたら明日が楽”って思って動いちゃってるだけかもしれません」


⸻


◆ 午後/静かな積み重ね


 久保の“あとちょっと”は、誰にも大きく評価されることではない。


 ・掲示板の整理を、誰よりも早く貼り替える

 ・電話の応対記録を、所定のフォルダに確実に保存する

 ・納期の近い備品を、前日までに確認してリマインドする


 どれも地味で、小さなことばかり。

 けれど、それらが確かに、部署全体のスムーズな動きを支えていた。


⸻


◆ 夕方/小さな“変化”


 佐伯さんがふと、こう呟いた。


「最近、備品周りのトラブルってほとんどなくなりましたね。

 前は“あれが足りない”“これが間違ってた”って結構あったのに」


「……あ、それ、久保さんが日々ちょっとずつチェックしてくれてるからだよ」


 八木原の言葉に、久保は一瞬きょとんとしてから、そっと視線を落とした。


「私、そんなに何かしてましたっけ……?」


「してた。というか、してる。

 でも、本人は気づかないんだよ。“毎日ちょっとだけ”って、実は一番大事なことだから」


⸻


◆ 夜/寮のメモ帳に綴ったこと


・“がんばる”って、大きなことじゃなくていい

・“あとちょっと”の積み重ねが、誰かの安心につながってた

・評価されない日があっても、“ちゃんと自分で自分を見てあげる”ことは忘れたくない


 久保あかりの毎日は、大きな波のない、地道な日々の連続だった。

 でもその中で、少しずつ誰かの“働きやすさ”を支える存在へと、変わり始めていた。


⸻


◆ 翌朝/掲示板の前にて


「掲示物、きれいにまとまってて見やすいね」


 出勤した社員がそんな一言を残して通り過ぎていく。

 久保は、「ありがとうございます」とだけ返して、少しだけ笑った。


 “目立たないけど、ちゃんと届いてる”。

 それは、彼女にとって何よりのご褒美だった。

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