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1.謁見




 退屈な謁見に王太子はあくびを噛み殺した。

 政治の第一線を父から譲られて後悔しているものの、王妃が亡くなって意気消沈している背中を思い出すとわがままを言っていられない。

 謁見室の大きく豪奢なとびらが四人の侍従の手で開かれると、臣下は緊張した表情で金色の刺繍がされた赤いカーペットを進み、階段の先の玉座に座る王太子へ頭を下げる。許しを得て述べる報告や嘆願内容は、どれもつまらないものばかりだ。さっさと許可を出し、あるいは詳細を追求し、端的でありながら適切な受け答えで処理をしていく。

 王太子を騙そうだとか、不義や横領を働く者がいないことは喜ばしいが、誰もが委縮しているので悩みがいがないという贅沢な悩みを抱え、次の謁見者を待っていた。

 補佐から渡された資料にはヘイデと名前が記されている。西部のヘイデといえば、このヴァルハード王国で上位に入るヘイデガン商会の血縁者が買った爵位だ。平民が男爵位となったが前例はあったが、貴族に必要な貢献と奉仕を継続できなければ没落に至るので品格や実力を要する。王太子ではなく王が承認した彼だったが、数年前に伯爵家の令嬢と結婚し以降悪い話もなければ良い話も聞いていない。

 貢献と奉仕にも滞りはなく、書面からは小さな領地を上手く管理していることが読み取れる。貴族となった平民が図に乗ったか。謁見内容は爵位継承についてと簡潔な言葉で申請されているが、何か無茶な要求をしてきたあかつきにはどうしてやろうかと、王太子は今日一番の笑みを浮かべた。

 背もたれにゆったりと広い背中を預け、とびらを開くよう指示をする。入り口の左右に二人ずつ控えている侍従が両開きのとびらを引き、隙間が次第に大きくなって一番に見えたのは、真っ赤な瞳だ。

「王太子殿下、お助けください!」

 まっすぐに見上げてくる赤に目を奪われていた王太子は遅れて、謁見者が一人ではないことに気付く。美しい女の後ろには胸倉を掴まれた男がいた。ふっくらとした体格で、女が鷲掴みにしているクラバットにもふんだんに宝石があしらわれており指先が白くなるほどの力で握ると肌に刺さって痛そうだ。

 男が叫ぶと、女が叱責するようにクラバットを引っ張る。男はカエルのように呻き、女が王太子の眼下まで歩き始めるとふらつきながら引っ張られるままついていく。

 異例の謁見に王太子は面食らったが、階段下まできてようやくクラバットから手を放して美しく礼をする女に「楽にせよ」と普段と変わらずに声をかける。

 頭をあげて姿勢を正した女は、幼さのある顔立ちをして、白に近い金髪を上品に上げていた。隣の男と比べて飾り気はないが、過度な装飾をしては邪魔になるだろう。そんな美貌を持っている。王太子が気に入ったのは真っ直ぐな真っ赤な目だ。

「王太子殿下に拝謁いたします! こ、この世間知らずな娘が――」

 大きな身振り手振りで醜態を晒したヘイデ男爵が、隣の女はいかに礼儀がなっていないかを語り始める。謁見自体も申請したのは女であり、治世や領地の経営にも何も不満なく、とつらつら腰を低くして王太子に擦り寄る。

 ふむふむ、と時折頷きながら王太子は話を聞いていたが、興味は女にあった。ヘイデ男爵の話の中から女が彼の妻だということはわかった。ヘイデ男爵の年齢は四十に近いが、女はまだ二十歳になったばかりだという。親子ほども歳が離れているが貴族社会では珍しくない。ただ、傲慢なくちぶりに対して女の機嫌をちらりと窺っている様子が、笑ってしまいそうなほどおかしかった。

 どのタイミングで謁見を申請した女が口を開くのか待っていれば、その時は突然訪れた。ヘイデ男爵が貴族の在り方、責任、そういった話をした瞬間に、女がまたクラバットを勢いよく掴んで引っ張った。

 宝石が肌を傷つけ、血の玉が散るほどの力で。

「王太子殿下」

 手のひらに食い込んだ小指の先から赤が伝う。怒りは片手に、表情は冷静に、声音は場に似つかわしくない鈴のようだった。

「私、ローゼリア・ヘイデとアーゼン・ヘイデの契約の証人になっていただきたいのです。次世代が軋轢を生まないように」

「ふむ。契約とは」

「おい! ローゼリア!」

 ヘイデ男爵が自身の妻だというのに容赦なくローゼリアの美しく整えられた髪を掴んだ。白金の髪がはらはらと宙に舞いながら散らばり、ローゼリアは引っ張られるまま上半身を仰け反る。

 口汚くローゼリアを罵る言葉には品格の欠片もない。ローゼリアはヘイデ男爵とは口を利かず、王太子との謁見を続けている。呻きも、泣きもしない毅然とした態度に王太子だけでなくその場にいる全員が介入を躊躇った。

「アーゼン・ヘイデは、私ではなく、他の女性と子を成したのです」

「ローゼリア!」

 ヘイデ男爵は冷や汗を浮かべ、とうとうローゼリアの口を手で塞ぐ。小さな顔の下半分が肉厚で指輪のついた手に覆われると、ローゼリアは息が苦しくなった。薄い脂肪しかついていない頬に指輪が強く押しあてられて骨が軋む。

 抵抗をしたいのに力の差は歴然で、怒りも悔しさも並々ならないのにまったく敵わない。王太子や他の高位貴族の前でこれ以上恥をかきたくなくて必死で涙を堪え、分厚いドレスの下で足が浮きかける恐怖に打ち勝ち、ヘイデ男爵の指に歯を立てた。同時に、ヘイデ男爵の首に鈍い銀が当てられる。

 静かに忍び寄る影にまったく気付かず、瞬きの間に首元に当てられた剣にヘイデ男爵は身動きが取れなくなった。指を噛みつかれて痛いと叫ぶことすらできない。荒い息で身体が跳ねるとわずかに剣が肌に触れた。

 ヘイデ男爵の手から力が抜けて、ようやくローゼリアの呼吸が自由になる。足が震えて倒れそうになるのをぐっと堪え、浮かんだ涙を拭うと滲んでいた血が目元を彩る。

「殿下。私はヘイデ男爵夫人として責務を果たし、貴族として貢献と奉仕に尽くしてきました。しかし夫は私を裏切ったのです」

 ローゼリアの目は怒りで燃えていた。その炎が散ったかのような血の色が、王太子の目に面白く映っていた。ローゼリアの嘆願を留めるようにヘイデ男爵がか細く彼女を呼ぶが、肌に触れている剣が薄皮を斬った少しの痛みに喉を引きつらせる。

 王太子は無言で次の言葉を促した。

「生まれてくる子に罪はありません。私はヘイデ男爵夫人として私生児を自分の子として、ヘイデ男爵家の後継者として育てようと思います」

「ほう。ヘイデ男爵夫人は心優しいのだな」

「しかし、夫と、私を騙して夫と通じた使用人には、罰を受けていただきたいのです」

 その言葉と、眉間にぐっと皺が寄ったローゼリアの表情で彼女がどれだけの屈辱を耐えたか想像できる。使用人と関係を持つとは、彼らの不貞行為は彼女の過ごす屋敷で行われたに違いない。

 子に罪はないにしても、不貞を働いた大人には罪がある。彼女の言う罰が気になって、王太子はわずかに前のめりになった。

「夫をヘイデ男爵家から追放し、生まれてくる子に爵位を与えたいのです。子が成人するまでは私が代理人として責務を果たします」

「そっ、そんなふざけたこと……っ!」

「そして、夫と関係を持った使用人は全員、紹介状も与えず解雇します。夫がヘイデガン商会に戻れたなら、そこで雇用するのは構いません」

 ローゼリアの意志は固かった。ヘイデ男爵が乱暴な真似をしてまでローゼリアの口を封じたのは、彼女が嘆願する内容を知っていたからだ。

 大金を投じて領地と爵位を買ったのに、それらすべてが無駄になると思えば誰だって必死になるだろう。しかしローゼリアを説得する力も頭脳もなく、この場まできてしまった。王太子はローゼリアの言葉に耳を傾けており、自分は体格のいい男に剣を向けられている。絶体絶命の状況を打破するべくとった行動は、ローゼリアの肩を抱き寄せる、というものだった。

 細い肩を強引に掴まれ、ローゼリアは痛みに顔を顰める。その表情に気付かず、肩に指を食い込ませたままヘイデ男爵はにへらと無理やり笑顔を作った。

「お、王太子殿下! 最愛の妻は私への愛情が深く、使用人と少し距離が近かったのを勘違いしているのです! わ、私は不貞など働いておりませんし、妊娠している使用人もおりません! 夫婦仲は睦まじく、私たちの子ができるのも時間の問題でして」

「私、に、触らないで」

「ロゼ、照れずとも……ひっ!」

 王太子は当然嘘だと見抜いていた。入室直後の態度は愛情よりも敵対心に満ちていたし、抱き寄せられたローゼリアの屈辱の滲む顔、夫を視界にすらいれたくないほどに毛嫌いした様子はいっそ清々しい。

 骨まで焼き尽くしそうな瞳に反し、両手を使ってもヘイデ男爵の片手を引きはがせない非力さがアンバランスで、支配者の血をくすぐる。

 ローゼリアが何かを言おうとしているのに、ヘイデ男爵の言葉は止まらない。抵抗を示したローゼリアの肩を掴む手により力を込めておいて、愛を語る必死さが愉快だった。

 ヘイデ男爵の口を閉ざしたのは、また影のような男だ。素早い動きでヘイデ男爵の正面に立ち、一度退けていた剣が顎下に添えられる。口を開けば突き刺さる、その位置で構えられ、唾を飲みこむ動きだけでもちくりと皮膚を刺す。

 正面に立たれると、ローゼリアに影が差すほどに体格が良いことがわかる。口元を布で隠し、深くローブを被っているせいで顔が見えない。背の低いローゼリアが下から覗き込むと、ローブの奥で青い目が光った気がした。

「ヘイデ男爵夫人。あなたの話の続きを聞こう。どうやら、男爵の話と食い違っているようだが」

 王太子に声をかけられて、ローゼリアが視線を彼へ向ける。満身創痍の姿をしているのに、王太子の前で姿勢を常に正し、貴族としての矜持を忘れない少女は美しかった。

「夫の言葉はすべて偽りです」

「だが、証拠がないだろう。私も公正な判断をしなければならないからな。あなたが嘘をついているのか、男爵が嘘をついているのか調べなければならない。当主を追放するとなれば、尚更だ。正直なところ、不貞や私生児が生まれたというだけでこの処置を取っていると、この国から貴族も、王族も数が減ってしまう」

「であれば、離縁だけでも認めていただきたいのです。罰を金銭という形にしましょう」

「ほう」

 ローゼリアの本当の目的はこちらだったとわかるほど、満足そうな顔だ。

「ヘイデ男爵が私に金貨五千枚を払い、離縁し、今後一切私に関わることを禁止する契約の、証人になっていただけませんか」

 金貨五千枚とは、二十年は不自由なく暮らせる額だ。ヘイデ男爵が爵位を買った額と同額だった。

 王太子は考える。考えている王太子へローゼリアが一歩近づく。

「夫は嘘をついています。それは間違いありません。私を調べていただければわかります」

「夫人を、というと」

 ローゼリアは決意に満ちていた。

「この場にいた皆様が、私が子を産むのは時間の問題という夫の発言を聞いたと思いますが、私が子を成すなどありないのです。なぜなら、夫と私は一度たりとも夜を一緒に過ごしたことがないからです」

「……なるほど」

 自分が処女であることをはっきりと断言した。二十歳のローゼリアにとってそれがどれだけ覚悟がいることだったか、子を持つ侍従たちはかすかに眉間に皺を寄せる。嫁いだとはいえまだ庇護を受けて当然の年齢の娘が、味方がいない中で自分の武器をひたすらに磨いている姿は、親心も、男心もくすぐるものがある。

 そして夜を過ごさなかった、過ごせなかった彼女が男爵家でどのような扱いだったのか想像に難くない。

「調べればわかる、と」

「えぇ。ただ、調べるのであれば、私と夫の契約が結ばれたことを認めていただきたいのです」

 深々と頭を下げて嘆願するローゼリアを、王太子は見つめながら考えた。おそらく彼女は潔白なのだろう。そして、ヘイデ男爵と離縁したい理由が不貞のほかにもあるはずだ。

 腹のうちをすべて曝け出さないローゼリアを完全に信じるわけにはいかない。買った爵位とはいえ貴族であれば、安易な判断は王太子の地位を脅かす。ヘイデ男爵が黒だとわかっていても、軽率な行動はできなかった。

「ヘイデ男爵家について調査する時間をくれ。一週間もあればいい。その後に判断しよう」

 ローゼリアは頭を下げたまま、下唇を噛んだ。影の男に隠れて、ヘイデ男爵はわずかに口角を上げた。

「そ、そのように……」

 ヘイデ男爵は顔を上に向けながら王太子の言葉を受け入れたが、ローゼリアは頭を上げて、追加のお願いをする。

「では、王太子殿下が熟考されている間、私に監視をつけてくださいませんか」

「監視?」

 護衛でも、夫の監視でもなく、ローゼリア自身の監視という言葉に王太子は疑問を抱いた。

「えぇ。監視です。夫曰く、私は夫への愛情が深いようなので、私を監視していただければどちらの言葉が嘘かわかります」

 自分への監視という名の夫への牽制だ。

「二十四時間。ずっと、監視してください」

「二十四時間、ずっと」

 王太子は含みを持たせて問い返した。その意図をきちんと理解したローゼリアが頷く。

「私がどこにいようと、何をしようと。監視していただきたいのです。もしそこで、私の嘘があらわになったのなら――王太子殿下のご判断にこの身を委ねます」

「ははっ」

 堪えきれず、王太子はとうとう声に出して笑った。

 まるで脅されている気分だが、悪くない。嘆願しているようで契約を持ちかけられているようだ。ローゼリアの言葉が真実であることはわかっていたが、彼女が妥協できるというのなら王太子としての体裁も守らせてもらうことにする。

「では、私の信頼する部下に監視させることにしよう。ヘイデ男爵夫人。この謁見室を出た瞬間から、あなたは私の目から逃げられないことを覚悟するように」

「はい。……ありがとうございます」

 ようやくローゼリアの表情が少しだけ緩んだ。身体が一歩後ろに傾いて、自分の足を下げて支える。

「ありがとうございます。王太子殿下」

 胸元で、血が乾いた手のひらを隠すように両手を組む。潤んだ目を影の男だけが見つけていた。

鼻息を荒くしてローゼリアを睨むヘイデ男爵だが、この場で発言できることは何もない。王太子の監視ほど公正なものはないのはわかっている。ここで拒否をすれば自身の発言に後ろめたいことがあると自白するようなものだ。

 両手をあげて、ゆっくりと下がるが剣は追いかけてこなかった。額にも首にもじっとりと滲んだ汗を袖で拭い、「ご配慮ありがとうございます」と下手くそな笑みを浮かべる。

 二人の様子を高い場所から見下ろし、満足そうに頷いた王太子は退室の許可を出す。一礼して颯爽とローゼリアはとびらに向かった。その背を追いかけるヘイデ男爵がローゼリアの腕を掴もうとして、寸前で手のひらを握った。クラバットで傷ついた手を握り、引いて、侍従が開いたとびらの外へ足を踏み出す。

 ヘイデ男爵に引きずられるように遠ざかる背中をとびらが閉まるまで見つめた後、すぐに補佐へヘイデ男爵家と、ローゼリアの生家であるエイフォルネ伯爵家について調査するよう指示をした。
















以降5000字程度を第一部(8話)まで毎週月曜更新します。一部と二部ではメインの男が違う(予定)ので、いつか男2女1の図になります。

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