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キャンディと司書は図書館マナーぎりぎりの声で話し続けていた。
「はい、乳幼児専門のコーナーを設けています。ここでは多少であれば騒いでも走っても注意はしません」
「幼いころから本に触れる機会があるということは良いことですね」
「私もそう思います。王弟殿下のご提案なのです」
「そうですか。お目に掛ったことはございませんが、さぞ素晴らしい方なのでしょうね」
キャンディの言葉に一瞬だけ司書が首を傾げたが、何も言わず歩き始めた。
図書館の中はジャンルごとに仕切られているようだ。
迷路のようなガラス張りの仕切りを、泳ぐように進んでいく。
無事に帰れるのだろうかと思ったとき、司書の足が止まった。
「お探しのものはこちらで見つかると思います。良ければお手伝いいたしますが」
ざっと見ただけでも数千冊はありそうだ。
一人では無理だと判断したキャンディは、司書の申し出をありがたく受けた。
「黙字の存在に疑問を持った子供に、その成り立ちや役割を教えたいと考えています」
「なるほど……そこに疑問を持つということは素晴らしいですね。普通はこういうものだと何の抵抗もなく受け入れるものですが。そのお子様は素晴らしい頭脳をお持ちだと推察いたします。でしたら……」
司書が可動式の階段をゴロゴロと持ってきた。
手の届かない棚にある本は、梯子ではなく階段を使って取る仕組みのようだ。
感心していると、その女性は三冊の分厚い本を手に降りて来た。
「これはかなり古いもので、貸し出しはできないのですが、大母音推移が起こる前に記されたもので……」
あまりの知識量に圧倒されるキャンディは慌てて言う。
「すみません。説明不足でした。私がお相手しているのは7歳の少女で、まだ字もうまく書けないのです」
「まあ! それは大変失礼いたしました。疑問点があまりにも専門的でしたので、誤解していました。それならこちらはどうですか?」
差し出された本は歴史書だった。
しかし単なる歴史書ではなく、文字の変化が起きた背景を絵付きで解説している。
「これは素晴らしいですね。彼女の質問にも答えることができそうです」
結局二人は昼食も取らず、ずっと頭を突き合わせて、どう説明するかを相談し続けた。
「本当にありがとうございました。理解したとは言えませんが、流れと理由は掴んだ様な気がします」
貸出手続きを終えた本を鞄に入れながら、キャンディは深々と頭を下げた。
「いえ、私もとても楽しかったです。是非またいらしてください」
「ありがとうございました」
そう言って図書館を出たキャンディの手が、いきなり乱暴に掴まれた。
「やっと見つけたぞ、キャンディ。どこに隠れていたんだ。苦労させやがって」
ぞっとするような顔で笑っているシルバー伯爵。
「お……お父様が……なぜ……」
「お前の優秀な弟が知らせてくれたのさ。困らせてばかりのお前とは大違いだ。なんせ我が家の跡取りだからな」
シルバー伯爵の後ろを見ると、ニマニマと下卑た笑顔を浮かべている弟がいた。
この子が図書館にいたとは……後悔しても今更だ。
「ここで揉み合ってはお父様の悪評がまた広がります。手を離してください」
「もう逃がさんぞ。手を離してほしければさっさと馬車に乗れ!」
キャンディが諦めかけたその時、公園の木陰から黒い物体が駆け寄ってきた。
「先生を離せ!」
エマだ。
エマは小さな体でシルバー伯爵に体当たりをした。
キャンディの手を掴んだまま、ゴロンと転がる伯爵の上に、馬乗りになったエマは、キャンディの手を引き剝がそうとしてくれている。
「誰か! 助けてくれ! 強盗だ! 父上が襲われた!」
弟が図書館に駆け込み、衛兵が駆け寄って来る。
エマは小さく舌打ちをして力を抜いた。
「大丈夫ですか」
衛兵がエマを拘束しながら伯爵に手を差し伸べた。
「ああ、大丈夫だ。メイドの分際で貴族のわしに襲い掛かるとは! こいつを拘束してくれ! 警備隊に引き渡して死刑にしてやる!」
たかが転ばせたくらいで死刑は無いだろうが、確かにエマは平民で、シルバー伯爵は腐っても貴族だ。
分が悪いとキャンディは思った。
「先生を離せ! 衛兵! こいつこそ誘拐犯だ! 捕まえろ!」
エマが叫ぶ。
シルバー伯爵は息子にキャンディを拘束させて、腰から短剣を引き抜いた。
「無礼打ちにしてやろう。貴族にはその権利があるからな」
エマは短剣を見せられても怯まない。
卑怯な父親ならやりかねないと思ったキャンディは声をあげた。
「待ってください! 帰りますから! 大人しく帰りますからエマを放してください!」
「いいや、ならん。伯爵であるわしに怪我を負わせた罪は軽くない、命をもって償わせる」
「やめて! エマが死んだら私もここで舌を嚙みます!」
シルバー伯爵の肩が揺れた。
エマに短剣を向けたまま振り返って言う。
「一緒に帰るのだな?」
「エマを無罪放免してくださるなら」
「ふふふ……ははははは……良かろう」
エマを拘束していた衛兵達が、伯爵に言われて手を離した。
キャンディに駆け寄るエマ。
「申し訳ございません。失敗しました。やはりあの時消しておけば……」
キャンディは慌ててエマの口を塞ぐ。
「エマ、今までありがとう。部屋の荷物は全て処分してね。子爵家の皆様にお詫びしていたと伝えてほしいの。必ずお手紙を書くわ。必ず」
「先生……」
「私は大丈夫だから、あまり心配しないで。殺されるわけでは無いから」
エマはキャンディに手を伸ばした。
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
さて、本作はここから大きく流れが変わります。
運命に立ち向かうキャンディの活躍にご期待ください。
志波 連




