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Side ニック・レガートその2
キャンディの微笑みが美し過ぎて眩しい。
これが嫡男を産んだ正妻の余裕というやつか?
『ええ、少し前にね。ニックに連絡をとったらすぐに会いに来てくれて。それからはまた昔のように過ごしているのよ? あの頃とは過ごし方が随分違うけれどね』
ソニア? それ以上は言うなよ?
『昔を懐かしむ気持ちは良く分かるわ』
そう言ったキャンディは、僕に目を向けたんだ。
だから僕は慌てて言い訳をした。
『いや、違うんだ、キャンディ。彼女には仕事上でいろいろと……相談に乗ってもらっていてね。今日はそのお礼にドレスを仕立てることになっていてね。ああ、そうだ。君にもドレスを贈ろう。僕が選んであげるよ。久しぶりに僕の瞳の色なんてどうだい?』
そう言えばソニアを黙らせることばかり考えていたから、最近はキャンディには何も買っていなかったな……ああ、本当にモテる男は辛いよ。
そうだ、父上の言うとおり、キャンディにも高級なドレスを買ってやろう。
僕を愛しているキャンディは、それできっと機嫌を直すはずだ。
ソニアには後でネックレスでもつけてやれば丸く収まるさ。
そう思ったのに、キャンディは冷めた目をして言ったんだ。
『あら、そうなの。お世話になっているならお礼はしなくてはね。私のドレスは不要よ。それよりソニアのドレスを選ぶんでしょう? どうぞこちらはお気遣いなく』
ドレスは不要? お気遣いなく?
なんだか予定の返事と違う……
僕の心はざわめいた。
そんなことにも気付かず、ソニアは遂に言ってはいけないことを口にしたんだ。
『私たちは明日から旅行に行くの。あの夕日がきれいなハーベイへね。もちろん今夜も一緒に過ごす予定よ。ああそうだわ! あなたも一緒に来ない? 前に行った時は2人きりだったけど、3人でも楽しいかもしれないわ。夜には素敵なダンスパーティーもあるのよ? ねえ、ニックそうしましょうよ』
それはまずい!
父上にバレてしまう!
またあの地獄のような日々に戻るのは絶対に嫌だ!
しかも3人で旅行だと? 僕はどっちのベッドに入ればいいんだ?
キャンディの親友であるリリアが、物凄い顔でソニアを睨んでいる。
当たり前だ! 煽り過ぎだ!
なのにキャンディときたら、物凄く冷静に言った。
『あなたが出張に行っている間に少し実家に顔を出そうと思うの。弟の卒業祝いをするらしくて夕食に誘われたの。あなたもって言われたのだけれど、お仕事でしょう? だからホープスと一緒に行こうと思って、今日はお祝いの品を選びに来たのよ。少しゆっくりしてきたいわ』
実家? 実家に戻るだと?
拙い拙い拙い拙い拙い!
いや、待てよ? 実家のシルバー伯爵邸なら問題ないんじゃないか?
あそこの一家は物凄く僕に協力的だ。
キャンディが何か愚痴っても、一家総出で宥めてくれるだろう。
でもやはり旅行とバレたからには、中止した方が良いのだろうか……
いやいや、これは接待のための出張だと信じているのだから問題ないか?
そんなことを考えているうちに、キャンディたちはいなくなっていた。
僕はソニアに引っ張られるように予約していたホテルに入った。
その夜のソニアときたら……まるで娼婦のように……
ああダメだ! こんなことを思い出している場合じゃない!
妻が一週間も実家から戻ってこないなんて!
キャンディ、早く帰っておいで。
もう粉も出ないかもしれないけれど、たっぷり愛してあげるからさ。
ああ、イライラする! キャンディをこの手で抱きしめないと不安で仕方がない。
そうだ! 迎えに行こう。
あそこには僕の味方しかいないから大丈夫。
キャンディのためにホープスの瞳の色の宝石を使ったブローチを買って行こう。
これで全て解決だ!
僕はすぐに屋敷を出た。
宝飾店に寄って、その足でシルバー伯爵邸に乗りつけたのに……
「キャンディですか? いいえ、こちらには戻っていませんが、もしかして夫婦喧嘩ですか? 仲が良い証拠ですなぁ。どこの家でもあることですよ。え? 息子の卒業祝いのディナー? うちの息子の卒業は来年ですよ?」
僕は勘違いだと誤魔化して、余裕の態度でシルバー邸を辞したが、内心は心臓が飛び出すほど焦っていた。
もし自分の実家ではなく、レガート侯爵領に駆け込んでいたら?
父上がソニアとのことを知ったら?
僕は眩暈を起こしてしまった。
呆然自失状態で屋敷に戻ったが、そんな時間は無い!
でもどうすれば……
「ああ、そうだ。リリア嬢に聞けば分かるだろう」
僕はまた馬車に乗り込んだ。
彼女はすでに嫁いでいて、今では名門エヴァン侯爵家の当主夫人だ。
先触れも無く訪問するには、少し遅いような気もするが、そんなことはこの際無視だ。
エヴァン侯爵邸の家令が出てきて言う。
「ご当主様と奥様はご友人主催の夜会にご出席です。え? レガート小侯爵夫人でございますか? 数日前にお見えになりましたが、本日は来られてはいません」
その時になって初めて、僕はキャンディの友好関係をこれ以上知らないことに気付いた。
「もうだめだ……探すところがない」
いっそ覚悟を決めて領地の父上に相談を……
いやいやいや! 無理無理無理!
怖すぎる!
あの地下牢のような部屋に戻るくらいなら、いっそソニアと駆け落ちした方がいい!
そうだ、ソニアと逃げよう。
彼女には王都で屋敷を買えるほどの金を使っているんだ。
最初はそれを売りながら生活しよう。
僕には商会での知識もある。
レガート家の名を出せば、すぐに仕事も見つかるだろう。
そのうちキャンディも反省して戻って来るさ。
そうしたらキャンディのご機嫌を伺いながら、ソニアを愛人として囲えばいい。
元王子妃を愛人にするなんて、男冥利に尽きるじゃないか!
そう考えた僕は、ソニアが泊っているホテルへ向かったんだ。
「え? 引き払った? 行き先は聞いてない?」
どういうことだ! 僕に黙ってソニアが姿を消すなんて!
「ああ、そうか。キャンディを煽りすぎて怖くなったんだね? 僕の家庭を壊すことを畏れて姿を消したんだね? 可哀想に。すぐに探し出してあげるから待っていておくれ」
王都中のホテルを探しても、ソニアの実家であるマクレン侯爵邸に行っても、どこにもソニアはいなかった。
あれほどの荷物だ。
そう簡単に一人で動けるわけはない。
どこだ? どこにいるんだソニア!
まさか隣国に戻ったのか?
それとも妻に手を上げるような男に無理やり連れ戻されたのか?
ああ、可哀想なソニア。
キャンディを探していたのに、いつの間にかソニアを探している僕。
でも次期侯爵とはいえ、まだ爵位を継承していない僕の愛人でいるより、王子妃の方が君には似合っているのかもしれない。
僕はまた美し過ぎる君に惑わされてしまったんだね?
いや、今回は体だな。
僕は君を探さない方が良いのかもしれないね。
そんな日々を送って約ひと月。
ソニアの水死体が上がったという新聞記事が、僕を絶望のどん底に突き落とした。
『隣国第二王子妃 里帰り途中で事故に巻き込まれたか』
『生まれたままの姿で川に浮かんだ第二王子妃! いったい彼女に何が?』
まさかとは思うが、僕の愛を疑って自死を選んだ?
でもなぜ全裸?
僕はどうすればよかった?
キャンディかソニアかなんて決められるはずがないじゃないか!
素晴らしい賢母の妻と、素晴らしい性技の愛人。
どちらかだけって選べる奴なんてこの世の中にいるのか?
そしてその翌日の新聞で、ソニアはすでに第二王子から離縁されていたことを知った。
きっと僕が原因だ……
頭を抱えて屋敷に引き籠っていた時、馬車が止まる音がした。
執事が駆け込んでくる。
「レガート侯爵がおみえです」
ああ、詰んだ……僕の人生は終わったんだ。




