四十二話
パチンッと音が鳴ると、ヴァーミナスの執務室で、久しぶりに顔を合わせる彼がいました。
「久方ぶりだな、アンヌよ」
「ええ、お久しぶりですわね。私では力になれず、心苦しく思っていましたわ」
――次に会ったら、罵倒しようと思っていましたのに。最低ですわ、騙していたなんて。と……言わなくては。
「もっとこっちに来てくれ、顔をよく見せて欲しい」
声を出せないのは何故? 言いたくないの?
ヴァーミナスに近づいていくと、悔しさのような気持ちが大きくなって、くっと顎を上げました。顔が良く見えるように。
「ええ、お食事はどうなされましたか?」
笑みを浮かべてヴァーミナスに近づき、真正面に立ちました。 少し……やつれて見えますわ。きちんとお食事をとっているのかしら?
……どうしても、怒りが持てません。言いたくない……言えませんわ。理由なんて、知りたくもない。
「我はまだなのだが、アンヌはどうした? もし良ければ共にしよう」
「私もまだですわ。では大広間に私の分も準備させましょうか。そちらでお話を伺えばよろしいわね」
「いや。二人で食べよう。機密もあるし、落ち着けないだろう?」
何度かお食事を二人でいただきましたけれど、本来ならば許されないことですわ。今までは時間を変更させた上に二度もお食事なさっていたそうですけれど、時間の無駄ですし体にも悪いでしょう。
機密というのであれば、食事の後でも充分ですのに。
「では、お話はゆっくり後でに致しましょう。しきたりを曲げてはいけませんわ」
「ああ、そうか。そうだな。わかった、準備させるので、少し待て……レプケ!」
「はい、こちらに」
「アンヌが広間で食事をすることになった。直ぐに準備をさせろ」
疲労の残る気配はわずかしか見せず、レプケにすかさず指示を出します。……やっぱり横暴だわ。
「ヴァーミナス、あまり横暴ですと、臣の心は離れて行ってしまいますわよ?」
「む、そうだったな。済まない、気をつけると言ったのであったな」
「謝るのでしたら、私ではなくレプケに謝るのが筋でしてよ?」
そう告げた途端、ヴァーミナスは眉を寄せて不機嫌さを露わにしました。
「何故レプケに謝るのだ?」
このままでしたら、とても改善の余地などありませんわね。きっとこれが本来の性格なのでしょう。
怒りっぽいというのも、この表情を見れば納得ですわ。
「例え主であろうと王であろうと、過ちを犯した時には身分なく頭を下げるのが正しき姿ですわ」
「……アンヌよ、地上ではそうかもしれないが、ディマでは違うのだ。一度でも隙を見せてはならないのだ」
「そうですわね。それがディマ流なのでしょう」
でも、私を妃になさりたいのであれば、地上のやり方に合わせてくださってもよろしいのではなくて? 地上でも決して謝らない人間というのは居ますわ。
その人たちのように心が狭い、中身のない方だなんて思わせないでいただきたいの。
言葉を一度飲み込んで、なんとか笑みを作ります。そうするとヴァーミナスはまた、横柄に頷くのでした。
「準備が出来た頃だろう、転移するぞ」
「ええ、よろしくてよ」
初めて参加する昼食ですが、完全に初めてという訳でもありません。慣れるためにと様子を鏡で見せていただいてましたので、大広間の長机の周りを埋め尽くす夥しい数の魔族にも驚かずに対処できますわ。
窓を背にした椅子に座ると、ルビー様のお言葉を思い出しました。『真っ先に襲われる場所が上座だから』……確かに、窓が真後ろで外は庭となれば、本来なら危険ですわよね。
給仕は後ろに立っていますけれど、座るよりも危険は回避しやすいですし。
「さて、今日が正式には始めてであるのだし、そなたからも挨拶をしてやってはくれぬか?」
「もちろんですわ。拡声――皆様方、始めましての方も居ますわね。私がヴァーミナスの婚約者にして地上との和平の大使であるアントワーヌです。今日から私も皆様と共にお食事をいただけることになりました。お目見えできて嬉しく思いますわ。以降も、私とヴァーミナスをよろしくお願い致します……では、ヴァーミナスに変わります」
がやがやと騒がしくなるのは当然ですわね。幸いにも野次は飛んできませんでしたし、攻撃も飛んできませんでした。一応とはいえ認められたと言えるでしょう。
ヴァーミナスがいなくなればまた変わるのでしょうが、表向きに問題がないのは大切ですわ。
「では、ディモルト界の恵みに感謝を! 命に祝福を《バ・ガ・レッテ》!」
「「命に祝福を《バ・ガ・レッテ》!」」
食事の挨拶は感謝の物ではありますが、女神と自然に感謝する地上とは違い、己のために命を捧げてくれてありがとう、という意味だそうです。
どんな生き物でも、食べ物がなければ生きてはいけないのですから、この文化は万国共通なのですね。
「そう言えば今日は初めから髪を下ろしていたな。我が贈った髪飾りも、とても似合っている」
「気づいてくださったのね、ありがとうございます」
「そなたのことだからな」
確かにいつも服装や髪を褒めていただきますわ。男性なのに細かい点に気づいてくださるのよね。
食事中であってもおしゃべりするのが当然なので、広間中で会話する声が聞こえますわ。言い合いも日常茶飯事で、兵がすぐに収めてしまいます。
「ねえヴァンス、何故玉座には背もたれがあるのに、この椅子にはないのかしら?」
「それは盾など要らぬという証明と、動きを阻害しないため。視界が広いということもあるな。背後から敵が飛び込んで来ても、間違いがないようにだ」
なるほど、この場合の間違いが指しているのは、決して“命を失わないように”ではありません。“敵を他の誰かに殺されてしまわないように”ですわ。
もし王に襲撃した者を他の者に倒されてしまったら、恥さらしに他なりませんものね。
「よくわかりましたわ。地上では王とは守られる者ですけれど、魔王であるなら迎撃するのが当然ですものね」
「その通りだ。――アンヌが怒っていないようで安心した。……我が時間を取って欲しいと求めたのに、日にちさえ決められずに会えない日が続いたからな。アンヌが不機嫌になっていたらどうしようかと思った」
「まあ、そんなに子供っぽい反応はしませんわ。でも、もっと早く帰って来て欲しかったのは事実ですけれど」
勇者への復讐を地上に向かって宣伝してしまったのは愚か、聖女様や教会側の対応の詳細。
和平会談の日取りの変更の有無もありますし、貴族や犯罪組織の動向に、他国の情勢まで……知りたいことはいくらでもありますのよ。
「う、うむ。済まなかった。だがこれからはもっと二人の時間を増やそうではないか」
――ヴァーミナスって、こんな顔をして笑いますのね――。今まで頬を緩められることこそありましたけれど、破顔一笑に相応しい笑顔……私も習性で笑みを返しますと、にわかに広間が騒がしくなりました。
「ええ、お話したいことも伺いたいこともたくさんありますの。嬉しいですわ」
特に、ディマンテレイアと勇者について。
「そうか! ああ、たくさん話そう。朝まででも語り明かそう」
この方は、私を好きなの? まるで少年のよう――気のせいではないわね、きっと。
だって従者たちが、ヴァーミナスを異常者を見るように指さして噂なさっていますもの。無愛想で横柄な態度で振舞うヴァーミナスばかりを知っていたなら、さぞおかしく見えるでしょう。
「和平が上手く行ったなら、ぜひ。ですが今は大事な時期ですから、お仕事を優先なさってくださいな」
私をどう思ってらっしゃるのか、何をしたのか。洗いざらい話していただきますわ。後で――いつか。今ではなく。
「そうだな、そうだ。レプケからお義父上に婚約の報告をしたい、と聞いた。それも後で話そう」
「そうですわね。あらかじめ情報を共有しておくべきでしょう」
三十分程度の昼食は終始和やかに進み、ご馳走様を言った後、ヴァーミナスの執務室に再び戻りました。
こうやって話していると、私を騙しているだなんて嘘のように思ってしまいますわ。でも、訊かなければわからない。
疑いがすべて誤りならば……嫌だわ。虚しく思ってしまうのは、どうしてなの?