二話(3)
「にゃー♪」
「…………」
「……なぁ、志音さん。つかぬことをお聞きしたいんだが?」
「聞くな」
「いや、でもよぉ……」
「聞くな」
「ごろにゃーん♪」
昼休み。
いつものように志音は健吾を連れて食堂へとやって来ていたのだが、何も言わずに志音を見ていた健吾も……ついに痺れを切らしたらしい。
その原因は
「にゃーん」
たった今、志音の頭の上で居心地良さそうにしている猫だ。
大人しくさせる事とベランダのテラス席を使うという条件付きで、食堂への同行は許可されたが……周りの目には明らかに奇妙な光景として映っていることだろう。
「その猫……どうしたんだ? まさかっ! 女子にモテないのが悲しくて、代わりに猫を飼いだした……なんてことは」
「ねぇよ!」
「そんなら、その頭の上のはなんなんだ!?」
「……口で説明するのめんどくさいから、コレを見ろ」
そう言って志音が取り出したのは一枚の依頼書。
「ああ、依頼か。んでターゲットがその猫だってんなら、さっさと依頼主に引き渡してくればいいんじゃ?」
「その依頼主が問題なんだよ……」
「問題?」
依頼主名の記入欄は匿名となっていたが、志音はその人物が誰なのか知っている。
依頼書の備考欄に携帯端末の個人連絡コードが記載されており、志音はすでにターゲット捕獲の報告をするため一度連絡していたのだ。
「……はぁ、まあその内話してやるよ。そんなことより……」
志音は気まずげに頭を抱え、視線を同席者へと向ける。
「……もぐもぐ」
目の前にそびえる大量の料理を、何も言わず黙々と食べ続けるエイラ。
ここまでならばいつも通り、三バカトリオと言えば聞こえは悪いが、食堂ではよく見られる光景である。
志音を悩ませる原因はその他――。
「……美味しいです。食堂も、良いものですね……」
黒髪ロングの後輩、リアーナが一人。
用があるなら食堂に来い、と今朝がた志音本人が言ってしまった為、百歩譲ってリアーナが同席しているのは良いとしよう。
「あらあら♪ このスペシャルパフェって美味しいですねぇ♪ 普段は食堂で食べたりしないので知りませんでした〜。ほっぺたが落ちちゃいそうですぅ♪」
「この日替り定食も美味しいわよ。焼き魚の塩加減が絶妙ね」
同席内にあの風紀委員長様と生徒会長様がいらっしゃるのだ。
エイラや健吾はもちろん、どちらとも面識のある志音すら、二人を食事に誘った記憶はない。
人見知りの激しそうなリアーナならなおのことである。
どうしてこのような状況になっているのか、事の発端は数分前のこと……。
いつも通り、突然前触れもなく現れる結歌。開口一番
「志音。生徒会の仕事よ。人手が足りないから手伝いなさい」
これまたいつも通りの横暴っぷりに、志音は唐揚げを口に運んでいた箸を止めて一言。
「飯くらい食わせろ」
いつもなら最低限の要点だけ勝手に説明し始めて、その場をあとにする結歌なのだが、タイミングが悪いことに――。
「あっ、夕凪 志音くん。見つけました〜。覚えてますか〜? 昨日対戦したアリシアですよぉ♪「昼休みは食堂に出没する」って情報は本当だったみたいですね〜」
何故か志音を尋ねてアリシアまで食堂に訪れたのだ。
しかも、明らかに最悪のタイミングで……
「……あら、風紀委員長じゃない」
「あらあら? 生徒会長さんじゃないですか♪ 弟さんと一緒に昼食ですか〜?」
「いいえ、仕事の話をしにきただけよ」
「仕事ですか? 見たところ生徒会役員さんはココには見当たりませんが?」
「志音がいるでしょう」
「えぇー! 夕凪くんって生徒会役員だったんですか!? もし夕凪くんさえ良ければ、是非風紀委員に入って頂きたいと思ってたんですけど……残念ですぅ」
「そうね、諦めなさい」
志音の目の前で堂々と嘘を吐く結歌。
あまりに堂々としているせいもあってか、志音と同席していた健吾やエイラも、一瞬信じてしまいそうになったらしく、志音に視線を向けた。
当然だが、志音は生徒会役員ではない。
だが、もしココで否定などしてしまったら、次はアリシアから風紀委員に勧誘されてしまう。それはそれで面倒なので、志音は二人の会話に口を挟まないのだ。
「まぁ、勧誘はついででして、今回の用事は他にあるんですよ♪」
「と言うと?」
「夕凪くん。昼食、同席しても構いませんか〜?」
「……別にいいけど、話があるなら場所を変えなくてもいいのか?」
「いえいえ、今回は夕凪くんと一緒に昼食を食べることが目的ですので〜♪ 同じ生徒同士、親睦を深めましょう!」
ピクッ
今の一瞬、完璧な作り笑顔を浮かべていた結歌の頬が、ほんの少しだけピクついた。
あまりに些細な変化だったので、気付いたのは志音だけだろう。
そしてこういう時、志音の知る限り……志音の望む結果になった試しがないのだ。
「そうね。良いんじゃないかしら♪ たまには生徒間の親睦を深める行為も、必要だと思うわ。限度を弁えれば推奨すべきとも言える。特に、志音のように『とても不真面目』な生徒を更正させる為なら仕方ないわ。ええ、仕方ない」
「……いつになく早口だな」
「いいわ。私も同席してあげる。優しく聡明な姉である私に感謝しなさい。志音」
「……あぁ、もう勝手にしてくれ」
――ということがあり、後から来たリアーナはとても入り辛そうにしていたが、恐る恐る合流し……現在に至る。
ちなみに、健吾は先程から鼻の下をだらしなく伸ばしている。
まさか、学園内最強の美少女が二人も同席し、しかも友好的な態度で接してきているのだ。女好きなわりに女友達が皆無に等しい健吾からすれば、これ以上無く幸せな状況だろう。
エイラは我関せずを貫きつつ、横目で志音を観察している。ノールックで器用に料理を食べている。せめて、食事くらいはちゃんと見て食べてほしいものだ。
そして肝心の志音はというと、遠巻きにコチラを見てくる何百もの視線に嫌気を覚えつつ、目立っているという現状にうんざりしていた。
そんな志音に気付いてか、隣に座ったリアーナが志音だけに聞こえるように話しかけてきた。
「……先輩。こんな状況じゃ……話なんて出来ないんですが」
「あぁ、同感だ。悪いな……。急な来客が二人も来るとは予想していなかったんだ。急ぎの用事なら場所を変えるか?」
「…………いえ、そこまで急ぎではないので、放課後……時間を頂いても構いませんか?」
「ああ、構わない」
「では、その時に」
それだけ言い残すと、リアーナは食べ終わった食器を手に、席を立ち上がる。
「そういえば、そこの一年生……えっと、リアーナ・レイ・フォルト……であってたかしら?」
「ん? 知り合いだったのか?」
「昨日色々あってね、あの入学式挨拶の後……唯一、真っ向からたった一人で挑んできた愚か者よ。あの挨拶で何も学ばなかった新入生」
そう語る結歌は、まるで新しいオモチャを買ってもらった子供のように無邪気な笑顔を浮かべていた。
そんな結歌を見て、志音はもう一度リアーナへと視線を向ける。
確かに……、志音にも気になる事や、その華奢な身に宿した希な才能に一目を置いていた所はあった。
直に戦ったわけじゃないので、リアーナの能力が何なのか正確に把握している訳ではないが……。
志音がかなり集中しても精々半径百メートルが限度の無目視索敵を、集中する必要もなくあっさりとこなして見せたリアーナ。
それだけではない。
化け物や罠で満ち溢れた危険区内で、志音と出会ったリアーナは……大怪我どころか掠り傷一つしていなかったのだ。
コレでまだ、入学三日目というのだ。明らかに異様すぎる。
「あの話はもうしたの?」
「……いえ」
「あら、乗り気じゃないのかしら? 確かにウチの愚弟は戦績こそ最低クラスだけれど、実力は――」
「承知してます……、会長が夕凪先輩を推す理由は、理解しました」
「そう。別に焦らせる気はないわ。アナタはアナタのペースで強くなりなさい」
そんな時、キュピーンという効果音が聞こえてきそうな顔をした少女が一人。
先程までの他人オーラはどこえやら、どこからともなくメモ帳とボールペンを取り出したエイラがリアーナに嬉々として詰め寄る。
「スクープの匂いがするよ♪ 『新入生主席の超エリート一年生リアーナ・レイ・フォルト、会長に一騎討ちを挑むも圧倒的実力を前に敗れる!』。この話も詳しく聞きたいところだけど、そんな事より!!」
「……な、何ですか……」
「『出涸らし落ちこぼれ弟、遂に本性を現すか!?』この一面で行きたいの! 何か知ってるなら情報頂戴♪」
「…………な、なんで私が……他に知ってそうな人なら……」
「私はノーコメントよ。志音が言いたくないなら私が言うのは野暮というものでしょう?」
「オレは志音の本気なんて見たことねえし」
「私も『本気は』見てないですね〜♪」
気まずげなリアーナに追い討ちをかけるように、結歌、健吾、アリシアは「教える情報はない」と切り捨てていく。
薄情だと言う気はないが、後輩が困っていても助けないのは、先輩として、さらに生徒会長や風紀委員長としてはどうなのだろうか。そう思ったのはきっと志音だけだったのだろう。
「周りはアレだし、最後の砦は君だけなのだよ! 何でもいいの! 夕凪くんの実力の一端だけでも教えてくれれば、コッチでいくらでも盛れるから!!」
「オイ」
「夕凪くんは今黙ってて! 今、リアーナさんに大事な取材中なの!」
「……夕凪先輩…………この人、何とかしてください……」
遂に人見知りを全開にしたリアーナが志音の背に隠れてしまった。
エイラはというと、まるで正気でないように口から煙を吐き出しながら「情報を……情報を早く……」と、直視するのも憚られそうな状態になっている。
自称、バーサーカーモード。
本人曰く、欲しい情報を手に入れるまで元には戻らないのだとか……。まぁ、あくまで『自称』であるが……。
「先輩……あ、あの人……変です。頭の大事なネジが……何本か消失してます。危険です」
志音の制服を掴み、無愛想なままガクガクブルブルと怯えるリアーナの姿は、まるで物陰に隠れる小動物のようで……。ほんの少し可愛いなんて思ってしまった志音。
こんな時、いつもなら志音も他の面子同様、リアーナを見捨てて食事に戻るという選択をとっていたところだが……。なにぶん、話題の中心にいる人物が自分であるため、放っておく事も出来ない。
このままデタラメな情報を流されて、志音の平穏な日常を壊されては堪ったものではない。
「エイラ、取り引きをしよう」
「……ほうほう、夕凪くんから取り引きね〜。聞きましょうか!」
「もし、今引き下がって大人しく食事に戻るなら、今度ウチでオレの手料理を振る舞ってやろう」
「むむ!」
「それに、この唐揚げ二つもくれてやる」
「むむむっ!?」
「更に『健吾を一日奴隷にする券』も付けてやる」
「あ、それはいらないや」
「おぉおおおいぃっ!!? 志音さん、何サラッと本人の目の前で最悪極まりない券を発行してくれちゃってんだよ!!」
「プライスレス」
「確かにお金にもならない無駄な券だね〜」
「しかも、なんて酷いいわれよう!?」
友人を売る作戦は失敗に終わった。
「むむぅ〜、最後のはいらないにしても……他二つは魅力的な提案だね……。この私でさえ揺らぎかけたよ……」
「オレの人権、唐揚げ二つ以下なの!?」
「おみくじの大凶以下だよ」
「ひどい!!」
健吾はベランダの角でいじけて座り込んでしまった。
「さて、これでもし……私が『それでも続ける』って言ったらどうなっちゃうのかな? まさか、夕凪くん自ら力ずくで抑えにかかったりしちゃうのかな〜?」
「そうだな、もし続けるなら……。お前がこれまでの取材でやってきた非人道的な行為の全てを、ここにいらっしゃる生徒会長と風紀委員長に報告させて貰うことになるが……それでもいいなら」
「ふぅ〜ん……。非人道的……ねぇ」
「あらあらぁ〜♪」
「う゛ぅ……ひ、卑怯な……。二人は不真面目な夕凪くんよりも、私の情報を信じますよね!?」
「こういうどちらかを選ぶという選択肢を出された時、私は問答無用で志音を信じると決めているの」
「私も今回は夕凪くんに一票ですかね〜♪ なんとなく」
この場で使える最強の一手、虎の威を借る狐作戦炸裂。
戦力的にも権力的にも、頂点に立つ二人には流石のエイラも頭が上がらないらしく……諦めて大人しく志音の隣の席に腰を収めた。
「唐揚げ……食べるか?」
「……食べるよ。食べますよ! 夕凪くんの賄賂を受け取って今回は引いてやりますとも!」
「賄賂安いな」
「うっさいよ!」
「はいはい」
志音の皿から唐揚げを二つかっさらい、頬に餌を蓄えるリスのようにプックリと頬っぺたを膨らませていじけてしまったエイラ。
こういうとき、聞き分けが良いのがエイラの良いところだ。
取材対象とパパラッチの関係である筈の志音とエイラの仲が悪くないのも、その点が大きかったりする。
止めろと言えば、ちゃんと止めてくれる。拗ねたり不機嫌になったりはするが、それで仲違いすることはない。
「……悪かったって、詫びに手料理のリクエスト何でも聞いてやるから機嫌直せって」
「…………本当?」
「ああ」
「……じゃあ、ハンバーグ」
「そんなんでいいのか?」
「ハンバーグがいいの! 夕凪くんの作ってくれたハンバーグ、チョーッ! うんまいんだからね!! あの溢れ出る肉汁……、絶妙な焼き加減……、ハンバーグにかけるあのソースも絶品で……。アレをそんなんだなんで、いくら夕凪くんでも許さないんだよ!」
「わかった。わかったから、人前で自分の事のように絶賛するのは止めてくれ。言われてるコッチが恥ずかしいから」
頬が熱くなるのを感じながら、志音はエイラの頭にぽんっと手を置く。
エイラが興奮して熱弁を始めてしまった時、志音がこうすると何故か大人しくなるのだ。
もちろん、志音は理由を深く詮索したことはない。面倒だという理由で。
やっと大人しくなったエイラを、微笑ましく見ていた志音の制服の裾を何者かが引いた。
忘れていたわけではないが、志音が振り返ると……何故か庇ってやった筈の後輩が、まるでゴミを見るような目で志音を睨んでいたのだ。
「……どうした? なんか不機嫌そうだが……」
「………………いえ、助かりました」
「そ、そうか」
「助かりましたが……、やはり先輩のことは嫌いです」
「あっ、さいですか」
どうやら、助けたにも関わらずリアーナからの好感度は順調に下降しているらしい。
別に好かれたいわけではない志音は、へこむでも喜ぶでもなく、苦笑を浮かべるしかなかった。
「私達を都合よく使っておいて、用がなくなったら放置。落ちこぼれの分際で良いご身分ね♪ 愚弟」
「ギブアンドテイクの誠心は大事だと思うんですよー♪ 私達を利用して交渉を成立させたのでしたら、私達にはその報酬を受け取る権利があると思いませんかぁ? 主に夕凪くんから♪」
「……は?」
「ルゥフリアーナさんの『非人道的な行為』とやら」
「聞かなかった事にすることも出来るんですけどね〜」
「…………」
志音の背中を嫌な汗が伝った。
戦闘時のような生死を賭ける緊張感からではなく、圧倒的権力者からプレッシャーをかけられているこの状況に対し、「あっ、やってしまった……」と今さら気付き、汗が溢れて止まらない。
しかも、普段それほど仲が良いという訳でもない二人なのに、何故か今回は息がぴったり合っている。
「……どうするんですか、先輩……」
(ブルータスお前もか)
助けた後輩も敵側の人間だと理解し、志音は助けを求めて視線をそらす。
エイラは……ダメだ。我関せずで食事に戻っている。こうなっては、援護は期待できない。
健吾は……さらにダメだ。いまだに、先ほどのダメージから立ち直っていない。そもそも、健吾にこの状況を打破する秘策があるわけがない。
最後の最後、藁にもすがる思いで、頭上の猫に視線を向けると……
「ごろごろ……」
こんな状況で寝てらっしゃる。文字通り猫の手も借りたい状況なのだが、コイツも使えそうにない。
結果、志音に味方はいないようだ。
ソレを理解するのに数秒も必要としなかった。
「……何が望みだ?」
「そりゃあ、ねぇ」
「贔屓や差別はいけませんよね〜」
「……溢れ出る……肉汁」
「はぁ?」
「カレー」
「カルボナーラ♪」
「……肉じゃが」
「お前らな……。生徒のトップがそんな安い賄賂でいいのかよ……?」
「交渉成立ね」
「日程は後日ということで♪ 楽しみにしてますね〜」
「…………肉じゃが」
「はいはい」
食い意地の張った美少女四人に囲まれ、志音は材料費と今月の生活費の事を考えようとして……やめる。
足りなければ働けばいい。
「仰せのままに……お嬢様方」
志音は半ば諦めることにした。
こんな日常も悪くない。