13
子爵とクリスは遅くまで飲んでいたらしく、二人とも起きてくるのが遅かった。
昼食には全員が揃い、子供たちと少しだけ遊んだ後、いつものようにエマに送られアパートに帰る。
もうすぐ1年というこの時期に、捕まるわけにはいかないと、リリアはアパートまで送ることを断念した。
久しぶりにずっと喋っていたせいで、少し声が枯れている。
寝不足ということもあり、キャンディは早々にベッドに潜り込んだ。
週明けの朝、いつものようにエマが迎えに来る。
文字というものの存在を理解したマーガレットに、次回からは書くという作業を知ってもらおうと思っているキャンディはワクワクしていた。
そして翌週。
「先生おはようございます」
マーガレットが嬉しそうな顔で挨拶をしてくれた。
「さあ、今日は何をして遊びましょうか」
「先生、たくさん質問があるの」
「まあ! 何ですか?」
「名前を順番に声に出すと、その子の名前を呼べるということはわかったのだけれど、声に出さない子が入ることがあるでしょう? あれはなぜ?」
「ああ、黙字ですね? もうそこに気付かれましたか。マーガレット様は本当に頭が良いですね」
「でもおばあ様は私のことを出来損ないっておっしゃったわ。従妹のロジャーもそう呼ばれているの」
「それはおばあ様が間違っておられます。ええ、絶対に違います」
「そうなの?」
「私が断言いたします。なんならおばあ様に私が文句を言ってきますわ」
「キディ先生が? でもそれは良いの。私は気にしていないもの」
「さすがです。気にする必要などありませんからね? そうそう、黙字についてでしたね」
そこまで言って考え込んだキャンディ。
マーガレットは好奇心一杯の顔で待っている。
「マーガレット様、この話はとてもすぐに説明できるほど簡単な事ではありません。マーガレット様におじい様やおばあ様がいるように、文字たちにも先祖がいるのです」
「文字にも?」
「はい、文字は人間が作り出したものですから、人間と同じくらい長い歴史を持っています。でもそのことを説明するには、今の私では残念ながら力不足です。今度のお休みの時にじっくりお勉強してきますので、少し待っていただけますか?」
「もちろんよ。いつまででも待つわ。キディ先生でも難しいことがあるのなら、私ができないことがあってもちっとも不思議では無いわね。なんだか安心したわ」
これほど明るく振る舞っていても、大人の何気ない言葉に傷ついていたのだろうと思うと、抱きしめられずにはいられなかった。
ソファーで夫人も目頭を拭っている。
でもマーガレットには希望がある。
マーガレットをそんな悪意から守るため、これほどの屋敷まで建ててくれる両親と、妹を守ろうという強い意志を持つ兄。
なんと素敵な家族だろうか。
「マーガレット様……」
キャンディはこの家族が愛おしくて仕方がなかった。
今度の休日には必ず王宮図書館に行こうと、改めて心に決めた。
土曜の朝、いつものように支度をして部屋を出たキャンディ。
あとをつけている者がいないか警戒することは怠らない。
ここに住み始めてもうすぐ1年。
顔見知りも増え、常連になっているパン屋の女将さんとの立ち話も日課のようなものだ。
「今日は休みだろう? 何処に行くの? デートかい?」
店先に焼きたてのバゲットを並べながら女将さんが声を掛けた。
「おはようおばさん。そんなんじゃないわ。今日は王宮図書館に行くの」
「そりゃご苦労だね。家庭教師ともなれば休みの日も勉強するんだねぇ。まあ頑張りなよ」
「はい、行ってまいります」
愛用のバッグにノートと筆記用具を入れて、停車場に向かう。
毎日エマが迎えに来てくれるので、辻馬車を使うのも1年ぶりだ。
ゴトゴトと揺られ、王宮前広場で降りる。
一般開放されている庭園の一角にあるのが図書館だ。
当然だが利用するには身分証明が必要なのだが、それはドーマ子爵が用意してくれた。
住所や名前を記載するのだろうと思っていたが、夫人から身分証明だと渡されたのは、薄いブルーの宝石が埋め込まれたバッジだった。
その下には王家の紋章とよく似ているが、違う紋章が彫られている。
学園卒業からすぐに家を出たキャンディは、デビュタントもしていないので、王族の顔など見たことも無いし、紋章も正確には覚えてもいない。
入館受付カウンターでそれを提示すると、係員の女性がニコッと微笑んでくれた。
「お待ちしておりました。ご案内いたします」
自らが立ち上がり案内してくれるらしい。
どうやらドーマ子爵は王宮図書館に顔が利くようだと思ったキャンディは、ウキウキと係員の後ろを歩いた。
「本日はどのジャンルをお探しですか?」
「黙字について調べたいのです」
「なるほど。具体的にはその規則性ですか? それとも起源でしょうか」
「起源の方です」
「わかりました。こちらへどうぞ」
この膨大な蔵書の中を、迷いもなく進んでいく女性司書の後姿に、職業婦人としての矜持を見た。
もっと勉強すれば彼女のようになれるのだろうかなどと考えていた時、キャンディの足元で小さな子供が転んだ。
「まあ! 大丈夫? 怪我は無い?」
前方で司書が立ち止まって待ってくれている。
その子供は泣くことも無く、持っていた本を抱きなおして駆け去って行った。
ふと見ると、その横のコーナーには多くの学生たちが制服のまま勉強している。
その制服もまちまちで、王都中の学生が利用しているようだ。
ぶつかったときガラスの仕切りが揺れたのだろうか、何人かの学生がこちらを見ていた。
ぶつかった衝撃で外れた伊達メガネを拾いながら、照れ隠しをするようにキャンディは司書に話しかけた。
「幼児本もあるのですね」
司書と会話をしながら奥の書架へ進んでいくキャンディ。
その姿を目で追いながら口角をあげる者がいたことには気付いていない。
大晦日ですね。
今年もお世話になりました。
どうぞ良いお歳をお迎えください。
志波 連




