「“私は何ができる人間なんだろう”という問い」
第三十一話
六月中旬、湿気を含んだ空気が事務所をゆっくりと包んでいた。
扇風機がうなる中、管理課では静かなルーチン業務が流れている。
その日の午後、久保あかりは備品台帳を更新しながら、ふとペンを止めた。
「……私、これが得意って言えるもの、なんなんだろう」
誰に向けたでもない独り言だった。
でも、その声は案外はっきりと、隣の八木原の耳にも届いていた。
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◆ きっかけは面談シート
今月末に予定されている上期の面談に向けて、久保は「自己評価シート」を書いていた。
その中にあった設問――
「今の業務を通じて発見した、自分の強みは何ですか?」
この一文が、久保の心に静かに波紋を広げていた。
「“間違えないように気をつけてます”とか、“備品を綺麗に並べました”とか……それって“強み”になるのかな」
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◆ 夕方/八木原の話
「久保さん、ちょっとコーヒー行こっか。夕方のカフェイン補給タイム」
八木原の提案で休憩室に向かうと、久保がぽつりと打ち明けた。
「最近、“自分ってなんの役に立ってるんだろう”って、少し思っちゃって」
八木原は黙ってコーヒーをかき混ぜながら、ゆっくり答えた。
「それ、俺も新人の頃ずっと考えてた。“自分って、別に代わりがいても変わらないんじゃ?”って」
「……はい。まさにそれです」
「でもある日、課長が“気が利くな”って褒めてくれたんだ。自分が無意識でやってた、書類の並べ替えを見てね。
その時初めて、“これって自分にしかできない気づきだったのかも”って思えた」
「気づき……」
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◆ 久保の気づいた“自分らしさ”
その翌日。久保は総務課からの電話対応で、少し複雑な依頼を聞きながら、メモを丁寧に取り、対応記録を所定のシートに残した。
電話を終えると、佐伯さんがぽつりと呟いた。
「久保さんって、話をちゃんと整理してくれるから安心感あるよね」
その何気ない一言が、胸の奥に小さく響いた。
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◆ 夜/寮のベッドで考える
・派手なスキルじゃなくても、“丁寧さ”は自分にしか出せないリズムかもしれない
・“気づく力”は、毎日の観察から生まれる
・“私は役に立ってるのかな”と悩む人ほど、たいてい誰かの支えになってる
久保は、少しだけ胸を張って思った。
“私は、まだ何者でもないかもしれない。でも、ここで毎日を丁寧に積み重ねている”と。
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◆ 翌週/自己評価の一文
面談シートに、久保はこう書いた。
「私はまだ、大きな成果を出しているわけではありません。
でも、“誰よりも細かく、正確に仕事を積み重ねること”が、自分の強みだと感じています。
この姿勢が、少しでも誰かの働きやすさにつながっていれば嬉しいです。」
書き終えたとき、八木原が肩越しに笑った。
「それ、“できる人の書き方”だよ」




