春の日とシチューの香り1
それから20年の時が経った。
一言で悪役王妃の噂を払しょくするとは言っても、庶民にまで浸透した噂を消すのは並大抵の苦労ではなかった。
人間貴族という言葉をなくすことと同時に進めて行ったそれは、まるでエリスティナの悪評に対してだけ、誰かの力が働いているかのように消えないのだ。
それはまるで、クリスが情報を上書こうとしているのを知って、妨害しているかのようだった。
そういうことをしながらも、クリスは20年の間、エリスティナの生まれ変わりを探し続けた。
しかし、エリスティナの生まれ変わりが確かにこの世界に存在していることはわかるのに、やはりと言うべきか、エリスティナの魂が今どこにあるのかはわからなかった。
当然だ。竜種から番の位置まで感知できるのなら、そもそも人間貴族は生まれたりしなかった。竜種は、番に出会うまでは番の存在しか――それすら感知できないこともある――わからない。
実際に出会って、匂いを覚えて、そうしてはじめて番がどこにいてもわかるようになるのだ。
その過程を踏まなければ、竜種は番の位置を感知することができない。
知らないものは探せない。
だからこそ、探す範囲を狭めるために人間貴族という制度が生まれたのだった。
人間貴族を廃止したから見つけられない、という言い訳はしたくなかった。
それは、エリスティナの望みに反していると思ったからだ。
だから、クリスは自分の足で城下町へと足を運んで、ときには辺境まで飛んでエリスティナの魂の持ち主を探して回った。
食事も最低限で済ませていた。城のものに心配されはしたが、クリスは強大な魔力を持つゆえに、食事を摂らなくとも生きていける。
もとより、エリスティナが死んでから、クリスは空腹を感じたことがなかった。
食べ物を食べても味を感じないから、空腹感がないことはクリスにとって都合がよかった。
「クリス、お前、いくら死なないったって、こんな生活してちゃ体を壊すぞ、ちゃんと休んで、食わないと……」
そろそろ90年の付き合いになる、人間を番に持つ、比較的気心の知れた部下が、クリスを説得するためか、あえて砕けた口調で言う。
クリスはそれに無言を返し、街へ降りた。
その日は、良く晴れた春の日だった。




