第10話 元恋人の影はいつまでもあなたを縛るのですね、旦那様
王宮から戻ったあと、セドリック様から話がしたいと言われた私は、現在夫婦の寝室でセドリック様が来るのを待っています。
セドリック様が話したいことの内容などひとつしか思い当たりません。王城でのセドリック様とアマンダ様の逢瀬に対する言い訳でしょう。あるいは、離縁の相談ということも考えられますね。
あのあとセドリック様はずっと苦し気な表情をしておられました。あの時セドリック様の感じておられた激情は、想像に難くありません。
私が重たい気持ちで待っていると、セドリック様がノックをして部屋へと入ってきました。
「待たせてすまない……」
「いいえ」
お互い言葉数が普段よりもさらに少なくなってしまいます。
セドリック様が私の隣ではなく、正面に腰をかけました。正直、ほっとしました。今はセドリック様の気配を傍で感じることが、なんだか苦痛だなと思っていましたので。
「コーデリア……今日のことだが」
「はい」
セドリック様は言い淀み、苦しそうです。それでも決意したように私の瞳を見つめて、話はじめました。
「……すまなかった」
「何故、謝罪をするのですか? やましいことはないと思っていましたが」
まあ人妻と二人きりで会っていたこと自体やましいと言えばやましいのですが、そこはもう、いまだ想い合っている二人なので今更です。
「……君も聞いていたのだろう? その……私がアマンダを、愛していると言ったのを」
「はい。聞いていました」
私がそう言えば、セドリック様はそのまま黙り込んでしまいました。そして、小さいけれど、確固とした意思を感じさせるお声で言ったのです。
「コーデリア。私はもう女性としてアマンダを愛していない」
――衝撃が走りました。
まっすぐにその翡翠色の美しい瞳でこちらを見つめてくるセドリック様のことが、信じられませんでした。アマンダ様を愛していると言ったその口で、今は愛していないと言うのですから。
セドリック様がアマンダ様に愛を囁いていたのは、まだ数時間前のことだというのに、どうしてその言葉を信じることが出来るというのでしょう。
「……何をおっしゃっているのです。もしや私に気を遣われているのですか? 私たちはこの公爵家を盛り立てていく、いわば同士です。それだけの関係です。そのような気遣いは必要ありません」
私がそう言えば、セドリック様はとても悲しそうに眉を顰めました。顔がいいだけに何故かこっちが悪いことをしたような気分になってしまいます。
「コーデリア。聞いてくれ……」
「アマンダ様を愛していないと言う話なら、聞く必要性を感じません」
嘘だとわかりきっているのですから。
あるいは、セドリック様はご自分の気持ちを見誤っているのかもしれません。アマンダ様を諦めなくてはならないという想いから、無意識にご自身の心を偽っているのかもしれません。
けれど、私は必要ないと言っているのに、セドリック様は話すのをやめませんでした。
「コーデリア。私がアマンダを愛していたのは事実だ。君と結婚した当初も、まだアマンダに気持ちが残っていた」
ああ、聞きたくありません。
何が悲しくて、仮にも夫の口から他の女性に対する愛の告白を聞かなければならないのでしょうか。もう十分です。事実を知っていることと、それを直接本人の口から聞くのでは、天と地ほどの差があるのですよ。
あまりにも、あまりにも私への配慮が足りません。いくらお飾りの妻とはいえ、私が傷つくとは思わないのでしょうか。それともそんなことも思いつかないほど、セドリック様にとって、私とは所詮その程度の存在だったということでしょうか。
「だが、今は違うんだ。アマンダのことはもう過去の事だ。もう彼女に対して恋情はない」
そんなの、嘘に決まっています。アマンダ様と王太子殿下がご結婚なさってから、まだ一年も経っていないのです。
それに――だとしたら今日のことは何なのでしょう。
「では今日のことは? セドリック様は確かにアマンダ様に愛しているとおっしゃっていました」
「そのことは……ちゃんと話す」
「ええ、話してください」
言い訳を。聞いてあげます。
「……アマンダは、王太子殿下と上手くいっていない」
それはあのやり取りを見ればわかります。ですが私たちも今はあまり上手くいっていません。当たり前です。政略なのですから。お互いが認め合うまで、時間がかかるのですよ。
「だから過去の愛に縋ってしまうんだ」
「……過去と言う程過去ではないと思いますが」
まだ一年しか経っていないのです。揚げ足取りとも思えましたが、どうしても指摘したくなってしまいました。
「もう、過去だ。少なくとも私にとっては」
セドリック様はまっすぐに私を見つめてきます。
「……ならば何故、愛しているなどとおっしゃったのです」
「だからそれは……」
「セドリック様からの愛があると思えれば、アマンダ様は王太子殿下と上手くいくと、そう思っていらっしゃるのですか? 過去の愛に支えられて?」
私には誰もいません。支えくれる愛はありません。
……けれど、確かにあの王太子殿下と向き合うには、少々どころかかなりの根性を要求されるのかもしれないとは思います。
私のような小物は、気を抜いたらパクッと丸呑みされそうです。たとえ優秀なアマンダ様といえども、気は休まらないのではないでしょうか。結婚に至った背景が背景ですしね。
アマンダ様が優しいセドリック様に縋ってしまう気持ちも、嫌だけれど理解出来てしまうのです。
「……いいや、思っていない。そんな甘いものではないだろう」
「ならば、あれはセドリック様の本心です」
「違う」
「違いません」
「違う」
驚きました。何故こうも頑ななのでしょう。もしや想うことすら王太子殿下や妃殿下に対して不敬だとでも思っているのでしょうか。真面目で堅物なセドリック様ならあり得ます。だったら二人きりで会うなという話ではありますが。
「違うが………だがそう言えば、たとえその時だけでもアマンダの心を救えると思ったんだ」
「都合の良い……」
思わず零してしまった私に、意外にもセドリック様が食いついてきました。
「そうかもしれない。けれど、本当にあの時はそう思ってしまったんだ。あの時は、憔悴しきったアマンダを前にして、突き放すことが出来なかった。嘘を……言ってしまった」
セドリック様が顔を覆いました。
嘘と。セドリック様ははっきりとそうおっしゃいました。けれど信じられません。友情では駄目だったのですか? 愛情でないと、アマンダ様は救えなかったのでしょうか?
ですが、そうかもしれないとも、私は思ってしまいました。王太子殿下の言っていた通り。もしかしたら私は随分と人が良いのかもしれません。溜息が出ます。
セドリック様からの愛情があれば、アマンダ様は救えるのかもしれません。何故なら私がそうだからです。私は先ほどの己の言葉を思い出しました。
政略結婚の相手であるセドリック様と私は、同士です。お優しいセドリック様相手なら、愛情はなくとも、情は育んでいけるはずなのです。
けれど私はそれが気に入りませんでした。いまだ私がセドリック様と夫婦の契りを結ぶことを拒否する理由は、セドリック様に妻として、女として、ちゃんと愛されたかったからです。
セドリック様からの愛情を、求めていたからです。アマンダ様と同じです。
ですが、それも終わりにしなければなりません。
「セドリック様……。私のことを気になさらなくても良いのですよ。あなたは、まだアマンダ様を愛していらっしゃいます。愛するアマンダ様の心を、救いたかったのです。ご自分のお気持ちに、正直になってください。心の中で想うだけならば、それは罪にはなりません」
私がそう言えば、セドリック様は顔を覆っていた手を離し、驚いたように目を見開き、そして眉を顰めて唇を引き結びました。




