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幼馴染のニート更生日記  作者: やわらぎメンマ
22/33

21.彼女の絶望



 「まぁ、その……、なんて言えばいいんだろうな……」

 重苦しい空気が漂う取調室の中。

 拓也達の上司である川口警部は、珍しく戸惑いの表情を浮かべながら、どこか迷いのある声音で目の前に座る部下ーーー戸石かなに声をかけた。

 当の本人であるかなは、普段被告人が座らされる椅子の背もたれに、力無くその身を預けている。

 上司からの声掛けに対して何の反応も示さないまま、ただ顔を俯かせていた。

 いつもの快活さは、今の彼女からは全く感じられない。

 そんな部下の様子に川口警部は、

 「はぁ……。まぁとにかく、お前はしばらく休んだ方がいいだろ。ひとまずこれ食ったら、しばらく休暇をやる。今日はもう帰れ」

 コンビニの袋からサンドイッチを取り出し、彼女の前に差し出しながら言うことだけ言うと、彼女の返事を待たずに部屋を出ていった。

 ガチャン。金属の扉が閉まる音が取り調べ室内に響く。

 一人部屋に取り残されたかなは、周りに人の影が無くなったことを悟ると、

 「グスッ……」

 膝の上に乗せた両手の握り拳に、目元から暖かな雫を数滴落としながら、静かに嗚咽を漏らし始めた。

 「カイくん……、ごめん………」

 今から3時間前。

 かなは幼馴染の海斗の部屋で、悲惨な光景を目の当たりにした。

 酷く荒らされた家具に、窓や壁に空いていた無数の弾痕。

 そして所々に散った血飛沫の光景を思い出す度に、かなは今も強い吐き気に襲われた。

 「なんで……、なんでッ………」

 嗚咽混じりの声を漏らしながら、かなは両膝の上に乗せた握り拳に力を入れる。

 かなの頭でひたすら渦巻いていたのは、強い後悔と無力感だった。

 引きこもりの幼馴染が、悲惨な事件の犠牲になってしまった。

 市民の生活を守る警察官たる自分が、よりによって身近で大切な存在を守れなかった。

 そんな後悔と自責ばかりが、今のかなの頭の中を渦巻くように支配している。

 かながそんな失意のドン底に落ちていたまさにその時、再び取調室の扉が開かれた。

 「少しいいかな?」

 言いながら部屋に入ってきたのは、50歳前後の初老の男。

 凛々しい風格と威厳を感じさせるそのオーラに、かなはようやく扉の方へと視線を上げる。

 そこに居たのは朝の現場で拓也と共に挨拶をしたばかりの人物。

 普段の業務では顔を合わせることがあまりない、粟島警視長官その人だった。

 そんな彼にかなは、

 「お疲れ様です……」

 覇気のない声で、ひとまず言葉を返す。

 本来であればその場で起立して、敬礼するくらいはしなければいけない相手だが、今の彼女は頭では分かっていても身体が言うことを聞いてくれない。

 そんな何処か憔悴(しょうすい)しきったかなの様子に、粟島警視庁間は扉を閉めながら、

 「状況は聞いているよ。気を使うことはしなくていいから」

 「ありがとう、ございます」

 かなはひとまず感謝の意だけ伝える。

 いくら高級の役職者を前にしたところで、今のかなのメンタルでは、他人に気を使うことなどできる状況とは正直言えなかった。

 だから粟島警視長官のその言葉は、仮に社交的な意味合いのものでもありがたい。

 本来は遠慮して姿勢を正すべきだろうが、かなは粟島司令長官の言葉に甘えて、特に取り繕うようなことはしなかった。

 一方の粟島警視長官は、先ほどまで川口警部が座っていた椅子に腰を下ろすと、テーブルを挟んで向かい合うようにして座るかなに切り出す。

 「君が署に戻った後、私も現場に行ったんだ。あれから直ぐに捜査も始まったよ」

 粟島警視長官の遠慮がちな説明に、かなは唇を強く噛み締める。

 彼女のどこか悲痛な表情に、粟島警視長官は一瞬躊躇(ためら)いを見せながらも言葉を続けた。

 「あの現場からは3人の遺体が見つかって、署内の霊安室に運ばれた。だけどね、これはさっき報告が上がったんだけど、その3人の遺体の中に小高っていう苗字の被害者はいなかったらしい」

 「えっ」

 粟島警視長官からの思わぬ一言に、かなは短く疑問の声を漏らしながら顔を上げた。

 そこには、至って真剣な表情でこちらに視線を向ける粟島警視長官の顔。

 話の先が見えないかなは、

 「それは、どういうことでしょうか……?」

 反射的に疑問を返した。

 あの現場を見たかなは、確かに何人かの男が地面に倒れている姿を見た。

 だが悲惨な光景に化けた海斗の部屋の中で、倒れている男の誰が海斗なのかーーー肝心な身元をしっかりと認識していたわけでは無かったのだ。

 とはいえ、連続殺人が横行していた中、あの引きこもりで体力のない海斗が、悲惨なあの現場で生き残っているとは到底思えない。だから当然の結果として、あの遺体の中に海斗の姿があると勝手に思い込んでいた。

 ゆえに粟島司令長官の「遺体の中に小高家の人間はいない」というその一言は、無意識に死んだと錯覚していたかなの認識を根本から覆すものだったのだ。

 そんな驚きと希望がない混ぜになったような表情を浮かべるかなに対して、

 「それを今から調べることになる。君の幼馴染が何処へ逃げたのかを含めて、ね」

 わざと含みを込めたニュアンスで、粟島警視長官は淡々と返した。

 ただならない空気が、取調室の中を一気に支配する。

 「に、逃げた……?」

 「…………」

 かなの自然な疑問の声に、粟島警視長官は厳しい表情のまま、鋭い視線を向け続ける。

 (もしかして私、何か疑われてる……?)

 心の中で不安を感じながら、かなは粟島警視長官の視線を正面から受け止めていた。

 そしてしばらくしてーーーー、

 「はぁ……」

 沈黙を破ったのは、粟島警視長官の溜息だった。

 「あえて正直に打ち明けると、私と現場に居合わせていた警官達は、すでに小高海斗が何らかの重大な犯罪に加担していると睨んでいる。だから普段から彼と交流がある君は、捜査の対象になると思う」

 「……ちなみにですが、カイくーーーじゃなくて……、小高海斗には、どのような容疑がかけられているのでしょうか……?」

 想像通りの答えを返してきた粟島警視長官に、かなは恐る恐ると尋ねた。

 一方、かなの疑問に対して粟島警視長官は、一瞬ためらいの様子を見せた後に、

 「器物破損と、違法薬物売買に、銃刀法違反。それと、殺人幇助と殺人罪だね」

 その衝撃的な内容と容疑の数に、かなは「はッ!?」と思わず声を上げる。

 粟島警視長官が挙げた罪状は、どれも普段の海斗からは想像できるものではない。

 むしろ誰かと勘違いしているのではないか?そうに違いない。

 かなはそんなことを考えながら、

 「それってどういうことですかッ!? なんでカイくんにそんな容疑がッ!?」

 ズイっと身体を机に乗り出しながら、粟島警視長官にそう(まく)し立てた。

 正面に座る粟島警視長官は、かなのあまりの剣幕に姿勢を仰け反りさせながら、

 「す、少し落ち着こうか……」

 取り乱したかなにそう言い聞かせながら、

 「まだはっきりとした証拠があるわけじゃないんだけど、どうやら君の幼馴染は、裏社会で有名なハッカーという情報があってね。バンカーっていう異名の持ち主らしい」

 「バン、カー……?」

 「直訳すると銀行員って意味だけど、そのバンカーは裏社会の情報を中心に、まるで銀行のように信用ができる情報を提供するハッカーとして評判らしいよ。どうやらその異名も、その評判から後で自然とついたものらしい」

 「…………」

 「まぁ、信じられない話だよね。君にとって小高海斗っていう男の子は、今も昔から付き合いがある幼馴染。だけどこれから彼は、裏社会で暗躍していたクラッカーとして身を追われる立場になる。彼に手錠(わっぱ)をかけるのは、もしかしたら君かもしれない。いや、そもそも君にはできないだろうね」

 「そ、そんなことはっ……」

 「できるのかい?」

 かなの弱々しい否定の言葉に、粟島警視長官は低い声で問う。

 「………」

 「はぁ……」

 案の定押し黙るかなの様子に、粟島警視長官は溜息をつくと、

 「それで、君はどうするつもりなのかな?」

 「どうする、って……」

 「このまま職務を(まっと)うできそうかい? できないのであれば、しばらく休むのもいいと思う。この件はこれから先、君にとって辛い出来事ばかりになってしまうだろうからね」

 「…………そう、ですね……。しばらくお休み、頂きます……」

 「それがいい。今君ができることは、とにかく大切な人を信じて待つこと。それだけだよ」

 「…………はい」

 こうして長期休暇を取ることを決めたかなは、粟島長官から休暇中の手続きについて説明を受けると、早々に取調室から解放された。

 自分の席に一度立ち寄って、同じ課の人たちに簡単な挨拶回りを済ませると、必要最低限の荷物を回収する。

 そして、ロッカーで着替えを済ませて署を出る頃には、空は灰色がかった雲が空を覆っていた。

 これから雨でも降るのか、ジメッとした空気が肌を不快に刺激する。

 まるで今のかなの心模様が、今の天気に現れている様に感じて、

 「あ、あははっ……」

 感情のない乾いた笑いを漏らした。

 今まで何も知らず、ここまできて無力な自分に対して無性に腹が立つ。

 「私は、何のために……」

 握った拳に力が入る。

 警察官という、比較的誰よりも様々な情報を得ることができる立場にいながら、よりによって一番身近な幼馴染のことを何も知らなかった。

 そしてその事を認識している今ですら、今の自分にできることは何もないのだ。

 その悔しさと情けなさに、かなは自分を強く責めてしまう。

 かなは深い溜息をつくと、ひとまず自分の車の鍵を開けた。

 その時ーーー、

 「これから、どうしよう……」

 ふと思い出したかのように、かなはそんな疑問を口から滑らした。

 これから真っ先に家に帰ったとしても、どうせ自分一人しかいない。

 今のメンタルの状態で一人にされるのは、かなにはとても耐えられなかった。

 「喫茶店でもよってから帰ろうかな……」

 そんなことを考えながら、車のドアを開けたその瞬間、

 「あれ、もう帰るのかい?」

 聞き馴染みのある一人の若い男の声が、かなを呼び止めた。

 スラッとした高身長の、知的な雰囲気を漂わせるメガネのイケメン警察官。

 片手にはコンビニのアイスコーヒーと、その反対の腕にはノートパソコンが抱えられている。

 このいかにもインテリ系を思わせる警察官の名は、関屋(せきや) (まなぶ)

 彼は拓也と警察学校からの同期らしく、かなは配属された警察署で拓也と再開したのとほぼ同時に出会った。

 部署はお互いに違うこともあって、かなと学が出会ってからそれ以来は、署内でたまに挨拶する程度の間柄だった。

 「はい……。しばらくお休みをいただくことになりました。関屋先輩にもご迷惑をおかけしてしまいますが、しばらくよろしくお願いします」

 「なんか、かなちゃんらしくないね。もしかしてやっぱり、例の事件の件かい?」

 「そんなところです」

 「そっか……。まぁ、無理もないか」

 「関屋先輩もご存知だったんですね」

 「そりゃ、僕はサイバー犯罪対策課だからね。バンカーの噂は薄々聞いていたけど、まさかその正体が君の幼馴染だとはねー。今頃東京のどこに居るのやら」

 「ちょ、関屋先輩ッ!東京ってどういうことですか!?」

 学の聞き捨てならない最後の言葉に、かなは彼のネクタイを掴んで思いっきり身を寄せる。

 当の学はコーヒーを地面に落とし、片手で首元を必死に抑えながら、

 「い、いやッ……、ひとまずネクタイ離してっ……」

 「そんなのどうでもいいんです!なんでカイくんは東京にいるんですかッ!?」

 「わ、分からないけどッ!事件から2時間後くらいに、燕三(つばさん)駅で新幹線に乗っていく様子が監視カメラに映ってたッ!それから東京駅まで乗っていたところまでしか僕たちも分かっていない!」

 「カイくん、今度は何するつもりなの……?」

 「分からないけどッ、とりあえず離してッ!!首がしまるッ!」

 「あっ、ごめんなさい……」

 学の必至の懇願をようやく聞き入れたかなは、パッと手を離す。

 「ゲホゲホッ」

 首元がようやく楽になった学は、低い声で咳き込みながらも、

 「相変わらず君は、衝動的なところがあるね……」

 苦笑いを浮かべながら制服を正す。

 「す、すみません……」

 「あははっ。とりあえず、僕たちもバンカーの足取りは追ってる最中だから。少なくてもこの事件が落ち着くまで、君はゆっくりと休んでいるといいよ。それじゃ、僕は捜査に戻るね」

 言いながら、地面に落ちた空のプラスチックコップを回収すると、学は署の入り口に向かって足を進める。

 だがかなは一つ決心を固めると、

 「ま、待ってください!」

 「ん?」

 彼女の呼び止めに、学は振り返る。

 「関屋先輩、私と連絡先交換してください」

 「えっ?」

 突然そんなお願いをされた学は、ただ困惑顔を浮かべていた。

 学が“何故?“と聞き返すよりも先に、かなは口を開く。

 「私、カイくんを探しに行きます。これから東京に行きます。だからもし、カイくんの居場所がわかったら、私にいち早く教えて欲しいんです」

 「ーーー君、自分が何言っているのか、分かっているのかい?」

 「分かっています。関屋先輩にご迷惑をおかけしてしまうことも、大きなリスクを持たせてしまうことも重々承知です」

 「ならーーー」

 「だけどッ!」

 相変わらず困惑したままの学の声を遮り、かなは続ける。

 「だけどっ、今の私には関屋先輩の協力が必要なんです!だから、お願いします!」

 しばらく無言のまま、お互いにじっと視線を向け合う。

 そして、数秒の間が空いたその時、

 「はぁ……」

 学はかなのその真剣な眼差しに、溜息を一つ吐くと、

 「分かったよ。拓也の後輩の頼みだし、協力する」

 かなの突拍子もないそのお願いを引き受けた。

 「あ、ありがとうございますっ!」

 「だけど、協力できるのは情報提供だけだよ。他は期待しないでね」

 「もちろんです。ありがとうございます」

 「それじゃあ、連絡先交換しようか」

 渋々と言った様子で、学はズボンのポケットからスマホを取り出す。

 お互いのLINEと電話番号を交換すると、

 「ありがとうございます!あとでまた連絡しますね!」

 かなはそう言って、自分の車に乗り込んだ。

 「くれぐれも、大ごとは起こさないでね」

 窓越しに呆れた様子で言う学に、

 「分かってます。それじゃ、行ってきます!」

 かなは窓を開けながら答える。

 「うん、気をつけて」

 学に見送られながら、かなはエンジンを勢いよく吹かしながら発進させる。

 「待ってて海斗……、今度はもう絶対、離さないから……」

 こうしてかなは自分の家に帰る事なく、海斗が居るであろうそ東京に向かって直行するのであった。

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