四十三話
今は悩んでばかりいても仕方ありません。私は目の前の問題をしっかりと見なければ。
ヴァーミナスはもう一つ椅子を用意してくださって、私たちは向かい合わせに座って話す姿勢になりました。
窓の外に背を向けて座るヴァーミナス。……その瞳を、少しだけ見つめました。
「それではヴァンス、勇者襲撃事件と現在の状況を説明していただける?」
「ああ、この書類を見ながら聞いて欲しい」
差し出された書類を読み、ヴァーミナスの声に耳を傾けます。
「この聖教会への補償に関してですけれど、あちらの求める配布方法ではダメです。数々の汚職を生み出してきましたのよ」
時折、意見や相槌を挟んで情報を共有します。
和平をよく思っていない犯罪組織が事件の揚げ足をとって、ありもしない流言飛語をばら撒いている。……元々魔族への恐怖心を抱いている民を煽って、和平を結べば魔族に乗っ取られるだけだ、と。これでは実際の会談にも影響が大きいですわ。
小国では犯罪組織の声が一番大きくなりがちですし、そもサタナイアでは聖女が襲われたとあって和平への反対意見が続出しているそうですし……私のコネクションなど、お父様のお力も借りなくてはいけないでしょう。
「ふむ……他には思いついたことなどあるか? 地上の情勢はこちらでも手を打つつもりではあるが、やはりそなたの力が必要だ」
「……今のところは会談の開催が決定している以上、地上側も和平を結んでしまいたい権力者が多いという予想が立てられますわ。サタナイア国は私も伝手を持っていますし、対応が速かったおかげで、国民の感情も問題にはならないでしょう。しかし発展途上国である幾つかの国では、大問題ですわね。犯罪組織というのは表立って出て来ませんし、誰がどの組織の息のかかった人物であるかの予想が困難ですから」
「やはり地上にも、犯罪組織や無視できない勢力というのが存在するのだな?」
「ええ、残念ながら。先の大戦でもそうでしたが、和平を結ぶ際に条約の内容は譲歩させられる危険が大きいでしょう」
魔族側が宣戦布告している以上、地上側は賠償請求をするのが当然で、そこに聖女を殺そうとした……と事実を武器に倫理的な部分に切り込まれたら、話を進めるのが難しくなってしまうでしょう。
ただでさえ有利ではない交渉なのに――対策が必須ですわね。
「譲歩や不公平な条約の提案に関しては、ブレーンたちに対策を立てさせているのだが、どうにも不安が拭えぬ。アンヌであれば地上にどのようにアピールをする?」
「この、勇者が魔族領を回っているという話は面白いですわ。これに対抗する形で、ディモルト界の特産品などをお土産にして、魔族の印象を変えるのはいかが?」
「なるほど……友好を深めて知ってもらうことで、敵であった印象を変えるのか。良いアイデアだと思う」
ディマにはご機嫌取りのような外交手段は、思いつき難いはずですわ。それに、お土産も私が各国に合わせて選択を間違えなければ、きっと国民感情も上向く……。
「今思いついたのはこれくらいですかしら。それにしてもこの書類は詳しく纏めてあって素晴らしいわ、良い部下をお持ちね。大切になさって」
「ああ。こちらこそアンヌの素晴らしい知識に感服したぞ。他国や小国の内情にまで詳しいのだな」
「公爵家の人間であれば、最低限の知識ですわ。それに、ここ二ヶ月ほどはディマ国におりましたから、古い情報しかわかりませんし」
――流石に最新の噂から遠ざかり過ぎましたわね。お母様と鏡でやり取りできるようになったなら、すぐにでも情報収集しなければ。
「よし、和平に関しては一区切りであろう。そなたの助言を元に地上へ対応していく」
「やっとお役に立てて幸いですわ。でしたら、今度は家族へこの度の婚約を伝える日や内容について、お話してもよろしくて?」
「もちろんだ。ディマにはない習慣のため失念してしまったが、結婚までに最も重大な要素の一つ、と学んだからな」
こうやって、地上への理解を示してくださることもありますのよね。何がヴァーミナスの基準なのか知るのも重要でしょう。
私……今までヴァーミナスのことを、こんなにしっかりとは見て来ませんでしたわ……反省しないと。
「理解を示してくださって嬉しいですわ」
本心で告げた後から、『騙しているけれど』と嫌味な声が聞こえてきますわ。こんな――私はもう、そんな人間にはならないと決めましたのよ。
「そなたのことだからな」
また……一瞬、柔らかな表情を見せるヴァーミナス。あなたって、まるで……。
「ありがとうございます」
それからヴァーミナスは手紙を二人の署名で綴ってお父様に宛てて送り、その後に鏡を贈ろうと提案してくださいました。
「レプケが段階を踏めと言うのだ。アンヌはどう思う?」
「レプケに賛成ですわ。地上ではそういった礼儀やしきたりが重んじられていますから、ヴァーミナスや魔族は野蛮ではない、と伝えられるに違いありませんわ」
「そうなのか、ではそのように手配しよう。ディマではあまり形式や礼儀などは重視しないのでな……本当にそんなものが大切なのだな?」
ヴァーミナス自身は礼儀を重んじる性格ではないのに、今まであんなに気を配ってくださったなんて……意外ですわ。
「とても大切なものですわ。相手を立てるというのはこちらにも通じる部分ですわよね? それが地上では殊更必要なのです」
「ふむ、よくわからんな」
「そうだ、ヴァーミナスにも地上の文化を知っていただきたいわ。ね、地上も素晴らしい世界ですわよ」
知っていただけなら、私の胸の内にある感情を。けれど押し付けることはできないのですわ。でも、知って欲しい。わかって欲しい。
私の葛藤を察することもなく、ヴァーミナスは私の手を握って微笑みます。その惜しげも無い笑みが、苦しい。
「ああ、地上の色んな場所に共に行きたいな。会談ではそれぞれの国の文化を教えてもらいたい」
「喜んで。それこそ私の望まれた役目ですわ」
すっと目が伏せられてしまい、元の険しいお顔に途端に戻ってしまわれました。え……? 今、何か間違ってしまったかしら?
怒っている訳ではなさそうだけれど、先ほどまでの柔らかな雰囲気はすっかり失われてしまいました。
「頼んだぞ」
「ええ。他にお仕事で必要なお話はないかしら?」
「――すぐに必要なものはないな」
「でしたら、今度はお休みの話をしましょう? お出かけの日がいつになるのかしらって、楽しみにしているの」
『嫌だわ、まるでご機嫌取りじゃない。私がこんなことする必要があるの?』黙って! 別にご機嫌を取ったりしてませんわ。
なんなの、この声は。本当に……苛立ちますわ。
本物だろうと偽物だろうと、今感じている楽しさや期待だって、確かに存在していますわ。それを、誰にも文句なぞ言わせない。
「そうだな、会談が二週間後で……この日なら、休みにできそうだ」
ヴァーミナスは卓上の暦を指でなぞって、ある日で止めました。まだ握られている片方の手に、力が入ります。
「ぜひその日にしましょう。私もスケジュールを調整しますわ」
「ではこの日で決まりだ。一日我と過ごすのだからな?」
「もちろんですわ。念を押さなくて大丈夫でしてよ? 私の婚約者様」
するり、と手が解かれました。消えてしまったぬくもりを寂しく思うと、私の頭に大きな手が回されました。唇が近づいて――。
「アンヌ……」
触れ合う、匂いも音もあなたで埋め尽くされる。こんな幸せだけを感じて。そうして生きていられたら、悩むこともなかったのかしら?
舌が掬い取られ、強く求められる……ヴァンス、あなたが求めているものは――なぁに?
「ヴァンス、やっ、ダメ……ですわ」
「何故?」
背中に回された手が服の留め具を探していると気づいて、体を押しのけます。
私の心はぐちゃぐちゃだわ。憎しみも焦がれる気持ちも、怒りも好意も……全部が混じり合っている。
「何故でも。神にそう誓っているからですわ。お父様にもお母様にも、そして地上のすべての人々に顔向けできなくなってしまうわ」
「……そんなにも神とやらが大切なのか? 我よりも?」
「おかしなことを言うのね。決して比べるものではありません……ね?」
言い聞かせるように言うと、すぐ穏やかな口調で答えてくださいました。
「済まなかった。もちろんそなたの意思を尊重するとも」
「ありがとう、ヴァンス。そんなに焦らなくても、式を挙げたら私たちは夫婦になりますわ」
今度は自分から大きな手に手を重ねて、にっこりヴァーミナスへ微笑みかけると、彼は唇の端を上げて頷きました。
「アンヌ、そなたを得られて良かった」
「おかしな方。私はまだ誰のものでもありませんのよ?」
「いいや。我のものだ」
そんな……そんなの許しませんわ! 勝手なことばかりして、その癖『自分のもの』だなんて言葉で許されるつもりなら、馬鹿にするにも程がありましてよ?!
怒りを逸らすように目線を壁の絵へと移し、何でもないように取り繕います。
精々都合の良い夢をご覧なさい。あなたの思い通りにはなりませんから。あなたに向ける笑顔は、私のためのものよ。
「そうだわ、二人でお父様とお母様へのお手紙を書きましょう? 先ずは文章を考えましょうか」
「ああ、そうだな。地上では作法が色々とあるのだったな」
ヴァーミナスとお勉強をしながら礼節に則った手紙を書き上げると、それをレプケに託しました。
「よろしくて? 絶対に人間の姿に変身して、あなたが行くのですわよ?」
「畏まりました!」
「……何故変身させるのだ?」
「あら、当然こちらの印象を良くするためですわ。美しい姿であれば、それだけで人の警戒心は多少違うのです」
「本当にそういった文化なのだな。あれが美しいと思うのか?」
ヴァーミナスはどこか怒ったような声で質問を続けます。なんだか可笑しいわ。これでは嫉妬しているみたい。
お母様に焼きもちを焼くお父様を思い出してしまいました。でも、フォローなんてしてあげません。知らないふりをして、あなたを惑わせましょう。
「そうですわね、間違いなく美しいですわ。地上ではなるべくあの姿にするのが良いでしょう。研究者でなければ、いつも変身させるのですけど」
「そうか。そんなに大切であるなら、会談にもあれを連れて行くか。人間の感性はよくわからぬな」
「ではヴァーミナスにはどう映るのでしょう? 文化のお勉強をさせてくださいな」
少し媚びた上目使いを意識すると、信じられないほどにヴァーミナスの視線が強くなりました。
殿方ですもの、他の人には許しませんけど、婚約者の前でくらいは大目に見て差し上げますわ。
「ん、そうだな。未成熟で幼児のようだ。そもそもレプケはあまりにも軟弱な肉体をしている」
なるほど。これは何もヴァーミナスだから、ではないのでしょう。いつだったかルビー様も仰いましたものね、『あれで肉弾戦ができたらジェリー以外からもモテモテだったろうに』と。
ディマの美醜の感覚には“強さ”が多大な影響を与えているのですわ。
「なるほど、では私はどう映ります? 忌憚ない意見をお願いしますわ」
「――ふむ。そうだな、輝かんばかりの魔力資質に、上品な物腰が良い意味で異質に見えるな。思わず見てしまう……目を奪われる存在だ」
フフ、いやだわ、照れながら仰るなんて可愛らしい。言わせておいてこんなことを考えては、流石に悪趣味が過ぎますかしら。
でも構わないわね? あなたより、ずっとまともですもの。
「まあ。褒めすぎでしてよ。フフ♪ ごめんなさい、とっても嬉しくって」
「……そなたは見た目を褒められるのは、あまり好きではないのかと思ったのだが」
「あら、そんなことありませんわ」
「しかし、ドレス姿を褒めた時にそなたに止められたぞ?」
何故そう思われてしまったのか、記憶を浚ってみました。そう言えば……思い出しましたわ。
「……ああ。以前の夜会でのことで誤解させてしまったのね。あんなに他の方が居る場所では、周りの方に気を遣わせてしまいますわ。権力者の発言に逆らう訳には行きませんから。それでそっけなく対応したのですわ」
「そうだったのか。てっきり嫌いなのか、と思い込んでしまった」
それにしては、いつも熱心に褒めてくださっていたような気がしますけれど。
「褒められて嫌な気持ちになるのは、余ほど気に障る場合だけですわ。ディマの方とあまり変わらないと思います」
「ではこれからは、もっとそなたを褒めなくてはな」
これでは、道化師だわ――。
「煽てても何も出ませんわよ? 嫌だわ、もうこんな時間。そろそろあなたのお邪魔は止めなくてはなりませんわね」
「何を! あ、いや。邪魔というのは思い込みだ。だがそうだな、そなたにも予定があるのだろう。済まなかった」
いきなり大きな声を出すなんて、驚きましたわ。心なしか慌てていらっしゃるみたいですし、もしかしたら予定を思い出されたのかしら?
偶にヴァーミナスの反応がわからなくなりますわ。注意していたはずなのに、何を言いかけたのかもわかりませんでした。
「い、いいえ。それでは失礼しますわ。またお父様とお母様への注意事項などを書類に起こしますので、お時間の合間に目を通してくださいませ」
「わかった、手間をかけるな。ありがとう」
にこやかに別れて、ドアを閉めるとすぐに自室へ転移します。
じわりと滲んだ涙は、顔を埋めたシーツに染み込んで行きました。あんなの、ずるいですわ。
私……私、今までヴァーミナスさえもちゃんと見ていなかったのですわね。
いつもあんなに楽しそうだったかしら? ずっと私の顔ばかり見ていたわ。子供みたいに声を弾ませて。
……許せない。何故あんな茶番を仕組んだの? 私はこんなにも惹かれていながら、何故憎まなくてはいけないの。
「ヴァーミナス……」
名前を呟くと、相反する感情の波に襲われました。こんなにあなたを知らなければ良かった。騙されていれば良かった。
いっそ何もかも無かったことにして、そして――?
違う。
違うわ。そんなの私ではありません。ぐっと涙を拭くと、マスユにお茶の支度をお願いします。
紅茶を飲んで落ち着いて、そして復讐の算段を立てなければ。
二人への、ね。




