第一話【止まり木】
かつて数世紀もの間続いた忌まわしき戦争。
その終着の地。聖都市《オーヴェイン》。
人口数百万の大きな島。自然に溢れた綺麗な都市だ。世界最高位の観光地とも呼ばれ、その都市にはあらゆる種族、民族、異国民が溢れている。
そして、その島の中心にこの国の象徴のような大きな城がある。
さらにそのすぐ隣には、城程ではないが大きな学園が存在する。
騎士養成学校《聖エインリーゼ学園》。
騎士を育てる学園と名乗ってはいるが、世間一般で言うような全身甲冑、身の丈を超えるドデカイ槍や盾という騎士を育てる学園ではない。
むしろ、様々な国の様々な戦士が揃う戦士育成学園と呼ぶ方がしっくりくる。
ようするに、強ければいい。
あの『英雄』の後継者を育てる学園なのだ。
そして今日は――《聖エインリーゼ学園》の入学式である。
純金で出来た大きな校門を様々な服装に身を包んだ様々な人間がくぐって行く。その全てがこの学園の関係者、もしくは……これからこの学園の生徒になる者達なのだ。
そんな中に校門の前で立つ男子生徒が一人。夕凪 志音。十六歳、男。
この学園の制服を少々だらしなく着こなし、ボサボサで手入れの行き届いていない……肩をくすぐる程度伸びた黒髪。早朝ということもあってか、眠たげな目を右手の甲でゴシゴシと擦っている。
背中には竹刀などを収める布袋を背負い、腰の左側には何の装飾もない武骨な西洋刀。そして、制服の右腕のさらに二の腕辺りには『生徒会役員』と書かれた黒地に白文字の派手な腕章が付いている。
二年生である志音は、通常ならば入学式である今日は休日扱いになる筈なのだが……それでも学園にいる理由は、その腕章を見れば明らかである。
「……あぁ、眠い」
志音は大きな欠伸を噛み殺しつつ、周りに不審な人物がいないか確認する。
といっても、この学園の校風『常に全力を出せる状態であれ』という服装違反前提の風紀委員も真っ青な条例があるため、服装は自由。要するに、その中から不審者を見分けるなんて……はっきりいって不可能だ。
なので、志音の仕事は『形だけの警備』となる。
こんな仕事、やる気をだせという方が無理な話だ……。
しかも……
「おい、アレがウチの生徒なのか?」
「なんか武器とか持ってるけど、正直、弱そうよね……」
「服装もだらしないし、見るからに不健康そう……。本当に強いのかしら……?」
「あの腕章見てみろよ。アレで生徒会役員らしいぜ……。大丈夫かよこの学園……」
もはや陰口にすらなっていない罵倒がそこかしこから聞こえてくる。
志音が校門前に立っているだけで、学園の評判が際限なく落ちていく。
しかも、ここで『生徒会役員』の腕章を付けた人間は生憎と志音だけ。他には誰も役員はいない。評判は落ちる一方である。
「あぁ〜、眠いぃ〜……」
そんな志音の一言に、またどよめく新入生達。
だが、志音にとっては生徒会の評判など全く興味がないのだ。……むしろ、無関係でいたい集団ですらあった。
今更だが、志音は生徒会役員ではない。
「おいおい夕凪くーん! 低血圧な君がこんな朝早くから起きてるなんて珍しいね〜」
そう言って、人込みの中から一人の女性が現れる。
ティーシャツとミニスカートにパーカー、さらにベースボールキャップを目深に被っている。お世辞にもオシャレな格好をしているとは言えない。むしろ、地味すぎて印象に残らなそうな格好だとも言えた。
志音はその女性を知っている。
「エイラ。今日は入学式で、一般生徒は休みだぞ……」
「そうだね〜。そんでもって、一応君も一般生徒の部類に入るはずだよね〜♪ それに君は朝が大っ嫌いで、特に休日明けの登校は毎回遅刻ギリギリだったと記憶してるよ? そんな夕凪くんがこんな朝早くからこんな場所で制服なんて着て……どったの?」
「……はぁ、よく見ろ……」
「んー、おやおや! この腕章は生徒会の……。わぁ、びっくり~」
「そんな棒読みで驚かれても説得力ねぇよ……バーカ。つか、はなから知ってて近付いてきたんだろう……? 一々あからさまに騒ぐな」
「てへへ〜。ばれちってたか♪」
エイラ・ルゥフリアーナ。
志音と同じく二年生で、新聞部やフォーカス部、報道部などの情報系サークルを全て掛け持つ期待のエースだとか。一年次は志音と同じクラスでその時から何かと目を付けられてしまい、取材やストーカー行為なんかは一通り経験した。
だがまぁ……色々あって、現在では志音の数少ない友人の一人となっている。
今回の地味な格好も、新入生達に取材をするための変装だろう。
「それで用はなんだ? 一応『代理』とはいえ、生徒会役員のオレなんかに話し掛けてたら、目立たない為にやってるその変装も意味ないだろ……」
「にゃはは〜。取材は一通り終わったからもう目立ってもモーマンターーイ♪」
「用が済んだんならさっさと帰れ」
「もー、ひどいな〜。冷たいな〜。素っ気ないな〜」
「オレは仕事中だ」
「そんなだらけた格好で言われても説得力皆無だよね〜」
「うっせ」
エイラはチェシャ猫のような、人を小馬鹿にしたような笑顔で志音の隣に立つ。
「いや〜。今期の新入生達も可愛い子いっぱいいたよ〜♪」
「…………」
「夕凪くんも可愛い子目当てなんでしょ〜? 知り合いになった子もいるから紹介してあげよっか♪」
「殴るぞ」
「いやーん♪」
「さっさと本題に入れ、無駄話をする気はない」
「ん〜、そだね〜。今回の新入生も精鋭揃いだな〜って話かな♪ 去年みたいに手抜きでやってたら、夕凪くんも後輩くん達に情け容赦なくどんどん抜かれちゃうよ〜♪って、忠告しとこうかにゃ〜とね♪」
エイラは笑顔でそう言う。
「手抜きで卒業できるほど、この学園は甘くないからね〜♪ 昨年度は見れなかった君の本気……早く見てみたいな〜」
全てを見透かしたような言葉、声音。エイラは志音のことを諦めてなどいない。そう言いたげな……そんな雰囲気。
志音もそれを理解している。
「手加減なんかしてねぇよ。去年を生き残れたのはただ運が良かっただけ。今年度も無事に乗りきれるとは限らねぇえさ」
「なんだよ〜! ちょっとは強者の片鱗くらい見せてくれてもいいじゃーん!」
「残念ながら、はなからねぇもんを見せるなんて器用なマネ、オレには出来ねぇよ」
「むぅ〜。まぁいっか。それじゃあ記事の作成あるから私は帰ります!」
そして帰り際、不意に抱き着くように「えいっ♪」と志音に飛び付く。
一瞬の動揺と困惑。
そしてエイラは志音にだけ聞こえるように、耳元で囁く。
「…………運だけで生き残れるほど、簡単じゃないんだよ……」
「……」
いつもと違う真面目な声。
だが、一瞬後にはまたケロッとした笑顔で身を離す。
志音はいつも、こんなエイラに翻弄されている。自分の事をどこまで知っているのか、はたまた何も知らないのか……。
そんな事を迷う間もなく、チェシャ猫は笑顔で大手を振って帰っていく。
どこまでも掴み所のない少女だ。
「あっ♪ あとあと、こんな朝っぱらから制服着て女の子とイチャついてると、生徒会長さんに怒られちゃうよ〜♪ そんじゃ、また明日ね〜」
また訳のわからない言葉を残して、エイラは人混みの中へと消えていった。
「……はぁ? オレがいつ誰とイチャついたっていうんだよ……。そんな相手いねぇっての」
「そうね。例を挙げるなら、ルゥフリアーナさんかしら。今の一瞬、抱き着いていたという事実があるわけだし」
「…………」
思考が止まった。
理由は単純。たった今、エイラの吐いた名前『生徒会長』様の声が何故か、志音が背を向けた学園校舎側、しかもすぐ側近くから聞こえてきたからである。
脂汗を流しながら恐る恐る振り返ってみると、案の定……ソコには仁王立ちで腕を組み、天使のような満面の笑顔を志音へと向ける絶世の美女が一人。
聖エインリーゼ学園二年で第三百二十七期生徒会長、夕凪 結歌。
この学園の制服をキッチリ着こなし、黄金色に輝く背中まで伸びた美しいブロンドの長髪が風に揺れる。瞳の色は透き通るようなマリンブルーで、顔立ちも体つきもとても女性的に統率がとれている。
それは身内の志音から見ても、とても綺麗だと思わざる終えないほどに……。
「……えーっと……、いきなり気配もなく背後から近付かれると、かなり驚くんだが……」
「気配を殺したつもりはないわ。女性に気を取られて、アナタの注意力が疎かになっていただけでしょう?」
「いや、話はしていたが、決して仕事を疎かにしていた訳じゃないぞ? ちゃんと不審な奴がいないか見張ってたし!」
「信頼しているわよ。アナタがちゃんと仕事をこなしている……ということを疑うつもりは無いわ。私はね」
「そ、そうか……」
「でも、仕事以外を疎かにしてもいい理由にはならないわ。服装、体調、仕事態度、それらを総合して見たなら、まだまだってこと」
「……はぁ」
「私はアナタを知っているからまだ良いけれど、他の役員はそうもいかない。アナタのことをよく思わない役員や教師は少なくない……。味方を作れとは言わないから、せめて……敵を増やさない努力はしなさい」
結歌は怒っている訳ではなかった。ただ、呆れ半分に志音をたしなめに来たのだろう。
同じ姓を名乗る家族を心配してか、はたまた身内の恥を見かねてか……。
「わかってるよ。別に赤の他人相手に事を構える気はねぇさ。楽して静かに過ごせるならそれに越したことはない」
「……本当に、アナタは……」
「冗談だ。一応、家族に恥をかかせない程度には頑張るさ」
「そう言うなら、まずそのだらしない格好をどうにかしなさい。代理とはいえ今は生徒会役員なんだから」
「はいはい」
「それと、校門の見張りはもういいわ。アナタも講堂に集まりなさい。もうそろそろ式が始まるわ」
「……うげ、代理の素人にそこまでやらせんのかよ? もう用済みだろ……帰らせてくれよ」
何度もいうが志音は正式な役員ではない。
今回、志音が駆り出される事になったのは、急遽街中で起こった生徒間のいざこざに生徒会役員の数名が駆り出されてしまい、人手が足りなくなったため、会長たっての頼みということで仕方なく志音が出てきたのだ。
因みに、頼み込むと言うのには少々語弊がある。
男子寮の自室で安眠していた志音を肉体言語で無理矢理叩き起こし……
「人手が足りないの。手伝いなさい」
と、有無を言う暇さえ与えられず連行された……が事実である。
今回の見張りの仕事でさえ、通常ならば役員数名で行うような作業だったというのに……
「校門警備は志音一人で十分ね。他は受付と誘導に回りなさい」
コレである。
流石に、その提案には他の役員の中にも異を唱える者は数名いたのだが……、ソレを一睨みで黙らせるのが結歌である。
そして、この門番の仕事が終われば志音は自由になれるはずだった。
問題に駆り出されていた役員達も、新入生の人混みの中で見かけた。故に、志音がまだ学園にいる理由はもうないはずだ。
「もうオレがいなくても十分だろう? 帰って二度寝させてくれよ」
「あら、身内の晴れ舞台を見たくはないの?」
「いつも見てるだろ……。とっくに見飽きた」
「……」
「な、なんだよ」
「黙って着いてきなさい」
「ちょ、コラ! ……横暴だぁあああっ!」
志音の抗いも虚しく、至福の二度寝タイムが訪れることはなかった。
◇◇◇
志音が連行されて数十分が経過した。
教師方のありがたい長話も終わり校歌や国歌の斉唱も一通り済んだ。残りは、生徒会長様のこれまたありがたいお話とクラス決めを残すのみ。
生徒会役員が並ぶ列の中、もう代理ですらない志音が何故か最後尾にいることは、もはや誰一人気にする者などいないようで……。
男女問わずその場にいる全員が、壇上に立つ我が校の生徒会長様の一挙手一投足に羨望の眼差しを送っていた。
例外を挙げるなら、むりやり強制連行でこんな場所に連れてこられた志音くらいなものだろう。
『静粛に』
一言で講堂内が静まり返る。
『それではまず、この学園内総勢二千百六十二名の生徒を代表し、祝辞を言わせて貰うわ。コレからこの学園の一年生となる新入生の皆さん、入学おめでとう』
堂々たるその姿に、憧れを抱く者は後を絶たない。
壇上に立つ彼女の姿は、紛れもなく生徒の長であった。
『堅苦しい形式的な話を長々とするつもりはないわ。私達が言いたい事はただ一つ、強くなりなさい。来年になればココにいる半分以上がこの学園を去っていることでしょう。弱き者はいらない。強くなりたいと願うなら、無様に足掻いてでも生き残りなさい!』
高らかに言い放ったその言葉は、きっとどの教師の言葉よりも生徒の心に刻み込まれた事だろう。
新入生だけではない。
生徒会の面々も、去年一年を生き残った精鋭達でさえ、その言葉には身震いするものがあった。
そして不意――。
新入生の中から、数人が壇上に上がり込んできた。
その全員が各々の得意とする武器を、武術を構える。狙いは当然、結歌ただ一人。
「校則第三十二条、生徒会長はいついかなる時も生徒からの挑戦を拒むべからず、でしたよね? 会長!」
「俺等は他のいい子ちゃん達と違って、卑怯な手であってもアンタを倒させて貰うぜ!」
「今、アンタは丸腰。コッチは武装した精鋭揃いだ……負ける気がしねぇ」
「アンタを倒せば、学園内だけじゃなく世界中でも有名人だ! 悪く思うなよな!」
確かに今の結歌は武器を持っていない。
こういった式事の場には、結歌は武器を持ち込まない。「話の場に武器は必要ない」という結歌なりの譲らない事の一つらしい。
そういう意味で言えば、たしかに結歌を襲撃する絶好のチャンスとも言える。
それでも……実力が伴ってこそだ
『……さて、話を続けましょうか』
――一瞬。
それが今、結歌を襲撃した生徒が倒れるまでにかかった時間だ。
『生憎と、こういった突発的強襲を卑怯だと罵るつもりはないわ。むしろ、やる気が満ち足りていてとても良い』
今の一瞬、新入生の目からすれば何が起きたのかさえ理解できなかった。倒れた本人でさえ、どうして自分が倒れているのかわからない。
生徒会の中にすら、理解の追い付いてない者がいるほどに、結歌のソレは圧倒的な勝利だった。
『私は、強くはないにしても弱いつもりもないわ。倒したいと吠えるのならば、手加減なく殺す気できなさい! 数人ではなく数十人! 近距離だけでなく中距離や長距離からも攻撃できる手段を持って、ちゃんと倒せるよう作戦を練ってから確実な勝利を! 私は逃げも隠れもしない』
一瞬の静寂。
そして――拍手喝采。
新入生諸君は嫌でも思い知ることとなったであろう。自身とこの学園の頂点との、圧倒的な実力の差を……。
慢心していた者は出鼻をくじかれ、自信の無かったものは更に自信を失ったかもしれない。
だが、それだけではない。
――『目標』。
人が強くなるために一番必要なもの。自分よりも遥かに強い者がいるからこそ、ソレを越えたいと願う。
『強くなりなさい! 以上』